恋におちたら

 意識して見ると、それまでと違う風景が目に入る。という至極当然なことを、俺は改めて痛感している。

 俺に欠けているのは、男子力どころではなく、人としての感性かもしれませんお姉様……。


 週明け、月曜日。


 すっかり快復した俺は、こと学校内において本当に礼ちゃんと接点が無いことを理解した。

 そもそも、礼ちゃんは文系クラス。俺は理系クラス。

 高2ともなれば、授業が合同になるなんてことは、まず無い。教科書の貸し借りも、皆無。

 1組と5組って、同じ校舎の2階にありはするけれど、端と端。

 礼ちゃんが所属する部活動や委員会なんてのも、知らないしね。

 ミコちゃんのクラスへは行くな、と武瑠から念を押された。神威は目立つんだよ、と。


 あの日。

 図書室にいたんだから、図書委員なのかと思ってる。今日の放課後、また図書室へ行って、真偽を確かめてみよう。


 だってさ。

 マンガみたいに、ふと窓から見下ろすと、グラウンドを颯爽と駆けるキミの姿が、なんて。あり得ない。

 じっと見つめたら、俺の視線に気づいたキミも熱い眼差しで、なんて。あー、あり得ない。まずもって俺は、窓際の席じゃないし、ね。

 それでも、俺の内側で何かが生まれたからか。何かに気づき、芽生えたからか。非日常な出来事が、向こうからやって来たりする。


「カームーイー! お客さーん!」


 教室の出入口付近にいた、クラスメイトである野田の太い声が、俺に来客を告げている。

 昼飯を食べ終わり、武瑠と心と、大きめのダンボールを手に入れるなら近所のホームセンターだな、と話していた時だった。


「2年1組、妹尾さん!」


 野田、わざわざ紹介ありがとう。

 誰だろう、知らない名……ん? 1組?


「えー、っと。何か」


 礼ちゃんと同じ1組である、という情報が気になりながら出入口まで歩を進め、俺は、妹尾さん、と耳にした名前を胸の内だけで反芻する。

 ……聞いた覚え、無いな。たぶん。

 目の前の女子。ショートカットの頭がほんの少し揺れた。

 ……あ。ご挨拶? なの?



「……私、御子柴 礼の友達なんだけど」


 みこしば れいの ともだちなんだけど。

 と、言われた。と、思った。


 あぁ、もう。また、何なんだ、俺。

 礼ちゃんの名前を聞いただけで、心臓は勝手に動悸を速めてしまった。

 自分の身体が、こんなにコントロール出来ないものだとは。


「……ぁ。え?」


 それまでの俺からは、きっと想像だに出来ない抜けた声が出た。

 妹尾さんは、俺を観察するような、特別な感情をわざと込めないような瞳で、腕組みをしたまま、じっと見つめてくる。


「金曜日、図書室で倒れたのって、山田くんよね?」

「え。何でそれを」

「葛西が運んでくの、見てた子がいて。うちのクラスは、その話でもちきり」

「……見られてたんだ」

「……ね、礼に何かした?」

「な、に? 何か、って」


 どういう意味? 分からない。

 そう訊ねると、妹尾さんは、んー、と決めかねているような生返事。

 ……何か、って。意味ありげな。焦った俺は意気込んで続ける。


「俺、確かに意識なくしてたから悪いけど、その間は、責任持てないと思う。御子柴さんに何か迷惑、」

「……違うよ。礼がね、山田くんは優しい、とか言うから。何があったのかと思って」


 優しい。

 礼ちゃんが、俺のことを、優しい、と。

 他の人から同じく言われた経験がある形容詞なのに、俺の顔は変に熱を持ってしまう。

 それまで腕組み仁王立ちだった妹尾さんが、初めて、え、と半歩引いた。


「何? その顔。真っ赤」


 う。訝しげに見つめるのは止めて欲しい。

 俺の顔が朱に染まった瞬時、妹尾さんはきつく眉間に皺を寄せたから、快く思われていないことくらい、察しがつく。

 その理由は、おそらく。


「……礼のこと、好きだとか言う?」

「神威、ここは正直に答えるとこだよ」


 トーンを落とした妹尾さんの声に続き、優しく添えられたのは武瑠の声。


「早くも強敵出現、だな」


 心の言葉に違和感を覚える。

 強敵? 礼ちゃんの友達なのに?


 昼休みの、しかも男くさい教室の喧騒から、たぶんここだけポッカリと切り取られた異空間。

 前方出入口を占拠して展開されている、デカイ男三人 VS 初対面仁王立ち女子。


「……場所、変えようか」


 妹尾さんは、視聴覚室、と短く言い置くと、さっさと残像だけになった。


「妹尾さん、って。ある意味、有名人」


 視聴覚室へ向かう廊下で、武瑠が溜め息と共に教えてくれる。


「どんな意味で?」

「神威。容姿端麗なのにもかかわらず、長らく特定の相手がいない場合、当人に全く興味が無い、か。当人の特別な性志向、か。邪魔してる誰かがいる、に分類されるだろう」

「……なかなか過激な分類だな、うん」

「妹尾は、御子柴へ近づく男を排除し続けてるという意味で、有名」


 なるほど。

 俺を射抜くように見つめていた鋭い眼光は、視聴覚室のドアを開けるとすぐ、目に飛び込んできた。


「どうしてオマケも来るの?」

「あ、ひでぇ言われ様」


 武瑠が、ピリリと張りつめた場の空気をわざと壊すように茶化して言う。


「俺達は神威の友達だからな」


 当然だ、と有無を言わせぬ威圧感を、憚りもせず押し出す心。


 まぁ、良いわ。

 妹尾さんは、その点には最早 関心が無いとでも言いたげに気だるく吐き捨てる。

 ……この人、切り替え 速いな。


「それより、どうなの? 礼のこと、好きなの?」

「うん」


 躊躇わない方が良い気がした俺は、即答した。いや、礼ちゃんへの気持ちに躊躇は無いんだけどね。

 俺の本心を伝えたら、あなたに邪魔されるんでしょうか、とか。何故、あなたがそんな質問を? とか。聞きたいことはあったけど、そんな問いかけは、はぐらかしだと受け取られそうな気がしたから。

 何より、強い眼力に、嘘や誤魔化しで対抗したくなかった。


「……へぇ。驚いた」


 しばらくの沈黙の後、そう口にした妹尾さんは、ほんのちょっとだけ、表情を和らげた。


「なに、山田も興味 持ったの?」

「待って待って。突っ込みたい箇所が満載です」


 どうぞ。

 そう言って、机に収まる椅子をガタンと引き、ドッカリといった感じで座った妹尾さんは、掌を俺達に向けてくるから、座れば? ということらしい。

 あ、突っ込めば? ということかな?

 俺も椅子を引き出すと跨いで座り、妹尾さんと向かい合う。


「えーっと、山田くん、から、山田、への変更理由は」

「昇格よ、昇格。山田なら応援してやっても良い」

「も、って何? 山田も、って言ったよね?」

「そこは私も聞きたいとこ。あんた、礼に何かしたの?」

「してないよ。しかも、あんた、になったし」


 いちいち言葉じりを掴む男だな。

 妹尾さんは、チッ、と舌打ちしながら眉根を寄せ目を細める。

 俺達の会話の背後には、武瑠と心のクスクス笑いがBGMで流れている。


「俺、順応性に乏しいんだよ、かみ砕いて分かるように会話してくれると助かる。こと女子が絡むと、」

「……山田。“フランス人講師が教える女性とのウィットに富んだ会話講座” とかに通ったら?」

「え。それ、どこの公民館で?」

「冗談よ! バカじゃないの! 公民館、って!」


 武瑠と心は、ゲラゲラ笑ってるし。

 うちの姉ちゃんに似てんなー、この毒舌。



 今朝、妹尾さんは驚いたらしい。

 元々、図書委員なのは妹尾さんで、金曜日はお家の事情でどうしても早く帰らなければならず、礼ちゃんが代わりを引き受けたそうだ。


『金曜は、ありがとね、礼』

『ううん、凄く良いことあったから。むしろこっちが助かった』


 ニコニコ顔の礼ちゃんは、愛くるしい顔を妹尾さんに向け、こうも続けた。


『私、ファンクラブの子が言うことばかり真に受けてたけど。山田 神威くんって凄く人当たりが柔らかい感じでね。優しい、男の子だった』


 そこまで話した時、自称ファンクラブ会員達に囲まれた。


『ミコちゃん、神威くんを助けた、ってホント?!』

『金曜に図書室で。葛西とミコちゃんが病院連れてくとこ見たって子が』


 詰め寄られ、困った顔で礼ちゃんは、コクコクと頷く。


 何も話してないよ。意識 無かったの。熱が高くてね。風邪だったみたい。

 自宅? 知らないな。葛西先生にお願いして私はすぐ帰ったから。


 そんなこんなの尋問は、礼ちゃんと俺が特別なお近づきをしていないかの確認のようだった、と妹尾さんは言った。


『……どうしよう』


 礼ちゃんは、その後ずっと、口数少なく、溜め息が多いのだ、と。

 山田神威がよほど気になるのか。山田神威に何かされたのか。いずれにしてもファンクラブ女子の存在は、悩ましい。


「そんで、俺のとこ来たの?」


 あたぼーよ。

 妹尾さんは、いなせな江戸っ子のように身を乗り出して言う。


「山田神威は女子に興味が無い、これが通説。むしろホモ説も流れてる。いっつもそこのオマケとツルんでるから」


 確かにオレは来る者拒まずだけど、と武瑠。

 俺は神威となら甘受しようその噂、と心。

 止めてくれ、二人が言うと本気に聞こえる。


「礼もね、そうなの。男子に興味が無い…、いや、無かった、か」


 それなのに。

 優しいだの、人当たりが良いだの、柔らかいだの。一体全体どういうことなのか。

 相手は、あの山田神威。何があったにしろ、何かされたにしろ、女子に興味が無く、ホモ説も流れるクールな人気者に興味を抱いても、ファンクラブ女子がウザイだけ。

 変に矢面に立たされては、礼が可哀想。

 そう考えた妹尾さんは、なかなか口を割らない礼ちゃんに質問するのは止めて、事の真相を確かめるべく、俺のとこへ来た訳だ。


「……妹尾さんって、友達想いの、良い人なんだ」


 俺、誤解してたわ。

 心底、そう言ったのに、俺は座っていた椅子の脚を、ゲシッ、と蹴られた。

 ……け、蹴られたよ?! 女子に!


