恋のゆくえ
姉ちゃんはズカズカとファミレスへ足を踏み入れるなり、ウェイトレスさんの何名様ですか? 確認より速く、4名様禁煙席、と言い放つ。
席へ案内されると、メニューはそちらに、の声にかぶせて、ケーキセットとドリンクバーを人数分 注文した。
「美琴ー、オレらもう、食えないって」
「私が責任を持って食べる。気にするな。ドリンクバーだけだと嫌がられる」
気にする箇所が可笑しくない? というか、姉ちゃん、さっき礼ちゃんの手作りケーキ、美味しいってモリモリ食べてたよね? 別腹ってやつですか?
「コーヒーで良かったか?」
心が器用にコーヒーを人数分 運んで来て、頷きながらありがとう、と言うと、それを合図とばかりに姉ちゃんは話し出した。
「ミコちゃんはね、こっから3つ離れた県の小さな島で産まれ育ったんだって」
「あ、引越して来た、って言ってた。3年前、になるのかな」
そう、お母さんの件があったからでしょ。
いつの間にか運ばれて来たチーズケーキを頬張りながら、姉ちゃんは話し続ける。
……そうか。きっと周りは見知った人ばかりだろう小さな島で。噂の的になったお母さんと礼ちゃんは、居たたまれなくなったのだろうか。
「男女の別 無く育って。何ていうのかな、あれだけ可愛いのに特別扱いもチヤホヤされることも無かったみたい。だから、無頓着。自分の表情ひとつで誰かを虜に出来るなんて思ってもないし、だからこそ距離感が近い」
姉ちゃんは、自身の分析に頷く俺達を見て、満足そうに残りのチーズケーキを平らげた。
「それ故に、御子柴はパーソナルスペースが狭いんだろうな」
気がつけば、俺の隣でチーズケーキを口に運ぶ心。
「パーソナルスペース?」
「ん。誰しもあるだろう? 無意識の縄張りみたいなものかな。他人にズイッと近寄ってこられると、不快に感じる空間。一般的に、そうだな。自分の周囲に、大体こんなもんだ」
そう言いながら、心は座っている俺の胸の前へ、自身の左手を伸ばしてくる。およそ腕一本分、ってことね。
「男性より女性が広い、と言われてる。勿論、育った環境、社会文化、民族種族なんかの違いで差は有るけど。日本人より欧米人の方が狭いし」
そうだな、ハグハグチュッチュの慣習があるもんね。
「ファミレスの長椅子に隣同士で座っている、今の俺と神威のこの距離は、長年の友達ならではのもの。見ず知らずの人間だったら、引かないか?」
「うん。たぶん、ちょっと困る」
「しかも、両脇より前後の空間にいきなり近寄られた方が、不快感は募るらしい。御子柴は、そういうの、無さそうだった」
そうだね。
そう呟いて、俺は礼ちゃんとの接触シーンを思い出す。
図書室で。意識は無かったけど、家で。礼ちゃん家で……、
「……神威。何か思い出しながらニヤけて紅くなるの止めて。気持ち悪い」
「ハイ、スミマセン」
さて、どうしたものか。
姉ちゃんは、武瑠のケーキにまで手を伸ばしながら、考え込む。
「自分の可愛さと魅力に無頓着で無関心で無自覚。母性本能から、素直に繰り出される言動が、小悪魔的な破壊力を持ってる。なかなか罪な女の子ね、ミコちゃん」
礼ちゃんについての見解を綺麗にまとめ終わると、姉ちゃんはコーヒーを啜り始めた。
武瑠も心も、そうだな、と得心がいった感じ。何だか俺は悲しくなってきた。
「……じゃあ。俺、どうしたら良いっての? 勘違いするな、礼ちゃんは誰にでもあんな感じだぞ、って言いたい?」
今さら、自惚れるな、お前だけが特別じゃないぞ、とか言われても……あ、いや。特別だなんてはなから思われてはいないだろう。
でも。自分の感情を冷静に切り離してリセットするとか、無理だし。もう、どうしようもないんだ。
「違うぞ、神威 」
真っ先に否定してくれたのは、心。
「お前は、そのまま真っ直ぐで良いと思うんだ。御子柴が、ちゃんと自分の気持ちに気づいているのか。俺が気がかりなのは、そこ」
「オレ達は、に言い替えてよ、心。オレだって、そこは心配。神威の気持ち、ちゃんと受け止めて欲しいよねー」
「もうね、いっそ告白した方が良いと思う」
姉ちゃんの一言に、飲みかけのコーヒーを噴き出した。汚い、って言うな!
「な、なっ! っ、何言って」
「だってさ、このまま仲良くなったとしてもさ。ただ仲良くなって……それだけ?」
「や、それは……」
「今の御子柴とだと、そうなりかねない、ってことなんだよ」
俺の表情は休まる暇が無い程に、さっきから激しく変化している。
ただ仲良しで終わりたくはない。一旦煩悩は抜きにして。
礼ちゃんの傍にいたいな、と思う。誰より一番近い場所にずっといたい。
傷つけたくないし、泣かせたくない。見てるこっちまで微笑んでしまう、あの笑顔を向けて欲しい。俺だけ、に。
「……俺、今日。礼ちゃんの特別な存在になりたいと、思った」
当然だよ。
俺の斜め前で大きく頷いてくれる武瑠。
冷静に考えたら、笑える。デカイ男と、態度がデカイ姉ちゃんと、4人で話し込んでるこの構図。
「それは、礼ちゃんを……好きだから。だよね? あ、いや、だと思う」
だよ。
心のその短い言葉に安心感を覚えた。
今日一日を振り返る。
心や武瑠、姉ちゃんの言葉も。妹尾さんの、好奇に満ち満ちたあの表情も。
「その告白する、という極論は。礼ちゃんに、俺の気持ちを知ってもらうためだろうけど……引かれない? まだここ、半月くらいだよ? 知り合って」
「告白するまでの経過時間なんて関係無いわよ。寧ろ、早目に神威の気持ちに気づいてもらわないと」
「そうそう! 万葉ちゃんの話の続き。ミコちゃんからメール送信した男子って、神威が初! というか、携帯電話のメモリに初登録された男子が神威! ミコちゃんだって、神威のこと、何か違うなー、って思ってるんだよ」
いやー、だからね。そういうこと言ってもらえると勘違いしちゃうんだ、って。
俺の頬は、若干 緩んだのだろう、武瑠が慌てて、待て待て、と残酷に制する。
「でも、それが何故なのか、気づいてないんだってば。ミコちゃんは」
隣の席から、神威、と柔らかく呼ばれる。
心は片手で頬杖をつきながら、俺に優しく視線を送ってきた。
「人間は、好きだと言われると、相手のことを少なからず意識する」
「……俺は、必ずしもそうじゃない」
「そりゃ、お前。見てくれだけに寄って来られた場合、だろ?」
「う、ん……」
好きだ、と言われて、好きになる。
そんなこともあるだろう、人間の脳はよく錯覚を起こすと、心も言っていた。
でも、出来るなら。礼ちゃん自身で、答えを出してもらいたいと思うのは、甘い考えなのかな。俺に対して、“今まで“ と少し違う、その理由。それは “俺を好きだ” という、望み通りのものじゃなくても。
長椅子の背に深くもたれかかり、溜め息を吐く。
どこかへ飛んでいた意識を戻すように、俺の目の前のテーブルを姉ちゃんがトントンと叩いた。
「ま、いいわ。そういう好意の寄せられ方が嫌なら、無理強いしない。と、ウカウカしてる間に、強引な俺様男子に連れてかれなきゃいいけど」
妹尾さんがいるから大丈夫かな?
