けど、そうじゃない。
夏永遊楽
けど、そうじゃない。
外見であれ思想であれ遺伝子であれ、共通点があることは、人がお互い惹かれあうのに充分な原動力になり得る。
私自身、自分と似た人間はたしかにいる。それも、かなり身近に。
ただその人に好意をもつことは一種のナルシシティズムなのではないかと考えるとなんだか気持ち悪くて、はっきりと気持ちを伝えることはためらわれる。
夏は暑い。私の通う中学の教室には冷房がなく、肌に湿気た熱気が貼りついて息苦しい。ひとつだけしまっていた窓を開けていると、足もとに紙飛行機がするっと滑り込んできた。
振り向くと、染髪を疑うほど明るい茶髪に同じ色の目をした隣のクラスの男子生徒が立っている。
放課後のお気に入りスポットがある。小高い土地に建つ校舎からの下校ルートを外れ、とある道路をしばらくせっせと歩くと、一ヶ所だけガードレールの向こうが開けた場所が見えてくるのだ。下に海が一望できて風が気持ちいい。スカートが白く汚れないか確認してからガードレールに腰をあずける。出る前、あいつの靴箱に手紙を忍ばせて来たから、気づいたらすぐに来るだろう。ひとつにまとめていた髪を下ろして手櫛で整えていると、当の相手が登ってきた。
「
首の汗を拭いながら虎向が私を呼ぶ。その顔は心なしか不機嫌そうだ。
「おす」
軽く手を上げると、虎向は白シャツのポケットから折り畳まれたルーズリーフを取り出した。「何もこんな暑っつい日に……」
「いつものことじゃん。日は関係ない」虎向と私、お互いの靴箱に手紙を入れておくのが、『今日ここで会おう』という意味のやりとり。不機嫌顔で登場したのは、私がルーズリーフに“ナルシストとは”とだけ書いたのが気にくわなかったためらしい。「勝手にwikiってろ」
「やだ。虎向と会う方が確実だもん」
意味がわからない、とでも言いたげな虎向と私の間に、一瞬の沈黙が流れる。ガードレールが少し揺れて、同じ体勢になった虎向が口を開いた。
ーまた叔母さんに何か言われたのか
私は一瞬口ごもってから、虎向を見る。
ーまた癇癪おこしちゃったの
ーおいおい、またかよ。今月入って三度目
ー私もなるべく刺激しないように気を付けてはいるんだけど……ほら、もうすぐお母さんの命日だから
ーああ、そうだっけ
ーなによ、その言い草?
ーなによも何も、かなりデリケートな問題だからな。その人の死をどうとらえるかなんて、他人がどうこう言うもんじゃないだろ
ー……そうかもしれないけど
ー殴られたりしたら俺に言ってこい。一緒に家出しよう
ーばか。
空気がふるえて、虎向が笑う。
私もつられて笑った。
虎向の笑顔が好きだ。辛いとき、絶対にひとりにしない優しさが好きだ。
こう思うのは変かもしれないけれど、私も同じものを与えてあげたい。虎向がくれるだけの幸せを、あたたかさを。さながら鏡のように。私たちにはそれができるはずなのだ。ギブアンドテイクなんかじゃなく、限りなく無償の愛に近いもの。
それともやっぱり、ただの自己愛なのか。
ー虎向のパパとママは?
ーその言い方やめろ。
ーだって本当にそうじゃん。
ーそうだよ。でも___
ーわかった。ごめん虎向
ー……やっぱ、何年経ってもなくならねんだよ。妙な違和感っていうか、圧迫感ていうか、そういうの。一緒の家住んでて一緒の飯食ってても、俺だけが違うっていう意識がさ
ー虎向のトコは二人とも学歴至上主義だもんね
ー俺も間違ってはないと思うよ。ただ、あんまり押しつけられると無性にイライラしてきてまともじゃいられなくなる……俺は、反抗なんか絶対しちゃいけねえのに
ー虎向。
名前を呼ぶと、虎向はうつむき気味にしていた頭をひょいと上げる。
キラキラしていた。
大きな目の縁にたまった涙が夕陽を受けて光っていた。
ー泣いてねえから
ーまだなんも言ってない
ー日南子が泣いてないんだから、俺も泣いてねえんだよ
力強くも震えている声音に、なんだかたまらなくなって虎向の茶色い頭を包み、胸に抱き寄せた。虎向は抵抗しなかった。
ぎゅっ、と力をこめる。伸ばされたままの腕が膝に当たった。ぽん、ぽん、と頭を押さえてやると、昔の虎向とも私とも違う匂いが鼻腔をくすぐった。
ずっ、と鼻をすする音がして、胸元がしっとりあたたかくなる。
声にならない小さな呻きが痛くて、でも心地よくて、ずっとこうしていたい気分にさえなった。
___あったかい。
虎向の熱が好きだ。
どく、どく、同じリズムで打つ鼓動を、無い距離で直に感じる。世界でいちばん安心する場所。
どれくらいそうしていたのか、空の色も海の色も深みを増している。
おもむろに顔を離した虎向は、目からほっぺたまで赤くなっていて、小さい子より幼く見えた。
セーラー服の衿のあたりが、風に吹かれるたびひんやりする。
ー日南子も泣いとけば
ーなんそれ?
