第6話 カーテンの向こう

 「あの……おはよう……」


頑張って元気に挨拶しようと考えていたはずなのに、彼女の声は思惑とは裏腹にか細く響いただけだった。そうして彼の眼を髪の隙間から見ると、彼は心なしか青白い顔で目を見開いている。走ってきた割に血色が悪い。体調でも悪いのかと問おうとした時、彼はふっと目を閉じ、そして椅子の上から突然ガタンと滑り落ちた。


 「えっ」

 「どうした遠藤!!」


丁度教師が教室に入ってきた所だった。教卓からいまだ煩い生徒達を鎮めようと声を上げようとしていた時、倒れこむ生徒に目を疑って叫んでしまったのだ。思いのほか大きくなった声に彼自身失敗を感じた。教室は瞬時に静まり返り、ついでさっき以上の喧騒の中に包まれたからだ。教師は慌てて倒れた生徒の元に駆けより、床に寝かせて声をかけている。


 「え、えっ?」


恭子は目の前で起きたことに意識がついていかず、ただオロオロするばかりだ。

倒れた彼はあれよあれよという間に保健室に運ばれていき、一人取り残された彼女は呆然としたままその姿を見つめることしかできなかった。

そうする内にひそひそとこちらを見て何か噂話をする生徒達の姿がうっかり目に入り、気力の限界を迎えた彼女は逃げるように教室を後にした。


この高校に入学してからもう半年は経っているにも関わらず、彼女は校内地図がまるで頭に入っていない。だが唯一よく知る場所である保健室には、馴染みのないクラスからでもどうにかたどり着いた。扉を開ける勇気もなく、恭子は中からぼそぼそ聞こえる声に耳を澄ませながら立ち尽くす。

生徒たちから受けた異物を見るような視線。1度気になってしまったら忘れらないないあの目を、教師からも受ける未来が見えて扉を開ける気にはならなかった。


 「一体どうしたんでしょう、健康だけが取り柄のようなやつなのに」

 「失神に健康なんて関係なんてありまけんよ」


若い男の声は恐らくクラス担任。もう1人は馴染みの保険医だろう。珍しく敬語で話している。話に割り込む勇気はなくとも、恭子は中の様子が気になって気になって仕方がなかった。幸い周囲には人影はなく、彼女はへばりつくようにして扉に耳を押し当てる。


 「どこか打った様子もないし、暫く寝ておけば大丈夫だと思いますよ」

 「しかしさっきは尋常じゃない声をあげていたんですよ」

 「夢見が悪かったんじゃないでしょうか」


保険医の飄々とした受け答えに、真面目な担任は若干苛立ちを覚えたような声で応える。だが本人が目覚めない今、保健室で口論になることもないと彼は口をつぐんだ。


 「起きて大丈夫なようなら、休憩時間に職員室に来るよう伝えてください」

 「わかりました。心配しすぎない方がいいですよ、貴方の方が倒れてしまいそうだ」

 「心配ご無用!」


担任が振り返る気配。恭子はばっと体を離し、いつになく機敏な動きで少し先にある柱の影に隠れた。


 「全く、生徒が突然倒れたと言うのに何なんだあの態度は……」


担任は部屋から出るなりぶつぶつと独り言を話しながら去っていく。その後ろ姿が段々離れていくのを確認してから、恭子はそうっと保健室の扉を開く。

すると中にいた保険医が出口付近を見て、似合わないウインクをして見せる。恭子は曖昧な笑みを浮かべながら、重い足を一歩ずつ引きずるように動かしてどうにかカーテンの引かれたベッドの傍まで移動する。

震える手でカーテンの端をそっと摘まみ、動悸が収まらずに背後にいる保険医を少し振り返る。彼女は小さく笑った後、これ見よがしに肩を竦めて椅子を回して背中を向けた。その仕草に後押しをされたように彼女は酷く重く感じるカーテンを捲った。

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