小説家として物語を作り出す僕は、僕自身もある物語の登場人物にすぎないと気づき、相棒のネコとともにその証明としての物語をここに示し、自殺を試みた。
雑務
小説家として物語を作り出す僕は
ビルの屋上に人影。流れる雲を見つめながら、パソコンをカタカタと叩く彼。風に吹かれて、彼はブルっと身震いをした。やがて作業を終えた彼は、エンターキーをやや強めに弾いた。そして、一歩足を踏み出した。
同じ日、同じ時刻のとある喫茶店。平日の午前10時ということもあり、客はまばらだ。店内にはボブ・ディランのライク・ア・ローリングストーンが流れている。女性二人が座る席に、ウェイトレスがカフェ・オ・レとフレンチ・トーストを置いた。
「サイレンがうるさいわね、火事かしら」
「なんだろう、人も集まってきてる」
「あらやだ、パトカーまで来てるじゃない」
二人は、主婦が洗濯物を畳みながらお昼の情報番組を見ているときのように、ぼうっと外を眺めていた。猫が窓の近くを通ったが二人は気づかない。外の風景よりも彼女らが熱心に見ていたのは腕時計だ。秒針まできっちり合わせた腕時計を念入りに左右の腕につけている。
またまた同じ日、同じ時刻。
「くそっ、なんでこんなとこで渋滞してんだよ」
車内だというのに帽子を深く被り、マスクとサンスラスをかける男性。赤いセダンは、澄んだ空にクラクションを高らかに響かせる。猫が驚いて毛を逆立てる。朝の客が少ない時間を狙って銀行強盗をしたこの男性は、クラッチバッグに52万円を詰め込んで車で逃走を図った。念入りに調査して防犯カメラの少ないルートを選んだはずだった。10分走れば、堤防の下で仲間の車に乗り換えることができるはずだった。しかし、今日は生憎の渋滞。車内のカーラジオからは、雰囲気にそぐわずドナルド・フェイゲンのマディソン・タイムが流れている。
「くそっ、早くしろよ! なんでこんな時に限って」
やはり同じ日、同じ時刻。何人かの悲鳴が不協和音を奏で、辺りは緊張感に包まれた。
「人だ!」
「血が出てるぞ!」
「腕ちぎれてるよね......!?」
汚物に群がるハエのように、野次馬が集る。その群衆の中心にあるのは、とある成年の死だ。膝の関節は逆向きに曲がり、顔は左半分のみが辛うじて原型を留めている。すぐに救急車とパトカーが駆けつけた。赤黒い血が肌の表面で固まりつつあった身体に、ブルーシートが掛けられた。スマホのカメラを向ける人、Twitterを開く人、ただただ眺める人。しかし次の瞬間、野次馬の注目は真逆の方向に引き付けられることとなる。
「くそっ、こいつら邪魔だな! どけや!」
拳銃を持って走る男。それを追いかける二人の警察官。男の右手には、念入りにチャックを閉じられたボストンバッグが握られている。逃げ惑う人々。パニックになり、四方八方に駆ける人たちの間を縫って、死亡現場の実況見分を行っていた警察が男を挟み撃ちにする。
「くそっ、お前らこれ以上近付くな!」
男は、カフェから出てきた女性の首に手を回すと、女性のこめかみに拳銃を突き立てた。女性は身体を硬直させた。女性は持っていたアタッシュケースを地面に落とした。
警察4人が男の周りを囲み、拳銃を向ける。女性とともにカフェから出てきたもう一人の女性は、腰を抜かして警官にしがみついていた。ブルブルと震えて怯えながらも、チラチラと時計を気にしている。
「あらやだ、こんなことしてる暇なんてないじゃないの」
独り言を発すると、もう一人の女性は公衆電話ボックスへと走った。震える手でコインを入れ受話器を取る。ボックス内で優雅に寝転んでいた猫が、疎ましそうに寝返りを打つ。
「こちらコードネームアークトゥルス。デネブ隊長、アルデバランが......アルデバランが......け、拳銃を持った男に捕まった」
「落ち着けアークトゥルス。その男にこちらの計画を知られたということか?」
「いえ、まったくの偶然で、強盗か何かの人質にとられたものと思われます。」
「計画が優先だ。アタッシュケースを今すぐ駅前の犬の像へ持っていけ。アタッシュケースの爆発まであと3分しかないぞ」
「それが......とてもアタッシュケースをとりに行ける状況では......」
「死んでも取りに行け! 1000万円の報酬を前払いで渡してるだろ! 片足を飛ばされても頭が破裂しても、計画だけは強制遂行だ!」
「その......今更なんですが、あの犬の像を爆破してどうなるんですか......?」
「世界の滅亡を防ぐんだ!」
「はぁ......? あらやだ。アタッシュケースの爆発まで1分。もう無理ですよ」
「この役立たず! あの銅像には天使が封印されていて、1分後に封印が解かれるんだ! 直前に青白い光を放つ。その瞬間を狙って時限爆弾で爆破しなければ、世界は滅びる!」
「は......? 自分でやったら良かったのでは......?」
「トップに立つ者は、自分の手は汚さないんだ......! でももういい! 俺が予備の爆弾を持っていく!」