隣の武瑠と顔を見合わせて、同意を求めている。
「……そうだね。俺の想いは、片側通行だからね」
「一方通行だよ、神威」
「……う」
***
とにもかくにも、初詣の約束はちゃんとするのよ。
姉ちゃんが半端無い援護射撃で取り付けてくれた “次回 ” を、無駄には出来ない。それは、分かっている。
今日まで、礼ちゃん側からのお誘いは無い。
3歳男児は、俺と遊んだ楽しさを、最早 忘れてしまったか。はたまた、忙しいのか。今の俺と同じ様に、なかなか連絡出来ずにいるのか。
「神威、暇ならお重箱おろしてちょうだい、上の棚から」
「……お母様。俺、今 忙しい」
「何言ってんの! さっきからしかめっ面で携帯電話 握りしめてるだけじゃない!」
リビングのソファーで、その柔らかさに埋もれる様に膝を立てて座っていると、母ちゃんの大きな声に思考を遮られた。
大晦日なのよー! と声は続いている。
そう、今日は大晦日。
この1週間、いつ連絡して、どう約束しようかとウダウダしていた。
ウダウダ感を払拭したくて取り組んだ課題の山は、呆気なく終わったし。
武瑠は毎日 部活。写真部と美術部の幽霊部員である俺と心は、日々 学校へ行く訳でもなく、かといって毎日2人で遊ぶ訳でもなく。姉ちゃんは、何ぞバイトに明け暮れていたし。
誰から確認されることも、念を押されることも、アドバイスされることも無かったので。
……という苦しい言い訳の元、まぁ本当にモッタリと、過ごしてしまっていた。
仕方がない。無駄な長身を活かして、キッチンの上の棚からお重箱をおろそう。脚立要らずだからね。
そんで昼飯 食べてから、電話してみよう。いや、メールかな。
途端、手の中のそれはブルブルと震え出し、俺は勢い良く居ずまいを正した。
勢いにまかせて、パチン! と思いきり開いた二つ折りの携帯電話を落としそうになった。
ワワッ、と慌てたマヌケな声が、もしもし、の前に耳に入ったのかも。ふふ、って小さく笑われた。
だってさ、ディスプレイには
《御子柴 礼ちゃん》
これが慌てずにいられるか、って!
《あ、御子柴です、けど。あの……か、神威、くん、今 忙しい? 話せる?》
「うん。大丈夫」
か、神威、くん、って。躊躇ったように噛んだのは、恥ずかしさから? あー、くすぐったい。って、俺は、礼ちゃん、って呼べるのか?
《あの。……初詣、には。行く、んだよね?》
「あ、うん。……ごめん、なかなか連絡出来なくて」
《え? あ、良いよ。忙しかったんでしょう?》
「いやいやいや! あの。……電話しようか、メールが良いのか、とか。内容も。迷ったりして」
ふーん、意外。
聞き心地の好い声が、そう呟いた。
「意外?」
《うん。神威くん、何でもソツ無くこなせる印象があって。行動に迷いが無いというか》
「うわ、何? その高評価。何を根拠に」
ふふ、って。
あー、あの笑顔、なんだろうなぁ。テレビ電話ならなぁ。
いや、無理か。俺の携帯電話にはインカメラが付いてない。
いやいや、俺の顔は映らなくて良いんだよ。
《ご謙遜。あの時だって》
……あの時? あの時、って?
