恋する男子力

Lyra

恋のはじまり

「……っ、くしゅんっ!」


 静粛なる図書室での大きなクシャミは、周囲の冷ややかな視線を集めてしまった。

 やば。風邪かな。インフル? 背筋がゾクゾクするし発熱前兆だ。


「大丈夫かー、神威?」

「んー。大丈夫くない、かも。武瑠、ちょい早く写して」

「オッケ。あと2分待って」


 あ、意識し始めると本当にヤバい。

 昨日、髪を乾かさずに寝たのがまずかったかも。歩いて帰れるかな、姉ちゃん、迎えに来てくれるかな。


「よっし! 神威、ノート、サンキューな」

「おー」


 部活へ急ぐ武瑠の背中を見送る。

 俺も早く帰ろう、ちゃんと動けるうちに。何せ俺は、熱に弱い。


「へ、……っくしゅっ!」


 んー。鼻水出たかも。

 貸出カウンターの前を過ぎ、出入口へ向かおうとした時だった。


「あ!  待って!」


 声の主も、声をかけられた対象が俺だということも分からなかった。ズボンのポケットへ突っ込んだ右手の袖を軽く摘ままれるまで。


「あの、ちょっと、こっち」


 目線をだいぶ下げた所から聞こえた、小さく柔らかな声に驚いた。

 おわ。女子だ。

 こっち、と再度、誘導される。

 貸出カウンターの中、ここに座って、と指されたパイプ椅子。その子は、スカートのポケットから取り出したハンカチを、いきなり俺の鼻の付け根へ押し当てた。


「なっ、なに…」

「鼻血、出てるから」


 手元を見ればみるみる血液を吸い込んで、ハンカチの柄はムンクの叫びみたいになっていく。

 クシャミして鼻血、って。恥ずかしいと思う気持ちより先に慌ててしまい、上を向こうとした俺へ、待って! という、その子。


「上向いたら、気管に血液が流れちゃう。下向いてた方が良いよ」


 おばあちゃんの知恵袋、的な?

 ありがと、と短く言うと、冷やした方が良いんだけどな、と追加の知恵を与えてくれる。


 あー。ボーッとしてきた。寒いし。背中が落ち着かなくて痛いし。家 帰って眠りたい。ボンヤリとした思考は、鼻の付け根に当てられた、冷たいタオルで遮られた。ほんのちょっと触れた女子の手が、小さくて冷たくて柔らかくて。って、オイ。俺、しっかりして。


「……熱があるね?  大丈夫?」

「んー。ちょっと、ヤバい、かも」


 いや、本当に。膝もガクガクしてきたし、上下の歯が噛み合わなくなってきた。俺の声は、震えているに違いない。


「……山田くん? 先生 呼んでくるから待ってて」


 この子、なんで俺の名前 知ってんだ? まぁ、山田なんてありふれた名前だけど。それより、この女子は一体…、フワリと肩へ何かが掛けられる。カーディガン? 女子の?


“ミコちゃん、どこ行くのー?”

 そんな声が遠くに聞こえて。俺の意識は、そこで途切れた。



 ***



 途切れた意識が繋がったのは、見慣れた天井が目に入ってから。

 時計を見ると約3時間経過。空白の時は記憶に無い分、恐ろしい。粗相はしてない、と信じたい。


「神威? 起きてる?」


 コンコン、と部屋のドアをノックする音に続いて、姉ちゃんの声がした。


「おー、」


 尋常ならざる掠れた声を発する俺は、なにがしかの病気に違いない。


「風邪だってさ。扁桃腺からの熱。お粥、作ったから食べて、薬 飲みなよ」


 うちは両親共働きであるため、小さい頃から2歳上の姉が、何かと世話をやいてくれる。


「……姉ちゃん。俺、どうやって帰って来た?」

「担任の葛西先生、だっけ? 病院連れてってくれて、あんたを担いでやって来たわよ」


 ……そうか。いや。あれ?

 何か。肝心な点が抜けている。


「すんごい可愛い子も一緒にいたけど」


 すんごい可愛い…、可愛いかった。手が、ね。ちっちゃくて柔らかくて。

 なんか朦朧としてたもんな、俺。顔、よく見てなかった。

 あ、名前すら知らない。ミコちゃん、だったっけ。

 お礼、言わないと。


「齢17にして、やっと出来た?」

「……何が」

「カノジョ」


 ボッ、と耳元で音が鳴る。顔が火照った。いや、熱が急に上がった。


「バッ、か、彼女って! そ、んな訳っ、」

「ないよねー。うん。冗談」


 冗談、って。病人をからかうな!

