第26話 温泉から聞こえる声

 高台で、千鶴先生以外の四人が固まり、暫しの沈黙が訪れていた。最初に話し始めたのは月乃さん。それも半泣きで。


「せ、先生。泊まるって言っても男の人もいますし……」

「えっ、けど、佐伯くんは奥手なんじゃないの?」


 ふたりが俺を見る。誇り高く俺は告げた。


「そうさ。俺は紳士だ。月乃さん、信じて」

「……」


 無言で俺を眺める月乃さん。次の瞬間、もう一度先生の方を向き、


「先生! 一番信用できません」

「なっ! 月乃さん、失礼じゃないか。俺が襲うのは雅だけだっ!」


 あまりに大きな声に遠くの方から木霊こだまが聞こえてくる。何という良い響き。そのあと、雅がブチ切れて、


「先生! 和哉だけ置いて帰りましょ」

「雅! それはないだろ。俺も連れて行ってくれ」

「アンタの本音はよーーく分かったわ! そんな男と泊まれないわよ!」

「待て! 襲うと言ってもチャンスがあれば、の話だ」

「どっちも一緒っ!」


 埒の明かない事態を終止する為、鏡花が皆をまとめる。


「みんな、落ち着け。とにかく今は泊まるところがあるかどうかを考えよう。車を運転できないなら、帰れないのだから」

「そ、そうよ。先生もそう思うわぁ。とにかく、売店の人に聞いてくるから待ってて」


 そう言い残し、千鶴先生は売店に向かっていった。鏡花は仲間だが、あとのふたりは俺を敵視している。とてもマズい状況だ。この状況を打破するため、鏡花に小声で助けを求める。


「(鏡花、フォローしてくれないか?)」

「(どうやって?)」

「(鏡花に任せる)」


 はあ、というため息をつき、鏡花がふたりを説得する。


「ふたりとも、私が一緒だ。和哉のことは私が監視するから」

「ほ、ホントですか?」

「ああ、本当だ。月乃、私のことは信用してくれているんだろ?」

「鏡花さんには信頼を寄せていますが……」

「なら、信じてくれ。私の近くを離れるな」

「はい……」


 傍から見ると、百合関係のように見えるのだが。言うと鏡花をも怒らせかねないので、黙っておいた。だが、まだ雅が納得していない。ここは俺の出番だな。


「雅、俺を信じろ」

「ムリっ!」


 鏡花と同じセリフを言ったつもりなのだが。


「じ、じゃあ、こうしよう。俺は先生の隣で寝る。それなら平気だろ?」

「……それもちょっとイヤ」

「なんで?」

「なんかイヤなの!」

「じゃあ、俺の隣で寝るかい?」

「それもイヤ!」


 わがままなお嬢様だ。説得できないまま、千鶴先生が売店から戻ってきた。


「お待たせー。この高台を下りたところに温泉旅館があるんですって。そこにしましょう」


 ――温泉っ! 混浴っ! 湯けむり雅っ!


 雅を説得することなどうに忘れ、俺はガッツポーズをしていた。


「ちょっとアンタ、なによそれ?」

「えっ」

「そのガッツポーズはなにって聞いてるの?」

「いや、変な意味はないさ。覗こうなど決して……」

「せ、先生! やっぱり和也は置いて行きましょう!」


 火に油を注ぐ結果となってしまった。俺の近くに鏡花が寄り、


「和哉、もっと空気を読め」

「ごめん……」


 母親に怒られているような気持ちになった。


「それで、意見は決まったの? 先生はやく出発したいんだけど」


 あとは雅だけだよ、という顔で雅の方を見る一同。スポットライトは雅の元へ。


「な、なによみんな。……わかったわよ! 五人で行けばいいんでしょ?」

「えっ、良いのか雅?」

「変なことしたらタダじゃ置かないから!」

「ああ、信じてくれ」


 説得の甲斐あって、五人で歩いて温泉旅館を目指すことになった。すぐさまバーベキュー台を片付け、ゴミを始末し、全ての用事を済ませた。




 高台から三十分くらい歩くと、粋な温泉旅館が見えてきた。老舗という感じがする。


「良い旅館ねえ。温泉楽しみだわ」


 千鶴先生は子供のようにはしゃいでいる。そんな中、不安げな表情で月乃さんが言い出す。


「先生、学生の身で異性同部屋というのは体裁が……」

「別に大丈夫だと思うけど。じゃあ、家族ってことにする?」

「えっ、それはどういう」

「私が母親――いや、それはムリね。姉。姉にしましょう。あなた達は四つ子の弟妹」


 わけのわからないアイデアに全員が黙り込む。雅が、


「先生、四つ子って……。さすがにムリでしょ」

「そうかしら」


 確かに三人とも美形だ。似ていると言えば似ているかもしれない。だが、そうなると俺だけ可哀想な子になるのではないだろうか。ひとりだけ残念な容姿で生まれちゃったね、的な。不安になった俺は、