問いかけようとした俺の言葉は、れいちゃん、カムイ? という可愛らしい声に阻まれた。
《あ、ごめんね。あの、智もね、一緒に初詣に行っても良いかな?》
電話の向こう側で、カムイー、と俺を呼ぶトモくん。
俺のこと、まだ愛してくれてたんだね、ありがと。
「勿論。じゃあ、元日の昼間が良いかな? 出られる?」
《うん。うちは どうせ》
そこまで言った礼ちゃんが、小さくハッと息を呑む様な音が聞こえた。うちは どうせ、という、ちょっと、わざと卑下したような。日頃、物腰柔らかな礼ちゃんに似つかわしくない、乱暴な言い捨て方。
「何か……苦しいことあった?」
《………》
「俺、何でも聴くよ、って言ったよ? 無理に、とは言わないけど」
《神威くん……》
礼ちゃんは、ありがとう、ときちんとお礼を述べてから、訥々と話し始める。
お母さんが、この年末年始、突然 旅行に行くと言い出したらしい。
家族3人で? と思ったら、礼ちゃんとトモくんはお留守番。お母さんの新しい彼氏さんと、旅立ったんだそうだ。
《……ごめんなさい、こんな話。智も、ちょっと寂しいみたいで。保育園もお休みだし、お友達にも逢えなくて》
礼ちゃんは、もう一度、ごめんね、と言った。
「え、謝るとこあった? 明日、理人と学人も来るから、目一杯遊ぼうよ。トモくん寂しがってる場合じゃなくなるよ? 初詣の後で、どこか行っても良いし……あ、何ならうちに来てもらっても」
《お正月早々? お邪魔でしょう?》
「や、アイツら、毎年くるんだよ。うち、親戚づきあい無いし、うちの母ちゃん、子ども大好きだからね、トモくん見たら身悶えて喜ぶと思う」
身悶えて、って。
礼ちゃんの声音が少し明るくなった。無理矢理じゃなく、本当に笑ってくれたと思う。良かった。
「縁起ごとは、午前中が良いって言うよね? 朝10時にお迎えに上がります。大丈夫?」
《はい、大丈夫。……あの、みんな、着物とか着るのかな?》
「ぶ、そんな改まらないよ。毎年、心だけは無理やり着せられてるけど」
《弓削くん……似合いそう》
「うん、昭和のお父さんみたいだよ。明日、笑ってやって」
うん、楽しみにしてる。
その言葉が、俺に向けられたものじゃなくても、きっとあの笑顔を浮かべながら言ってくれてるんだと思うと、早く明日にならないかと思うんだ。
れいちゃーん、おなかすいたー。
トモくんの声が遠くに聞こえ、礼ちゃんは、あ、と口に出した。俺も慌てて、ごめん、と言った。
「連絡、こっちからするつもりだったのに」
《え? あ、ううん、大丈夫……ん? 大丈夫、って変? 気にしないで、かな。良いのよ? とか、》
慌てた様に矢継ぎ早に繰り出される言葉。また、あのちっちゃな手をブンブン振っているような気がする。
「……あの……、れ」
《はい、何?》
かぶった。礼ちゃん、って。初めて、本人へ言うつもりだったのに。
《あ! ごめんなさい! かぶった、かぶったよね? もしかして》
「礼ちゃん」
《………》
「……えー、何だろう、この間」
《……新鮮だなぁ、って。そう、呼ばれるの》
「……や、俺も女子からの神威コールは、新鮮」
れーいーちゃーーーん!
トモくんの声がさっきより大きく、近くに聞こえた。
神威くんと、明日 逢えるよ。やったぁ! あそぶー!
というやり取りも。
《じゃあ、神威くん。明日…、あ! 良いお年を》
「うん。明日。良いお年を、ね」
礼ちゃん、って。本日二度目は、無理だった。
……何ですか、好きすぎて恥ずかしい感じですか。
礼ちゃんの方が、若干 抵抗感無く、呼んでくれたよなー。
って考えると、やっぱりそこには想いの差が有るのは、明白……ま、分かっている。とりあえずは、明日。
俺は、武瑠と心と姉ちゃんへ一斉にメール送信すると、母ちゃんを手伝うためにソファーから立ち上がった。
***
「明けましておめでとう、神威」
「おめでと……てか、どうしたの、これ」
まだ早いかと思いながら、階下へ降りてきた。
除夜の鐘の音と共に年を越し、内容が濃かった12月だけ、やけに振り返ってしまう。
今日を思うとなかなか眠れずに、もういっそ起きてコーヒーでも飲もうと思って階段を降りて来てみたら。
ダイニングテーブルの上には所狭しと並べられた料理の品。お重箱は別にある、お節、って訳でもない。
「だって、今日お客様 連れて来るんでしょ」
「や、それにしても豪華……」
「だって! 女の子が来るんでしょ? あ、ちっちゃい子もね」
母ちゃんや父ちゃんは、報告魔である姉ちゃんから、ほぼほぼ経緯を聞いているはず。昔から、俺の家にはおよそ隠しごとらしい隠しごとが無かった。いや、出来なかった、するような空気じゃなかった、が正解かな。姉ちゃんの初潮の時だって、解説付きで赤飯 食べたくらいだ。
「そうだけど……それでこんなに張り切った?」
「張り切るわよー! 神威が見初めた女の子だし、武瑠くんや心くん達以外が来るのって久しぶり」
「母ちゃん、寝たの?」
確か 一緒に年を越した。年越しソバ、用意してくれたもんね。
それから、これだけの料理? いくら文明の利器を使ったとしても。
父ちゃんと姉ちゃんはそっくり親子で、俺はどう見ても母ちゃん似だと言われ続けてきた。
驚いた時の俺の顔も、こんなんかな? と思ったら、目元が思い切り緩んで微笑まれた。
「ありがと。寝たよ、ちゃんと。神威こそよく眠れなかったんじゃないの?」
「……えー、顔に出てる?」
シャワー、浴びておいでよ。
母ちゃんの提案に頷き、風呂場へと向かう。数時間後に逢える礼ちゃんは、この歓迎ぶりにどんな反応を示してくれるだろう、と想像しながら。
***
市内で最も古く由緒ある八幡さまへの初詣は、毎年、かなりの人出で賑わいをみせる。駐車場に空きスペースを見つけるのもひと苦労。あんた達だけ先に降りるのなんて許さないわよ、という姉ちゃんにつき合って、路肩に止めた車内で駐車の順番待ち。
武瑠は今日も助手席に座り、携帯電話片手に姉ちゃんと何やら話し込んでいる。最後部に座っている俺と心に、その声は届かない。
というか、真ん中シートに座った礼ちゃんが気になって仕方ないんだけどね。あ、妹尾さんとトモくんもいるけどね。
今日はまん丸お団子じゃなく、肩までの髪はサラサラで。イヤーマフ っていうの? あれ。暖かそうなポンチョと、フワフワブーツ。全身モコモコにくるまれた感じの礼ちゃん。
いや、もう、そんなマジマジ見れないんだけど! ボキャブラリーが貧困すぎるけど! 可愛いとしか!