 俺のじと目を気にも留めず、姉ちゃんは、お粥と薬と水が入ったコップを乗せたトレーをベッド脇のローテーブルに置くと、ん、と体温計を差し出す。


「熱まだ高かったら、座薬」

「……勘弁して」



 モソモソとお粥を食べ、薬を飲むと、着替えを手早く済ませ横になった。

 程なくして、睡魔が襲ってくる。


 可愛かった…? すんごい可愛いかった、のか。

 俺、あんまり女子と関わらないからなぁ。

 男三人でいっつもツルんでるから近寄りがたいらしいし、可愛い、にピンとこない。

 ただ、良い子には違いない、今考えると。キャー鼻血、って騒ぎ立てると、俺が余計に恥ずかしい思いをするのでは、という配慮に基づいたであろうあの子の行動。ハンカチ貸してくれたし。あ、タオルも。上着も、だ。ハンカチに、血つけたよなぁ。


 どうしたら、良いんだろ? こんな場合のお礼、って。

 姉ちゃんに聞くか。睡魔と闘いながら、俺はボンヤリ考えていた。



 ***



 次に目を覚ました時は、母ちゃんの心配そうな顔が傍にあった。


「具合、どう?」

「……んー、だいぶ、マシ」


 朝8時。

 昨日より声は出るし、節々の痛みもない。熱が引いた後、独特の倦怠感くらい。半日近く寝たダルさかもしれない。


「汗 かいてるし着替えない? ご飯、食べれそう?」


 俺はノロノロと起き上がり、ん、と答えた。

 なんで母ちゃんが家にいるのか…、そうか、今日は土曜日だ。公務員は基本休みだな。ということは、父ちゃんもいる。この思考回路が動作するまで10秒くらいかかった。やっぱ、本調子じゃない。


「ご飯、食べられそうなら大丈夫ね! 食欲無くなった神威なんて、死んじゃうかと思うわー」


 ケタケタ笑いながら部屋を出て行く母ちゃんの背中を見送りながら、俺は変わらずノロノロと着替えを始めた。

 首をグキグキと鳴らしつつ、ゆっくり階段を降りて行く途中、リビングから姉ちゃんの声が聞こえる。


『あの子は良いと思う』『でも、神威には無理だなー』とか何とか。


「何が、無理? 俺に」


 ダイニングテーブルに並んだ父ちゃんと姉ちゃんが、そのそっくりな顔を俺に向ける。

 俺は母ちゃん似だとよく言われるけど、この二人、歳重ねるにつれ、ますます似てきたな。


「全快か?」

「ボチボチ。土日寝てれば全快しそう」


 向かい側の椅子に座りながら、で、何? ともう一度、視線を父ちゃんと姉ちゃんに預ける。

 言ってやれよ、美琴。と父ちゃんが口元を緩めながら姉ちゃんを促す。

 姉ちゃんも器用に口角を上げ、あの子のこと、と言った。


「昨日の可愛い子ちゃん。あんな子が神威の彼女なら良いな、って話」

「でもお前には無理だろう、って。美琴が」


 姉ちゃんと父ちゃんは、好き勝手なことを口々に言う。

 病み上がりかけには全力で会話に立ち向かう気力が無い。


「……何だ、それ」


 朝食の準備をしてくれている母ちゃんも会話に参戦してくる。


「お姉ちゃん、顔が良いだけの女の子なんて、お母さん認めないわよ! あ、お姉ちゃんの彼氏もよ!」


 姉ちゃんは、ぶ、と吹き出すと、私のことは置いといて、と澄ました顔で言い、何故か居ずまいを正して俺に向き直った。


「ただ可愛い、だけじゃなかったのよね」


 なになに? お姉ちゃん!

 姉ちゃんの勿体ぶった言い回しに、ソッコー食い付いてるのは母ちゃんだ。

 そんなだから、通販マジックにすぐ乗せられて衝動買いするんだと思うよ俺は。


「物凄く、礼儀正しかった」

「うんうん、昨今の若者に不足しがちな要素よね!」

「“差し出がましいとは思いましたが、病院へお連れしました”なんて、あんた、口から出てくる?」

「……いや。出らんけども」


 どっかの執事かと思ったわよー!

 止まらない姉ちゃんの熱弁を聞きながら思った。

 珍しい、と。


 姉ちゃんは、去年まで俺と同じ高校だったけど、何の因果か、預けられた俺への手紙を、よく俺の目の前でビリビリに破いてたもんだ。


『他力本願な女なんて、ロクなヤツじゃないわ! 神威、騙されるんじゃないわよ!』


 都度、何かと否定的な言葉を吐きながら。毒舌を特技とする人だからな。

 それなのに。


「あとね、奥ゆかしかった」


 このベタ褒めぶり。よほど琴線に触れたのか。


「……奥ゆかしい、って?」

「ハンカチとタオルよ」


 俺を担いで自宅へ現れた葛西先生を見て、姉ちゃんは、正直、慌てたらしい。

 事前に連絡を受けていたものの、額には冷却シート、頬には血の痕。

 高熱のせいか点滴のせいか、意識なくグッタリしている俺。

 だから、気づくのが遅れた、と笑った。

 ちっちゃくて可愛い子が、俺の荷物や薬を持ち、葛西先生の背後から現れたこと。


 着替えや氷のうを用意する姉ちゃんの傍らで、俺の顔や手脚を拭き、ベッド周りを消毒シートで綺麗にし、血のついたハンカチやタオルを姉ちゃんの目につかないよう片づけ、テキパキとした手際の良さに感心した、と目を輝かせながら姉ちゃんは語る。


