番外編小話:DELUSION
『あの四人のうちで誰が一番タイプ?』
なぁんて問いかけは愚問。答えるのも不毛だけどね。
校内一のクールビューティー王子様?
いつもニコニコ癒しワンコ系な先輩?
眉目秀麗いぶし銀マダムキラーの彼?
それとも極めつけ。禁断の色気を纏ったイケメン教師?
誰でもいいよね、ぶっちゃけ。どの組み合わせでもオイシそう。一人総受けでもオッケ。垂涎もののシチュなんて無数に思いつく。
妄想だけなら、あたしの自由。
***
部活動における部長ってのは、社会に出てからの誰クラスに位置するんだろ。いやそもそも部員二人じゃ部としても認められてないのに。リーダーってだけで全くもって塚ちんは横暴だ。期末テストが終わってから正味二週間で仕上げろだなんて。
「ああっ! クソ! はみ出た!」
神威先輩の髪の毛、やっぱベタにするんじゃなかった。焦ってるからまた墨が飛んじゃった。弓削先輩と並んだとこなんて、二人分塗り分けるの大変なんだよ。失敗した。しかもヤッバいな、この展開。制服はさっさと脱がせちゃえ、とか思ってトーンあんまり用意してなかったんだけど。でも放課後の教室で全裸で絡む、って無理あるよね。となると半裸か。着衣エロか。ブレザー用のトーンがもう少し要るな。あとは…、葛西の服。何番のにしよう? あそこの画材屋、何時まで開いてたっけ…。
「あああもう、マジで! ガチで! 時間足りないんだけど!」
「大河内、品が無くてよ? 進捗はいかが?」
「無理! 無理無理無理!! クリスマスまでになんて間に合わないようっ」
ここは美術部室の片隅。漫画研究会のあたし達は間借りさせてもらってる。リーダーの塚ちんは呑気なもんだ。製本担当だからね。
「大河内の頑張り次第でクリパの盛り上がり度は決まりましてよ? この世にはびこるリア充連中とは美しき一線を画すワタクシ達腐女子の集い!」
ちょっと、もう。なんのプレッシャーだそれ。大体、美しき一線、って何なんだ。彼氏がいなくて二次元に逃げてるだけの寂しいあたし達がえらく綺麗に言われちゃったな。
そもそも、腐女子と括られるには、あたしにはもう一つ突き抜けた感じが足りないかも。BLだけだと投稿する雑誌が限られちゃうから、普通の恋愛モノも結構 描いてるしね。
中学の時はお金も知識も無くて、本当に鉛筆とボールペンだけで描き上げた作品をみんなに読んでもらってた。高校生になって、こっそりバイトして、丸ペンやらGペンやらスクリーントーンなんていういっぱしの道具を揃えられた日にはもう、浮かれまくったもんだ。
ここは進学校だから、授業以外の課題も毎日平気で出される。とにかく漫画だけ描いていたいあたしには腹立たしいことこの上ない。だけど、ママから言われたんだ。学生の本分を全うしないんなら漫画は描かせないわよ、って。
それは、分かってる。ちゃんと人間らしく学生らしくいろんなことを感じて吸収しないとダメなんだ。いつも良いとこまで残るのに肝心な賞に絡めないのは、あたしに何かが足りないからだ、ってのも分かってる。頭の良さとかもだけど、経験、とかさ。あたしは誰かを想って泣いたり辛くてご飯も喉に通らなかったことなんて、ないもん。そんなん描いてるくせに。画力はあるけどリアルさがもう少し、とかいう書評はもう何度ももらってる。
「…神威王子とミコちゃん姫みたいな、さ、」
そう、あの二人はこの学校じゃもはや伝説だ。いやまだご存命だけど。
修正も訂正もされない噂はすんごい尾ヒレをくっつけたまま、二年生の間を飛び交った。そんであちこちで囁かれるヒソヒソ声を片っ端から黙らせていったのは、葛西と、サッカー部のアイドル武瑠先輩だったんだ。いっつもニコニコしてる武瑠先輩の顔に微かな笑みすら無かった。マジビビった。あれは怖かった。
あんな恋愛、あたしはしたことない。話に聞くだけでも、一体幾つの激情が入り混じってんだろ。経験してないから、絶対、描けないんだ。