明けましておめでとうございます、ととっても綺麗な笑顔付きで新年のおめでたい挨拶をされても、正直 俺は、即座に反応出来なかった(みんなが挨拶を返した後、最後にやっと言えたくらい)。
今年もよろしくお願いします、とか。ほんっっと、気の利いたセリフのひとつも出てこないなんて。
しかも、あれね。まだ、電話での通話が言葉が出てる。というのが、自分のヘタレ具合を痛感させられて、正月早々、落ち込みそうだ。
突然、礼ちゃんがクルリと後ろを振り向いた。
「弓削くん、似合ってるね」
確かに。心のお母さんの趣向により、お正月は和服、に乗っ取り、心は毎年、着物を着せられている。自宅待機中の理人と学人は、流石に免れているみたいだけど。
小学生の頃は取って付けた様で、着心地の悪さからか俺の家に来るなり脱ぎ捨て、俺の服に着替えてた心も、馴れてきたのか、成長が馴染ませたのか、しっくりと収まっている。
……似合ってるね、って。礼ちゃんから言ってもらいやがって、心のヤロー。
なんて、俺の口に出さない声が聞こえたのか、心はまず俺の顔を見、ぶ、と噴き出すと、礼ちゃんへ視線を移して言った。
「そうか? 老けてるからだろう?」
「そんなことないよ。いぶし銀、みたいな良さが」
「……御子柴。なかなか面白い感性してるな」
「つーか、任侠映画に出てきそうだよね」
妹尾さんまで加わって、盛り上がる会話。俺は所在無く、車窓の外へ目を向ける。
カムイー、と小さな手がヒラヒラと視界の隅に入った。
「でんしゃ、あそぶ?」
「んー、うちには電車のオモチャ、無いんだよね。他のことしようよ」
「まてまて、する?」
「鬼ごっこかなぁ。良いよ、しよ」
そんな俺とトモくんの会話を、礼ちゃんがじっと見つめていたなんて、俺は全く気づかなかった。慈愛に満ちた瞳、というのが、後から教えてくれた心の表現だった。
大きな人の流れに逆らわないよう、参道を進む。
トモくんは背の高い心が肩車。なんか、本当に親子みたいだな。
その傍らに姉ちゃん、後ろに武瑠と妹尾さんが続き。
……何となく、礼ちゃんと俺が並んでいる。
いや、何となく、じゃない。きっと、礼ちゃん以外の人間は、それとなく配慮してくれたんだ。ありがとう、皆様。もちろんちゃんと、皆様のご多幸を祈願いたします。
「……はぐれそう。こんなに人が多いと思わなかった」
礼ちゃんは、参拝するまでどれくらいなのか見計ろうと、爪先立ちになったり、人の隙間からその先を覗こうとしている。
そんなんしても、背は伸びないしね? 見えないでしょ?
礼ちゃん、これまで大人びて見えることが多かったけど、今は何だか落ち着きがない子どもみたいだ。嬉しいのか楽しいのか、大きな黒い瞳がキラキラして見える。
「あと、10分くらいじゃない?」
礼ちゃんは、ん? という表情を向ける。イヤーマフのせいか、聞き取りにくいのかも。俺は、少し声のボリュームを上げ、礼ちゃんへ向けて言う。
「あと、10分くらいだよたぶん。参拝するとこまで」
「あ、あー、うん」
何で分かったのかな、と小さく呟く礼ちゃん。
俺は一人でこみ上げる笑いを堪える。いやー、分かるでしょ、誰でも。そんなソワソワした感じで、何度も何度も爪先立ちしてたら。
ふいに右肘辺りを摘ままれた気がした。誰かの何かにぶつかったのかと思ってお詫びをせねばとキョロキョロすると、犯人はいたって真面目な顔をした礼ちゃんだった。
「何か、笑うとこあった?」
俺の笑いは、堪えきれてなかったらしい。
……礼ちゃんは、無意識。だって、ただ、ちっちゃいだけだから。上目遣いになるのは、やむを得ないんだって。
「……もう、子どもみたいにピョンピョンしてるから。そんなんしても、見えないだろうな、って」
「……それは、暗に、私がチビだと」
「あ、や、いやいや! そうだけど! あ、いや、そうじゃなくて!」
「何ですか、どっちですか、神威くん」
「……か」
「か?」
「……っ、可愛いな、って! 思って!」
真正面を向いたまま、思い切って、新年早々の落ち込みをどうにかしたくて、心底頑張って口にした言葉。礼ちゃんに面と向かって言えなかった点は、譲歩してほしい!
――—何か言って! 何か言って、礼ちゃん! 何でも良いから反応して!
強く強く願った。その間は僅かなものだと思うけど。俺にはとんでもなく恐ろしく長く感じられた。周りの音はかき消されているし。
それは、耳の仕業かもしれない。だからこそ、気づけたのかも。
……何か、おかしい。違和感。
目を遣ると、俺の右隣に、礼ちゃんの姿が無かった。
「! ぅぇえっ?! 礼ちゃんっ?! 礼ちゃんっ!!」
大声で礼ちゃんの名前を叫び、まずは足元、自分の周囲、と視線をさ迷わせ、ノンビリ歩く人の流れに無理やり逆らおうとする。
俺の右側にいたのだからこっち、と緩い根拠に基づき、参拝を終えて戻ってくる人達の群れに、不快な裂け目をドンドン作っていく。
もう、とか、何だよ、とか聞こえた。その都度、ごめんなさい、スミマセン、と応えたけれど、機械的だった。
――何やってんだよ! 俺は!
はぐれそう、って言ってた。手を、いや、手じゃなくても良い、どこかしら繋いでいれば良かったんだ。こんな人混み、馴れてないのかもしれない。
具合が悪くなったんだろうか。歩けなくなって、どこかで休んでいるとか。
いや、さっきの会話「か?」までは確かに隣にいた。見渡す範囲に、しゃがみこんだり、具合が悪そうな人影は見当たらない。
それとも。誰かに、急に、連れて行かれた……?
強引なナンパ、とか。或いは、変質者。
あああああっ!! どっちにしても最悪だ! そして、最低だ、俺!!
恥ずかしいとか置いといて、礼ちゃんから、目を離しちゃいけなかったのに。大切な人なら、尚更なのに。
「ああっ! 礼ちゃんっ!!」
古いお札やお守りを預かるブースの脇にたどり着いた時、ふいに目の前に探しまくった姿があった。
「わ、わああああっ! 何だ! オッサン! 何してる!」
礼ちゃんは対面で、妙齢の見知らぬオッサンから、しきりに頭を下げられていた。
新手のナンパか?! なんのお願い?!
