第伍話 農耕馬の収穫祭


「ちょっと意味が分かりません」


「食いながらキレんな」


「どうしてこんなに甘いんですか!」


「しかも嬉しさで怒るとかどうなってんだ」


 ただ茹でただけのトウモロコシ。

 通常種と比べると随分と色素の薄いそれは、含んだ途端に口の中で弾けたと錯覚するほど瑞々しく、そしてなにより甘いのだ。


 甘味を食べているかと思うほどに、砂糖をまぶしていると思うほどに、それほどまでに強烈な、それでいて一切の嫌味のない甘さが少女を幸福へと導き……、過ぎて怒らせていた。


「ジャガイモも旨い」


「師匠! あっち! 見てくださいよ! アスパラガスが売ってますよ! ショウユウです! ショウユウの香りですよ!」


「醤油な」


「食べましょう! アスパラガスが言っています、食べてくださいと言っています!」


「先に今食っているトウモロコシが食べ終えてからな」


「もう食べましたけど?」


「芯まで食うか、普通……?」


 走り出した少女の背中に零す男の溜息は街の喧騒に消えていく。

 ほくほくと湯気をたっぷりと放出し続けるジャガイモの最後のひとかけらを口の中に放り込んで、熱さと格闘しながら男は少女のあとを追う。


 二人がたどり着いたのは、この島最大の畑作地域を誇るオベリベリの街である。

 広大な平野を二つに裂くように流れる巨大な川を中心として栄えるこの街は、畑から採れる作物や川から取れる多くの魚など、食に於いてなによりも贅沢に発展をし続けている。

 古くからこの島を、そして現代ではジパングそのものを支えているといって過言ではないほどの食料生産地なのだ。


 で、あればこそ普段から人の動きは活発な街ではあるものの、二人がやって来た日は通常の比ではないほどの人と物が街に溢れていた。


「やっぱりお祭りは最高ですね!」


「金のことを考えなければな」


「まァたそういうことを言う! 無くなれば働いて稼げば良いだけではないですか!」


「人にだけ働かせておいてよくもまァそういう台詞が堂々と吐けるね、お前は」


 財布の中身などとうの昔にすっからかんとなり、非常用の財布まで薄くなりはじめている事態に男が泣き言を零してしまうのも仕方がないのだが、それと同じように少女がはしゃいでしまうのも致し方ないものである。

 なにせ二人がやってきたのは、オベリベリの街で年に一度開かれる収穫祭のど真ん中だったのだから。七日間続けられるこの祭りは、この街の住人にとっては新年祭よりも重要視されている祭りである。


「宿も取れているんですし、なにをクヨクヨすることがありますか!」


「それも必死に交渉したのは俺だがな」


「私という美少女が傍に居たからこそ交渉も成功したと言えましょう」


「店の外でソフトクリーム舐めていただけだよな? しかも俺の財布勝手に盗んで」


「とってもミルクでした!」


「そうかい」


 小柄な少女の顔ほどはありそうな長さのアスパラガスを美味しそうに頬張る仕草に、男は早々に文句を諦める。適当な出店で購入したホットワインを片手に、まだ食べ足りない少女とともに男は祭りの喧噪のなかへと姿を消していった。



 ※※※



「おっきィですねェ……」


「近づき過ぎるなよ」


「む。子どもじゃないんですから分かっていますよ」


「どうだが」


「むきゃー!」


 人で溢れる街の中でも更に人が集まる大広場。大渋滞が引き起こされているのは、なにも人の数だけが原因ではなかった。

 本来であれば人の往来のために用いられる広場に作られたのは、レース会場である。


 直線にして二百メートルほどの距離を馬が走るのだ。馬で走るのにたったの二百メトールしかないのは、それだけしか距離が取れないからではなく、その走り方に理由があった。

 レースであるからして、一着、二着を競うこと自体は変わらずとも、ただ走れば良いのではない。走るよりもむしろ、引くのだ。


 鉄製で巨大なソリを馬たちは引きながら走る。その重さはソリだけで四百五十となり、そこに荷物を載せて全馬の重量平均などを合わせていく。

 スピードではなく、パワーや技術、そしてスタミナを競うこのレースは、馬を農耕馬などとして利用してきたこの土地ならではのレースと言えようか。


 当然、引く馬も生半可な大きさではない。

 もとより、この国の固有種は小柄なものが多いのだが、会場に集められた馬たちはどれもこれも体高が二メートル超えの猛者ばかりである。

 巨体から放たれる威圧感に人々は圧倒されるも、瞳の可愛らしさに心を奪われる。だからといって不用意に、さらには不紳士に近づき触ろうものなら囓られてもそれはそのものが悪いとしか言いようがない。