神威先輩は本当はもう、王子様じゃない。この学校のアイドル的存在だったし密かにファンクラブもあったのに、たった一人の本命に心を奪われっぱなし。
自分の立ち位置 分かってないよね? 神威先輩。腐れてるかどうかを問わずどれほどの女子がガッカリしたことか。アイドルにトイレと恋愛ネタは御法度だっつーのに、誰かの独り占めになっちゃうなんてさ。しかも実はツンデレだったらしいし。あの無愛想クールビューティーな冷酷ドS王子様が、よ? 見てみたい気もするけど、見たくない気もする。
「…ツンデレ、なのかなあ。神威くん」
知りませんよ? 実際のとこなんて。あたしはかの御尊顔すら近くで拝見したことないんだもん。
今回の作品だってさ、完全に塚ちんの趣味だからね。あの四人でくんずほぐれつのBL作品とかさ。いやクリスマスだからって「特別感」を求める気持ちは分かるよ? 嫌がる写真部の武田に頼みこんで隠し撮りしてもらった「やゆよ先輩ズ」の写真を必死こいて参考にしてるけど、なんかこうリアルさに欠けんだよね。
「上手ねぇ、凄い…! 漫画描いてる人、初めて見ちゃった」
「ぬあああっ?! あ、ああっ!!」
前半と後半の驚きは別モノです。何故だか美術部の部室に脚立を抱えたミコちゃん先輩が突っ立ってた。
後半はね、ホワイトがせっかくベタ塗りしたとこに飛んじゃったんだよぅ。
「あ、ご、ごめんなさいね? 驚かすつもりは」
「いや、普通にビックリしますって! てっきり一人の世界だと思ってたのに!」
「ああ! それで? あれ独り言だったの?」
聞いてたんすか? と苦々しく問うと、ごめんなさいとまた謝られた。どうやらミコちゃん先輩が謝りザムライだっつー噂は本当らしい。どこからかと重ねて問うと、立ち位置云々からだと言いにくそうに答えられた。
ほぼ最初からやないかい。
妹尾先輩がやってる図書室の書庫整理を手伝っていたというミコちゃん先輩。息抜きだと言うけれどセンター試験も近いのに余裕じゃないか。脚立の必要性が分からなかったけど、チビだから上の方届かないの、と肩を落とし残念そうに言う。図書室の脚立は錆びついてて危ないから美術部のを借りた、と。そんな落胆するほどのことでもなくね?
「いいじゃないすか、ちっこくて可愛い女子って。そうそう手に入る要素じゃないっすよ」
「でも不便よ? 人の力を借りなきゃいけないこととか多々あるし」
「神威先輩がやってくれるんじゃ?」
それが嫌なの、とミコちゃん先輩は悲しそうに言葉を吐いた。ため息と共に。
そんなもんなのかな。甘えて頼ればデレデレやってくれるんじゃないの? 彼氏なら。しかもこんな可愛い彼女のお願いなら。
やっぱりあたしには分からない。
ミコちゃん先輩はほとんど漫画を読んだことがないらしい。人生の半分以上 損してますよ、と断言すると、大きな瞳がもう一回り大きくなった。すっご、睫毛バッサバサ。三本くらいマッチ棒乗りそう。
「そんなに? 損してる?」
「してますよ! 漫画は日本が世界に誇れる独自文化です! 作者が伝えたいことを世に向けて発信する手段が文字だけではなく絵が介在しているというだけ! もっとPTAの皆様方も教育委員会のお偉い様も理解を示していただきたい!」
「これ、神威くんよね? そっくり! 綺麗!」
いやいやいや。アナタの彼氏でしょうが。見慣れてるでしょうが。綺麗、って一ファンみたいな感想ですな。
「…っあああっ!! そこは見ちゃ、」
「あ、弓削くんと葛西先生…?」
ミコちゃん先輩、固まっちゃったよ。そうね、ほとんど漫画読んだことない人がいきなりBLってね、そりゃあね。
「!…弓削くん…、神威くんのこと、好きだったんだ…!」
「そこ?! そこが茫然ポイント?!」
「知らずに酷いことしてた…、」
「完全フィクションですからそれ! 実在する人物名称団体とは一切関係ございません!」
「え、でも葛西先生が弓削くんのこと…!」
「聞け! ひとの話を!」
可愛いお姫様は意外ととぼけた変テコな人らしい。
礼ちゃーん、って遠くから呼ぶ声がした。うわ、噂の王子様じゃね? ヤバイヤバイこれ!
