第2話 エロ小説を手にする少女

 HRの自己紹介を終えると、平常授業が開始された。最初の科目は千鶴先生が担当する数学である。


 ――はあ、一番苦手な数学からか。隣に鈴城さんが座ってる事もあるし、気分悪い。


 案の定、千鶴先生が黒板に書く数式は意味の分からない文字にしか見えない。何とかこの時間を乗り切ろうと腹をくくっていると、


「それじゃあ、隣同士で問題の解き合いっこしましょう」


 また千鶴先生が俺にボディーブローをかましてきた。再度、鈴城さんと関わらなくてはならない。あちらも嫌なのか、わざと窓の方に目をやっている。


「鈴城さん、問題を――」

「一人でやってなさい」

「そんな……」


 何を頼んでも全て拒否してくる。相当嫌われている。だが、少しでもこの状況を打開しようと切り出した。


「この問題が分からないんだけど」

「……」


 返事は無かったが、こちらが教科書に示した箇所を嫌そうな表情だが見てくれた。


「アンタ、こんな問題も分からないの? バカじゃないの」


 余計に気まずい空気に変貌する。鈴城さんが教えてくれる事は無かった。また窓の外を向く鈴城さんを横目に自分の机に教科書を戻す。こんな辛い拷問、今後毎日耐えられるだろうか。泣きたくなる。


 始業式当日は授業が短縮されており、早めの下校時間がやってきた。鈴城さんは俺の事を一度も見ずに足早に帰って行った。こんな毎日、発散する趣味がなければ耐えられない所だが、俺には心の拠り所が存在する。それは、エロ小説だ。アニメや漫画やゲームも趣味だが、それの持つ偉大さは尋常では無かった。ジャンルはオールOKだ。エロ小説を買う為に頻繁に本屋に通っていた俺は、今日も寄り道して帰宅する事にした。


 学校から少し歩くとそこはあった。店外上に設置してある看板には『月影つきかげ書房』と書かれている。名前だけでも夢いっぱいだ。二階建ての大きな本屋には数多くの作品が売られている。一階と二階で対象が分かれており、一階は万人向け、二階は玄人向けだ。玄人向けとはアレだ、つまりエロ系小説だ。俺は今日の悶々とした気持ちを晴らすべく、二階へと歩みを進めた。エロを求めて三千里というヤツだ。


 二階に上がると、コアな客が目立つ。その風貌からして玄人感を醸し出している。


 ――流石だな。俺も負けてられない。


 何と戦っているのか分からなくなるが、兎に角、目ぼしい物が無いか見て回る。そんな中、一際目立つ不審者が目に付いた。このコアな客達の中にあって『不審者』と呼べる切れ者が。


 黒のニット帽、サングラスにマスク姿。相当怪しい。それ以上に気掛かりなのは自分と同じ高校の黒のブレザー制服を着ているという事。しかもスカートを穿いている。彼女は棚からブツを手に取り、意中の作品を物色している。


 ――女子がエロ小説って珍しいな。いや、偏見はいけない。女の子だってそういう物に興味を持って当然だ。


 近くを通ると、彼女の持つ鞄にぶら下がる異質なストラップに目を奪われる。


 それは、緊縛されている茶色のクマさん――きんばクマ。


 ――この子……良いセンスしてるな。


 そっとしておいてあげようと品物の物色に戻ると、彼女が一冊の本を落としてしまった。


 見ると、『お兄ちゃん、私を縛ってっ!』と題されたどう見ても近親○姦モノである。


 ――この子、縛られたいのか……素敵だ。


 それを拾おうとした彼女と目が合った。


「――ッ!」


 彼女は声にならない声を上げる。こちらは相手の顔を確認できないが、彼女の動きから酷く焦っている様に思える。落とした本をすぐに棚へと戻し、足早に店から去って行った。


 ――何だったんだ? 作品のタイトルを知られて恥ずかしかったのかなぁ。ちょっと可哀想な事したな。俺はそんなこと気にしないのに。


 普段から読み慣れているので、他人がどんな趣味を持っていても否定する気には全くならない。こういう趣味は皆で共有するべきだと思っている。とまあ、話が逸れたが、ようやく目ぼしい品にあり付けた。