「気を遣わせないように、ハンカチやらタオルやらさっさと片づけたんだと思うの」


 保険証を探すために俺の財布に触ったことや、診療費は葛西先生が立て替えたことなど丁寧な口調で伝えられ、すっかりその子のペースだった、と。


「……俺、顔とか拭かれたんだ」


 無意識のうちに、俺は自分の頬を両手で覆っていた。

 何か、知らない間に。あのちっこい手が。触れたのか。俺の顔とか。

 ……うわ。何だろう。この、恥ずかしさ? 何だろう。


「……紅い」

「……何」

「顔。また熱 出てきた?」


 ニヤニヤ顔の姉ちゃんへ、お姉ちゃんからかいすぎよ! と母ちゃんの声が飛んできた。


「でも神威、ちゃんとお礼言わなきゃね、その女の子に。お母さんもお礼したいわ」


 母ちゃんが、俺の目の前へ柔らかめのご飯と味噌汁を並べながら言ってくる。


「ん。分かってます。姉ちゃん、ハンカチ買ってきてくれない?」

「何故に、私が?」

「俺、買ったことないから。女子に、ハンカチとか」


 そりゃそうだろうとも。

 姉ちゃんは苦笑しながら俺の返事を受けた。

 誕生日プレゼント、とか、バレンタインのチョコレート、とか。

 小中高と、何かと頂いた場合のお返しは、大抵、母ちゃんか姉ちゃんに用意してもらってきた。

 俺は本当に興味がなくて、リボンがかけられた綺麗な箱を手渡してくれる女の子の照れた笑みを見ては、自分自身がモノで釣られる人間だと思われているようで(勿論、そんな意図はないんだろうけど)、ほんの少し悲しい気分になってきた。


 ありがとう、とは言う。

 礼儀作法は厳しく躾られた。

 でも、嬉しい、とは違う。


 そんな幼心を率直に伝えると、持ち帰った数多くのプレゼントと俺を交互に見て、母ちゃんも父ちゃんも黙って笑っていた。


『神威、人にしてあげたことなんて忘れても良いけど。人からして頂いたことは忘れちゃいけないよ』

『そうね、好意を寄せられるのは決して悪いことではないわ。でも、本物を見極めてね、神威』


 俺のどこを、何を、そんなに? お金はたいてまで。


 母ちゃんと父ちゃんの教えは、薄ボンヤリと脳裡に刻まれたけど。

 好きだ、と言われる気持ちに、同じ様には応えることが出来ず、ガキゆえに気の利いた言葉も知らず、流される涙が怖くなり。

 俺はどんどん、恋愛という青春コースから遠ざかってったんだ。

 女子の柔らかさとか甘さとか、思春期特有の恋い焦がれる要素は身近に皆無だったけど、男友達とツルんでる方がだんぜん楽だった。


『山田くん?』


 そう、あんな風に優しく呼びかけられる環境からは、わざと遠ざかっていたような。

 山田くん、なんてさ。ヤローは皆、神威、って下の名前で呼ぶし……。


 ………え。

 な、なななな何を。俺は今、何を思い出した?!


『山田くん?』


「……わー」


 熱がぶり返してきたのかも。俺の顔は急激に熱くなる。


「神威」


 独り何事かを思い出し勝手に顔を火照らせる奇行を悟られないように、俺はぶっきらぼうに、何、と返す。


「お礼の品は買ってきてしんぜよう。でもあんた、あの子がどこの誰ちゃんか知ってるの?」


 俺は味噌汁椀を左手に持ったまま、かぶりを振る。

 じゃーん、という昭和の香りがする効果音と共に掲げられた姉ちゃんのスマートフォン。

 美琴、本腰入ってんな、という父ちゃんの声。

 お母さんも逢ってみたいわ、という母ちゃんの声。

 画面に並べられているデジタル情報にも動悸が速くなる俺は、やっぱ、本調子じゃない。


“御子柴 礼”


 スマートフォンの液晶画面に映える、あの子、の名前と携帯電話の番号。

 葛西先生を通して、やっとやっと教えてくれたらしい。

 お礼を、と言い張る姉ちゃんへ、そういうつもりではなかった、とこれまた言い張られ、葛西先生がいなかったら並行線のままだったかも、と。


「……みこしば れい」


 小さく呟くと、そこにはもう言霊が宿り、特別な言の葉になっていくようだ。


「みこしば れい、ちゃん、か……」


 みこしば、だから “ミコちゃん” なのか。下の名前がミコちゃん、かと思ってた。

 顔もよく見なかったのに。

 聞き心地が好かった声、と。ちっちゃくて柔らかな手、と。高熱の額にヒヤリと触れた気持ち良さ。

 俺がリアルに感じた “御子柴 礼” は、たったそれだけ、と言って良い。

 それなのに、何だろう。

 俺が浮かされているのは、風邪の熱?

 気にし始めると、気になり続ける。思考の断ち方が分からない。


「……とりあえず、寝よ」


 自分自身へ言い聞かせるように口に出すと、またベッドへ潜り込む。

 ふと、ローテーブルを見れば『ウイルス対策に効果的!』とパッケージに書かれた消毒シートが目に入った。

 これで、あちこち拭いてくれたんだろうなぁ……。

 あ。どうか。本棚に然り気無く収納してあるエロ本は気づかれてませんように。


『木を隠すには森の中、って言うじゃん』


 偉そうに豪語した武瑠を恨めしく思いながら、俺は眠りに落ちていく。



 ***



「神威ー」


 バーン、と大きな音を立て、姉ちゃんが部屋へ入ってきた。


「お昼過ぎたよ。何か食べて、薬」


 うぃ、と布団の中で返事をする俺の顔は、きっと紅い。


「……はー」


 姉ちゃんが去った後、ノソノソと起き上がり、首を鳴らす。

 何となく、恥ずかしい。夢のせいだ。

 御子柴 礼ちゃん、登場したもん。

 顔は分からなかったけど、俺よりずっと背が低い小さな影を、俺は御子柴 礼ちゃんだと、分かっていた。


『山田くん?』


 夢の中でも、同じ様に呼んでくれて。


『エロ本見るんだ?』


 ……顔はのっぺらぼうみたいだったけど、声色に笑いが含まれていた。


『うん。女体に興味が無い訳ないでしょ、礼ちゃん』


 至極当然とばかりに、キッチリ言い返してた俺……。

 バカだ。本当に。いや、夢の中なんて、フロイト先生でも責任持てないだろうけど、もっとマシな返しはなかったのだろうか?!

