第9話 公園のお化け

午前の終わりを告げるチャイムが鳴りだすお昼時、茂は空腹の腹を抱えてむくりと起き上がった。しばらくカーテンに覆われた周囲をぼんやりと見て首を傾げる。彼はどうしてこんな所にいるのかまるで覚えていなかった。

仕方なく起き上がってカーテンを開けると、うとうとしている保険医の姿が目に入った。


 「あのー、先生?」


彼が声をかけた途端、弾かれた様に立ち上がり、直立不動ではい!と異様にハキハキトとした返事をする。その様子に茂の方が驚いてびくっとしてしまった。


 「ああ、何だ遠藤君か。びっくりさせないでほしいな」

 「何かすみません……」


業務中に居眠りをする保険医が全面的に悪いはずなのだが、反論を許さない雰囲気につい謝ってしまう。


 「今お昼ですか? 俺、いつここに来ました?」

 「教室で倒れて運ばれてきたんだよ。覚えてない?」


茂は再度首をひねる。確かに朝礼前にクラスに到着した記憶はある。何かとてつもない衝撃を受けたのは覚えているのだが、その後の記憶が彼にはまるでなかった。


 「どうして倒れたんでしょう」

 「さてね。凄い声を上げていたと担任の先生は言ってたけど。それと体調が良さそ

 うなら職員室に来るようにいってたけど――問題無さそうね」

 「はい、ぐっすり寝たんで大丈夫です。ありがとうございました」


不可解な状況ながら職員室に向かい、そのまま午後の授業は受けることになった。そうして残り少なくなってしまった売れ残りのパンを貪っていると、和哉が近くの席に陣取った。


 「おはよう。体よくサボったな」

 「馬鹿言え、気絶してたらしいんだぞ。友人としてもっと労われよ」

 「まあ物凄い絶叫だったもんな。そんなに驚いたのか?」


弁当から目を離さずにいた茂が顔を上げる。この友人はひょっとしなくても気絶の原因を知っている気がしたからだ。


 「何に驚いたのか覚えてないんだよ」

 「例のワカメ女が教室にいたからだろ? それも後ろの席に」


その言葉に、茂は持っていた箸を取り落としそうになった。自己防衛本能だろうか、都合よく忘れていた彼女の姿がフラッシュバックして思い出される。流石に叫びも気絶もしなかったものの、彼は落ち着かなくなって一旦昼食を中断した。


 「お前も見たのか……いや、見えたのか?」

 「まあ端的に言うとだな、あいつは幽霊でも何でもなく、幻のクラスメイトだった

 らしい」

 「はぁ?」


幻とはおかしな言葉だ。茂は和哉の顔を胡乱気な眼差しで見つめる。


 「本当はこのクラスに所属してたんだけど、ずっと保健室登校だったらしい。でも

 今日になって初めて顔を出したみたいだな」

 「もう秋だぞ? 半年も来なかったのに何で今更」

 「そりゃあおまえ……」


和哉はじっと目の前の友達を見つめ返したものの、やがてにやにやと笑い出した。


 「自分で解明しろよ。席も前後でお隣さんなんだし」

 「嫌だよ! 大体何でそんなに笑ってるんだ、気味が悪い」

 「まあそう言うなよ。とはいえ今日はもうクラスには来ないみたいだけどな、体調

 不良で帰ったそうだ」


興味ない、と呟いて茂は野菜ジュースをずずっと飲みほした。ちらりと見た後ろの席は、昨日までと変わらず空いたままだった。


一方、恭子は朝方間近で見た茂の顔を思い出しては赤面し、ぶんぶんと頭を振っては無表情を装うということを繰り返していた。家に帰る気になれず、かと言ってどこかに遊びに行く度胸もない。そもそも人に見つかるような場所にいて補導でもされてはたまらない。

そういった思考の結果、彼女は公園にあるドーム型の遊具の中にいた。よく見れば人が中にいると分かるのだが、誰がいるかまでは覗き込まなければ見えない。

膝を抱えて時間の経過を待っている間、彼女なりの今後について考えた。一歩踏み出してクラスに行った結果、彼は保健室送りなった。ずっと目を逸らし続けていたが、彼女も流石に彼の絶叫の理由を理解し始めていた。だがどうしてそうなったのかが分からない。


 「あっ」


ぼうっと遊具の内壁を見ていた恭子は、声に驚いて出口を見る。そこには目を真ん丸にした幼稚園生が中を見ていた。彼女が声を出す暇もなく、小さな子供の大きな目は見る間に涙が溜まっていく。


 「うわーん!! お化けぇーー!!」


ぎょっとする程に大きな声。幼稚園生は脱兎のごとく公園の端へ逃げ出していった。ぽかんと口を開けた恭子を残したまま。


 「お化け……ワカメ女……」


彼と子供に言われた言葉が、ぐるぐると彼女の頭の中を回り始めた。

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