俺は咄嗟に礼ちゃんの腕を掴んで引き寄せ、スッポリ背中に隠す様にし、オッサンの前に立ち塞がる。
「あ、彼氏さん?」
顔を上げて俺に気づいたオッサンは、穏やかな口調で俺に言葉を向ける。
「え? や…そうだけど。何?」
俺の声音が大層 低かったからか、背後でピクリと動いた礼ちゃんが、慌てた様に背中をポンポンと小さく叩き、違うのよ、神威くん! と声を上げた。
「いやー、本当に申し訳ない。娘と間違ってしまって」
「……ぅ、え? 娘? さん?」
オッサンが指す先には、可愛い女の子。
コレが似てて、てっきりそうだ、とオッサンは、両手で頭に何かを被せる様な仕草。
……あぁ、イヤーマフ。本当だ、確かに、とても、似てますね……。
「背格好も似てたので……あぁ、これは高校生に失礼か。すみませんね、ビックリされたでしょう、彼氏さんも」
「……はい。それは、もう。あ、でも俺、オッサンとか言っちゃいました。こちらも、すみません」
いえいえ、高校生から見れば、充分 オッサンです。
そう言いながらその人は、今度は間違えること無く娘さんの手を引いて、帰る人の列に馴染んでいく。
「……あああー、良かったぁ」
俺は思わずその場にへたりこんだ。
「ごめんね、神威くん。ごめんなさい、私がボンヤリしてたから」
そう言って礼ちゃんは俺の隣にしゃがみこむ。
あれじゃない? 俺、リバース中を介抱されてる情けないヤツみたいじゃない?
俺は顎を膝の間に乗せ、くぐもった声で言った。
「……パンツ、見えるよ」
「……ウソつき」
もう。冷静だな、礼ちゃんは。
俺だけが、一人 焦って。バカみたいに疾走して。安心したら、涙 出そうとか。男なのにさ。
礼ちゃんは、別に悪くないのに、謝らせて。俺って一体、何様だよ。
「……わ、れ、礼ちゃん?! なに? なんで?!」
ほんの少し視線を上げた先に、声も上げず涙する礼ちゃんがいた。
「どうした? どっか痛い? 怖かった? な、なんで涙?」
畳み掛ける様に質問を繰り出して、反省した。これじゃ、礼ちゃんは答えたくても答えられない。かぶりをフルフルと振るばかり。
ちょっと、こっち。と、礼ちゃんを促す。
さっき、腕を鷲掴みにしてしまったのは咄嗟のことだったから、今度は少し迷って、礼ちゃんの左肘をつついた。
ブースから程近い場所にひっそりと社務所がある。その裏手には小さな段差があり、そこへ座らせた。枯葉が無造作に集められているだけで、おみくじを結び付ける紐なんかもここには無いから、誰に咎められることもないだろう。
「ね、どうしたの?」
「……神威くん、」
「……はい。何? どうした?」
「……探しに来てくれて、ありがとう。嬉しかった、とっても」
「当たり前のことしただけだよ」
礼ちゃんは、小さくふふ、と苦笑うと、むかし、と話し始めた。
5歳くらいだったかなぁ。私、小さな島で育ったんだけど。たまーに、お母さんに連れられて、隣の県の大きなデパートに行く日があったの。今、思うと、智のお父さん…本当に好きな人と逢ってたのかもしれない。
その日。屋上で待ってて、って言われて。待ってたけど、お母さんはいつまでも帰って来なくて。
見知らぬ人に迷子預かり所へ連れて行かれた。お母さん、なかなか探しに来てくれなくて。結局、デパートの人が手を尽くしてくれて、家には帰れたんだけど。
「ごめんね。なんだかこう…その時のこと、ちょっと思い出して。大袈裟よね、今だったら、携帯電話があるんだから何とかなりそうなのに。人混み、全然馴れなくて」
よしよし、とか。なでなで、とか。してあげられる器用さが、俺にあれば良いのに。きっと礼ちゃんが感じた途方もない心細さは、礼ちゃん本人にしか、解らない。
「……怖かった、ね」
「……そうだね。怖かったし、悲しかったかなぁ……、なんだっけ、再放送で観た邦画だったと思うんだけど、東京タワーだったかな、子どもが親に置き去りにされるシーンがあるの。その子は、分かってるのね、自分が捨てられる、って。エレベーターのドアが閉まる瞬間、子どもと親の視線が合うの。あの子どもの演技、私、リアルに出来るなぁ。最優秀助演女優賞もの」
滔々と語っていた礼ちゃんの声音が、少しおどけたものに変わった。
あぁ、そうなのか。この話は、もう終わり、ってことね。
膝を折り、身体の両脇にだらしなく下ろした腕の長さをもて余す。
俯けていた顔を俺の方へ向けた礼ちゃんの瞳は、ウサギの赤。落ちていた棒切れで、俺は地面へ落書きした。
「……礼ちゃんウサギ」
「……神威くん、絵も上手なのね」
「……しかし。どうなの? あんな小さい子に間違えられる、って」
「あ。まだチビネタ 続きますか」
顔を上げ、ム、という表情を作る礼ちゃん。
「だってあの子、小学生くらいでしょ?」
「……ねー。最近のお子様は発育がよろしくて」
「何年生だろ」
「5年生。11歳だって」
俺は、ぶ、と吹き出した。思わず礼ちゃんを指して言う。
「17歳?」
「……誕生日、まだだもん。16」
「いや、それにしたって」
諸々の安堵感も手伝って、込み上げてくる笑い。あ、ヤバ。笑い過ぎ?