「ぼ、暴力反対」

「あんた、何なのよ?! 女子に興味が無いとかって! とかって言いながらっ! なぁにサラリと乙女心くすぐるようなセリフ吐いてんのよ!」

「……乙女は、椅子 蹴らないと思う」


 うるさいよっ! とご立腹の妹尾さんに困った俺は、武瑠と心に助けを求めようと、背後を振り返る。うんうん、と頷く二人。


「妹尾さん、神威に一切他意は無いよ」

「そう思ったから口にしたんだ。神威はそういう人間だ」


 武瑠と心の真面目な表情を確認し、また俺に視線を移すと、妹尾さんは大きく深呼吸をした。


「やっぱツラが綺麗なだけの男はチャラいんだと思ったわ……ごめん。礼のことも、可愛いからちょっと好きになっちゃいました的な、軽ーいノリかと」


 俺は、ハハ、と苦笑い。


「俺、御子柴さんの顔、よく見てないんだよね」


 そう前置きをして、俺は金曜日の出来事と、土曜日の電話の内容まで包み隠さず話した。

 妹尾さんは、途中で口を挟むでもなく、ずっと真剣に耳を傾けてくれていた。

 以上です。

 俺が話し終わると同時に、午後の授業開始を知らせる予鈴が鳴る。


「山田。私は今、いろいろと驚いてるよ」


 ふぅ、と妹尾さんは息を吐き、一瞬、目を閉じると、畳み掛けるように話し出す。


「山田は今までの野郎共と、少し違うのかもしれない。礼のこと、ちょっと変えられるかもしれない。とりあえず、トモ……弟のために、頑張って電車 作ってやって」

「うん。それはもう」

「声援、直に贈らせるから。放課後、図書室に来て」


 妹尾さんの口元が、ニヤリ、という形容に相応しい形に動く。

 かと思うと、あっという間に、また残像だけになった。


「……なんか」


 美琴みたいだなー。

 武瑠と心の声が重なって、俺は思わず吹き出した。

 うん、俺もちょっと思ってたよ。



 ***



 ――—放課後。



 部活を休めない武瑠と、理人と学人のお迎えを命じられている心の、残念そう、かつ好奇の表情を目の隅に、俺は教室を後にした。

 図書室の扉をできるだけ静かに開けると、カウンターにはすでに妹尾さんがいて、小さな声で、山田 はやっ、と苦々しげに言われる。

 ……スミマセン、気が急いてまして。

 新しく入荷したらしい本の山を手際良く仕分けながら、現代文学の棚で10分待て、と命令された。

 ……逢える、というか。逢わせてもらえる、というか。顔を、ちゃんと、見られる、というか。


 俺は正直、何を考えてもどこか思考が他人事だった。

 ふと見た指の先が、真っ白で。自分の鼓動が耳元で大きく聞こえて。

 いや、他の音が遮断されて、もうそれしか聞こえないんだ。

 正直、緊張、してる。女子との緊張シーンに、良い思い出なんて無い。最後は必ず、泣かせてしまった。

 俺はフルリと頭を振り、忌まわしい場面を追い払う。


 ここは、現代文学の棚、に間違いない。

 10分、って。何時何分からの10分? 10分待って、何も起きなかったら、どうしたら良いんだっけ?

 妹尾さんに確認しに行こう、と思い、踵を返す。

 あ、と気づいた時には遅かった。

 何かにぶつかる衝撃。バサバサ、バタン、と厚目の書籍が床へ落下する音。


「あ、ごめん」


 あたりを覆う静寂を出来る限り破らない様に、小さめの声に謝意を込める。


「山田くん?」


 ……あ。あああああっ! この声っ!


「……あ。御子柴さん……、」


 可愛い、と評される容姿は、確かにそうなのかもしれない。

 俺には他の語彙が見当たらない。

 小さな顔は、白く透き通る様な肌から出来ていて。形の良い眉が、前髪の隙間から覗き、その下に位置する二重の大きな瞳が、俺を吸い込みそうだ。

 スッと品好く収まる高い鼻。艶のある、ふっくらとした唇。


 ……可愛い、って。こういうこと。

 目が離せない、って。こういうこと、ね。


「山田くん、全快したの?」


 落下した本を拾おうと、互いに屈み込んだ姿勢のまま、俺は礼ちゃんと向かい合っている。

 つまり、超絶 近い。

 うん。ちょっと、この距離は、初心者向けではないな。


「うん。あの。改めて、金曜は、ありがとう、ございました」


 息も絶え絶え、というか。

 カタコトの日本語しか話せない外国人のように、俺はゆっくりと言葉を紡ぐ。


「良かったね、長引かなくて」


 そう言うと、礼ちゃんは、本当に頬から沢山の花々が零れ落ちるのではなかろうか、と錯覚する程の愛らしい笑顔を見せてくる。

 良かったね、って。ふふ、って、くっついてるような心地好い声。

 すうっと、胸に染み入ってくる。

 俺からはたぶん、ワタワタという擬態語が発されているだろうな。

 こんなに、可愛い。こんなに、気になる子を。こんなに、傍で見て。

 どうしたら良いのかなんて、分からない。

 ただ、ひとつ分かっているのは、ずっと傍で見ていたいな。

 そう思った、俺の素直な気持ち。


 礼ちゃんが瞬時、視界から消えたと思ったら、立ち上がって何かを探し始めたからだった。


「何か借りるとこだったの?」


 手に持った新冊を、適切な棚へ配置するらしい。

 礼ちゃんは、背表紙のラベルと棚の並びを確認しながら、声だけ俺に投げかける。


「……うん」


 まさか、あなたを待ってました、とは言えないし。


「半分、貸して。手伝うよ」

「……え、良いよ。病み上がりなのに」

「ぶ。病み上がり、関係無いでしょ。それに、あそこ」


 一番上の棚を指す。礼ちゃんの身長では、ちょっと。


「手に持ってる、それ。届かないでしょ」

「……山田くん?」


 え、ここで? 山田くん?攻撃?!

 少しだけ、語尾が上がるような、何かを確認しているような。

 俺、この前から、それに弱いんだ。グニャリとなりそう。


「……何?」

「……ううん。ありがとう」


 ……あれ。礼ちゃん、沈んでる? 声の調子が、間が。

 ……何故だろう。目の前の棚を見つめ、じっと動かない。せめて表情が分かればなぁ。


「御子柴さん?」


 礼ちゃんの手から、本を抜き取る。

 一番上の棚へ収めると、礼ちゃんの表情が覗けるように、立ち位置を変えてみる。


「脚立 使うより、速く済むと思って。あの脚立、ガタついてて危ないし。余計なお世話だった?」


 何か。何かしら喋ってくれないかなー。

 いや、もう、沈黙が怖い! 沈黙を楽しめるフランス人は凄い! “あら、今、天使が通ったわ、フフフ” とか言えちゃうんだよ!


「……山田くん。あの」

「はい、何でしょう?」


 クルン、と小さな顔を俺に向け、真っ直ぐ見つめてくる礼ちゃん。

 ……うわ。これは。

 礼ちゃん、ちっちゃいので。物凄く、上目遣い……。


「弟、へのクリスマスプレゼントのことなんだけど」

「うん。24日には間に合うよ」

「あ、えーっと。……24日、ね。大丈夫?」

「大丈夫、とは?」

「イブ、だから。何か予定あるんじゃないかな、って」


 山田くん、人気あるから。

 そう言うと礼ちゃんは、俺から視線をゆっくり逸らし、残りの新冊を棚へ並べ終えた。


「……御子柴さんでしょ、人気者は。俺、そう聞いたけど」


 え。

 という形で止まったままの礼ちゃんの口元。


「俺なんて、武瑠と心と集まるくらいだよ」


 それを聞いた途端、ハッ、と大きな瞳を更に見開く。

 ……分かりやすい、礼ちゃん。


「違うから。二人とはおつき合いしてないから。そこにあるのは友情だから」


 暫くじっと見つめられた後、あ、そうだった、とニンマリ笑われる。


「健康な青少年向け雑誌が、」

「スミマセン、その件は忘れて下さい」


 あ、また。ふふ、って。

 コロコロ変わる礼ちゃんの表情が楽しくて、もっと笑ってくれないかな、とか。どんな顔しても、可愛いんだな、とか。

 あーあ。何かにズブズブと嵌まっていってるなあ、俺。


「24日は、御子柴さんが迷惑じゃなければ、山田サンタがプレゼントをお届けします」

「……ありがとうございます。よろしくお願いします」

「でも。何か困ってるでしょ」

「……?」

「何か、うかない感じ。妹尾さんも、心配してたよ」


 むー。と不思議な擬音語を発すると、礼ちゃんは苦悩する様に、現代文学の書棚に額をコツン、と寄せた。


「……山田くんのファンクラブって、公式? 公認?」

「まさか。存在すら知らなかった」

「……私ね、色恋沙汰に疎くて。こういう時、どうしたら良いのか、分からない」


 神威くんとの距離間違わないでね、と言われたけれど。

 それって、どうなの? と思う。

 山田くんを嫌いな訳でもないし。特別な関係にある訳でもない。

 山田くんは、ファンクラブ女子の所有物ではないし。

 でも女子の面倒そうなことに巻き込まれたくないとは思う。


「……どうしたら、良いのか。俺も、そういうことに不器用で」

「うん。……でも、普通に」

「普通に?」

「普通に、してる。気にしない。だって」

「だって?」


 俺、さっきから礼ちゃんの言葉、なぞってばっかりじゃない?