ー俺、ずっと我慢してたけど、なんかすっきりしたし
ーよかったね。……でも私は泣かない。私が虎向を守んなきゃ
精一杯背伸びした笑顔を作ってみせた。
横を向くと、日南子の見慣れた横顔が夕焼けに浮かびあがっている。
道路を挟んだ向こう側を、小さな体に不似合いなほど大きなスポーツバッグを掛けた少年少女二人が歩いていく。
「今のお兄ちゃんとお姉ちゃん、すっごいキレーだったね」
「うん。しかも髪の色までおそろいだった」
幼い後ろ姿を見送りながら、俺は言った。
「急に姉貴面すんなよ。そーいうのは男の役目だ」
「急に、じゃないでしょ?素直にベソかいたくせに」
日南子の冷たい指先が目の下につんと触れてくる。
微妙に痛い、やめてくれ。
十五にもなって大泣きしたのが、死ぬほど恥ずかしい。
けど、一番安心するのは家でも学校でもなく、いつだって日南子のそばだ。似た者同士、同調でもしているのか。俺を見る日南子のまなざしは、もうおぼろげな母親のそれに似てひどく優しい。
それが好きだ。日南子が笑うと、俺も気分がよくなる。鏡のように。互いが互いを想って生きている。
「素直がいちばんだって、今日わかったんだよ。もう変な意地張らずにちゃんと言いたいこと言う」
「よし」
ふわり、日南子が笑う。俺もつられて笑った。
「だからさ、もし殴られたら、またさっきのしてよ。おねえちゃん」
さっきの子供たちの目に、俺と日南子は放課後話し込む恋人同士に見えたことだろう。
けど、そうじゃない。
俺と日南子は双子の姉弟だ。
ほんの幼いうちに両親を事故で失い、両親は駆け落ちだったため頼れる人がおらず、しばらくの間は施設で過ごした。あるとき母親の妹がふらりと俺たちに会いに来た。初めて見た叔母は母にそっくりで、俺と日南子はそろって泣き出してしまったような気がする。何を話したかなんて覚えていないが、そこで祖父母はすでに亡くなっており、父方の祖父母も俺たちを育てる気も支援する気もないらしいことを聞かされた。両親が死んだことさえよくわかっていない幼心でも傷ついた。
俺たちはひとまず叔母に引き取られることになり、一緒に暮らそうとしたのだが叔母は未亡人で、つまりその時既に天涯孤独の身だった。子供はいなかったが叔母ひとりの稼ぎだけでは生活が苦しい。
叔母は“しかたなく”どちらか一人を選ぶことにした。選ばれたのは日南子。女の子である日南子に母の面影を強く感じたからだと言う。怒りがどうのよりも、俺は日南子と離れるのが寂しかった。泣いて嫌がったが、男の子を欲しがる里親が現れて俺たちは別々に引き取られることとなった。
子供ができなかったという俺の今の親は、俺が中学に上がったとたん勉強を押しつけるようになった。将来まで決められるのがたまらなく窮屈だ。言いたいことや納得いかないことがあっても、引け目を感じて口答えもできたことがない。
日南子にしてみても、この叔母が癇癪もちで、加えていつまでも死んだ姉に執着し続けている。そんな不安定な人なので、県外への進学願望のある日南子は叔母を心配し、なかなか言い出せずにいる。
お互いが頼れるのは、何でも言い合えるのは、お互いだけ。
この依存関係が、今の俺たちを意味をもって生かしている。
ーねえ、こひなたって知ってる?
ーなにそれ
ーお母さんの旧姓
ーふうん
ーあたしたちの名前さ、合わせたら‘こひなた’っぽいよね
ーだな
ーこれって偶然だと思う?
ーんなワケねえだろ
ーほんとにそうかな
ー疑うなよ。もし偶然でも、偶然になんかすんな
ー意味わかんない
二人の唇からふっと息がもれた。
そう。そんなこと、本当はどうだっていい。今の私たちには微塵も関係ない。
なくてもいいモノ。
けど、そうじゃない。
きっとこの先、二人していつまででも求めてしまうモノ。
けれどそんなモノに意味はない。
空を切る手を伸ばすより、私は目の前の確かな存在を抱きしめたい。
この好意は、きっと自己愛なんかじゃない。
この好意は、とてつもない信頼感から生まれる、虎向への大きな愛なのだ。
けど、そうじゃない。 夏永遊楽 @yura_hassenka
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