礼ちゃんは折った膝の上で腕組みし、その上に小さな顎を乗せている。
俺をじと目で見ていたけれど、突然、それは綺麗に微笑んだ。
……え。何? その女神の微笑み。
「可愛い、って」
「……え」
「意外と良く聞こえるの、これ」
礼ちゃんは自身の両耳を指しながら、俺の顔をほんの少し覗き込んで言う。
「誰にでも、言って」「まーせーん!」
ですね、と目を伏せ、一人頷いている礼ちゃん。
俺、今かなり顔が紅いんじゃないかと思う。チビネタの仕返しされた感じ。
「誕生日、いつなの?」
「……3月5日」
「わ。礼ちゃん、何か持ってる人だねー」
「語呂がね、ミ(3)コ(5)って、ね。飽きる程、聞いてきました」
「なんかそれ、悔しい。オリジナリティ無いね、俺」
俺との会話にニコニコしてくれる礼ちゃんが可愛くて嬉しくて、ずっとこんな時間が続けば良いのに、と思った。
身体は、寒かったけど。顔は、熱かった。
姉ちゃんからの着信で、儚く潰えたけどね。
どこ行ってんだ! と携帯電話の向こう側で呆れる姉ちゃんの言葉を聞き流し、事情をかいつまんで伝える。駐車場で待ってくれるように頼んでから電話を切った。
「お参り、行こうか。せっかくだし」
俺は立ち上がり、参道へ戻ろうとした。
神威くん、と礼ちゃんの鼻声にすぐ呼び止められたけど。
「……ごめんなさい、泣いてばっかりで。私、本当はもう少しできる子です」
「なにそれ」
俺は笑みを浮かべながら、自身のカウチンセーターの裾を摘まんで礼ちゃんへ、ん、と向けた。
「握ってて、ここ。迷子にならないようにね」
迷子。と若干 不本意そうに反芻する礼ちゃん。それでも従う様に、俺との距離を縮めてきた。伸びないかな、と心配そう。
「手を繋ぐ、のが王道だと思いますが」
「……あ、はい。そんな気がしますけど」
「手汗が半端なくて無理です」
キッパリ伝えた俺の言い様が可笑しかったのか、礼ちゃんはブフッ、と吹き出すと、慌てて空いてる方の手を口元へ持って行く。
……隠れてないし。頬っぺたユルユルになってるし。摘まんでやろうかな、もう。
「神威くん、って。キャラが変幻自在…、クールなのか、無邪気なのか、男気あるのか、フェミニストなのか、良いパパなのか、BがLなのか」
「ちょっと! 最後の方、聞き捨てならないんだけど」
笑いながら2人して100円玉を賽銭箱へ放り投げる。鐘を打ち鳴らし、二礼二拍手一礼。優しい皆の幸せと、俺のこれからの幸せを祈願した。
2人並んで祈る時って、相手のタイミング計るの難しいよね。姉ちゃんとだったら、いつまでやってんだ! って背中を叩かれるパターン。
チラリと横目で礼ちゃんを見下ろすと、ちょうど目を明け、俺を見上げるところだった。
……顔のちっちゃさに比べて瞳が大きいよねー、礼ちゃん。吸い込まれそ。
来た道を戻る。たったそれだけ。
同じ道なのに、吸い込む冷たい空気までもちょっと新鮮に感じられるのは、礼ちゃんを、改めて大切だと知ったから?
俺は正直、自分自身に驚いていた。
“礼ちゃんが俺じゃない男と一緒にいる” という場面。脳内で無意識に想像を拒否していた、まさにそれを、さっきまざまざと見せつけられた。
連れて行かれるかも、と思った焦り。礼ちゃんの傍に俺以外の男を寄せ付けたくない、という独占欲。
彼氏、という存在になれば、渦巻くマイナス感情を、もう少し上手にコントロール出来るんだろうか。
彼氏、なら。躊躇うこと無く、セーターの裾なんかじゃなく、手をギューッと繋いでも、断りなんか要らない?
――でもそれじゃ、あまりに自分本位だ。
ブルリ、とかぶりを振った。
セーターの裾が、クイクイ、と引っ張られる。突然、頭を振った俺にビックリしたのか、礼ちゃんの訝しむ声。
「どうかした?」
「んー、あの」
右斜め後ろを振り返る。左手で裾を摘まんでいる礼ちゃんは、俺の右側へ一歩 距離を詰めてくれた。礼ちゃんに真っ直ぐ見つめられると、脳内の俺の疚しさがちょっぴり疼くような気がする。
「……さっき。勝手に彼氏呼ばわりされてスミマセン」
「……そこは謝らなくても良いのでは?」
「どうして?」
「何というか。日曜 朝のヒーロー見参! みたいだったよ」
「嫌じゃなかった?」
格好良かった、と笑顔でつけ加えられたら、俺はもう、どうしたら良いですか? 神様。口元やら頬っぺたやら、緩んでしまうんですけど。
じゃあ、本物の彼氏になりたいんだ。……とかって然り気無く言えたら。
そんなんが本当に格好良い、ってんじゃないだろうかね、礼ちゃん。
今はこうやって、礼ちゃんと時間を共有する、何とも言えない面映ゆさを満喫したい、とか思っている俺は、やっぱりヘタレじゃない?
そんな風にどこか浮かれていたせいか。
全く気づかなかったんだ。俺と礼ちゃんを見つめる鋭い視線があったなんて。
***
案の定、とはこういうこと。
我が家の前で、弓削准教授の車で送られてきた理人と学人を加え、更に膨れ上がった一集団が玄関へ雪崩れ込むと、満面の笑みを湛えた母ちゃんと、父ちゃんまでもが出迎える。
母ちゃんのみならず、父ちゃんまでも、とは。いや確かに、クリスマスパーティーの日に、礼ちゃんの写真を撮ってこなかった俺を、意気地無しだの、不甲斐ないだのとチクチク責めていたけれど。
「いらっしゃーい!」
さあさ皆 あがって、と勢いよく促され、集団はリビングへ突入する。集団の最後にいた礼ちゃんは、早速 母ちゃんと父ちゃんに捕まった。
「あなたが御子柴さん?」
……なんで礼ちゃんが名乗る前に訊いちゃうんだ。恐らくは姉ちゃんからの、可愛い子ちゃん情報を元に見分けちゃったんだろうけど(妹尾さんは、キレイ系の所属だし)。どれだけウチで話題になってんだ、って引かれたらどうしてくれる!
「あ、ご挨拶が遅れまして申し訳ありません。御子柴と申します。お正月早々、お邪魔しまして、ご迷惑ではないかと……」
本当に礼ちゃんはきちんとした挨拶が出来る子だ。綺麗な日本語を優雅に操っている。その声は元々心地好いものだけど、流れる様な響きも相俟って心に沁み入るのかな。
まぁまぁまぁ! と感嘆符があちこちに付きそうな母ちゃんの驚きも、解りますよ、うん。しかもどこから取り出したのか、小さな紙袋を母ちゃんへ手渡し、お茶請けにでも、なんて言っている。
「……凄いな」
リビングの入口でその様子を見守っていた俺は、両親の魔手から礼ちゃんを救おうともせず、ただただ茫然としていた。
“礼ちゃんのマナー講座” なんて開けるんじゃなかろうか。是非とも! 姉ちゃんを入門させたいもんだ……、
「聞こえてるよ、神威。心の声がダダ漏れなんですけど」
「……スミマセン」
私だってやる時ゃやるんだよ!