 女体、とか響きがレトロで、妙にやらしい。いや、健全17歳男子がやらしくない訳がない。あー、でも。礼ちゃん、って。呼んでた、俺。


「だいたーん……」


 礼ちゃん、って。

 いや、確かにミコちゃん、って呼ばれ方が浸透してんのか、とは思ったけども。

 無意識のうちに、他と差別化を図りたい、のか? 俺は。

 何だ? それ。何なんだ? 俺。

 脳内、御子柴 礼ちゃんに独占されそ。


「……ぅわっ」


 そう考えた途端、階下へ続く段差を踏み外しそうになった。リビングには、見慣れた顔が二つ増えている。


「「神威ー、聞いたぞー」」


 吉居 武瑠よしい たける弓削 心ゆげ しんとは、小学5年からのつき合いだ。

 俺がいようといまいと、違和感なく家族同様に扱われるのは、誰の家へお邪魔しても変わらぬことで、二人は既に昼メシを食べ終わり、姉ちゃんと一緒にまったりコーヒーなぞ飲んでいる。


「……何を?」

「ミコちゃんの話ー!」

「ミコちゃんはピンポイント過ぎるだろうが。図書室で倒れて云々、って話」


 止めてくれ。ミコちゃん、ミコちゃん、連発するのは。今の俺には顔色コントロールなんて、出来ない!


「まだ熱があるのか? 神威」


 心はそう言いながら俺に近づき、顔を覗き込む。


「顔、紅いよぉ。ミコちゃんのこと、思い出して? 好きになっちゃったんじゃないのー?」


 ニーッコリ顔の武瑠がサクサクととんでもないことを口にする。


「バッ、な、なっ、ん」


 ゲホグホ、と食べかけのご飯が気管に入り、むせこんでしまう。気管に入った、と思った瞬間、鼻血が出た時に言われたセリフが自動再生された。血液が気管に入っちゃうから。下向いてた方が良いよ、って。


「……青くなったり紅くなったり」

「図星か」


 ……母ちゃんと父ちゃんまでいなくて良かった。


「……好き、かどうかなんて。分からん」


 薬が喉を通るが速いか、リビングのソファに座らされ、好きになったのか、正直に吐け、と三人から詰め寄られる。

 俺の応え様は、それしかない。正直に、も何も。


「分からん、って。頑固オヤジか」

「いや、本当に。お礼しなきゃ、って意味では気になるけど」

「一目惚れ、とかじゃ?」

「朦朧としてて、顔はよく見てない」


 へぇ、と軽く驚いている三人。

 あぁ、礼ちゃんが可愛い、からか。可愛いから一目惚れする、が世の一般見解だろうからね。


 ……わ。俺、普通に、礼ちゃん、って。脳内、覗かれなくて良かった。


「お前、その答え方、初めてだ」


 心がゆっくりと言う。分からん、ってのが?


「そうだね、基本、神威は女子に “興味が無い”」


 と、姉ちゃん。


「気になる、発言、出ましたね?」


 相変わらずニコニコ顔の武瑠。


 いや、もう。

 みんなして俺の微妙な変化をいちいち取り上げないで欲しい。


「……あのね。何なんだ、俺、って。昨日から何度も思ってるよ。俺自身が、一番、分からん」


 三者三様に俺を見つめてくるもんだから、目のやり場に困る。

 弱った俺は、両膝についた両腕で頭を抱え込んだ。


 俺はね、神威。

 穏やかな、諭すような口調で切り出したのは、心。

 心の声には、場を統制する力があると俺は思う。


「初めて興味関心を抱いた相手が御子柴だとすると。お前、良いセンスしてる。見る目があると思った」

「……え?」

「俺は同年代に興味は無いが、あの子は良い子だと思う。この先、神威の彼女になったとしても、俺達の友情は安泰だろ」

「か、彼女って! 飛躍し過ぎだよ、話が」


 そんなことはない。そう言って心は目を伏せ優しく笑っている。


「神威、ミコちゃんのこと、どんな風に気になる?」


 ニコニコ顔を崩さない武瑠が、大型犬の様に俺の足元へ座り込み、シッポが振りちぎれるんじゃなかろうか、という勢いで問いかけてきた。


「……どんな風に、って?」

「名前、呼ばれたりした?」

「うん」

「脳内でリフレインしてる?」

「リ……うん」

「触られたとことか気になる?」

「うん。気になった」

「顔、ちゃんと見てみたくない?」

「……そりゃあね。きちんとお礼もしたいし」

「じゃあ、電話かけてみようよ!」

「……ぅ、え?」


 ちゃんと逢って話をしてお礼するための約束取り付けようよ。

 武瑠の提案の主旨は、そういうことらしい。

 あっぶな。流れに任せて、うん、って快諾するとこだった。


「お礼は、学校で渡すんじゃダメなんですか?」


 神威、目立つからダメ、と即答された。全く意味が分からない。


「神威。今日は電話でありがとう、の日」

「武瑠。まったく意味が分からない」

「お礼って日が経つとしづらくなっちゃうよ? 昨日はありがとう。で、お礼渡したいから、完治してから逢えないかな? って」


 ストーップ!