「あ、ねえ、私もう行くから。邪魔しちゃってごめんなさいね」
とぼけた人かと思ったけれど、あたしの焦りを敏感に察知する。ああそう、お姫様はやっぱり素敵女子力が高い。
「はい、では」
「…あの。明日も、お邪魔していいかな?」
「…いいですけど。その代わり手伝って下さいよ」
なんでだろう、あたし。なんで いいですけど、なんつっちゃってんだろ。超オシてんのに。
いや、なんとなくさ。断りにくかったんだもん。なんか、我儘言い慣れてない人なんだろうな、って。思っちゃったんだもん。
「ミコちゃん先輩、切り貼り得意ですか?」
「…図画工作、ってこと? 美術はあんまり」
「いや、じゃなくて。細かな手作業」
そう告げた途端、ミコちゃん先輩の表情は明るくなった。わ、本当に可愛い、この人。バックに華 描きたいわ。小さな弟のキャラ弁を作ってるから、海苔の切り貼りは得意なの、と笑う。ああ、マジ可愛いです、ミコちゃん先輩。
あたし、百合ではないですけど庇護欲が掻きたてられるってこういうことね? 妹尾先輩の心情に触れた気分。しかも眼福。
「じゃあ、また明日。ミコちゃん先輩はスクリーントーン担当です」
じゃあ、と制服のスカートを翻して王子様の元へ向かうお姫様を、あたしはこっそり、廊下へ顔だけ出して覗き見た。
何してたの? って王子が訊く。内緒、って姫が答えたらしい、途端に王子が気色ばむ。なんじゃい、あの独占欲。ゲッソリ。ちょっとくらい知らない時間があったっていいじゃんね?
帰ろ? とかって言ってるのかな、姫。王子のブレザーの右袖摘まんで。あ、笑った。王子スマイル。キラキラじゃん。天使か。
あたし。その時の二人を、本当に一瞬で原稿用紙に収める術がないことを呪った。
ただ、近くにいて。ただ、笑い合ってるだけなのに。お互いの想いが目に見えるシーンって、あるんだ。あたしの描く漫画が伝えきれてない部分って、ああいうとこ?
姫が一言発するたびに、王子は高い背を屈めて姫の傍へ耳元を寄せる。姫はそんな王子を気の毒そうに窺って、背伸びして喋ろうとしてる。時々よろけながら。
うん、ミコちゃん先輩。バレリーナでもないんだからそんなつま先立ちで歩いて行けるワケないって。
三〇センチくらいあるのかな、あの二人の身長差。リアルに目にすると、まぁ大変そうな。いや、王子は大変だとか感じてなさそうだったんだけどね。ミコちゃん先輩が気遣ってるだけでさ。
ほら、こんなにも。ほんの数分、目にしただけなのに。こんなにもあたしは感じ取れている。人間は身体全体で喋ってるんだ。あたしはきっと自分のキャラの細かな仕草に目線に、迸る想いを乗せてはなかった。
***
「わ、マジ来ましたか」
「え。駄目だった?」
「嘘ですよ。時間ないんでそこ座って下さい」
あたしは隣り合わせにした机の上に道具を次々乗せていく。ミコちゃん先輩はしばしあたしの胸元の名札を見、切り出しにくそうに言った。
「お、大河内さんは…、甘いもの、好き?」
「この世に甘いもの嫌いな女子とかおるんですか?」
「あ、良かった! あの」
作ったの、とスクバから取り出したクッキー入りの小袋を掲げて見せてくれたけど、あたしの両手は墨で汚れている。トーンの欠片も付いている。小指側も薄汚れてるし。
「…あーん?」
「躊躇いながらせんで下さいよ! 王子に見つかったら殺されてしまう!」
頬近くに運ばれたクッキーの何とも言えない良い香りに思わず口を開けちゃったけど。昨日の、内緒、くらいであんなにプリプリしてた神威先輩の逆鱗に触れるんじゃね? ねえ大丈夫? これ!