そう言い残し、姉ちゃんは玄関の上がり口から動かない母ちゃん達をリビングへと促す。
そのあとは皆で気持ち程度にお屠蘇へ口をつけ、母ちゃん力作の数々にかぶりついた。
14畳程の、ダイニングとつながっているリビングに脚の低い長テーブルが置かれ、ちっちゃい子を含めた男ばかりが群がり、忙しなく箸を動かす。父ちゃんもこちら側に追いやられている。
「……なんで、父ちゃんまでこっち?」
「ガルトー、するんだと」
「……ガル? 何?」
「ガールズトーク。お父さんもミコちゃんと語りたかった」
ダイニングでは、見慣れた我が家の食卓へ、母ちゃん、姉ちゃん、妹尾さん、礼ちゃんという、一見、接点を見出だしにくい4人が、楽しそうに話に華を咲かせている。
無理してないかな、礼ちゃん。姉ちゃん、醤油くらい自分で取れ! 礼ちゃんはお客様だぞ!
そんな礼ちゃんはトモくんを気にしている様子で、時折、チラリと視線を寄せる。当のご本人は、胡座をかいた俺の膝の上にチョコンと収まり、鶏の唐揚げと格闘中。
「カムイー、チョキってして」
「ん? 大きかったの?」
「うん、おっきくて、トモくん、たべられないのよ」
アハハ、そっか。ごめんね。
そう言いながらトモくんの一口に合うよう、箸で切り分ける。ふと、こちらを見つめていたらしい礼ちゃんと視線がバッチリ合った。
合った途端。
ハッと瞳を見開き、その背後に華が舞うかと思うくらいふんわり笑う。口元の動きは、あ り が と、と残像を描いた様に見えた。
……いや、だから姉ちゃん! 礼ちゃんにワサビ取らせんなって!
礼ちゃんが何をどんな風に話しているのか気になって仕方なかったけど、チビッ子達に愛されている身としては、なかなか解放してもらえず、次に会話が出来たのは、もう帰る、という段になってからだった。
「神威くん、疲れたでしょう?」
「まさか。3歳には負けません」
リーやガクは勿論、庭で思い切りはしゃいだトモくんは、クタクタになったのだろう、母ちゃんが礼ちゃん達へのお持たせを用意している間に礼ちゃんの膝枕で眠ってしまった。その傍らには、座布団数枚を敷き寄せた上に寝かせられたリーとガク。
父ちゃんは何処へ行ったのやら。
姉ちゃんはじめ、武瑠や心までキッチンでタッパーに詰め込む作業を手伝わされている。それは皆様のご厚意ですよね、ちゃんと分かってます。
……良いよね、邪気が無いって。
手にはお年玉袋を握りしめてるトモくん。睫毛 長いな、なんて思いながら見ていたら、つ、と礼ちゃんの右手が伸びてきた。
――え。
対面でしゃがみこんでいる俺の、左耳の辺りに、ふ、と触れる。
「……葉っぱ」
目の前に差し出されても、焦点が定まらなくてボヤけてる。俺、顔が紅くなってんじゃないかな。細く白い指で、何か良いものを見つけた様に葉っぱをクルクル回している礼ちゃんが、何故だかやけに楽しそうに見えた。
「お招きいただいて、ありがとうございました」
葉っぱを未だクルクルと弄んでいる礼ちゃんは、俺を真っ直ぐ見つめがら言った。
「いえいえ。うるさかったでしょ? 礼ちゃんこそ、疲れたんじゃ」
「そんなことない。楽しかった」
キッパリと迷い無く伝わってきた言葉には、とっても、もつけ加えられた。
「それなら、良かった」
「……神威くんが、こう、キラキラと素敵なのは。こんな素敵なお家で育ったからなのね」
「……は。え? す、」
「羨ましい」
俺から視線を逸らし、顔を俯けた礼ちゃんが、瞬間とても寂しげに見えてならなかった。俺は、礼ちゃんがどんな環境でどう育てられたかを、全く知らない。
デパートの屋上で、ポツンと独り、母親の帰りを待つ小さな礼ちゃんが、切り取られた風景の様に目に浮かぶ。母親の様になりたくない、と言っていた礼ちゃんも。その言葉が結論として出るまでに、他に一体、何があったんだろう。
「……また、来て? 良かったら。母ちゃん達、喜ぶと思うんだけど」
礼ちゃんは、はい、と即答してくれなかった。
あれ、楽しかった…のに、何故。何か、気がかり? 何か、来づらい?
「……神威くん、は?」
「ん?」
「その……私が、あ、智も一緒に、また来たとして、」
「喜ぶよ。当たり前でしょ」
……ん? 俺、何か凄いこと言ってない? 自分自身で、言葉の意味深さをちゃんと考えずに口に出しちゃったけど。というか、その前に、何故に礼ちゃんは、俺が喜ぶかを気にするのか、って話なんだけど!