「山田くんとは、仲良くなりたいもん」


 ***


 その後、どうやって帰宅したのかすら、記憶が曖昧だ。


『山田くんとは、仲良くなりたいもん』


 エンドレス再生される、礼ちゃんの衝撃の一言。

 そのままの、意味なんだろうな。

 極上の笑顔と共に、俺に向けられたその言葉は、本当に仲良くなりたいと願う、小さな子どもの様で……。

 仲良く。なりたいさ、俺だって。


 でも、俺の方が、たぶん。やらしい気持ちが混じっている。

 だからほんの少し、寂しいんだ。

 そんな風に感じてしまう自分は、不純な気がして。

 でも、それならば。健康な青少年に図らずも芽生えた感情の終着点はどこなのか、と難しく考えたりして。


 結局、俺は、どうなりたい?

 今日、礼ちゃんをずっと傍で見ていたい、と思ったけど。

 彼氏・彼女になれたなら、それがゴールってこと?


「……のぼせる」


 とりあえず、続きは風呂を上がってから、考えよう。


 風呂から上がった後、俺は10日間、和室を貸し切ります、と家族に宣言をして、ダンボール電車の製作に取り組むことにした。

 ボンヤリしていた俺は、今日は学校の帰りに近くのホームセンターへ立ち寄ることも忘れていたが、昨日のうちに根回ししていた母ちゃんと父ちゃんが、それぞれ職場から持って帰ってきてくれた。


「大きめのが良かったんだろ? ちょうど新しいキャビネットが搬入されたからさ、そのまま持って帰ってきたぞ」


 誇らしげに言う父ちゃんから、俺はモノ作りが好きな遺伝子を受け継いでいると思う。

 電車の運転室を再現する、と話したら、早速 ネットで検索し、いろいろな画像をプリントアウトしてくれた。


「神威ー」

「んー?」

「今回は、アレだろ? 心くんとこの双子へプレゼント、じゃないんだろ?」

「……ん。てか、知ってんだろ、父ちゃん。どうせまた、姉ちゃんがあること無いこと」

「まあまあ。美琴も嬉しいんだよ、きっと。アイツなりに責任 感じてるからさ」


 責任?

 そう訝しむ俺に、父ちゃんは穏やかな笑みを向ける。


「やれ、こんな女は駄目だ、とか。騙されるんじゃないぞ、とか。お前に言い寄る女の子への罵詈雑言。アイツ、酷かったろ?」

「あー、まぁ、ね」


 そう。だから余計に不思議だった。

 手放しで礼ちゃんを褒める姉ちゃんが。


「自分が女の子への悪印象を植えつけすぎたんじゃないか、って。神威から女の子を遠ざけすぎた、自分のせいだ、って」

「……そんなこと」


 無い、って言い切れないだろ。

 父ちゃんは、俺がラフに書いた設計図を元に、手を動かしながら続ける。


「美琴は、昔から神威 大好きだし。神威も、姉ちゃん姉ちゃん、って犬っころみたいに付いて回ってた。美琴の言うことは、何でも聞いてたぞ、お前」

「そうだったかな」


 そうだったのかもな。

 俺にとっての身近な異性、って、母ちゃんか姉ちゃんで。

 成績が良く、可愛いとご近所でも評判で、なになに委員長やらなんとかリーダーやら生徒会長やら任されてきた姉ちゃんは、傍若無人だし、二重人格だし、常に高圧的で毒舌だけど。

 やっぱり、自慢の姉ちゃんなんだよね。その、姉ちゃんが、認めてる礼ちゃん。

 俺が浮かされたのは、決して風邪の熱のせいじゃない。

 ちっちゃな手から伝わってきた、礼ちゃんの温かさ。

 姉ちゃんも俺も、間違いの無い、礼ちゃんの本質に触れたんだ。


「良いな、青春だな」

「……でも俺には無理だろう、って。言ってなかった?」

「あー、何だったかな。神威は、不器用だし。あの可愛い子ちゃんは、天然? だったか……、」


 いや、無意識小悪魔、だ!

 思い出した父ちゃんは、脳の引き出しがちゃんと開いてホッとしたらしい。

 また黙々と手を動かし始める。


「無意識小悪魔……」


 何だ、それ。

 俺が不器用だと言われるのは解る。手先は器用なんだけど。

 今日だって、気の利いたセリフは何も言えなかった。


「何だろ、無意識小悪魔、って」

「最近の若者言葉は、サッパリ分からんな」


 若者言葉って訳でもないと思うよ父ちゃん。

 明日、武瑠と心に聞いてみよう。


 大きなダンボールをカッターで解体し、大枠を作ったところで、今日は終わることにした。

 あ、と父ちゃんが思い出した様に言う。


「……神威。避妊は、きちんと、しろよ」

「なっ! バッ、父ちゃんっ! 何だそれっ!」

「いや、本当にね、真剣な話」


 神威がお年頃になったらちゃんと話さなきゃと思ってたんだ、と父ちゃんは胡座をかいたまま、俺に向き直り、言葉を続ける。


「親はさ、自分の子どもに絶対の責任があると思ってる。お前や美琴が、何をしようと。それこそ、犯罪者になろうと」


 ならないよ、と苦笑すると、当たり前だろモノの例え、と返される。


「……相手の子が妊娠した、って事態になったら。許してもらえないだろうけど、何度だってお詫びに行くよ、不肖の息子がすみません、って。私たちの育て方が間違っていました、って。お前たちと一緒に頭下げ続けるのは当たり前のこと」


 父ちゃんと、こんなに真剣に話をしたのは、いつ以来だったか。

 受験する高校を選ぶ時だったかな。


「額こすりつけて謝って、たとえすり傷ができたところで治るだろ。でも身体だけじゃなくて心まで傷つくのは、やっぱり女の子の方だと思うからさ」

「……ん」


 分かった。という意味をこめ、俺は深く頷いた。

 礼ちゃんとの、そういうこととか、今はまったく想像もつかないけど。傷つけたりだなんて、とんでもなかった。

 泣かせたくない。

 あんなに、笑顔が可愛いんだから。


 お父さーん、お風呂 入ってー!

 リビングから母ちゃんの声がした。


 ***


「なぁ。無意識小悪魔、って、どういう意味だと思う?」


 翌朝。

 武瑠と心に逢うなり、前日からの疑問をぶつけてみた。

 2人共、無意識小悪魔? と聞き返してくる。


「姉ちゃんが、礼ちゃんは“無意識小悪魔” だ、って」

「……また訳の分からんことを」

「それよりさ、神威。昨日の図書室はどうだった?」


 武瑠に話を逸らされる。


「逢って、お礼をちゃんと言って」

「うん」

「あー、可愛い、って、こういうことかと思った」

「お。素敵」

「礼ちゃんは、俺のファンクラブ女子ってのが気にならなくもないけど」

「うんうん」

「山田くんとは、仲良くなりたいもん、って」

「うっわぁー!」


 そこ! それが無意識小悪魔じゃね?! と、武瑠が大興奮した。


「武瑠。そこ、がどこだか分からない」

「仲良くなりたい、って。綺麗な響きだよね、ピュア!」

「……あー、うん」


 アレだよね、ミコちゃんって、ハイジ?

