第31話 鏡花との浮気を疑われ
雅のおでこにキスをした次の日。ゴールデンウィークは三日間しかないため、今日が最終日となる。楽しい時間は、あっという間に終わってしまう。
今日も当然雅と楽しい思い出を作るため、電話をかける。
「あっ、雅。おはよう」
『……おはよう』
少し遅れて返事が返ってくる。
「昨日のおでこ、デリシャスだったよ」
『――ッ! もう切るわよっ』
「待って。今日、どこか二人で行かない?」
『今日はちょっと……』
「えっ、都合悪いの?」
『ええ……』
「そっか……。なら、仕方ないね」
『ごめん。また誘って』
「うん」
素っ気ない電話だった。キスの一件で嫌われたのだろうか。だが、そんな嫌そうな感じではなかったはずなのに。もしや、唇にしなかったことを怒っているのだろうか。
どちらにせよ、今日は暇になってしまった。気晴らしに他の誰かと出掛けてみようと考える。スマホのアドレス帳を見て掛ける相手を選ぶ。
「あっ、月乃さんと距離を縮めるのもいいな」
そう考え、月乃さんに電話を掛けてみる。
『……はい』
「初めての電話だね、月乃」
『き、切りますよ』
「ごめん、冗談です。今日、暇なので一緒にお出掛けしないかな、と思って」
『えっ!? 二人で、ですか?』
「そうだよ」
『さよなら』
「待って。男を克服するチャンスだよ?」
『余計に悪化しそうなので、やめておきます』
「そう……」
冷たくあしらわれ、電話を切られた。諦めて別を当たる。
「千鶴先生はやめておいた方がいいか。先生と生徒だし。もし、何か起こったら二人とも学校を去らねばならなくなる」
その他の名前を見る。
「楓さん……。いやいや、やめておいた方が身のためだ。楓さんと二人で出掛けようものなら、俺の初めてが奪われる危険がある。雅のために死守してきたのに全てが水の泡になる。やめよう、そうしよう」
若菜ちゃんと琴音ちゃんの連絡先は知らないため、必然的に鏡花だけとなる。
「鏡花とは相性がいいけど、忙しそうだからなぁ。ダメもとで掛けてみるか」
鏡花に電話を掛けるのも初めてだな、などと思いながら鏡花の名前をタップする。
『和哉、なんだ?』
「あっ、鏡花。今日、暇かな、って」
『午前中は無理だな。午後からなら大丈夫だ』
「ホント! なら、午後から一緒に出掛けない? 俺も暇なんだよ」
『雅は?』
「今日、用事があるらしいんだ」
『そうか……。だが、二人で出掛けて大丈夫か?』
「雅は気にしないと思うよ?」
『だが、買い出し班の時と言い、かなり嫉妬深いぞ?』
「滅多に会わないから大丈夫だよ」
『だと良いが……』
電話で待ち合わせ場所を指定し、電話を切った。待ち合わせ場所はいつもの駅前だ。この近辺だとそこが一番わかりやすいためだ。
午前中、家でネットサーフィンをしたり、漫画を読んだりしながら時間を潰す。
そして、待ち合わせ時間に間に合うように駅前へ向かった。
いつものように予定時間の十五分前、午後十二時四十五分に到着する。まだ鏡花は来ていない。
――鏡花には異性をあまり感じないな。男友達と出掛けるような感覚だ。全てが格好いいから憧れるよ。
待っていると、向こうから鏡花がやってきた。いつも通りパンツスタイルだ。スカートを穿くところを見たことがない。
「和哉、はやいな」
「いや、今きたとこだよ」
「そうか。で、どこに行くんだ?」
「考えてないけど。お昼は食べた?」
「まだだ」
「じゃあ、駅前でなにか食べよう。奢るよ」
「いいよ。自分で払う」
「そう?」
駅前で食べる場所を探す。雅と外でハンバーガーを食べたことが思い出された。
「前、雅と外でハンバーガーを食べたんだよ。今日は移動販売車がないけど」
「そうか。私はなんでも良いぞ。男勝りなものでも」
「じゃあ、ラーメンはどう?」
「おっ、いいな」
意見が一致し、雑誌で取り上げられている有名ラーメン店に入った。
店内はカウンターしかなく、休みなので混んでいた。
「こういう所、来るの?」
「ああ、一人でラーメンもあるぞ」
「へえ、男っぽいんだね」
「まあな」
ラーメン店は注文を聞いてから出てくるまでが早い。この店も例に漏れず、すぐに運ばれてきた。豚骨スープの中に細麺が入っている。立ち込める匂いは上質だった。
「美味しそうだな」
「そうだね。じゃあ、いただきます!」
食べてみると、雑誌で取り上げられていることに納得する。本当に絶品だった。
「昨日、あのあと進展したのか?」
「うん。キスしたんだ」
「ぶっ。え、えらく早いな」
ラーメンを吹き出し、鏡花が驚いてこちらを見た。
「おでこに、ね」
「なんだ、おでこか。ビックリしたぞ。けど、本当のキスはいつになることやら」
「はは、そうだね」
雅と出掛ける時は心臓が飛び出しそうになるのに、なぜ鏡花と二人の時はこれほど平静を保てるのだろうか。おそらく、頼りがいのある相手への安心感からだろう。親にも似た感覚だ。
俺たちはラーメンを食べ終え、店を後にした。
「美味しかったな」
「そうだね。ねえ、映画でも見ようか。今、『萌子ちゃん』やってるよ?」
