小さな島国にして黄金の国『ジパング』
北の地
第壱話 数えきれぬはシペの群れ
「着! い! たァ!! 着きましたよ、師匠! 師匠ったら師匠!」
「聞こえているから叫ぶな恥ずかしい……、てか、さっむ……」
男と少女。
二人を見かけた人々は一様に首をひねる。それほどに、関係性が読みにくい組み合わせで合った。
恋人同士と思えるほどに親しさを醸し出すけれども、断言するには二人はあまりにも歳が離れすぎている。
親子と思えるほどには仲が良さそうだけれども、断言するには二人はあまりにも似ていない。
師弟と呼ぶには相応しい呼び方ではあるけれども、断言するには二人の恰好はあまりにもちぐはぐだ。
恋人だと言えるも言えず、親子だと言えるも言えず、師弟だと言えるも言えない。そんな二人が降り立ったのは、黄金の国の異名を持つ東方の小さな島国『ジパング』が最北端に位置する島である。
二人が移動手段として採用した飛行船は、世に誕生してからすでに十年が経過していてもいまだに庶民が使用できるはずのない一部の者のみの道楽である。
男の装いはお世辞にも裕福とは言えず、その日暮らしの旅人である。護衛の任を受けてでもいなければ一生縁のない乗り物に、それでもチケットを支払ったのは彼である。
一方で、道中数名の商人があの手この手で入手先を聞き出そうとしては男にあしらわれてしまうほどに珍しい織物のドレスを身に纏った少女は、ただの一銭も銭を持ち合わせてはいなかった。
「子供は良いね、この寒さのなかでも元気で」
「誰が子供ですか、誰がッ! 師匠がおっさんなだけですよ!」
「ダンディズム溢れる紳士と言、痛ッ!? おい、蹴るな痛って!」
脹脛を狙い続ける地味に嫌すぎる攻撃から逃げるように男は飛行場をあとにする。そんな二人を周囲の人間が無作法にも見続けていたのだが、最初から最後まで二人はそんな彼らの存在など初めからなかったかの如く気に留めることはなかったという。
喉元過ぎれば熱さを忘れるように、違和感程度でしかなかった不思議な二人の存在は、次第に周囲の人間の記憶からも薄くなることだろう。
「ええぇ! 乗合馬車を使いましょうよォ!!」
「そんな金あるわけねえだろ、誰に向かって言ってんだ」
飛行船から降りて来た客を待ちわびていた馬車の御者が駄々をこねる少女に眉をしかめていた。彼もまたちぐはぐな二人の存在の被害者と言えようか。男だけであれば無視をして馬車を走らせていたのだが、要人にも見えてしまう少女をこの場に残して良いかと反応に困ってしまう。
「貧乏を自慢するなァ! 貧乏はんたーい! 働けニートォ!」
「お前の分まで働いとるわ。誤解されること叫ぶな、ド阿呆」
片手を顔の前にして軽く頭を下げる男に、御者がほっとしたように馬車を走らせる。砂利を敷き詰めて舗装された道路を快調に走っていく馬車の後ろ姿に少女は捨てられた恋人の如く手を伸ばすしかなかった。
「歩くぞ、早くしないと日が暮れて野宿になる」
「誰のせいですか! だいたい、冒険者なんだから護衛でもなんでも交渉して乗せてもらうとか出来ないんですか! 馬鹿なんですか! そうでした、馬鹿でしたね!」
魔王が消えた世界が、すべての危険が消え去った世界とイコールではない。かつてほどの威厳も名誉も賞賛も得ることがなくなったとはいえ、冒険者と呼ばれるなんでも屋の存在は、しっかりとこの世界に残されている。
飛行場と街とを繋ぐ舗装された道路に野盗が出るとは考えにくいものの、可能性が零ということもまたない。
「俺がまともな御者ならこんなところで声を掛けてくる冒険者は雇わない」
後ろで馬鹿馬鹿と叫び続ける少女の荷物を奪い取って、男は歩き出した。しばらく地団駄を踏んでいた少女も男が戻ってくる気配がないと分かるや否や、すぐに駆け足であとを追う。
「どうしてまともなら雇わないんですか? 馬車の護衛なんてありふれた仕事だと思うんですけど」