 今まで静観していた姉ちゃんが、腹筋を目一杯使った声を出す。


「武瑠、そこ難関。あの子、お礼 受け取ってくれなさそう」

「マジかー、どうしよ? そうだよなー、ミコちゃん、遠慮深そうだ」


 心、どうしよ? と問いかける武瑠へ、神威に聞けよ、と優しく促す心。


「神威、お礼 受け取ってもらえなかったら、どうする?」


 固く辞退されたら? 無理やりにでも渡す、は嫌だな。靴箱やロッカーに入れておいても、きちんとお礼をした気持ちにはなれない。

 よく、考えろ。俺。礼ちゃんは、何の見返りも無く、勿論ハナからお礼なんて期待もせず、俺を優しく助けてくれた。


 ――優しく、助けて、あげられたら。

 

 礼ちゃんが俺にしてくれたように。何か役に立ちたい。


「何か……」

「うん?」

「何か困ってることはないか、聞く。あったら、それを解決する」

「……なるほど」


 武瑠は立ち上がり、よく考えたね、と俺の頭をグシャグシャにかき回す。


「神威、恋愛初心者なのに、ポテンシャル高いよね?」

「……意味が分からない。恋愛初心者?」

「うん。ちゃんと相手のことを想って行動しようと、」

「待て。待て待て、武瑠。俺が、恋愛初心者?」


 そうだよ。

 何の迷いも無く首肯する武瑠。心も姉ちゃんも、コクコクと首を縦に振る。


「恋愛……ぇえ?!」

「神威のその、何なんだ俺、とかって。ミコちゃんに好意を寄せている所以だとすると、納得いかない?」

「……えー。…そう、なのか?」


 わ、質問に質問で返された。

 武瑠はケラケラ笑いながら、持参したスナック菓子の袋を開ける。


「心、何か定義無いの? 親父さん直伝の。神威に教えてやって」


 心の親父さんは、大学で心理学の准教授をしている。

 心の言葉には時々、理論に裏打ちされた、卓越した淀み無さがあって、俺達より随分 長生きしてんじゃないかとさえ思ってしまう。

 学者一家で育った秀才が言うことは、俺の中でかなりの影響力を持つ。


「こと恋愛まわりには疎いからな、親父は」


 そう苦笑しながら、武瑠と姉ちゃんと共にスナック菓子へ手を伸ばす姿は、絶妙なアンバランスだ。


「有名どころで “吊り橋理論” ってのがあって…、揺れる吊り橋の上で、女性が男性にアンケートを行いました。その最後で、女性が男性に連絡先を書いた紙を渡すんだ。比較検証として、揺れない橋の上でも同じことをしたけれど、後日女性への連絡があった割合は、吊り橋の方が圧倒的に多かった」


 つまり。

 いつ注がれたのか、ソファに囲まれたテーブルにはコーヒーカップが置いてある。あ、俺だけウーロン茶だ。

 心は一口飲んで喉を潤すと、少し口元を緩めて言った。


「橋が揺れてドキドキしたのか、目の前の女性にドキドキしたのか。判別つかなかった訳だな」

「……うん」


 判別つかないものなのかな人間って。

 事象そのものと、対象への気持ちの違い。

 そんなに錯覚するものなのか。


「神威は、どうなんだ?」

「え?」

「御子柴に “触られたこと” あるいは“名前をよばれたこと” でも良い。滅多に無い、その事象にドキドキしたのか、あるいは、」

「……違う。礼ちゃんの、無償の優しさ、そのものに…」


 ……ハッ!

 いや、ハッ! って!! 本当にそんな効果音が俺自身から出るとは!!!


「あんた、礼ちゃん、って!」

「……脳内はそこまで」

「ハイ、恋に落ちた確定ー!」


 三人の声が遠くに聞こえる。

 そっか。俺、恋に落ちた、のか。

 礼ちゃんを、好きになった、のか。

 何なんだ、俺。……鈍すぎるだろ。


 じゃあ、電話かけてみよー! という武瑠のノリにつられ、携帯電話を手にしたものの、なかなか受話器が上がっているボタンを押せない。


「俺、昨日、鼻血出した……」


 知っている、とばかりに三人は一斉に頷く。


「熱出して、倒れて。カッコ悪いとこばっかりだ」


 ついでにエロ本も見つけられてたわよ、と姉ちゃんの報告が続き、俺はますます憂鬱になった。


「神威、相手の非日常性を知ることで、深まるつき合いもある」

「そうだよ、神威。まだスタートライン」


 うかうかしてると拐われちゃうよ、ミコちゃん人気者なんだから。

 武瑠は珍しく真剣な面持ちで言う。


「……人気者……、」

「うん。神威に負けず劣らず」

「……彼氏、いるんじゃ」

「いないだろ? 確か。だからこそ余計に人気者なんだ」


 二人は交互に声援とも取れる受け答えをしてくれる。


「青年よ。出だしがマイナスだと嘆くなかれ。あとはプラスへ転じるのみ!」


 押せ! という姉ちゃんの勢いに圧倒されて、俺の右手親指は反射行為に及んだ。

 うわー。“呼出中” が “通話中” に変わるまでの間って、こんなに長かったか?

