第13話 いらないクラスメイト
それから数日。彼女は朝礼の始まる少しの時間だけ現れて、飽きもせず教室を覗きに来ている。
「今日も来てたな、やっぱお前目当てなんじゃないの?」
友人の言葉にまさか、と返す。最初は否定していた茂も、何度も合う視線にさすがに落ち着かなくなってきた。
最初はちょっと可愛いけど変なやつ程度の認識だった。けれど、同じ行動でも毎日見ていれば違いを感じるものだ。勿論パンツの色ではない。
「分からないけど、若干慣れてきたかもしれない」
初日の失態を気にしてか、彼女は次の日かなり緊張気味に立っていた。茂が視線を向けるとぱっと逸らすけれど、ちらりと目の端で捉えてくる。そんなぎこちなさも数日経てば消え去った。今はお互い目を見て微笑み合うレベルまで成長してきている。
ここにきてさえ、未だ茂は彼女の声や名前さえ知らないのだ。
それに加えて、表情の変化を見て思い出したことがある。幼稚園の頃にいた「しーな」によく似ていることだ。まさかとは思うものの、どうにか本人かどうか確かめたいという欲が収まらなくなってきた。
「いっそ話しかけてみるか」
「遂に謎の少女のベールが剝がれるのか! 期待してるぜ!」
友人からの良くわからない応援を聞き流しながら、ほんの少しわくわくといつもの時間を待つ。彼自身この所遅刻せずに彼女を待ち受けられる程度には時間の余裕があることに疑問を持っていなかった。だからチャイムが鳴ってもドアの外に彼女が現れなくて、落胆よりも先に驚きが走った。
「今日は来なかったなー、休みかね」
「体調でも崩したのかもな」
「何か冷たいじゃん」
「確かめようもないしな」
これだけ毎日視線を交わしても、茂は彼女の名前どころかクラスさえ知らない。意を決して聞こうとした矢先の肩透かしに少し悶々とした思いを抱えながら授業を受ける。
きっと明日にはまたひょっこり顔を出すだろう。そう意識しないように努めていたのに、彼女は数日経っても姿を表さなかった。
「あんたさ、よく毎日教室に顔出せたもんだよね。髪なんて切ってイメチェンしたつもり?」
ああやっぱり。恭子は諦めにも似た境地で、ついさっき自分を突き飛ばしてきた大柄の女子を見上げた。不思議と恐怖は感じない。けれど体は凍りついたように動かなかった。テレビの中の出来事のように現実感がない。
「またクラスに戻ろうって言うんじゃないよね? クラスメイトを殺しかけた癖に!」
まるで演劇のように大仰に手を振り、彼女は威圧的な目で恭子を見下ろした。
これではこちらが殺されそうだ。本当なら今日こそは彼を見に教室に行っていたはずなのにと唇を噛んだ。ここの所やけに朝礼直前まで廊下でたむろす女子がいるとは思っていた。いない日にまた定位置につこうとしても相変わらず陣取っている。
このままでは再び毎朝の日課となった彼との時間が取れない。恭子の焦りは大きな勇気となって、彼女たちの無視へとつながった。その結果がこうだ。勇気なんて出すべきじゃなかったのかもしれない。
「殺すだなんて……」
か細い声でどうにか反論する。視線の先には校門がある。彼は最近遅刻しなくなったけれど、ひょっとしたら今日に限って遅れて現われはしないかと淡い期待を送る。だが無慈悲にも校門は冷たく黒光りするばかりで閉まり切っている。
「視線だけで人を失神させられる奴が何言ってんの? 折角まとまりあるクラスなのに、あんたがいるだけで不登校ニートがいる変なクラスになっちゃう。はっきり言って迷惑なの」
違う、と言いたかった。恭子が噛んだ唇に血が滲む。そもそもニートではないし、保健室登校なだけだ。学校をサボっているわけでもない。
けれど今まで全く現れなかったクラスメートが現れた初日にあんな騒ぎになった。その事実は恭子の胸にも重くのしかかり、中途半端なあの位置に落ち着いた。
「とにかくもうクラスには来ないで。それさえ約束してくれればいいからさ、私達だって鬼じゃないんだし。あんたはどうせクラス内には入ってこないんだから簡単でしょ?」
それでは彼の顔を間近で眺めることさえ出来なくなってしまう。出来ない約束をしたが最後、また教室前に現れようものなら彼女たちの攻撃対象になるのは間違いない。
きちんと反論しなければいけないのに、恭子の唇は空気が漏れるだけ。どうしてこんな風になってしまったのか。ずっと保健室にいるべきだったのか。そもそも学校なんて来るべきじゃなかったのか。
後ろ向きな考えが頭の中でぐるぐると巡り、気持ちが見る間に沈んでいく。誰か助けてなんて他人任せな考えが浮かぶ中、縋るように見上げた彼の教室の窓が見えた。
「茂くん……」
彼は頬杖をつきながら彼女達がいる校庭の方を見ていた。他人にはぼんやりとして見えるその気だるげな姿も、恭子の目にはどこから見てもかっこいい。
彼にかっこ悪い姿は見せられない。自らが起こした数々の事件は忘れ、萎えかけた恭子の心に炎が点った。
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