 武瑠の自問自答に、分からん、と一喝する心。


「じゃあ、クラリス!」

「近いが」

「シータだ!」

「なるほど」

「いや、二人共。分かりませんよ」


 武瑠は跨がって座る椅子をギコギコ鳴らしながら、楽しそうに俺を見る。


「そんな綺麗な言葉をさ、ニッコリ笑顔と共にお届けされたらさ。もう、虜だよね?」


 ……そうね。実際、そうなんですけど。


「神威。御子柴は、男馴れしてるタイプではないと思う。神威が自分をどう思うか、などと計算して発言した訳じゃないだろう」

「うん。仲良くなりたい、に他の意味が含まれてないのか探る俺が不純、みたいな気に」

「そうして、脳内は御子柴だらけ」

「!」


 ……礼ちゃんに、嵌まっていくのか。こうやって、少しずつ。

 小悪魔が無意識に紡ぎ出す、綺麗な言葉たちに絡め取られて。不器用な俺は、もがくばかり、ってことか。

 まぁ、それも。悪くなさそう、かな。

 ……いや。いやいやいやいや。現状、礼ちゃんの想いと方向性は、俺のそれとは違ってる。

 何なのかな。

 知り得ている語彙に、当てはまらない気持ち。


「あー、それ言われた時の神威、見たかったー!」


 見たかった、って武瑠。


「んー、俺、気の利いたこと、何も返せなくてね」


 授業開始を告げるチャイムが鳴る。

 席についてー! クラス担任の葛西先生が教室へ入って来た。


「続きは昼休みに」

「屋上へ集合!」


 各自の席へ戻る心と武瑠の背中をボンヤリ眺め、その向こうに見える12月の寒空を視界に捕らえる。


 ――あのアニメ、好きだったな。


 天空に浮かぶ伝説の島の王女である女の子を、狙う敵から全力で守ろうとする男の子。

 三人で集まって観た時の感情の昂りったら。

 武瑠と手を握って、何回も滅びの言葉を言ってたような。


 好き、なんてセリフは、確かどこにも出てこなかった。

 だけど、お互いがお互いを必要として、好きで好きで堪らなくて、思い遣りあってて、それが全身から迸ってる強い想いというのを、俺は感じた気がする。

 成長、というのが、あの頃のただただ、純粋で全力な気持ちに、邪な色をつけていくのかな。



 午前中の授業をやり過ごし、購買部でパンと牛乳を手にすると、三人で屋上へ向かう。

 コの字型の校舎で、俺達の教室とは向かい側に位置している。


「いや、流石に寒くないか?」

「ここなら憚りなく話が出来るぞ」

「1組見えるよ。ミコちゃん、いるかな?」


 1組から5組まで、廊下側の大きな窓は見えるけど、この距離で視認出来たら、もう少女マンガのミラクルだろ。

 手すりにもたれて座り、買ってきたパンをモソモソと頬張りながら、武瑠が話し始める。


「神威、他にどんな話したの?」

「弟さんへのクリスマスプレゼントのこと。よろしくお願いします、って」

「そっかー」

「御子柴は、神威への興味がゼロではないよな。でなきゃ、仲良くなりたい発言はあり得ない。頑張る要素は大いにあるぞ」


 頑張る……。

 頑張って、どうなりたいのかな。俺は。


「心も武瑠も、好きな相手と彼女になりました、がゴール?」

「「まさか」」

「じゃあ、どうなりたいの」


 武瑠は、紙パックジュースをチウと飲み干すと、俺へニコニコ顔を向け、訊ねてくる。


「神威は、どうなりたいの」

「……分からない。どうしたい、ってのはあるけど」

「どう、したいの」

「んー、傍にいたいなあ、とか。礼ちゃん、表情がコロコロ変わって、見てて楽しくてさ。あー、あと、傷つけたくないな、とか」

「うん。それだよね、大切なこと。どうなりたい、より、どうしたい、じゃない?」


 結果の追求より、過程、だな。

 サンドイッチを食べ終えた心も、モグモグと口を動かす。


「神威サンタは、御子柴の役に立ちたいんだろ? 今はまず、そこをシンプルに考える」

「ん」

「初心忘るべからず、で。残念ながら、純粋な想いの純粋な持続は難しい」

「? いつか好きじゃなくなる、ってこと?」


 例えば、と心は苦笑する。

 心は同年代よりも歳上女性がお好みだ。実際年上キラーだ。

 本人曰く、マザコンだから、と自己分析していたけど。


「彼女が年上社会人の場合、将来の展望をいかに描くかを求められたりする。ま、いくつで結婚、とか。就職するのか進学か、とか」

「……そうなんだ」

「見た目 老けてても、やっぱり男の方がガキだからな。何度も言われると、面倒になったりして。一時は確かに好きだったはずなのに、おかしなことになる」


 俺の右隣で、飲み終えた牛乳パックを、片手でクシャッと歪ませる心。

 左隣では、武瑠が、それに、と付け加える。


「相手の子が心変わりすることもあるしさ」


 武瑠の薄茶色の髪が風に揺れる。フワフワと。

 寒空のグレーと、コントラストが綺麗だ。


「俺が、礼ちゃんとつき合いたい、とか。エロいことしたい、その為には、ってのを追い求めるんじゃなくて。役に立ちたい、喜ばせたい、笑わせたい……あ、そうか! 礼ちゃんを、って起点で考えれば良いのか。……良いのか?」


 アハハ、神威、自問自答だねー。

 武瑠の歯切れの良い言葉も風に揺れて響き渡る。


「考え過ぎて上手くいかなくなることも、あるかもな。でも俺は、そういう姿勢が大切だと思う」


 じゃあ、こんなに偉そうに言う俺や武瑠が上手に恋愛してるかというと、答えはノー、だけど。


 苦笑しながら言う心に、ほんの少し驚いた。

 二人共、俺を気遣ってなのか、あまり頻繁に彼女の話はしないけど、上手くいかなくて悩む姿なんて、見た覚えが無い。


「神威には、不器用なりに考えて、御子柴と上手くいって欲しいと思う。そう思わせる何かがある」


 何だろうな、ヨチヨチ歩きの子どもを温かく見守りたい感じ。

 渋い顔つきで真剣に表現を探す心と、ヨチヨチ歩き、というフレーズがアンマッチで笑える。


「神威さ、昔、オレの彼女、怒鳴ったことあるじゃん」

「え。そうだっけ」

「そうだよ、中2くらいだったかな、神威と心に逢わせたらさ。その子がなんか、神威くんって綺麗ね、カッコいいね、神威くんが良かったかな、とか言い出して」

「……あー、うん。アイツか」


 アイツ呼ばわり? そう言って吹き出す武瑠。

 いや、アイツで充分だろ、俺の友達に、そんな失礼極まりないヤツ。


「神威、物凄い怖い顔して、武瑠に謝れ、って。冗談にしても、言って良いことと悪いことあるだろ、ってさ。女子相手に怒鳴る、怒鳴る」

「ムカついたんだよねぇ、本当に」

「今だから言うけど。初カノだったからオレは神威に対してちょっとムカついた。酷いこと言って泣かせて、イケメンだったら何しても許されると思うなよ、って」


 けど、あれは本物じゃなかった。

 武瑠は俺ににじり寄り、体育座りの俺の両肩を鷲掴みにすると、丸い瞳を細めて言う。


「オレも心も、本物を見極めてないんだよ、未だに。神威のミコちゃんが、本物だと良いね。ミコちゃん、ピュアだし」

「また出た、ピュア。武瑠好きね、それ」

「いや、なんかすれてないもん、ミコちゃん。想いが通じ合ったら、神威だけ見つめててくれそう」

「………」

「想像だけで、紅くならないのよー」


 コクリ、と頷いた時、ズボンのポケット内が振動した。

 ……珍しい。滅多に鳴動しない携帯電話が。というか、緊急事態かも。

 何せ、極々限られた人間の名前しか、メモリには登録されていない。

 バイブ音に気づいた武瑠と心も、携帯電話を片手で開き見る俺へ、心配そうな視線を向ける。


「……うわ」


 驚きすぎて、何か吐き出しそうになった。

 うわー、って。そんな言葉しか出てこなかった自分が歯痒い。


『そんなとこいたら、また風邪ひくよ?』


「……礼ちゃん、だ……!」


 え?

 驚く武瑠と心が、ボンヤリしている俺の掌から携帯電話を奪い、液晶画面を覗き込む。


「ミラクルー」

「マサイ族並の視力だな」


 それまで背を向けていた手すりの間から見える、向かい側の校舎。

 視線を少し落とした右端が、2年1組、のはず。

 廊下の窓からちょこんと出ている小さな頭。

 誰かに呼ばれたのか、弾かれたように反応すると、教室内へ向かおうとしている。


「神威、返信返信! 急げ!」

「う、え? なんっ、何と?」

「もー、何でも良いから! 今このチャンス逃すべからず!」


 あー! やっぱりメールって苦手だ!

 咄嗟に何と書いて良いのやら、経験値が低い俺にはサッパリだ!


『見えたの?』


 そう、送ったら。

 程なくして、返信があった。


『見てたよ』


 ……礼ちゃん、気づいてるのかな。

 この、日本語の使い方。それとも、また、無意識?


 見えたの? って。

 礼ちゃんの意図は問わなかったのに。

 見てたよ、って。

 それじゃあ、まるで。……見てたかったんだよ、みたいな。

 勘違い、しそうになる。

 変に絵文字とか、付いてなくて良かった……いや。

 文字だけが、強く、シンプルに、訴えてくるようで。

 やっぱり、勘違い、しそう。


「神威ー?」

「いや、無理もないな」


 その後、俺は二人に引きずられるようにして、なんとか教室へ戻ることが出来たらしい。


 ***


 それから10日間、俺は父ちゃんや武瑠や心の手を借りつつ、ダンボール作品の完成に懸命だった。

 正直、心のとこの双子への作品より、力が入ってしまった気がする。ごめんな、リーにガク。


 ダンボールむき出しの部分が少なくなるように、車体色もそれらしいカラーペーパーやテープでデコレートしたし。

(イメージは東京メトロなんだけど。保育園のやつに似せてみた)


 15キロ弱のチビッ子が座っても大丈夫な耐久性を座席には持たせたし。

 ちょっと狭いけど、友達と二人で運転出来るように、シートは2つ用意したんだよね。

 開閉が多いであろうドアや、頻繁に触るレバー部分は、多少、乱暴に扱われても壊れにくいように、ホームセンターで部品を買って補強したし。

 礼ちゃん家まで運ぶことを考えて、なんとか折り畳めるように苦心したし。

 土日、髭も剃らず、ジャージにダウンを羽織り、ホームセンターへ通う俺を、関係各位はニヤニヤと眺めていたらしい。


 12月22日は終業式。

 配られる通知表や課題プリントの束より、俺は気になって仕方がないことがあった。

 礼ちゃんへ、どうやって連絡しよう。

 電話か、メールか。苦手なそれらより、直接伝えるか。

 直接、なら、チャンスは今日が最後。明日からは冬休みだし……。


 教室内は、どんどん人が少なくなる。

 決心がつかないまま、肘をついた片手に顎を乗せた俺に、武瑠と心が近づいてきた。


「憂いの神威くん。ミコちゃんのクラス、行く? ついてくよー」


 三人で連れ立って出向けば、余程目立つのではなかろうか、と思ったその時。


「カ、カムイィーッ!!」


 野田が俺を呼ぶ声がひっくり返っている。

 人がまばらになった室内へ、いつも以上に響き渡る男らしい声。


「何……」

「ミ、ミコちゃんっ!」


 出入口に覗く小さな影。と……ショートカットの妹尾さん。


「わ。どしたの?」


 あ。

 また、気の利いたこと言えなかった。

 5組は理系男子クラスなので、女子の色香に触れる機会なんて、まず無い。

 こうやってたまに、誰かへの来訪者を眺めるくらいなんだ。

 あ、山田くんだ、ありがとう、と野田へお礼を言っている礼ちゃん。

 無意識なのか、当然の行為なのか。

 ニッコリと、あのバックに華が舞いそうな可愛い笑顔を向けている。


 ――野ー田ー!


 離れろ! それ以上 近づくな!