「先生、四つ子でひとりだけ男なんてあるんですか?」

「さあ? あるんじゃないの?」

「そんな無責任な。なら、俺に良い案があります」

「なに?」

「俺を三つ子妹の兄という設定にするんです」

「えっ!?」


 俺以外の全員が驚きの声をあげる。


「俺が先生の少し下で、あとは三つ子の可愛い妹たちということにしましょう」

「イ、イヤよっ! アンタが兄なんて」

「さあ、お兄ちゃんと呼んでごらん」

「いぃぃやぁぁあああ! 鳥肌立つわ!」


 鏡花ですら冷めた目をしている。


「さすがに私も和也をお兄ちゃんと呼ぶのは……」

「だが、その策しかないんだ。協力してくれ、みんな」

「……」


 顔を見合わせて渋々頷く三人。ようやく、納得してくれたようだ。こんな可愛い妹が三人、お兄ちゃんシスコンになっちゃうよ。


 姉が先頭を行き、旅館の中に入った。女将の出迎えを受け、宿泊手続きをし始める。受付で対応している女性仲居が不審に思い、尋ねてきた。


「あのぉ、本当に兄妹さんですか?」

「はい! そうです。三人は俺のかわいーーーい妹たちです。なっ、妹よ」


 俺が三人の方を向くと、事前に交わしていた約束通り、雅が額に汗をかきながら、


「はい、そうです。ねーー、お兄ちゃんっ!」

「――ッ!」


 今まで気づかなかった。俺に妹属性があったということを。でも、本当に他人で良かった。もし、雅が本当の妹だったら近親○姦まちがいなしだっただろう。あぶない、あぶない。


 手続きを済ませ、女将が部屋まで案内してくれる。

 部屋に着き、中を見ると素晴らしい部屋だった。今までの人生でこんな旅館に泊まったことはない。皆の表情を見ると、同じ意見のようだ。

 女将が部屋を後にして、皆がくつろぎ始める。


「すっごい綺麗ね! こんな旅館泊まったことないわ」

「雅、来て良かっただろ?」

「探してくれたのは千鶴先生でしょ」

「なあ、もう一度聞かせてくれないか?」

「なにを?」

「お兄ちゃんって」

「ばかっ!」

「――あたっ!」


 強く肩を叩かれた。暴力的だが、これも愛情の裏返し。痛さが快感に。Mっぽい発想だが。

 俺はお楽しみの時間、とばかりに提案する。


「さあ、みんなで温泉に入ろう。入り口の看板を見たが、混浴風呂があるらしい」

「はあ!? 入るわけないでしょうが!」

「ほかの三人は別として、雅だけでも!」

「イヤっ! 放して!」


 俺は雅の腕を掴み、必死に懇願する。願い空しく、皆は女風呂へと先に行ってしまった。千鶴先生は、座って足を伸ばしながら、


「私は疲れたから、ちょっと休んでからにするわ」

「じゃあ、俺は温泉行ってきますね」

「はーーーい」


 先生だけを部屋に残し、男風呂を目指した。本当は混浴風呂を覗いてみようかと思ったが、雅たちが入っていないのでは無意味だと思い、止めておいた。

 男風呂に入ると、あまり客はおらず、開放感でいっぱいだった。俺はかけ湯をしてから入浴する。


「はあーーーー! 最高だなぁ。命の洗濯だぁ」


 湯につかって羽を伸ばしていると、キャッキャウフフな声が隣から聞こえてきた。


「うわあ、広いわね! 最高の景色!」


 それは雅の声。どうやら横の仕切り板の向こうは女風呂らしい。女性は脱ぐのに時間がかかるため、俺の方が早く入湯したというわけだ。もっとはっきり聞くために、仕切り板に耳をくっ付ける。傍から見れば、変態まっしぐらだろう。


「ああぁ! 気持ちいいわね」

「ああ。体が生き返るな」

「ほら、月乃も入ったら?」


 暫しの間のあと、


「わ、私だれかと一緒にお風呂に入るのはあまり慣れてなくて」

「恥ずかしいの? 同性でしょ?」

「そ、そうですけど」

「タオルはお湯に浸けちゃだめよ?」

「はい」

「えっ。月乃、結構胸大きいのね」

「は、や、見ないでください」


 その声を聞きながら素晴らしい時を過ごす俺。月乃さんは大きいのか、なるほど。誰か、雅の胸の話題を頼む。


「雅は私と同じくらいだな」

「そうね。もっと大きくなりたいんだけど」

「でも、大きいと不便だろ?」

「けど、男は大きい方が好きでしょ?」

「見せたい男でもいるのか?」

「それは……」


 ここはとても重要なところだ。なんと言ったんだ雅。よく聞こえない。もう一度。

 話も聞きたいところだが、のぼせそうだ。早く、早く、と焦る俺だった。

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