第11話 ビショビショになったふたり

「さあ、雅が決めて。俺の口にするか、バケツにするか、失禁するか」

「……くっ、どれも……イヤだけど……バケツね」

「分かった。さあ、パンツを脱いで」

「子供じゃないんだから、一人でするわよっ! 一番遠い所に行って!」

「はい」


 雅は最後の力を振り絞り、そう叫んだ。俺は角の雅から対角線の角へと移動した。そんなに狭くない体育倉庫の端と端なら耳栓なしでも聞こえないかもしれない。だが、俺は紳士だ。雅と迎える初夜まで、俺は純潔を貫く。


「雅っ! 聞こえる?」

「な、何?」

「今から耳栓するからっ! いつ終わったか分からないから、終わったらバケツを持って来て」

「ば、バカじゃないのっ! 何で……出したヤツ……見せるのよ!」

「あっ、ゴメン。じゃあ、終わったらこっちに来て肩を叩いて」

「わ、分かったわ! や、約束して……絶対よ?」

「約束は守るっ! 雅の為だっ!」

「……ありがと」


 その言葉を聞いてすぐ、俺は両眼を閉じ、両耳を両手で固く塞ぎ、その場にしゃがみ込む。


 もう出し始めただろうか。何も見えないし、聞こえないが、想像してしまう。今、同じ空間で雅が放尿している。ああ、感動する。そんな不埒な事を考えながら暫く待つと、肩をトントンとされる。


「もう良いわ」

「えっ、終わった?」

「ええ。その様子だと約束守ってくれたみたいね」

「当たり前だろ」


 おもむろに立ち上がり、雅が居た場所に目をやるとバケツが置かれている。そちらに歩みを進めようとすると、


「ば、バカじゃないのっ! 絶対行かないでよ? 分かった?」

「分かったよ」


 匂いだけでも、と懸命にクンカクンカしたのだが、体育倉庫の体育用具の臭さが余りに酷い為、全く嗅ぎ分けられなかった。犬に生まれておくんだった。


 そんなやり取りをしていると、扉の外から声が聞こえる。


「誰か居るのかっ!」


 それは去年の担任のゴリマッチョの声。


「ゴリマッ――じゃなかった。先生、助けて下さいっ!」

「何やってるんだお前達っ! 今、助けてやるっ!」


 ゴリマッチョによって扉は開かれた。開かれた扉の前で仁王立ちしているゴリマッチョは、後ろからの光も相まって、動物園感がより一層増している。


「おいっ、こんな時間に男女で何やってるっ! 校内での淫らな行為は謹慎モノだぞっ!」

「違いますっ! 私達、閉じ込められたんですっ!」


 必死な形相で訴える雅だったが、俺は先程ゴリマッチョが言った謹慎モノが近親モノに聞こえてならず、ニヤついてしまった。


「おいっ、お前。何がおかしいっ!」

「い、いえ。放課後、俺達がここに居る間に誰かがここの扉を閉めたんです。俺達、被害者なんです」

「あっ、そういえば施錠した記憶があるな」


 ――ゴリマッチョ、アンタが犯人かっ!