「元から雇っていないのはこの道がそれだけ安全だという証拠。迎えの個人馬車を持てないとはいえ、飛行船を使用する程度には裕福な連中しか使わない馬車で護衛を雇う金がないとも思えないしな」
せっかく舗装された歩き易い道の端を二人がわざわざ歩くのは、一々避けるのが面倒だと思える程度には馬車の往来があるからである。
「だからそこは賃金は要らないから乗せてくれっていうお得感の出る交渉をですね」
「俺が御者なら護衛は歩かせるぞ」
「むぅ」
少女が乗りたかった馬車はそれなりの人数が乗れるものである。そのために馬の数もそろっているとはいえ、小さなものほど速さが出るものでもない。訓練されている者であれば並走して歩くことは苦ではないだろう。精神的なものを除外すれば。
「第一、いきなりそんな交渉をしてきた奴は冒険者の振りをした野盗の可能性だってある」
「だから雇ってくれない?」
「俺の場合だったらな」
「むぅ」
男の説明に納得がいってしまったのか、少女はふくれっ面のままさきほどよりは幾分素直に男の後ろをついて歩く。男の説明に嘘はないが、すべてを話してもいない。本音はただ想定以上だった飛行船の代金で痛手を負ったためなのだがそれを伝える道理はなかった。
後ろを歩く少女に男は優しい笑顔を向けてやることもしないが、奪った荷物を返すこともしなかった。
「安心しろ。言うて街と飛行場を繋いでいる道なんだ。そこまで距離があるとも思えない」
「じゃあ、じゃあ! 街に着いたらごはんにしましょうね!」
「先に酒だな」
「飲みすぎ注意ってこの前も言われてたじゃないですか!」
「すぎなければ飲みなさいってことだよ」
「違いますよ! ていうか、せめてじゃあおんぶしてください!」
「寝言は寝てから言え」
少女が話をふり、男が応える。
時には無視をしたために少女の蹴りを受けながら、二人は北の大地を歩き続けて……。
「着かなかったじゃないですかァ!!」
「あれぇ?」
夕日で世界が紅く染まるなか、少女の怒りが空へと消えていく。
「おっかしいなぁ……、地図じゃあそんなに距離あるように見えないんだが」
「だいたいずぅぅぅぅぅぅっとまっすぐで距離感覚狂うし、周囲は全部畑か木しか生えてないしなんなんですか、この場所はッ!!」
「森の中とは別な意味で狂うよな」
「せっかくの初日が野宿って! 野宿って!!」
「いつもと一緒だな」
「そう! です! ね!!」
口では怒りを出し続けていても、身体は素早く野宿の準備を開始する。暗くなる前に設営を済まさなければいけないことは少女は身に染みて理解していた。
「まあ、整備された場所なんだ。そうそう危険は」
「ぐるるるる……!」
「危険は?」
「……追い払ってきます…………」
額に瞳を持つ三つ目の狼の群れがまさしく空気を読んで現れる。それ以上におそろしい少女の怒りにこれ以上触れまいと男はとぼとぼと情けない背中を示すしか出来なかった。
焚火の爆ぜる音に、噴きこぼれた水疱が熱せられた岩にあたってジュッ! と驚く音とが混ざり合う。
漂う甘い香りにようやく少女の怒りの虫も収まりつつあった。
「米、だけ……」
というよりも満たされない食欲に落ち込んでいると言った方が良いのかもしれない。
「持参した食材は飛行船の中で食べきっちまったしな。米があっただけ良しとしようか」
「だからもっと買い込みましょうって言ったのに……」
「致し方ない」
「貧乏なんて大嫌いッ!」
飛行船は乗せる総重量で値段が上がる。つまりは、男がケチったのである。
「ていうか、魚どころか小さな貝や蟹も居ないとか変じゃないですか?」
野営の準備が済んですぐ、少女はそばの川で漁をしたのだが、捕まえる以前に獲物の姿を見ることすら出来なかったのである。