「ああ、そうだったな。私はまだ見てないから良いが、雅と見たんだろ?」
「何度見ても良い作品だから大丈夫」
「そうか。なら行こう」
駅前の映画館に入ると、雅と入った時のことを思い出す。俺の記憶は全て雅に支配されているようだ。
「飲み物とかはどうする?」
「いや、私はいい。途中でトイレに行きたくなったら嫌だからな」
「だよね」
アニメ好きとして意見はよく合う。だが、恋人には思えない。不思議な相手だ。
俺たちは一時間半の映画を堪能した。俺は二度目の視聴だったが、それでも感動した。映画というものは一度目と二度目で受ける印象が変わるというが、本当のようだ。先の展開を知っているからこそ、伏線などに集中できる。二度見てよかった。
「ああ、よかったな。あれは良い作品だ」
「そうだね。『萌子ちゃん』可愛かったなぁ」
「はは、わかる」
楽しげに笑いながら俺たちは映画館を出た。
「えっ、和哉……。鏡花と……」
不意に聞こえた声の主を探すと、そこには雅の姿があった。
「あっ、雅」
その表情は険しかった。
「そ、そう……。二人でデートしてたんだ」
「ち、違うよっ。映画を見に行っただけだよ」
「……」
黙って俯く雅。
俺は咄嗟に鏡花に助けを求める。それを悟った鏡花が、
「雅。私と和哉がそんな仲になるわけないだろ?」
「で、でも、すごく楽しそうに笑って……」
「映画が良かったからだよ。なっ、和哉?」
俺はその投げかけに首を大きく縦に振る。だが、
「信用できないっ! 和哉はすぐ他の女の子ばっかりっ! もう知らないっ!」
「あっ! 雅ぃぃぃぃいいいいいい!」
雅は走り去ってしまった。横に居た鏡花が俺の肩に手を置く。
「ほら、言わんこっちゃない。嫉妬深いって言っただろ?」
「ど、どうしようぅぅ」
「だが、嫉妬するということは雅が和哉に気があるということだ。私はここで帰るから、ちゃんと追いかけて仲直りするんだぞ」
「うん。あっ、今日は楽しかった。ありがとう」
「こんな時にまで。和哉は本当に律儀なヤツだな。和哉らしいよ」
そう言って手を振って歩いて行った。
俺は雅を追いかける。どこへ行ったのか見当も付かない。家に帰ったのだろうか。だが、あの顔を楓さんに見せたくないだろうし、どこかで時間を潰すはずだ。
俺はその考えに賭け、近くを探すことにした。
暫く探し回ったあと、公園のブランコに座る雅を発見する。下を向いている。
ゆっくりと近づいて声をかけてみる。
「雅」
「――ッ! あっち行ってっ。女好き男っ!」
見ると、少し目が腫れている。泣いていたのだろうか。
「泣いてたの?」
「そ、そんなわけないでしょ! 勘違いしないで!」
「雅、聞いてくれ。鏡花とは何でもないんだ」
「男はみんなそう言うのよ」
「本当だよ。男友達に近い、そんな関係なんだ」
「……」
黙って返事をしない。
「今日、駅前を歩いて思い出すのは雅のことばっかりだった。鏡花と居るのに失礼な話だけど」
「……」
「ハンバーガーを食べたこと、映画を見たこと、ゲームセンターに入ったこと。全部雅との思い出」
「……」
「俺はあの日のこと忘れられないし、雅を手放したくない。だから信じてくれっ!」
俺の真剣な説得に、雅が顔を上げる。俺の目をじっと見つめながら、
「……確かに嘘をついている目、じゃないわね」
「信じてくれるの?」
その問いに黙ってコクリと頷いてくれた。
「ねえ、今日は何の用事だったの?」
「……コレ」
そう言って左手に持っている袋を見せてきた。
「なに、ソレ?」
「コレを買いに行ってたの。アンタに渡そうと思って」
「えっ、俺に?」
頷いて手に持っている袋を俺に差し出した。受け取り、中を見てみる。
「小さな箱……。指輪?」
「違うわよっ」
「開けて良い?」
「ええ」
その小さな箱をゆっくりと開けてみる。中に入っていたのは、
「き、きんばクマっ」
それは雅の学校用カバンに付けられている物とお揃いの物だ。
「ソレ、売ってある店、遠いのよ。電車で往復三時間もかかるんだから」
「俺のためにわざわざ……」
「まあ、いつも色々もらってるお礼」
「あっ、ありがとう、雅。うっうっ……」
「ちょっと泣かないでよ」
雅の気持ちが本当に嬉しかった。休みの時にしか遠出できないため、わざわざ休みを潰してまで買いに行ってくれたのだ。
「でも、学校に付けていくと疑われるから家に飾っておくよ」
「いいわよ、学校のカバンに付けても」
「えっ」
「まっ、私は誰とも付き合わないことで有名だから、疑われないでしょ」
「ありがとう! 一生、大切にするよっ」
「どういたしまして。それだけ喜んでくれたんなら遠出した甲斐あったわ」
その宝物を右手で持ち、左手を雅に差し出す。
「えっ、またあ!」
「家までだけ」
「し、しょうがないわね」
素直に右手を差し出してくれた。俺たちは三度目の手つなぎでゆっくりと家に帰るのだった。
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