ガチャリと鼓膜を殴るような音を立て、公衆電話が切れた。
「あらやだ、あと10秒じゃない。逃げるしかないわね」
「この女、何を訳の分からないことを!」
「爆発するんです! 逃げなきゃ!」
「うるせー! お前の頭ぶち抜くぞ!」
こめかみに拳銃を突きつけられたまま、涙声で叫ぶ女性。
「あ、あと3秒......」
涙が腕時計の盤面に溢れ落ちると同時に、アタッシュケースが空気を全て真っ白い光に変え、地球の裏側へと伝わりそうな程の轟音が響いた。爆心にいた女性と男は、文字通り粉々になった。アタッシュケースの破片が脳味噌を突き破り、二人の警察が死んだ。一人は体ごと吹っ飛ばされ、頭を打って死んだ。警察官のうち、辛うじて一人生き残ったが意識が朦朧としている状態だ。
ちょうどそのとき、駅前にある銅像が青白い光を放ち、暗雲が立ち込め、世界の終焉を告げる音と言われる、アポカリプティックサウンドが鳴り響いた。オーロラが現れると、天から一筋の光が銅像に差し込んだ。空間が裏返しになったかのように、銅像は光り輝く天使へと姿を変えた。
「間に合わなかったか......!」
デネブ隊長は爆弾を抱えたまま立ちすくんでいた。
天使がラッパを吹くと、地中から体長2メートルは優に超えるイナゴが波打つように無数に出てきた。
「これが世界の終わりか......」
デネブ隊長はタバコに火をつけると、思い切り煙を吸い込み、目を閉じたまま吐き出した。その煙はまるで魂かのようにユラユラと空へ昇っていった。イナゴの咀嚼音が響いていた。
「何が起きてる......?」
イナゴは空を覆い尽くすと、空からの光を全て遮り、地上は暗闇に包まれた。異様な風景と地を轟かすような轟音に、警察官は地面を這って逃げようとする。しかし背中を踏まれると、息ができないほど肺が圧迫され、同時に禍々しく奇妙なほどに美しく整列した歯が迫ってきた。
警察官は......目をギュッと閉じ......僕の......警察官の......僕の頭の中を......走馬灯が駆け巡り......僕は......
僕は段ボールの中にいた。
冷蔵庫を梱包するための段ボール。先日、冷蔵庫を買い替えた際に何かに活用できないかと取っておいたのだ。僕はその段ボールを眺めていると、いつの間にか吸い込まれるように段ボールの中に入っていた。その段ボールの中で、何をするともなくただただ妄想に浸っていた。
段ボールの中は星空に包まれている。段ボールに開いた穴から差し込む光のことを言っているわけではない。無数の星に包まれた世界。そこには”現在”は存在せず、”現在地”も存在しない。ある星は何万年か前の姿を見せており、ある星は何億年も前の姿を見せている。宇宙の時がアトランダムに存在しているのだ。しかも星との距離は絶えず変化している。二度と同じ位置関係を結ぶことはなく、この星空では”現在地”というものは一瞬で消え去ってしまう。
この星たちは、僕の物語だ。人間は絶えず物語を作り出している。意識しようとしていまいと、脳は物語によって思考するのだ。自転車を運転するときにだって、見通しの悪い角から子供が飛び出してくる物語を脳が作りだすことによって、人は注意しスピードを緩めるのだ。僕が生まれてから今までに作り出した物語が、この星空に記録されているのだ。僕の場合、冷蔵庫用段ボールに入ることによってこの物語が可視化されるようだ。
僕は警察官ではない。僕は小説家......とはまだ言えない。趣味でWebサイトに小説を投稿しているだけのただの大学生だ。警察官としての僕は、この星空の中のたった一つの物語に過ぎない。小説のために、様々な物語を作り出している僕の星空には、このように変わった物語も存在している。いわゆる物語の迷走。きっと小説家の星空にはこんな物語がたくさん浮かんでいるに違いない。さっきの物語では僕は三人称視点、いわゆる神の視点で警察官としての僕を見ていた。三人称視点で語る世界では、警察官としての自分に固執する必要はない。イナゴになったって、デネブ隊長になったっていい。しかし、僕自身の人生は、当たり前だが僕自身が一人称視点で見ている。一人称の物語では他の人物と入れ替わることはできない。また、僕自身がいなくなればその物語も終わる。
......本当にそうだろうか。確かに、一般的な小説では一人称視点で語る主人公がいなくなれば、物語は成立しなくなり終わらざるを得ない。しかしこの僕が生きる世界では、僕が一人称視点で物語を見ているのだが、僕がいなくなったとして世界は存在することをやめるのだろうか。はたまた僕はただのモブに過ぎず、三人称視点、”神”の視点を持ったものが他の世界にいるのか。僕は誰かの広大な星空に浮かんだちっぽけな存在に過ぎないのか。
......よく分からなくなってきた。
ちょっと休憩。
とりあえずこの蒸し暑い段ボールから出て、猫に餌を与えるとしよう。
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