 俺の視線で液晶画面のアクリル板が割れてしまうかもしれない。


《もしもし?》


 あ。あああああっ! 礼ちゃんだっ! 出たっ! まずは名前から!


「あ、えーっと、山田、です」


 あぁ、何か。

 今ほど “山田” という平凡な名字の響きを恨めしく思ったことはない。

 何か、ね? あ、西園寺です、とかね? あ、伊集院です、とかね?

 全国の山田さん、ごめんなさい……。


《あ、山田くん? 熱は下がった?》


 昨日と同じだ。柔らかくて聞き心地が好い声。

 山田くん? って。あー、やっぱり俺、山田で良かった! うん!


「あ、うん、すっかり。あの、昨日はありがとうございました」

《わ、良かったのに、わざわざ。お大事にね》

「あ、うん、あの。御子柴さん……」


 武瑠が “みこしばさん” と書いたスケッチブックをカンペのように掲げてくれている。

 うっかり、礼ちゃん、なんて呼んだりしないように。


「俺、あの、風邪…うつったりしてない?」


“好きな人への電話のかけ方講座” とか、公民館で開催されてないのか?

 俺はぜひとも参加したいぞ。


《あ、うちね、小さい弟がいるので手洗いうがい心がけてるし。インフルエンザの予防接種もしてるから、大丈夫よ。ありがとう、お気遣いいただいて》

「あ、いえいえ。それなら…、良かった」


“小さい弟がいる”。これは重要な礼ちゃん情報だ。

 他に、他に、何か。


「弟さん、いくつ?」

《……えーっと、3歳》


 あれ。違和感。声のトーンが……。


「ごめん、あんまり話したくなかった? 俺、何か変なこと聞いたみたいで」


 わ。

 沈黙が怖い。沈黙が怖い。沈黙が怖い。礼ちゃん、お願い。何か話して!


《……あ、ううん。ごめんなさい、あの……。あ、寝てなくて、大丈夫?》

「大丈夫……、あー、それで、御子柴さん」


 さっきの間が気になった。

 何となく言いにくそうな口調。弟の話題。

 うん、覚えておこう。そう考えながら、俺は本題を切り出した。

 お礼の “お” を口にした途端、そんなつもりじゃなかったから、とキッパリ辞退される。


《昨日、お姉さんへお伝えしてたんだけど。困ってる人は助けなさい、って。言われて育ったから、当然》

「御子柴さん、それならうちだって。人からしていただいたことは忘れないように、って」


 むー、という弱った声が、後に続く溜め息と共に聞こえる 。


「ごめん、困らせるつもりは」

《山田くんって結構、熱い人だったんだねぇ》


 俺の、ごめん、に礼ちゃんの言葉が重なる。それに対して、また、ごめんなさい、と謝る礼ちゃん。

 熱くもなるよ。相手が礼ちゃんなんだから。


《もっとサラッと、スルーしてくれるかと思ってた》

「……俺、そんなイメージ?」


 あ、違うの! 誤解した?

 慌てて言い直そうとする仕草が、見えたら良いのに。きっと、あのちっちゃな手をブンブン振ってんだろうな。


《1組…あ、私のクラス、山田くんのファンクラブがあって。山田くんは女子に対して物凄くクールだ、って聞いてたから》


 うん、まあ。間違ってはいない。クール、というか、無関心、というか。但し書きが増えただけ。御子柴 礼を除く、って。


「うーん。クール……、クール、だとしても。お礼はしたい」

《山田くん……》


 しつこいかも、と思う自分が、紡ぎ出す言葉を怯ませようとする。


「品物は受け取ってもらえないなら。御子柴さん、困ってることはない?」

《今、困ってる》

「……え」

《嘘。ごめんなさい》


 ふふ、と小さな笑い声が俺の耳に届く。

 たった、それだけなのに。礼ちゃんは、今 どこでどうやって電話に出てくれてるんだろう。


《切実に困ってること、あるの》

「はい、何でもどうぞ! あ、何でもは困るかな? 俺が出来る範囲で!」


 ふふ、とまた小さな笑い声が聞こえる。

 本当に、たったそれだけで嬉しくなってしまう俺自身を、悪くないと思ってしまう。


《再来週、クリスマスでしょう? 弟がね、大きな電車を運転したいです、って。サンタさんへお願いしててね》


 勿論、サンタさんは私だったり、母親だったりするから、と礼ちゃんはそのシーンを思い返しているように、ククッと笑う。

 サンタさんの事前リサーチは大変だよな。


「商品名が分からないの? 困ってる、って」

《違うの。売り物じゃないの。保育園の先生がダンボールで作ってて…、電車の操縦席、というか》

「あ、なるほど。3歳児がすっぽり入るくらいの大きさなんだよね?」


 神様。

 俺、人生これまで神威って名前に負けてたけど。今、自分のヒキの強さに感激したよ。

 最早、俺の頭の中では設計図が出来上がってる。


「弟さん、何センチ、何キロ?」

《え……え? どうして……》

「俺、スッゴい得意だよ、そういうの作るの。去年、友達の弟に作ってあげたの、めっちゃくちゃ喜んでくれたもん」


 心にも歳の離れた双子の弟がいるんだよな。今年、4歳だっけ?