 タイトルは『お止め下さい、ご主人様』。


 主人公とメイドちゃんの織り成すエロエロ作品だ。帰って盛大に堪能する事にしよう。その本を手にレジへと向かう。何もやましい事は無いので、表を上にして堂々と出す。女性店員はにこやかに愛想をしてポイントカードに判を押してくれた。俺の立ち居振る舞いに感動している事だろう。


 本屋から少し歩き、自宅に辿り着く。電気は点いていない。両親ともに仕事が忙しく、その上ひとりっ子である為、ほぼ毎日夜遅くまで一人だ。寂しさにはもう慣れた。因みに、両親ともに医師だ。こんな偉大な両親から馬鹿が生まれたという事だ。悲しい話だが。


 すぐに二階の自室に入った。部屋は見事なまでにエロ小説の世界で埋め尽くされている。まさに至極の空間だ。早速、本日購入した作品を読んでみる。


「おっ、思ってた通りの内容だ。買って良かった」


 メイドちゃんが主人公にビシビシしごかれている。言えば可哀想に聞こえるが、作中のメイドちゃんは満更でもないのだ。そこが素晴らしい。読み進めると、ある挿絵に目が留まる。それはヒロインのメイドちゃんがメイド服を着て凛と立つ挿絵。


「コレ、鈴城さんに似てるな……俺、ずっと好きだったんだけどな」


 不意に屋上での出来事が思い出され、悲しさに包まれる。そんな悲しみを癒す為、今度はギャルゲーに着手し、夜通し攻略に明け暮れた。




* * * * * *




 始業式の次の日。徹夜の攻略が響き、絶望の体調の中で登校する羽目になる。頭も馬鹿だが、生活習慣も馬鹿になっている様だ。


 教室に入ると、隣席の彼女は先に登校し、凛とした姿で座っている。


「おはよう」

「話し掛けないで」

「ゴメン……」


 最悪な朝の幕開けである。死にたくなる気持ちを抑え、鞄の中から教科書を出す。その中に一冊のエロ小説が紛れ込んでいた。恐らく、寝ぼけて突っ込んだのだろう。その本を手にボーっとしていると、


「ちょっとアンタ、何てモノ持って来てるのよ!」

「えっ!?」


 突然、鈴城さんが声を掛けてきた。手にしている本の事を言っているのだろう。


「ああ、コレ? 昨日、教科書と間違えて鞄に入れちゃったんだと思う」

「は、早く仕舞いなさいよ」

「あ、うん」


 意外な事に、普段手厳しい鈴城さんが怒る事は無かった。話はそこで終わり、またいつもの様に鈴城さんは窓の外を見ていた。


 午前授業を何とか凌ぎ、やっと昼休憩になった。両親が忙しい為、ほぼ毎日食堂で食べる事になる。教室を出ようと立ち上がると、鈴城さんも立ち上がった。


「鈴城さんも食堂なの?」

「話し掛けないでって言ったでしょ」


 無残な言葉を浴びせ、鈴城さんは教室を後にした。


 ――キッツいな、鈴城さんは。ツンデレ属性っぽいけど、デレが無いんだよなぁ。


 そんな要らぬ事を考えながら食堂を目指した。食堂は講堂の北にある中庭を経た所にある。建物内は広く、多くの生徒を収容できる。だが、多くが楽しく戯れる中、俺は常に一人だ。別に気にしてはいないが。


 何を食べようか悩んだ結果、カレーに決めた。トレーを持って順番を待つ。その暇な時間を使い、空いている席を確認する。だが、今日はかなり混んでいる為、空いている席がほぼ無い。これじゃ、立ち食いする事になりそうだ。


 ――蕎麦やうどんなら立ち食いOKだけど、立ち食いカレーはちょっとな。皿も大きいし。


 結局、空いている席を見つけられないまま順番が回ってきた。トレーにカレーを乗せ、今度は歩いて席を探す。すると、壁に面した席に一つの空席を確認した。


 ――よしっ! あそこにしよう。


 急いで向かうと、その空席の隣で鈴城さんがひとり食事をしている姿が見えた。

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