 デレデレになっている野田を見て、何だか無性に腹が立った。

 ……寂しくもあったけど。

 そうだよね、考えてみれば。あの笑顔を向けられる、特別な存在が俺、って訳じゃない。

 野田の視界を遮る様に、礼ちゃんの目の前へ立つ。

 あー、神威のケチ、などとぬかしながら去って行く野田。


「いきなり、ごめんなさい。これ、弟から」


 そう言って差し出されたのは、真っ赤な封筒。

 と言っても私が作ったんだけど、と続けられる。


「開けて見て良いの?」


 はい、と頷く礼ちゃんを確認後、中身を取り出す。

 折り畳んだ白い厚めの紙から、クリスマスツリーが飛び出した。


「ごしょうたいじょう……ご招待状?」

「24日ね、クリスマスパーティーをするので。大したことないけど、来て下さい」

「あ……はい。あ。じゃあその時に持って、」


 ミコちゃん、と会話に割って入られた。

 武瑠だ。

 昔からの知り合いの様に然り気無く、ミコちゃん、と呼べるその性分が羨ましい。


「もれなくオレらもついてくるけど、オッケ?」

「はい、大丈夫。吉居くんと弓削くん。以上?」

「申し訳ないが、うちの双子の弟も」

「それから神威の姉ちゃん。運転手だからね」


 オイオイ。当事者を抜きにして話を進めるな!

 礼ちゃん、ニコニコ顔だけど、困ってんじゃないのかな。


「ごめんね、御子柴さん。迷惑なら迷惑と、」

「うちは大丈夫。むしろ大人数の方が楽しそうで嬉しい。私と万葉まよだけじゃ、盛り上げられないな、と思ってたから」

「……万葉?」

「申し遅れました、わたくし、妹尾 万葉です」


 しれっ、と自己紹介する妹尾さん。

 あーあ、と次いで口を開く。


「人が少なくなった頃を見計らって来たんだけど。目立ってんな、オマケ付きで」


 わ、またオマケ呼ばわりだよ! と抗議の声を上げる武瑠。

 礼ちゃんと心は弟同士の話に花が咲いているらしい。

 妹尾さんは低い声で続けた。


「山田、どうやって礼のケー番知ったの?」

「うちの姉ちゃんが強引に番号聞き出したんだよ、お礼したいから、っつって」

「メアドは?」

「お礼の電話した時に、ダンボール電車の話になって。保育園の先生が作ったやつの写真を送ってもらったから」

「ふーん。色気 無いね。まぁ、安心した」

「何だ、それ。人畜無害よ、俺」


 んなこた、分かってるよ。

 妹尾さんは呆れたように呟くと、ビックリしたからさ、と言う。


「いつだったか、昼休みに。向かいの校舎の屋上に山田くんがいた、って。しかもメールした、って」


 妹尾さんは俺から視線を逸らす。

 礼ちゃんと心の話は終わったらしく、万葉、と呼びかけられたからだ。

 じゃ、と短く言い残すと、さっさと踵を返す。


「じゃあ、山田くん。当日は、よろしくお願いします」

「あ、いえいえ。こちらこそ、大勢でお邪魔します」


 ペコリと丁寧にお辞儀をして、妹尾さんの背中を追いかけて行く礼ちゃん。

 翻るスカートの裾すら、可愛いんだけど。

 目にカメラ機能が付いてればなー。

 あの笑顔の瞬間、スマイルシャッターが下りてさ、いついつまでも俺の目の裏に焼き付いてさ、瞬きの度に礼ちゃんの……、


「神威くん。妄想が暴走中?」

「帰るぞ」


 俺はまた、二人に引きずられるようにして、帰路につく。

 噂好きな人間のヒソヒソ声を、聞いて聞かぬフリをしながら。


 ***


「神威ー! 起きろー!」


 いつものごとくバーン! という効果音が登場にピッタリ。ドア、壊れてないだろうか。

 クリスマスイブ。朝7時。

 何故、こんなに早起きなんだ、姉ちゃん。


「あんた、今日という日に、髭面なんて許さないわよ!」

「……いや、ごもっともですが。姉ちゃんに許されなくても」

「何言ってんだ! 私も一緒に行くのよ? 私の管理不行届きだと思われたくない!」


 ドカドカというに相応しい重厚な足取りで、姉ちゃんは階段を降りて行く。

 気合い、入ってんなー。自分の準備に相当 時間かけるつもりだな。


「……ぅし」


 礼ちゃんに、逢える。それだけでもう、特別な日だ。今の俺にとっては、ね。

 来年の今日も特別な日になっていたら良い。本気でそう思ってる。

 ……まぁ、受験寸前で焦ってるだけかもしれないけど。隣に、礼ちゃんが居たら。

 今はまだ、誰に対しても、平等に別け隔てなく向けられるあの可愛い笑顔が、どうか願わくは、俺に対して特別な色を添えてくれますように。

 サンタクロース、もう俺は、純粋に存在を信じていられた子どもじゃないけど。

 ちょっと、それが悲しいけど。

 今年のお願いは、これ。全力で。



 細身で踝までのチノパン、長袖と八分袖のシャツの重ね着へ、キルトダウンのベストを羽織った俺は、早々に準備を終え、リビングのソファでお茶を啜る。


「お姉ちゃん、神威 待ってるわよー」


 母ちゃんが俺に代わって大声で告げる。

 ありがと、母ちゃん。もうかなり、を付け加えてくれても良かったよ。

 つと、神威、と父ちゃんに話しかけられる。


「写真、撮って来て」

「?……ダンボール作品のなら、今のうちに撮れば」

「違うよ。ミコちゃん、とやらを」


 俺は溜め息を吐いて、肖像権の侵害、と答えた。


「ご本人の許可を貰えば」

「簡単に言うなぁ。俺はそんな大それたことを軽いノリでやれるような、」

「武瑠くんあたりに言わせてさ」


 ……なるほど。それならあり得る、か、なー。

 まぁ、成り行きで、と答えた時、キラキラでテカテカの姉ちゃんが登場した。


「神威、女子は準備とトイレに時間がかかる。覚えといて」

「……はいはい。今に始まったことじゃ」

「さ、出発ー!」


 うーん。

 礼ちゃんと姉ちゃんって、基本、女子であるという大項目の分類は同じなんだよなぁ。

 なんか、同じにしたくないんだけど。



 途中、武瑠と心と双子を拾い、礼ちゃん宅へ向かう。

 ご招待状に書かれた住所をナビへ入力すると、10分位で着く距離。

 ダンボール作品を縦置きした車内は、7人乗りとはいえ多少ギチギチだ。


「カムイー、これ何?」

「電車の運転室」

「ガク達が遊んでいいのー?」

「これ、トモくんへのクリスマスプレゼントなんだよ」


 閑静な住宅街の一画に ”御子柴” と表札が掲げられた門扉を見つけた。

 シンプルモダンな2階建て。あまり広くはないけど庭もあり、駐車スペースやエントランスは、南仏風だ。

 手入れが行き届いてるな、なんて思ってたら、玄関から妹尾さんが出て来た。


「車、そこに止めて」


 そう言って、駐車スペースを指す。

 プレゼントを壊さないよう丁寧に取り出し、姉ちゃん以外は玄関に向かった。

 妹尾さんが、俺に向かって言う。


「山田、鼻血 出すなよ」

「ぇ……えっ? 何?」

「礼、スッゴい可愛いから」


 あらー、楽しみ。

 背後に、駐車を終えて俺達に追いついた姉ちゃんの声がした。


「お邪魔します」


 俺、よくよく思い返すと武瑠や心の家以外、あまりお伺いしたことが無い。

 ましてや女子のお宅へお邪魔するのは初めてだ。

 これを緊張と呼ばずして何と……。と躊躇ってる傍から、普段と変わらない行動力の皆様が羨ましい……。


「山田くん?」


 ……ああっ! 礼ちゃん!!


「うわー、スゴい! 持って来てもらうだけでも、大変だったよね?」


 履いているモコモコのスリッパをパタパタと鳴らし、奥の部屋から出て来た礼ちゃんが近づいてくる。

 あー、ヤバい! 俺! 本気で! 鼻血出るかもしれない……。


 女子の私服姿なんて小学生の時以来。

(あ、さっきの妹尾さんはよく見てなかった)

 肩くらいまでの髪を、いつもはそのままサラサラにしてるのに、今日は頭のてっぺんでまん丸にしてるし。

 後れ毛、だったっけ? 所々、フワフワしてる髪も可愛い。

 あー、顔 ちっちゃいな。顎までちっちゃい。

 濃い緋のワンピースは、素材は分からないけどこれまたフワフワで、白いファーのベストまで、もう、礼ちゃん自体がフワフワしてる。

 ……可愛い、以外の語彙力と表現力を身につけよう。何か、勿体無い。


「……えーっと、このまま持って入って良い?」

「あのー。ごめんなさい、これ」


 そう遠慮がちに言った礼ちゃんが手元でヒラヒラさせているのは、サンタクロースの帽子。

 あれね、ピザ屋さんがこの時期、よく被ってるやつね。


「被ってもらっても、良いでしょうか?」


 本当に申し訳なさそうに訊いてくるもんだから、ちょっと吹き出してしまった。

 俺、基本的に礼ちゃんからのお願いは何でもオッケーですけど。まぁ、礼ちゃんはそんなこと露知らずだもんな。

 だから。

 俺が吹き出した理由が分からずに、ん? と訝しむ表情も可愛いんだってば。


「良いよ。山田サンタだからね、今日」


 未だブーツを履いたままで、両手が塞がっていた俺は、ダンボール電車を玄関の何処に一旦置こうかと視線をさ迷わせた。

 だから気づくのが遅れた。

 すうっと近づいて来た礼ちゃんは、上がり框に段差があるせいで、俺より若干 視線が高くて。そのまま、帽子を、スッポリと被せられた。

 礼ちゃんのちっちゃな手が、俺の両の耳辺りにあるという……至極幸せなシチュエーション。

 ……近い。礼ちゃんの顔が、物凄く。

 ヤバいって! 耳がもう! 熱いのか紅いのか分からないって! 息が、変に熱い息が、礼ちゃんの顔にかかるかも!

 しかも礼ちゃん、被せた帽子の向きが気になったのか、俺の頭を触ってくるし。

 向き、がね、気になったのは、そこなんだろうね。

 だって、礼ちゃんの視線は帽子を凝視。別に俺が見つめられてる訳でもないのに。

 俺は、視線をほんの少しも上げることが出来なかった。

 ……上げたら。上げた先には。唇、とか、あるし。きっと。本当に鼻血出るかもしれない……。


「綺麗な人は、何でも似合っちゃうのね。感心しちゃう」


 満足気に俺を見つめる礼ちゃん。

 先にたち、こっちです、と皆が集合しているであろう部屋の入口を指す。

 ……あー、もう、本当に! この人は!