「ああ、神威くんにもあげてきたから」
「でも、あーん、はないでしょ?!」
「しないよー、恥ずかしいのに」
「いやこれは?! あたしとは?!」
ふふ、って小さく微笑まれただけでもう何でも許しちゃおうか、って思わせるこの人は案外魔性かもしれない。いろんな顔、持ってるんだな、ミコちゃん先輩。ただ可愛いだけの人じゃないんだ。トーン貼りも消しゴムかけもテキパキと指示通りにこなしてくれるし。
「…ねえ、大河内さん」
「何すか」
「この…弓削くんなんだけど。本人が見たら葛西先生に乗っかられるのは嫌だ、って言いそう」
「乗っか…ああ、受けのことすか。弓削先輩は受けな感じじゃないと?」
「うん。本人的には」
「いや、本人には見せんのでいいんですよ別に。じゃあ攻めか…」
「攻め? 乗る方?」
「…ミコちゃん先輩の言い方のほうがよほどヤラシイんすけど」
「本人に読んでもらわないの?」
「読んでどうしてもらうんすか! あたしら内輪だけで楽しむんですよ!」
「こんな綺麗に描いてもらってるのに。きっとみんな、喜ぶと思うなあ」
私も欲しいもの、とポソリと言われた。あたしに聞かせるつもりじゃなかったのは十分解ってる。それでもあたしは塚ちんへ一部増刷を頼もうと思ってた。で、これが終わったら、弓削先輩が攻めの続編も描いてみようかな、ミコちゃん先輩のために。
次の日もまたミコちゃん先輩は美術部室へ姿を現したけれど、残念ながら作業は終了しちゃった。さっき、塚ちんへ原稿は手渡した。
「残念。楽しかったのに」
「作業が、ですか? BLが、ですか?」
どっちも、とまた華が零れるような笑みでいっぱいになる顔。はい、と差し出された今日のおやつはフィナンシェ。一口頬張れば、うっま、と素直な感想が口をつく。
「センター前だっつーのに余裕っすね」
「現実逃避よ、怖いから」
「怖い?」
「すぐ、逃げ出したくなるから」
不思議なことを言う人だ。と訝しみながら、ああこの人は一度逃げたんだった、と思い出した。噂しか知らないあたしのその言い回しが正しいのかどうかは分からないけど。
「…大河内さんは、漫画家になりたいの?」
「なりたい、じゃなくて、なる、って決めてます。でもまだなれてないからウダウダしてますね」
凄いのね、と心底の感嘆に照れ笑い。ミコちゃん先輩が吐き出す一言一言は嘘のない本物の言葉としてあたしに沁み込む。ああきっと、王子もこんな気持ち良さ味わってんだろうな。だからこそ、独占したいのか。
校内一の王子様は、ポッと出の冴えない可愛いだけのお姫様に奪われた。それが共通見解だった。
違うんだね。お姫様は隠れキャラで、見つけ出した者にしか真実の姿は見えない。王子はそんな姫の姿をみんなに見つけられたくなくて、必死で包み隠そうとしてる。この愛らしいお姫様をがんじがらめにしてるのは、王子様の方なんじゃん。
「今度、描かせて下さいよ。神威先輩とミコちゃん先輩の話」
「…どっちが受けなの?」
「そりゃアナタでしょーが。や、てかエロなし純愛モノに仕上げますから」
弓削先輩が攻めの続編も描きますね、と約束した。卒業式までには間に合うでしょ。あたしは、やり方がよく分からないと今ドキの女子高生らしからぬことをのたまうミコちゃん先輩と連絡先を交換した。
連絡先、変わったら教えてね、と小さくミコちゃん先輩は言った。私、友達少ないの、と。そうか、あたしはもう、友達に認定してもらったんだ。
「いいっすけど。またアシスタントやれ、ってメールするかもですよ」
「うん、いい。やりたい。今度はベタもやらせてね」
「や、ベタはまだ早いです」
「じゃあフラッシュとか網かけとか背景とか」
「どんだけ先走るんすか」
「受験終わったら、漫画本貸してね」
「小学生ですか」
それからあたし達は一つの机に向かい合わせに座り、他愛もない話をした。
カフェしたいんだって、ミコちゃん先輩。似合いそ。想像できるな。温かなこの人の周りにはいつも温かな空気が澱みなく広がるんだ。きっとずっと王子が守るから。
ああ、ちょっと早く家帰ってネーム描きたい!
「ミコちゃん先輩」
「なあに?」
「合格して下さいよ? あたし、先輩達が行く大学の隣の美大目指してるんで」
マジ呼びますよアシスタントに、と言うとミコちゃん先輩はほんの少し困った顔をした。何だ何だ、可愛いけど。
「バイト料、出る?」
「出ませんね。むしろご飯食べさせて欲しいくらいでしょう」
「あー…」
「賞を獲ってプロデビューしてバーンとお返ししますって」
「あ、そうなんだ。それなら」
大丈夫かな、この人。ま、大丈夫だろうな。王子達がいるから。
漫画の神様ありがとう。こんな経験、させてくれて。しかも友達まで増えた。
ミコちゃん先輩、あたしだって友達少ないです。スマホのメモリ、百件無いもん。だから絶対、連絡しますね。王子も武瑠先輩も弓削先輩も、まだまだ描きたかったシチュはたくさんあるんだから。
妄想だけなら、あたしの自由。設定もキャラも生い立ちも過去も未来も何もかも。
だけど。リアルに触れるのは、きっとずっと面白い。
まだ知らない風景を、あたしはたぶん見つけていくから。
(了)
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