 去年のクリスマスにダンボールを駆使して作った秘密基地は、理人りひと学人がくとの格好の遊び場になり、双子だけでなく、心や親父さんやおばちゃんからも大絶賛をいただいたんだ。

 今じゃ遊ばれ過ぎて、ボロボロだけど。


《……どうしよう》

「え? 何?」

《無理難題を吹き掛けたつもりだったのに》

「残念、楽勝でした」


 クスクスと笑う礼ちゃんの声が、耳から俺の全身へ浸透していくみたいだ。


「あ、写真とか、あるかな? 保育園の先生が作ったやつ」

《あ、うん。あります》

「じゃあ、メールしてくれない? 負けないやつ、作るから」


 あ。しまった。

 姉ちゃんが入手した情報は、携帯電話の番号だけだった。メアド、って。女子のメアド、って。簡単に聞き出して良いのかな。


《あー、でも。私、山田くんのメアド知らない、ので》


“ので”、の後に続く言葉は容易に想像出来た。

 申し訳なさがってる礼ちゃんは、これを理由に俺の申し出を断る気でいるに違いない。


「紙! 紙とペン! 今そこにある?」

《あ……うん、あります》

「俺のメアド、言うからメモって? 超簡単だから。あ、電話切って、5分くらいして、メールくれると助かる」

《5分?》

「指定受信、解除するんで」


 迷惑メールが多いから? と不思議そうな礼ちゃん。


「メール、苦手で。決まった人としかやり取りしないから」


 そう返すと、礼ちゃんは、沈黙。……沈黙? 沈黙、の理由は? 考えろ、俺!


《あの、じゃあ》


 ごめん! 俺の謝罪が礼ちゃんの躊躇いがちな言葉を遮る。


「メールが苦手、って、あのー、大切なことは自分の口に出して言いたいから、その、表現をメールに頼りきりになるのが苦手、という意味で。いや、勿論、絵文字顔文字とか使えないけど」


 あ、そうなんだ。と聞こえる礼ちゃんの優しい声に安堵の色が混じっているよう。


《苦手なのに無理させてしまったら悪いな、と思って。……でも》

「でも? 何?」

《山田くんの申し出は本当にありがたいから、正直諦められなくて。写真持って、お家までお邪魔しようかと考えてしまった》


 うん。それでも良かったな。

 本当にありがとうね、とまた嬉しそうに礼ちゃんは言う。

 礼ちゃんのお母さんは早々に市販品のプレゼントを決めたらしいが、礼ちゃんは、なかなか諦められなかったらしい。

 スゴいな。

 今、俺、礼ちゃんの口から礼ちゃん自身のことを話してもらってる。


《でも、山田くんが気の毒だな》

「どうして? 俺、何か作るの好きだから。気にしないで、楽しみに待ってて」

《……うん。お待ちしてます》


 ふふ、とまた小さな笑い声が続き、俺は錯覚しそうになる。

 プレゼント、をね。待ってるのであって。俺自身、待たれてる訳じゃないからね。残念ながら。


「じゃあ、出来上がったら、また連絡する」

《山田くん?》


 あ。

 勘違い思考を振り払う為に、会話を先に進めたのに。

 山田くん? って。呼ばれると、弱いなー。グニャリとなりそう。


《本当に、本当に、ありがとう》


 ゆっくり耳に入る礼ちゃんの言葉には、心からの感謝がこめられていることが伝わってきた。

 いや、これ解らないヤツなんていないだろうな。

 こんなに素直に、ありがとう、って、胸に響くものだった? 相手が礼ちゃんだから?