礼ちゃんの顔中に、またふわーっとあの笑顔が広がっていく。
良かった、って言われたらもう、思考回路は停止するって。
「……そんな、俺のこと、嬉しがらせても、ね。俺、何も出せないからね」
お待たせ、の声と共にタッパー数個を抱えた母ちゃん達が寄ってくる。大丈夫、と笑う礼ちゃん。
「神威くんのお母さんが、たくさん出して下さるから」
礼ちゃんが指す先には、どれだけあるのー、と笑う武瑠と心。好きなの持って帰るのよ、と仕切っている母ちゃん。
インターホンが来訪者を告げる。たぶん、お迎えに来た、心の親父さんだろう。あー、本当に今日はお開きだな。
***
楽しかったわー、と言いながら、母ちゃんは急須から熱いお茶を人数分の湯呑みへ注ぐ。父ちゃんと2人、座布団や長テーブルを片づけながら、喧騒の後の静寂に穏やかに添う、コポコポという音をボンヤリ聞いていた。
「何だか今年は特に寂しいわぁ。ね? お父さん」
「そう……あ! 神威」
父ちゃんは、あまり登場する機会が無い折りたたみの携帯電話を、セーターの胸ポケットから取り出すと、ジャーン! と昭和生まれを誇張するかの様な効果音付きで、待受画面を俺へ向けた。
「!!!」
「羨ましいだろう?」
悪戯っ子が悪戯する前の瞳の輝きでもって、鼻高々に自慢される。液晶画面でニコニコと笑う礼ちゃん。と、妹尾さん。
「な、ちょっ、いいっ、いつの間に――! しかも、待受にするなんつー、高等技術を、」
「それは、私が」
食卓につき淹れたてのお茶をふぅふぅ啜りながら、澄ました顔で姉ちゃんが言う。
「休み明けに職場の子に見せて、うちの息子に彼女が出来たと、」
「彼女じゃないから! いやそうなれたら良いけど、今はまだ違うから! しかも2人 写ってるし! てか、息子の青春を弄ばないでくれ!」
「……あれま。お父さんはてっきり」
そう言いながら自分の湯呑みへ手を伸ばす父ちゃんへ、あながち違ってもないけどね、と姉ちゃんがしたり顔で返した。
え? と疑問形で応じたのは父ちゃんだけではない。俺も。いきなりなに言ってんだ、姉ちゃん。
「神威はいつか、ミコちゃんの彼氏に、なれる、かも……と、思う」
「……え」
何? そのとんでもなく素晴らしい未来形は。
「そうね、神威が焦っちゃ駄目ね」
母ちゃんの援護射撃もこれまた素晴らしい。俺は食卓の椅子を跨いで座り、母ちゃんと向かい合った。
「山田家に、隠しごとナシ。ガールズトークは、なんて?」
「うん。神威にはちゃんと話さなきゃ」
ね? お姉ちゃん。
母ちゃんから同意を求められた姉ちゃんと2人、ユルユルと交互に話し始める。
小さい頃から鍵っ子だったこと。
島内の親戚やご近所の方に助けられ育てられたこと。
母親は、母親ではなく、妻でもなく、女だった、と。それはもう、哀しげに。でもどこか、諦めた様に言っていたこと。
物心ついた時から、父親の存在は無かったこと。
家事全般をこなすのは、昔からミコちゃんだったこと。
トモくんは、可愛い。けれど時々、自分は何をしてるんだろうと思うのだ、と。母親役なのか。娘ではいられないのか。
「ウチみたいなね。温かな空気に包まれた家庭というものを味わった覚えがありません、って」
コトン、と姉ちゃんが食卓へ置いた湯呑みの音がやけに響いて聞こえた。
礼ちゃんのちっちゃな手も顔も背中も、何もかも全部。今すぐギュッとしてあげたくなった。
そうして、俺の身に溶け込んでいるのであろう温かな空気とやらが、礼ちゃんへ伝わって欲しかった。
「お母さん達ね、根掘り葉掘り聞いちゃって、悪かったと思ったの。かなりプライベートなことを結果的に話させてしまったし。お詫びしたらね、良いんです、って言うの、あの子。神威くんのご家族だから、って」
神威くんのご家族だから。
そこには一体、どんな意味が?
礼ちゃんはそこまで言うと、それまで穏やかに笑みを湛えていた表情を凛としたそれに変え、こう続けたらしい。
私にとって、神威くんは特別です。
そう思うのは、何故なのか。好きだから、なのか。或いはもっと、私の汚い感情からなのか。
「……汚い?」
「神威が羨ましい、って。伸びやかで、真っ直ぐで、迷いがなくて、しなやかで、 キラキラしてる。近づきたい。神威の様になりたいから。でも傷つけるかもしれない。妬ましいから。自分が手にしたくても叶わないものを、たくさん持っているから」
母ちゃんの口から流れ出る礼ちゃんの言葉には、きっと言霊が宿っている。
ほら、俺はちょっと、ヘタレだから。竦んで動けない。
「私が、神威くんに酷いことをしたり、言ったりしてしまったら。どうか、私を引き離して下さい、って。ご家族には、そんな権利があると思う、と」
神威。
母ちゃんは、俺が小さい頃から、何かにつけ名前をよく呼んだ。アイヌ語で『神』という意味を持つ俺の名前。
素敵な名前でしょう? でも傲っては駄目。
神様は全知全能ではないし、弱い。
大切な人達を守れる様に、いざという時、頼られる様に、強い男の子に、なってね。
刷り込み作業の様に、繰り返し繰り返し聞かされてきた、母ちゃんの言葉。
「神威は、どう思った?」
んー、と小さく唸り、頭をフルフルと振った。俺はあまり文章力や表現力、語彙力に自信が無い。
「……人間は、多面体だから。綺麗なばかりが、その人じゃない。汚い感情、って礼ちゃんが思ってるだけだし、負の気持ちなんて、誰でも持ってる」
現に今日、俺の内に渦巻く嫉妬心やら独占欲やらに気づいたばかりだしね。
母ちゃんも姉ちゃんも、ウンウンと頷いている様子を見ると、言いたいことは伝わっているようだ。
父ちゃんはいつの間にかソファーに座っていて、こちら側に向けた背中が、聞いてるよ、と言ってくれている様だった。
「太陽の光を受けたら、必ず影が出来る、みたいに。なんか、全部ひっくるめて、
礼ちゃん、だと思う。もうどうにも、俺の気持ちは変えられないし、傷つけられても、引き離そうとされても」
引き離さないわよ。
姉ちゃんがやけにキッパリ言い放つ。
「計算じゃない、素直な言葉は胸を打つ。私は今日、感動した!」
いつかの首相の名台詞じゃない、それ。
「良い子よ、ミコちゃん。お母さんは、好きだわ」
母ちゃんが俺の瞳を試すように、見透かすように、見つめてくる。
「分かってます」
「お嫁さんになって欲しいくらい」
「……それは、お約束出来かねます」
まー、不甲斐ない!
母ちゃんはすっかり冷めた俺の分のお茶を淹れ替えようと、立ち上がりキッチンへ向かう。
「……とりあえずさ、父ちゃん」
「ん?」
「その画像、共有して」
父ちゃんからも不甲斐ない、と言われながら、お互い馴れない操作をぎこちなく行った。
まさか待受にはしないけど。時々、液晶画面一杯にして眺めよう。
こっそりと。ニヤけるに決まってるから。
俺は今日、一体何度、顔を紅くしたんだろうな。
でも、良いんだ。というか、仕方ない。不器用な俺に小細工なんて出来るはずないし、素直な反応で少しずつ、ゆっくり、礼ちゃんと気持ちを通わせられたら。
そうあるためには、まだまだ男子力とやらを上げないと。
正月独特のまったりした空気の部屋へ、柔らかく射し込む太陽の光。
若干 眠気を覚えながら、礼ちゃんとトモくんは、今度いつ遊びに来てくれるかな、と考えていた。
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