月明かりを反射して夜でも、いや、夜だからこそ明るい川は深さこそ大したことがないものの川幅だけは十数メートルは優に超えていた。流れも穏やかで多くの生き物が棲んでいるとしか思えない場所に何も見つからないのは少女の言う通り変としか言い様がなかった。
「あの川の水を使って良かったんですかね……」
噴きこぼし続けている飯盒のなかの水は、その川から組んだものである。唯一残された食材がこんなことで駄目になってしまうわけにはいかなかった。
「むしろその辺の川じゃ勝ち目のないほど綺麗だったぞ」
「じゃあどうして生き物が居ないんですか」
「さァ」
少女は男と旅をして久しい。
素っ惚けるような男の口ぶりは、何かを知っている時のもの。
「何が来るんですか」
「何の話か」
聞いても答えてくれないところまでがワンセット。分かっていても聞かないわけにはいかない。聞かなければ、この男が答えてくれる可能性も零となるのだから。
思い起こせば、米を炊きだす時からして男の行動はおかしかった。普段であれば少女が何かする間もないほど手際の良い彼が、今日は少女に怒られるほどに行動に無駄があったのだ。
それは、炊きあがる時間をわざと遅らせているようであり。
それは、つまり。
「もったいぶらず……、何の音ですか……?」
何かを待っていたのである。
初め、少女は音の正体が洪水だと判断した。
たとえ天気だとしても、数日前に振った大雨が時間差で鉄砲水となって押し寄せてくることは珍しいことではない。
だが、音は川下からあがってきている。
津波からの逆流も考えられるが、少女はすぐさまそれを否定した。仮にそうであるとすれば、周囲の獣の気配は通常過ぎた。誰よりも自然に聡い彼らが災害から逃げないはずがない。
なによりも。
だとすれば、目の前の男が悠長に待機などしているはずがないのだ。
「し、師匠……?」
「噂通り」
「え? 噂って、ちょ、師匠!?」
音の正体が分からないまま川に近づくのは不用心にもほどがある。たとえ男が正体を知っていたとしても、音の凄まじさは近づくことを躊躇するには充分すぎるほど勇ましくなっていた。
だが、そんなことを気にも留めない男の態度に、内心では安全性が確保されたと安心してはいてもそれでも恐怖が取り切れない少女は寸舜悩んで、すぐさま男の腕に抱き着いた。
たとえこの世界の終わりがすぐ傍にあったとしても、この男の傍以上に安全な場所などありはしないことを少女は理解していたのである。
腕に抱き着かれ歩きにくくなったが、昼間の時のように男が少女を適当にあしらうことはしなかった。
轟々と音を立てるもの。
その正体は。
「な、んですか……、これ……」
「ほぉ……、圧巻だな……」
川を埋め尽くす莫大なまでの魚の群れである。
それも、一匹一匹が大人がやっと抱えることが出来るほどの大きさを誇る巨大な魚である。
上下の両顎が伸びて曲がっている様は嘴のようで、まるで頭だけが鳥となった化け物のようでもある。月明かりを吸収し、銀色に光り輝きながら、一同が川上を目指してただひたすらに進むため、川は銀色の波に覆いかぶさられたようであった。
「魚……ですよね? これ、普通の」
「ああ、魔物でもなんでもないただの魚だ。確か、シペって言ったかな」
「シペ」
「この土地古来の言葉で、彼らの主食って意味だったかな? とにかく、昔からよく取れたんだとさ」
「よく……、というかそれはまぁ、これだけ居れば」
「川端に飛び出ちまった奴もいるしな。漁する必要もないくらいだ」
「もしかして師匠」
押し出され、長い旅路を途中でリタイアしてしまう命に男は手を合わせる。魚は、別の形で次を繋ぐ。
「このためにわざと……?」
「街に着かなかったのは普通にミス」
しれっと悪びれない男の背中を蹴り飛ばし、少女はシペで溢れる川へと男を突き落とすのであった。
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