「……なんて罪作りな……」


 俺はフラフラと、礼ちゃんに釣られるように後を付いて行く。


「……あ。靴」


 脱がなくちゃ。

 もう、俺。のっけからダメダメだ。

 礼ちゃんの背を追って部屋へ入ると、皆もサンタクロースの帽子を被って待っていた。シュール。


「トモ、サンタクロースのお兄ちゃんからプレゼントがあります!」


 トモ、と礼ちゃんが呼びかけた先には、大きく黒目がちな瞳が礼ちゃんそっくりの男の子。

 マンガなら間違いなく、ワクワクという擬態語が散りばめられてるね、今のキミには。

 背後から取り出したダンボール電車。

 俺は手早く折り畳みを拡げると、トモくんへ、はい、と差し出した。


「メリークリスマス、トモくん」


 うっわー! すごーぉぉぉいっ!!

 トモくんの感嘆だけでなく、理人と学人のそれも混ざる。


「トモ、サンタクロースのお兄ちゃんへ、なんて言うのかな?」

「ありがとござます」

「いえいえ、どういたしまして」


 ニッコリと向けられた満面の笑みは無邪気であどけなく、スゴいスゴいと繰り返される言葉は、きっと少ないボキャブラリーの中から選んだ、最高級な賛辞なのだろう。

 ちょっと、小躍り? してるし。

 可愛いな。礼ちゃんの弟、って要素を抜きにしても。

 使い方とか教えなくても、遊べちゃうんだよね、子どもって。

 リーとガクも去年よりお兄ちゃんになっていて、これはあくまでトモくんの物だと理解しているらしい。

 仲良く順番待ちをして、運転席へ交互に座っている。


「神威、去年より力作ー」

「流石に気持ちの入れ様が違うな」

「やるじゃん、山田」


 妹尾さんからまでもお褒めの言葉を頂けるとは、思わなかったよ。

 俺は正直なところ、3歳男児のハートはガッチリ掴めると思ってた。去年の実績もあるし。

 だから、どうしても、どちらかと言うと礼ちゃんの反応が気になって視界の隅に常に礼ちゃんの姿を探していた。

 電話で話した時、少しだけ言い淀んだ弟の話題。

 あの微妙な間が、何だったのか。俺はまだ、その理由を知らない。


「おにいちゃん、なんでトモくんのおねがい、しってた?」

「うーん、と。トモくんのお姉ちゃんが、サンタさんへ一生懸命 お願いしてたから」

「れいちゃん? れいちゃん、なんでトモくんのおねがい、しってた?」

「トモくんを大好きだからでしょ」

「トモくんもね、れいちゃん だーいすき!」


 そんな会話をしていた時だった。

 キッチンに立って、皆のコップや取り皿を用意してくれていた礼ちゃんは、急に動きを止め、きつく眉根に皺を寄せ、下唇を噛む様な仕草を見せた。


 ――泣くのを我慢しているような。


 そのままフイ、とリビングから出て行く。……え。え?

 やっぱり、泣いてる?

 床に座っていた俺は立ち上がり、礼ちゃんの後ろ姿を見失ってはいけないと、つんのめるように咄嗟の一歩を踏み出す。

 その背後で、電車の運転に忙しい子ども以外の視線が、皆一様に満足感を湛えながら見合っていたことなど、俺は知らなかった。

 素早く反応したつもりだったのに、廊下へ出ると、礼ちゃんの姿はそこに無い。

 でも、代わりに。突き当たりのドアがほんの少し開いていて、ここだよ、と教えてくれる。

 キ、と微かな音を立て、押し開かれたドアの向こうにはウッドデッキが広がっており、その片隅に礼ちゃんを隠そうとしていた。


「れ……御子柴さん?」

「………」

「拒絶、されてないよね?」


 誰も、答えてくれないけど。

 俺はゆっくりと近づき、膝を抱え込んで座っている礼ちゃんと同じ格好をする。

 頭を膝へ、のめり込むほどにつけている礼ちゃんの表情は、全く見えない。

 グスッ、と聞こえた鼻を啜る音と、小刻みに震える肩が、泣いているんだと推定するに余りある。

 背中、ポンポン? いやー、難易度が高すぎる。

 頭、なでなで? まん丸お団子しか見えてないし。

 でも、どこか。本当にほんのちょっとで良い。

 触れて、そこから、俺の気持ちが礼ちゃんへ伝わって欲しいと切に願う。


 どうしたの? なんで泣いてるの? 心配だよ、礼ちゃん。


 結局、見つけた接点は、礼ちゃんの指の先。

 交差した腕が、膝と頭を抱き締める様に座り込んでいるから、見えている部分は僅かなんだけど。

 ……いや、ここも難易度たっかいな。

 俺は、震えるな、と自身の右手各指に言い聞かせ、礼ちゃんのちっちゃな指に触れた。

 ビクッ、というのか、ピクリ、というのか、反応した礼ちゃんから指を振り払われる事は無かったけれど。

 一瞬安堵していたら、礼ちゃんの頭がグルリと俺の方を向いてビックリした。

 どうして? と掠れた声で聞いてくる。

 尻もちつかなくて良かった、と思考を逸らしながら、どうして、って何? と訊いてみる。

 赤い瞳が、じっと見つめてくるから、落ち着かない。


「……どうして、ここに、いるの?」


 あ、良かった。そっちね。

 どうしてこんなことするの? って咎められなくて良かった。


「心配だった。気になった。喜んでもらえなかったかと思った」


 口に出すどの言葉も、正しい答えじゃないことを、俺はもう、解ってしまった。

 好きだから。

 礼ちゃんを好きだから、ここに、いたいと思ったんだよね。

 優しく摘まむ様に触れた指先から、礼ちゃんの細胞に刷り込まれてしまえばいいのに。


「……ごめんなさい……」



 礼ちゃんは一旦視線を逸らし、ハーッ、と大きく息を吐き出すと、座り込んでいる俺の正面に向き直った。

 指先は。というか、指が。礼ちゃんの両の掌に持ってかれてる……。

 拝まれているように、包み込まれてる!

 あー、今、俺が、どうして? って訊きたいよ!


「弟……智、はね。お父さんが、違うの」


 私のお父さんと結婚した後も、お母さんにはつき合ってた人がいて。

 相手にも家庭があって、いわゆるダブル不倫という、ね。


 ポツリポツリと言葉を紡ぐ礼ちゃんの姿は、とても頼り無げに見えた。

 ニコニコ顔の礼ちゃんが、そりゃ良いに決まってるけど。きっと、何かを打ち明けようとしてくれている。それは、特別な、何か。


「智のお父さんは、不倫のお相手。先に離婚したお母さんが、相手にも離婚を迫るために、きっと計算ずくで妊娠したのよ」


 計算ずく……?

 俺の疑問は表情に出ていたのだろう。礼ちゃんは、ちょっと困ったように眉尻を下げると茶化す様に言う。


「山田くん。その日が安全日なのか排卵日なのかなんて、女の子にしか分からないんだから。場に流されて、信じちゃダメ」


 薬物反対ポスターみたいなノリで、仰々しく言うもんだから、俺の口元は緩んでしまった。


「御子柴さんは、そんなことしないでしょ」

「……したくない。お母さんみたいに、なりたくないの」

「じゃあ、俺 大丈夫」

「……え」

「で、修羅場になったの?」


 今は、まだ。良いから。俺の本音に、気づかないで。

 伏し目がちにそう思いながら、俺は礼ちゃんへ話を進めるように促した。


「修羅場も修羅場。中学生には、かなりのトラウマ」


 相手の奥さんが家まで来て。確か赤ちゃんを抱っこしてて。鬼の形相って、あれなんだ、って。お母さんだけが一人、しゃあしゃあとしてて。慰謝料も養育費も手に入れて。

 でも、前に住んでたとこにはいられなくなって。ここに引っ越して、智が産まれて。

 お母さんはまたすぐ、働きに出て。あの人はずっと、女なの。

 お母さんでも、妻でもなく。色恋にのめり込む、生々しい女。私が、智のお母さん代わり。

 そう、一気に吐き出す様に話し終えると、礼ちゃんは俯いて、でも、と続けた。


「私は、酷い、お母さんなの」

「……どうして? クリスマスプレゼントを一生懸命考えてあげるのは、酷いお母さんがすることじゃないよね?」

「……あんなに、真っ直ぐに、大好き、って。言ってもらえる資格は無い。義務、だもん。もしくは、惰性。あの、修羅場を思い出させる智を。本当に、好きなのか、分からない」


 それに、私は山田くんの申し出を利用したし。そんな、女々しい自分も嫌。

 苦しそうにゆっくりそう言うと、礼ちゃんはますます俯いてしまった。


「利用、ってことは無いでしょ。元々、こっちが強引に言い出したんだよ」


 俯いて項垂れた礼ちゃんの頭は、俺の左手を少し伸ばせば届く位置にある。

 ……なでなで、してみる? しとく?

 考え過ぎて動けない俺は、現場適応力に欠けてます……。


「簡単に作れるプレゼントじゃない、売ってもないし、どうしよう、って。好きでもない相手に、そこまで一生懸命 考えないでしょ。義務や惰性だけで、子どものお世話は出来ないと思うよ。俺は、心の弟達が産まれた時から関わってるけど、可愛いな、とか…関心や感情や興味が無いと、やっぱり無理じゃない?」

「山田くん……」


 ゆっくり顔を上げた礼ちゃんは、涙の痕が目元や頬についていて、鼻も赤くて、まぁ、何しても可愛いんだけど。


「……トナカイみたい」

「……ひどい」

「ごめん。でも笑ってくれて良かった」


 ニッコリ。

 紛れもなく今、目の前でゆるりと広がる満面の笑みは、俺だけに向けられてるよね。

 ……キス、したいなー。って、思ったりしても、許されるよね?!

