第11話 運命の分かれ道
いつも通りの朝。
ただひとついつも通りではないのは、恭子だけだ。
つい昨日まで到着まで楽しくて仕方なかった交差点が視界に入り、彼女の足は石の棒のように固くなる。今朝家を出るときも母に追い立てられるような具合だった。
あの人はいつだってそう。
雲行きが怪しいからと持たされた傘をぎりっと握りしめる。どう見ても空は快晴で、これから雨になるとは恭子にはとても思えなかった。
(行かなきゃ)
交差点から学校まではそう距離はない。
ギリギリまで粘っていたせいで朝のチャイムは迫っている。だがもう彼女は彼を待つつもりもなかった。倒れた事件によって気まずいからではない。他の誰よりも、彼に変わり果てた自分を見られるのが怖かった。
キーンコーン……
迷う恭子の耳に、遂にチャイムの音が聞こえだす。
焦りとは裏腹に足は根が生えたように地面に吸いつき、体は鉛のように重いまま。このままもう学校に行けなくなるのではないか。
あの時のように。
恭子の脳裏にかつての思い出がフラッシュバックする。
クラスのボスの女子の髪に誤ってスープをかけてしまった。勿論すぐに謝ったけれど、次の日にはもう机がなかった。
自分だけが知らない連絡網を通じての村八分から始まり、物が無くなるのは可愛い方だった。隠れた所で髪をズタズタに切り裂かれ、生きる価値もないブスだと罵られもした。極めつけは教室中に貼られていた身に覚えのないヌード画像。勿論合成写真だった。
けれどそれに関して教師から親と共に呼び出しを受け、恭子の羞恥心は我慢の限界を迎えた。転校の勧めだったというのは後から聞いた話だ。半年間、彼女は自室から一歩も外に出られなくなった。常に誰かに見られているようで、誰ともかかわりたくなかった。
だがそれも限界がある。家があまり好きでは無い彼女にとって、引きこもりさえ苦痛の時間だった。保健室登校はようやく外に出られるようになった恭子自身が言い出した妥協案だ。
恭子の顔から徐々に血の気が引き、指先がかたかたと震えだす。
(行かなきゃ、早くーーでも、どこへ?)
教室? 保健室?
どちらも今は恐怖の対象だ。保健室の先生も見られたくない対象だ。出来る事なら知り合いの誰にも会いたくはない。
視線ばかりが辺りをさまよう。そして彼女は聞いた。風の動く音を。視線の端から軽やかに駆けていく彼の姿を。彼女は見た。
「遅れるぞ!!」
彼はそう言いながら彼女を全く見てはいなかった。
同じ学校の生徒というだけで、誰なのか認識していなかったのだろう。それなのにわざわざ声をかけてくれたのだ。
「待って……待ってっ」
心の叫びは小さい呟きになった。
彼女の足はあっという間に彼の起こした風に乗り、軽やかに動き出す。さっきまで1ミリも動けなかったのに、かつてない速さで彼女を校門まで運んで行った。
彼は振り返らない。一目散に校門を通り抜け、そして二段飛ばしで階段を駆け上っていった。対して限界以上の速さを出した恭子は校舎の入口で力尽きた。
「東郷、足早いじゃないか」
ぽかんと階段を見ていた恭子の頭をぽんと叩く者がいた。
驚いて見上げた先には、見知った担任教師の姿。
相手を認識した途端恭子の体がこわばる。学校には来れたものの、まだ教室に入る勇気までは持てなかった。階段の辺りに見えない壁のようなものを感じる。そんな彼女の心境を知ってか知らずか、教師はにかっと笑う。
「無理しなくていいから、後からでも教室に来いよ」
そういって出席簿を片手に軽やかに階段を登って行った。
「名前、呼んでた……」
教師はすっかり変わった姿を見ても、驚かなかった。それどころか名まで言い当てて見せた。彼女自身でさえ誰なのか分からなくなったほどの変化に戸惑わないでくれた。
恭子は二人の上がっていった階段をぼんやりと見る。
先ほど感じたはずの見えない壁は、不思議ともう薄れているようだった。
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