「済まなかったな」

「疑いが晴れて良かったです」

「だが、あの時誰も居なかった気がしたんだが」

「あ、ああ、俺達跳び箱の奥でコケちゃったんです」

「そうか。そりゃあ、災難だったな。……んっ?」


 にこやかにゴリマッチョと話していたのだが、何かに気付いた様でゴリマッチョは体育倉庫内へと歩みを進める。雅のバケツが発見されるのかと不安だったのだが、


「これは何だ?」


 ゴリマッチョが発見したのは跳び箱の上に置かれたエロ小説。


「それは俺のモノです」

「し、知りません」


 俺と雅は被る様に述べた。


「どっちなんだ? お前らのか、他の奴らのか?」

「……」

「まあ良い。今日の所は早く帰れっ! だが、明日の昼休み、二人とも生徒指導室へ来いっ! 良いか? 分かったなっ!」


 ゴリマッチョはそう言い残し、その場を後にした。


「ちょっと! 何で嘘つかなかったのよ?」

「俺、嘘つくの嫌いなんだ」

「何て馬鹿正直なのよ。呼び出し食らっちゃったじゃない」

「まあ、良いさ。終わった事は仕方ない」


 そんな中、急に激しい雨が降り始めた。夕立ちである。


「えっ、雨?」


 雅もその事に気付いた様だ。


「もうっ! アンタのせいで踏んだり蹴ったりじゃない」

「ゴメン……」

「兎に角、鞄を取りに行って建物内に戻りましょ」

「うん」

「あっ! ちょっと待って。バケツの中身捨てておくわ」


 雅の聖水が入ったバケツを運び、俺に見えない様に排水に捨てている。実に勿体無い。


「これで良し。それじゃあ、行くわよ」

「うん」


 急いで雨の中を走り、体育館裏から鞄を取り、校舎内へと入る。


 暫く雨宿りをしていたのだが、全然止みそうにない。このままでは埒が明かないと感じ、辺りを見ると、傘立ての中に一本だけ傘があった。


「この傘を拝借して帰ろう」

「そうね。このままじゃ、いつまで経っても帰れないしね」


 傘を手に校舎の出口に差し掛かった時、


「雅、初めての相合傘だね」

「――ッ!」


 雅は今気付いた様だ。俺が傘を差し、雅に手招きする。


「さあ、どうぞ。これに入ったら恋人確定だね」

「ふざけないでっ! 仕方なく入るだけだから!」

「分かったよ」


 雅が俺の差す傘の下に入り、ついに美少女との相合傘が完成する。俺は雅よりに傘を差す。想いを寄せている方が大いに濡れると良く言ったものだ。


 自宅まで徒歩二十分掛かる。十分程歩いた所で雅が気付く。


「アンタ、濡れてるわよ。もっと寄ったら?」

「良いの? 肩が触れ合っちゃうよ?」

「仕方ないわ。風邪引かれたら嫌だし」

「ありがとう。けど、雅が変なこと言うから雨降ったんだよ」

「えっ、私なんか言った?」

「ほら、俺がプレゼントを持って来るなんて今日は土砂降りだって」

「あぁ、そんなこと言ったわね。当たんなくても良かったのに」

「俺は天からのプレゼントだと思ってるよ」

「ばか……」


 それから暫く歩き、家の近所の橋を渡っていると、後ろから猛スピードで走る車と遭遇する。その車の巻き起こす風にさらわれ、手に持っていた傘が飛んで行ってしまう。行き着いた先は川の中。


「ちょ、ちょっと何してんのよっ!」

「あそこじゃ、取りに行けない!」

「もうっ! 走るわよっ!」


 自宅までもうすぐだというのに、仕方なく近くにあったバス停で雨宿りする事になる。


「もうっ! 何で手を離したのよ?」

「ゴメン。雅の手だったら決して離さなかったのに」

「……ったく」


 ふと、隣に座る雅に目をやると、雨に濡れたスカートが足に纏わりついている。艶かしい。


「ちょっとっ! どこ見てんのよっ!」

「ゴ、ゴメン……」

「アンタ、ホントに変態ねっ! 油断も隙もあったもんじゃないわ」

「変態なのは一緒だろ?」

「一緒にしないで」


 それから幾ら時間が過ぎても止まないので、決死の覚悟で家まで走る事にした。 


 バス停から五分、結構な距離を全速力で走る。家に着いた頃には二人共ビショビショになり、息が上がっていた。


「はあ、はあ。やっと着いたね」

「はあ、はあ。そうね。お風呂入らなくちゃ」

「俺も。雅、今日はゴメンね」

「良いわよ。風邪引かないようにね」

「うん。じゃあ、またね」

「ええ」


 俺達は隣同士のそれぞれの家に帰宅した。


 帰宅後すぐ、風呂に入り、服を着替えた。


 自室に戻り、くつろぎながら雅の姿を想像していた。


「雅も今頃、風呂に入ってるのかなぁ? 今日は二人の距離がかなり縮まったな。一歩一歩ゴールへと進んでいるな」


 今まで誰とも付き合わない事で有名な雅の初めての彼氏になれるかも、などと考えていた。その時、スマホの着信音が鳴る。雅からの電話だ。


「はい、もしもし」

『アンタ、大丈夫だった?』

「うん、今お風呂に入って着替えた所さ。雅も体をよーく洗ったかい?」

『バカっ!』

「ところで、何の電話?」

『本のお礼、言ってなかったから』

「そんなの良かったのに」

『一応よ、一応。ありがとね』

「どういたしまして。喜んでくれて良かったよ」

『……くしゅんっ!』

「どうしたの? くしゃみ?」

『ええ』

「えっ!? 風邪引いたの?」

『大丈夫よ。たまたま出ただけよ』

「なら良いけど……」

『明日、呼び出し食らってるんだから、ちゃんと来なさいよ?』

「分かってるよ」

『それじゃあ、また明日ね』

「うん、おやすみ」

『……おやすみ』


 そう言い残し、電話は切られた。だが、初めておやすみと言ってくれた。雅も満更でも無さそうだ。明日、呼び出しを食らっている事など気にも留めず、胸がいっぱいになりながらベッドに潜り込んだ。

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