「まるで軍馬ですね」


「ていうか軍馬だよ」


「農耕馬ではなくてですか?」


「農耕に用いれば農耕馬、戦争に用いれば軍馬だ」


「この大きさですもんね」


「甲冑を着込んだ騎士様なんざ、普通の馬に乗っても潰すだけだからな」


「いつも思うんですけど、あれって自力で動けるんですか?」


「動ける奴は厄介」


「だいたいは飾りかァ」


 毛色の違い二人が傍に居るためか、それとも物騒な内容を話しているためか馬たちが居心地が悪そうに視線を逃げし続ける。

 馬主達がレース前の不調に悲鳴を上げる前に、二人は馬の傍から馬券売り場へと移動することにした。


「あれが障害物ですか?」


「そ、奥の山のほうが高いらしいな」


「はー……、重いソリを引いてあんなのを昇るんですから、馬さんは偉いですね」


「お前のために日夜働いている俺にもその優しさを少しは向けろ」


「あっはっは」


「ジョークでもなんでもねえぞ」


 祭りの期間中、レースは毎日五回ずつ開催される。

 一攫千金を目指す者、失った財を取り返そうとする者、恋人へ良いところを見せようと意気込む者、家族で楽しむ者、馬の名前のかっこ良さを競う者。

 多種多様な人の想いが渦となり、熱気となって天を昇る。収穫祭のあとには長い雨が振るのはこのせいだ。などと人は笑うのだ。


「この子! この子が良いです! クリームストロベリー!!」


「ホワイトサンダーにしとくか、一番人気だし」


「師匠は大穴狙いだと思っていました」


「冒険は飽きたんだよ」


「どれだけ今まで失敗してきたかよく分かる台詞ですね」


 出店でお金を失った二人が大金を賭けることなどできはしないので、参加費ばかりにと一枚ずつだけ券を買う。

 可愛い名前、もとい、甘い名前が気に入った少女と、前人気を判断材料に適当に購入する男。


 すぐさま観客席へ移る前に、少女が出店へと突撃してしまったため、すっからかんのその先へと男は突入しそうになっていた。


「はァ……」


「勝てば良いのです!」


「一枚だけで勝っても大した金にならねえよ」


「クリームストロベリー!!」


「聞いてねえし」


 観客席、とは名ばかりに樽だの廃材だのを組み合わせた立ち飲み場所は、申し訳程度に地面よりも高く作られている。しっかりと自分も購入した酒をちびちび舐めながら、遠いスタート地点へと目を移した。


「ところで、このレースは妨害ありですよね?」


「なしだよ」


「えええ!? じゃああのソリに乗っている人たちは何をするんですか!」


「だから、馬を操るんだろう」


「馬さんだけで良いじゃないですか」


「戦争での英雄馬じゃないんだぞ」


 馬は聡い生き物である。

 戦いを生き延び続けた彼らのなかには、まさしく歴戦という言葉が相応しい勇士に成るものが居る。


 馬上で気絶した主を落とすことなく、数十の魔物の群れから主を守り続けた伝説を持つ馬も存在しており、騎士の質は馬を見ろなんてことを言う者も居る。


「じゃあ、あの子達は平和なんですね」


「だろうな。普段はただの農耕馬らしいしな」


「このレースに人生、じゃなかった馬生をかけて育てられる子とかもいつか出てくるのでしょうか」


「さてな。もっとも……、年に一度程度じゃ駄目だろうな」


 ゴール地点に席を取ってしまった二人からは小さい音が鳴る。と、同時に耳を壊しかねないほどの歓声が広場を包み込んだ。


 一斉に駆け出した十体の馬たちが、重いソリなど関係なくひた走る。一つ目の小山を難なく乗り越えた彼らであったが、軒並み二つ目の坂の前で立ち止まってしまった。


「ああ……ッ! せっかく勝ってたのにどうして止ま、走れェ! 走るのです! ああ、ほら! 後ろから来て、来て! ああ、もう!!」


「なるほどなァ……」


「ほどなァ……、じゃないですよ! 私のクリームストロベリーが! せっかく一位だったのに! どうして立ち止まるんですか! あの乗り手馬鹿なんじゃないですか! クビです! 私が乗ります!」


「あのまま突っ込んでも坂を登り切れないんだろうよ。そこそこの坂だからな、馬の呼吸を見ているんだろう」


「持ち上げて走れば良いでしょうが!」


「馬のレースだ、これは」


 少女の悲痛な叫びは、このレース初心者あるあるなのかもしれない。

 周りの大人達が、自分も幼い頃に同じ事を叫んだよ。と笑いの種にしている声がする。


「そろそろ来るぞ」


 男の読み通り。

 坂の前で動かなかった馬の一騎が、一歩。

 踏み出した。


 それを合図に、他の馬たちも坂へと進み出す。

 なかには途中で倒れてしまう馬も居た。あの体躯を以てしても二つ目の坂を昇りきることは用意ではないのだろう。


「クリームストロベリー!!」


「お、これはいけるか?」


 少女が選んだクリームストロベリーは坂を下りた頃には五位まで順位を落としている。体力を使い切ってしまったのか、そこから追い上げる余裕も見られない。

 男が選んだホワイトサンダーは、坂までは三位だったものの、まさしくゴール手前でトップを争い、そして。


「ぐわァァァ!」


「おお、勝った勝った」


 ほんの少しだけ、男の財布が息を取り戻した。

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