 健康な17歳 青少年なんだからさ!

 礼ちゃんは、自身で包み込んだ俺の右手に改めて気づいた様子で、ごめんなさい、と慌てて手離した。

 ……良かったんですよ、ずっとこのままでも。


 礼ちゃんの頬がほんのり紅く染まって、それが繋がってた手のせいなのか、俺の前で泣いたせいなのか、分からなかったけど。どうでも良かった。そんなこと。


「戻ろうよ、皆のとこ」


 コクリと頷く礼ちゃん。


「山田くん、ありがとう。私、あんまりこんな話、したことなくて。何と言うか……」

「何?」

「ちょっと、スッキリ。した?」

「ぶ。俺に訊かれても分かりません」


 でも。と続ける。見せるんだ、男子力。


「ちゃんと、聴くから。御子柴さんの話は、ちゃんと、聴く。だから、また、話して? 苦しくなったら」

「あ、え、えーっと、山田くん……」


 礼ちゃんは、ちょっとビックリした様に慌てて立ち上がる。俺もつられて、はい、と立ち上がる。


「ありがとう、あの……でも」


 何? やっぱり、付け焼き刃の男子力なんてボロが出た?


「誰にでも、言ってるのかな? そんなこと」

「誰にでも、言ってませんよ、こんなこと」


 図らずも五・七・五のリズムに、お互い吹き出してしまった。


「山田くんって、不思議。話しやすい、というか、安心感、というか。私、万葉にもここまでは」

「お褒めに与り光栄です」

「……苦しくなくても、話して良い?」

「良いよ。あ、でも」

「でも?」

「……恋愛相談は、ダメ」


 礼ちゃんは、ブフッ、と口元へ拳を当てて笑うと、了解しました、と大きく頷いた。

 俺の背中に隠れるようにして、礼ちゃんはリビングへ入り、続きのキッチンでまたランチの準備に取りかかる。


「カムイー、どこ行ってた?」

「遊んでよー!」

「俺、人気者だね」

「だって兄ちゃん達、しゃべってばっかなんだもん!」


 ……何だろうか、この男女4人組から漂う威圧感は。額を寄せ合う様にして、物々しく語り合ってるね。

 チビッ子には、口出し出来ない雰囲気だな。と、思っていたら、姉ちゃんの鋭い視線に捕らえられる。


「神威、ちゃんと話 聴いてあげたんでしょうね?」


 低い声でキッチンを憚りながら訊いてくる姉ちゃんへ、リーとガクに手を引かれながら、出来る限り、と俺は答えた。


「どんな話 した?」


 妹尾さんも姉ちゃんと同じ様に訊いてくる。やっぱり、この二人 似てる。


「……トモくんのこと、とか」


 この情報って、どこまで誰と共有して良いんだろう。

 礼ちゃんの口から発されたのは、俺に対してであって、いくら姉ちゃんや友達であっても、守秘義務は遵守したい。

 明らかに言い淀んだ俺へ、妹尾さんはキラリと瞳の奥を光らせる。

 リーと両手を繋ぎ、逆上がりをクルリとさせながらでも、分かるぞ。

 ただ、その色が、怒りなのか憎しみなのか、はたまた驚きなのかは、図りかねるけど。

「なに山田、あんた “心を開かせる話術講座” にでも通ってんの?」

「え。どこであってんの、それ」

「だから! 冗談だってば! バッ…」


 バカじゃないの、という言葉は、背後に控える姉ちゃんへ配慮して呑み込まれた。

 ……俺への配慮じゃないところが、妹尾さんらしい。

 ガクに背中をよじ登られながら、俺は苦笑した。


「神威ってね、たぶん愛されキャラなんだよ」


 武瑠が妹尾さんへ解説している。

 心もその隣でうんうん、と頷き、小5の時、と話し始める。


「俺達は初めて同じクラスになったけど。神威の周りには自然と人が集まってたな。ま、見た目の綺麗さに興味を持たれるせいもあるだろうが」

「そうそう! オレは自分から話しかけて輪の中に入ろうとするタイプで。心は独りでも平気。でも独りでいる子を放っとけないのが、神威」


 俺がカムイ、カムイとトモくんまで含めたチビッ子軍団から揉みくちゃにされる傍らで、皆 何だか楽しそうじゃないか。


「出来ましたよー、テーブルへどうぞ!」


 礼ちゃんの柔らかな声が優しく響いて、皆 不思議と一斉にテーブルへ集まる。


「うっわ、スゴい!」


 並べられたご馳走の数々。まさにクリスマスパーティーに相応しい豪華さ!

 あれ! なんだっけ、七面鳥、だっけ? あれ いるぞ! ケーキもホールであるし!


「礼が作ったのは、何でも美味いよ」


 妹尾さんは、経験済みなんだろう、礼ちゃんの手料理を自慢気に語っている。


「高2男子三人分の食欲が分からなくて。作り過ぎたかも」


 大丈夫、残さずいただきます。

 俺達は、乾杯の後、奪い合う様に皿を片づけていく。

 呆気にとられていた礼ちゃんだったけど、トモくんの隣で嬉しそうに笑っていたから、引かれてないよね?



「ミコちゃん、美味しかった! ごちそうさまでした!」

「御子柴、料理 上手いんだな」


 流石に後片づけくらい、という事で、各自 皿をシンクへ持って行ってるとこですが。

 何故、俺が言いたいことを先に言っちゃうんだ! 二人共!


「御子柴さん。あの」

「はい、何?」

「準備、これだけ準備するの、大変だったよね? ありがとう、ございました」


 え。と食器を洗う泡だらけの手を止め瞳を見開いて、礼ちゃんが固まっている。

 あれ、俺、何か見当違いなこと言った?


「あ、全部 美味しかったです、物凄く」

「……良かった。見てたら、そう思ってくれてるような気がしたけど。自惚れだと嫌だな、って」


 あ、また。

 見てた、って。礼ちゃん、俺の方こそ自惚れそう。


「それに、今まで……お料理作ってそんなにきちんと感謝されたことって、あったかな、って。ビックリした。主婦の喜び、みたいな」

「ぶ。何、それ」

「え、伝わらないかな。日常の当然のことを当然と流されないのって」

「嬉しいよね、分かるよ。でも、御子柴さんが俺を助けてくれたのは、当然のことだろうけど、全くもって流せないから」

「もう、充分。お礼はしていただいたよ?」


 ありがとうね。

 そう言って、礼ちゃんの手は再び食器を洗い始めた。



「いーやーだー、まだカムイとあそびたいー!」


 俺は思いの外、トモくんに愛されたらしく、帰ろうとする背中にひしとしがみつかれ、なかなか離れてくれない。

 可愛いな。でも、困った。

 安易に、また遊ぼうね、という約束をして良いものか。

 礼ちゃんの介在抜きに、トモくんとの再会は考えられない。

 礼ちゃんとの関係性の進展を願えばこそ、この無邪気さを利用する様な真似はしたくないし。


「またあそべばいいじゃん!」

「そーだよ、兄ちゃんにつれてきてもらうからさ!」


 真っ直ぐで良いな、チビッ子よ。お兄さんはいろいろ考え込んでるってーのに。


「御子柴、コイツらがまた遊びに来ても問題無いか?」


 心が両脇に理人と学人を並べ、頭をワシワシしながら礼ちゃんへ尋ねる。


「うん、弓削くんさえ良ければ大歓迎。この辺り、同じくらいの歳の子ってあまりいなくて。……親戚づきあいも、無いので」


 うわ。心、スゴい。サラリと “次回“ を取り付けたよ。


「ミコちゃん。ということはー、もれなくオマケもくっついてくるから」

「山田くん、も、だよね?」


 虫の様にベッタリと俺の背中に張りついているトモくんをひっぺがしながら、礼ちゃんは俺の顔を覗き込んで言う。

 ショートブーツを履こうと座り込んでいた俺と。跪いている礼ちゃんと、視線の高さが同じ位で。

 ……いやもう、顔が近くて、ビックリした。倒れそう。

 なんとかコクコクと不器用に頷くことしか出来なかったけど、勘弁して。

 山田くん、また遊びに来てくれるって。

 トモくんと2人して本当に嬉しそうに笑ってくれるもんだから、自惚れないように自分に言い聞かせるだけで精一杯なんだよ。


「じゃあ、御子柴さん。今日は本当に、大勢でお邪魔しました」


 姉ちゃんが最後くらいは、と卒業生代表並のきちんとした挨拶で場を締める。


「いえ、こちらこそ。無茶なお願いをしたのに、あんなに素敵なプレゼントをいただいて。本当にありがとうございました!」


 立ち上がり、腰を折って120度の角度では、と恐縮する程にお礼を言ってくれる礼ちゃん。

 と思っていたら、あっと弾かれた様にリビングへと踵を返し、また俺達の前へ舞い戻る。


「これ、良かったら…あの、本当に、良かったら、という」


 礼ちゃんの意図不明な動きを目で追うのに一生懸命だった俺は、突然差し出された眼前の紙袋を呆然と眺めるだけだった。

 え、何、それ? ミコちゃん。

 武瑠の声で、やっと俺の両手が反応する。


「あ、え。あの、ありがとう。というか、何?」

「ニットキャップ、なのですが。あ、これ、吉居くんと、弓削くんにも」

「えー! オレ達にも?!」


 手伝ってくれたんでしょう?

 心と武瑠へ、そう言葉を向けると、本当にありがとうございました、とまた繰り返す。


「それ、礼の手作りだからね」


 礼ちゃんの背後でトモくんとじゃれながら、妹尾さんがサラリと説明をくれた。

 ……手作り。え、手作り?!