「……まだ、早いよ。 御子柴さん」

《え?》

「出来上がったの見て、そう言ってもらえたら、嬉しい」


 じゃあ、メールお願いします、と言って、通話終了ボタンを押そうとする時にも、俺の右手親指はなかなか脳からの司令に従えなかった。

 はい、じゃあね、と聞こえた後に、見つめていた携帯電話の液晶画面は “切断中” へ表示を変えたから、礼ちゃんが先に切ったんだと思う。

 切りたくなかった。もっと。話してたかった。いや。まあ。切らないとメール出来ないけどね。


「はあぁぁぁ」

「あんた、遠くに行ってんじゃないわよ」

「……あ。ごめん、いたね」

「「「いたよ! ずっと!」」」


 そうだった。どの時点からだったか、すっかり三人の存在を忘れてた。

 いやー、人間の集中力ってスゴい。


「で、どんな感じに作るんだ?」


 心は、去年の俺の力作を間近で見ているからか、瞳をキラキラさせながら聞いてくる。


「電車の運転室をリアルに再現しようかと」

「おー、良いね! 男の子の夢とロマンが詰まってるよね!」


 武瑠もワクワク感が身体から滲み出ている。

 そう、作る側も楽しいんだ。今年は、理人も学人も、なんとかジャーだのライダー物へと嗜好がスイッチしていて、リクエストされなかったから。


「……手伝ってくれんの?」

「当然」

「神威の恋路を全面バックアップ!」


 神様。

 俺、良い友達を持ちました。二人しかいないけど。二人がいれば充分。


「神威、指定受信を解除しないと」

「……ありがとうございます、お姉様」


 ボタンを操作しながら、つい何分か前までの会話が思い出される。

 思い出されるんだけど、録音しておきたかった、とか思う俺は、もう、どうかしてしまってる。


「……気持ち悪い」


 え? 俺? 設定完了を確認してから姉ちゃんへ視線を移すと、眉間に深く皺を寄せている。


「ニヤニヤして、気持ち悪い」

「……してた?」


 三人とも練習を重ねたように、コクコクと一斉に頷く。その様子にすら笑いが込み上げてくるのは、お年頃だからだ、きっと。

 プリインストールのメール着信音が鳴り響く。送信者欄には、目に新しいデジタル情報。


「……うわー、きた、本当に」


『御子柴です。写真を送ります…3通も。

 鬱陶しくてごめんなさい。

 私も絵文字が苦手です。

 連絡 待ってます!』


 笑顔の絵文字ひとつ挿入されていない礼ちゃんからの初メールは、業務連絡みたいに素っ気なかったけど。

 それでも、いやもう、礼ちゃんに纏わる何でもが嬉しくて仕方無い俺は、本当にどうかしてるんだろうな。

 2通目のメールには、『98センチ、14.5キロ です』と書かれていた。


 よし、ドアの高さは決まり。

 一人用にするかどうか悩んでいる時に、ふと頭を過った。

 礼ちゃん、ちっちゃかったな。178センチの俺がデカ過ぎか。何センチあるんだろう。

 月曜日、学校でよくよく見てみよう。

 あ、でも礼ちゃんのクラス1組と俺の5組では、ほぼ接点が無い。文系と理系だし。

 3通目のメールは、添付写真だけで本文は無かった。

 ちょっと、寂しい、と感じてしまう。と同時に、寂しい、と感じた自分自身へ驚いてしまう。


「神威、百面相ー」


 携帯電話の液晶画面の向こう側に、ニコニコ笑う武瑠の顔があった。


「ミコちゃんの、メールひとつで、百面相。一句、出来ました」

「……お粗末」


 俺は、メール詳細設定画面へ礼ちゃんのメアドを追加登録すると、またメアド指定受信を設定して、携帯電話を片手でパチン、と閉じた。


「人間らしくなってきたな」


 悟りを開いた僧侶のような言葉が、心の口から出る。


「何だ、それ」

「いや。神威もそんな豊かな表情を持っていたのかと」

「そうだねー、一般人には読み取りづらいよ、このポーカーフェイス」

「私は時々、神威はかの国のスパイなんじゃないかと思うことが」

「待て待て待て! 俺はどれだけ悲しい過去を背負って生きてる?」


 楽しくなりそうだな。

 顔を見合わせ、頷き合う三人。俺が、ですか? それとも、アナタ達が?


「男子力、上げていこう! 神威!」


 エイエイオー! みたいなノリになってるけど。心までのっかってるけど。男子力?


「武瑠? 俺、別に広く浅くモテたいとは思わない。礼ちゃんだけで良い」


 ポソリと小さく反論すると、武瑠は丸いキラキラの瞳を更に丸くして言う。


「嫌味か! 神威はすでに広く浅くモテてきたでしょ? そのせいで、そんな仏頂面になったってのに」

「う……」

「対象は勿論、ミコちゃんだけだよ! 恋愛初心者、山田神威へ贈る男子力の極意!」

「拝聴します。何?」

「優しさ」

「……雑すぎる」


 そうよ、武瑠! 大雑把!

 武瑠を指摘する姉ちゃんが具体的な何かを教えてくれるのか。


「女子の話をちゃんと聴く力。hearじゃないわよ、listenよ。これ大切」

「……うん」

「思い遣れる心、これも大切」

「また抽象的な」

「あんた、さっき電話で。ミコちゃんの声のトーンとか言葉の意味とか。アンテナ、張り巡らしてなかった?」

「……うん。だって得られる情報って、そういう要素からだけだったし。何で沈黙なんだ? とか。その言葉の先には、こう続くんじゃないか、とか」


 そういうことよ、それ忘れんな。

 姉ちゃんは常に上から目線で言い切る。


「人間は心中の機微がいろんなとこに出るからな」


 心も姉ちゃんの言葉に同意する。


「礼ちゃんの態度とか言葉とか。どんな小さなことからも、発してる想いをちゃんと逃さず掴まえましょう、ってこと?」

「そう、そしたらミコちゃんも掴まえられるよー!」


 あとは、そうだな。

 心が言葉を挟んでくる。

 武瑠も何人か彼女がいたけど、年上キラーの心が持ち合わせる雑多の情報は、きっとそこらの雑誌より有益だ。


「本質と本物」

「……また深いな」

「神威はもう知ってる。顔もよく見てない御子柴の、無償の優しさに触れて。それは、御子柴の本質」

「うん」

「本物かどうか、見極めるんだな」


 ……母ちゃんも、かつて同じことを言ってたような。

 難しくて、深い。ガキだった俺は、深意を考えるのが面倒で、結局は逃げ出したんだよね。今度は、逃げずに。


「ま、今日はこれくらいにしておこう」


 姉ちゃんがバンバンと俺の背中を叩く。

 病み上がりだよ、俺。そして、楽しそうだな、姉ちゃん。


「まだ、あるの?」


 まだまだあるわよー!

 そう言って、姉ちゃんは勝手に男子力向上委員会の委員長に就任すると、ブツブツ言う武瑠を書記に、心を会計に任命して、リビングから出て行った。

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