「……スゴい」


 カサ、と紙袋から取り出してみたそれは、濃紺にグレーと白黒が若干混じった毛糸の自然な模様がお洒落さを増幅させているようで。

 礼ちゃんのちっちゃな手が編んでくれたんだと思うと、いや、武瑠と心へも、というのは正直、複雑な心境だけど。

 ……頬ずりしたいです、これに。


「……う、わー、ありがとう! というより、逆に気を遣わせて、」


 俺の感激は礼ちゃんの右手に遮られた。

 ブンブン振りながら、違うの、と困惑気味に何事か弁明し始める。


「……男性ものを買いに行く勇気が無かっただけで。手作りって扱い方に困るでしょう? 要らなかったら別に、」

「要る! 家宝にする!」

「てか、欲しい!」

「困らないぞ、御子柴」


 俺達の野太い三重奏にニッコリ笑った礼ちゃんを確認。

 ……何だろう、この子。良い子、って、だけじゃなく。あー、もう、本当に、可愛い……。


「でも、申し訳ありません。お姉さんの分が、間に合わなくて」


 姉ちゃんへ向き直り、眉根を寄せている。

 良いのに、そこは。姉ちゃん、別に手伝ってないから。口出ししてただけだから。


「私のことはお気遣いなく。それより、私の方が御子柴さんへ渡したい物があるのよ」


 何でしょうか、と躊躇いがちに問う礼ちゃんへ、ズイッと差し出された手提げ袋。


「神威からだと受け取ってもらえないでしょ? 私と、うちの両親から」


 いつの間に用意してくれていたのか。半ば強制的に押し付けられた礼ちゃんが袋の中から取り出したのは、新品のハンカチとタオルらしい。

 俺が鼻血で汚しちゃったからね。

 それから、学校指定のベージュのカーディガン……?


「これは……?」

「私のなんだけど、一度も着てないの。紺色ばっかり着てたから。それも汚しちゃったでしょ」


 礼ちゃんは驚いた様子で、気づかれてたんですか、と洩らした。


「後から思い返すと、そうかな、って。腕まくりしてたでしょ、寒いのに。あれは、付いた血痕を隠すため。でも自信無かったから、とりあえず今日、渡そうと」


 姉ちゃん、と俺は口を挟む。


「俺、知らない。そんなこと」

「そりゃ言ってないから」

「いや、言ってよ。れ……御子柴さんに申し訳ない」


 言い合う俺達へ、山田くん、と困った様な声がかかった。


「良いの、私は。申し訳ないなんて思わないで。それより、私がお姉さんに」

「あ、申し訳ないなんて、思っちゃった?」


 ……あれ?

 姉ちゃんの、この口調。ちょっと笑いを含んだ様な。悪戯する前の、クフフ、って感じが響きに混じってる……よね?

 礼ちゃんは、と言えば、すっかり姉ちゃんのペースにハマった感じ。

 操られる様に、コクコクと頷いている。


「そっかぁ。じゃあねぇ」


 や、何が、じゃあねぇ、なの?! ちょっと邪悪すぎるよ、その笑顔!


「初詣、行きましょう、皆で」

「え。は、つもうで……ですか?」

「そう。皆でね、楽しいよ! それでチャラということに」


 何がチャラなんだ、姉ちゃん!

 いろいろ解せないし言いたいことがあるんだけど、さっきから姉ちゃんのヒールの踵が、やっと履いた俺のブーツの爪先を踏みつけている。

 痛い、地味に。

 ……余計な口挟むなよ神威? ってこと?


「あ、はい。そんなことで良ければ」

「じゃあ、決まり! また神威に連絡させるから」


 ……あ。そうか。姉ちゃんも “次回” を取り付けてくれたんだ!


「はい、じゃあ、今日はお開き! 良いお年をー!」


 サバサバとそう言い残し、満足そうな表情で姉ちゃんが真っ先に玄関を出て行く。


 じゃね、ミコちゃん。

 またねー、ミコちゃん。

 武瑠と双子、心の無言の挨拶もそれに次ぎ、残るは俺のみ。


「 ……お邪魔しました」

「山田くん?」


 え、ここでそれ?! 俺、帰り方忘れそう……。

 はい、何?

 よろめきそうな俺自身を奮い立たせ、玄関で礼ちゃんと向かい合う。


「あの。嫌だったら言ってね」

「言わない。何?」

「……神威くん、と。呼ばせてもらっても良いでしょうか?」


 とっても素敵な名前だから。

 大きな瞳をゆるりと細めて柔らかく笑ってる礼ちゃん。

 嫌だなんて言う訳ないでしょ。

 山田くん? も好きなんだけど。神威くん、も、良い。

 胸の奥の方から、ザワザワと何かが込み上げてくる。

 このまま玄関飛び出して、もう、ワーッて。辺りを走り回りたいくらい。


「はい、どうぞ」


 俺もちゃんと満面の笑みを返せてる? ニヤニヤしてないよね?


「あ、私、大抵 ミコちゃん、と呼ばれてまして」

「……礼ちゃん、が良いんですけど。嫌だったら言って」


 キョトン、と書かれていた顔が、パ、っと明るくなって、礼ちゃんは、ふふ、と笑った。

 視界の隅には妹尾さんの顔があり、こちらは成り行きを面白そうに見守っている、好奇の表情。


「嫌じゃないよ」

「……良かった」

「仲良し、な感じ。嬉しい」


 仲良し、って。嬉しい、って! いや、俺がね! 俺もだよ!

 妹尾さんとかトモくんとか、壁とか床とか、背景がぶっ飛んで。

 笑ってる礼ちゃんだけ、妙に浮かび上がってて……。


 遅いよ、神威!

 姉ちゃんが呼びに来なければ、俺は瀕死だった、きっと。

 引きずられる様に連れて行かれた車内には、呆れ顔の心と武瑠が待ちくたびれておられた。すみません。


「なーに長々と挨拶してたの?」

「顔、気持ち悪いぞ」


 ……気持ち悪い、って。うん、まぁ、そうだろう。ニヤけてるよ、きっと。何と言われても気にしない。

 礼ちゃん、って、呼んで良いんだー! あー、何だか! 脳内妄想と一致して嬉しいやら、特別感 漂って嬉しいやら、嬉しいずくめだな!


「最優秀主演女優賞は、私よね?」


 車を走らせながら、鼻唄まじりで有無を言わさぬ問いかけをする姉ちゃん。 それ、俺に対して? だよね?


「あ、うん。ありがと。というか、皆様、ご協力いただいて、ありがとうございました」


 ペコリと頭を下げる。

 うんうん、と助手席から俺や心が座る後部座席へ顔を向け、ニコニコと微笑むのは武瑠。


「美琴だけじゃないよねー、頑張ったの。皆 ナイスアシストだよ」

「そうだな。煩いかと思ったが、結果 コイツらも連れて来て良かったし」


 コイツら、とは最後部のチャイルドシートに収まる2つのそっくり寝顔。はしゃいでたもんな、そりゃ疲れて爆睡だわ。


「御子柴、やっぱり良い子だったな」


 手にした紙袋をちょっと掲げ、心は俺へ優しい視線を送ってくる。

 良い子、って。心、同い年なのに、お父さんか、っての。

 でも、嬉しい。心や武瑠が(まぁ、姉ちゃんも……入れておこう)礼ちゃんを褒めてくれるのは。


「でも、アレだったねー、ミコちゃん。無意識な小悪魔だったー。美琴が言いたいこと分かったよ」

「そうだ、妹尾さんと4人で、なに話してたん? 俺、チビッ子のお相手で聞いてなかった」


 何って、と武瑠がニットキャップを被りながら話し出す。

 武瑠のは、薄いグレー。どこかで眺めた覚えのある薄茶色の髪とのコントラスト。よく似合ってる。


「ミコちゃん家の複雑な事情。たぶん、神威がミコちゃん本人から聞いた話と、大差無い、と思う」

「……そっか」

「あとね、何故にミコちゃんは無意識小悪魔か、って話」

「何故に? そこ、何か理由があるの?」


 理由、というより背景、かな。

 心が腕組みしながら話に入ってくる。


「俺もそうだろうが、小さな子どもの世話を日常的にしていると、たとえ親じゃなくとも父性や母性が育まれていくと思う」

 

 うん、それは心を見ていると分かる気がするな。


「御子柴は、恋愛体質じゃない。むしろ母親を見てきたから、色恋沙汰へは苦手意識があるだろう? でも、異性に触ったり近づいたり話したり、にはさほど抵抗が無いらしい。それは、母性本能に近いものだと思う。そのせいで勘違いする男も多いらしいが」

「……えー」


 ……俺も? 俺に対しても?

 触れられたり、近づかれたり、話したり。母ちゃんが息子に接するみたいな心情だったのかな。俺だけが一人ドキドキして、熱くなって、自惚れそうになって、勘違い……してたのかな。


「あ、でもね、神威に対しては、今までと少し違うと思う、って。万葉ちゃんがビックリしてた」


 俺の曇った表情を見てとったのか、武瑠が安心させるように言ってくる。

 ……や。え?! ま、万葉ちゃん、って!


「武瑠……いつの間に妹尾さんとそんなに仲良く」

「ん? 下の名前で呼ぶと親近感 湧くよねー。万葉ちゃん、サバサバしてて面白いじゃん」

「………」

「神威?」

「……神威くん、って。呼んでいいか、って」

「ミコちゃんが? 神威が言い出したんじゃなくて?」


 俺はもう、どんな表情をするのが正解か分からない。

 ニヤけたくもある。でもそれは性急すぎる気もする。

 だって、それも母性本能に拠る発言かもしれないんだよね?

 頷く俺を確認すると、武瑠は、ほぇー、っと奇妙な声を上げる。


「神威は? 妄想通り礼ちゃん、って呼ぶの?」

「……呼んでいいって」


 また、ほぇー、っと奇声を発する武瑠。

 考え込んでいる心。

 うーん、と溜め息を吐きながら、ハンドルを指でトントン叩いている姉ちゃん。信号待ちから発進すると、口を開いた。


「心はさ、この後もリーとガクのお世話係なの?」

「いや、もう、家にはお袋が帰ってるはずだから」

「じゃあ、心の家経由、ファミレス行き決定。第2回 男子力向上委員会緊急開催!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る