第二章

第二章

「しかし、このマンションも取り壊しかあ。一人自殺者が出たからと言って、もう取り壊しになるなんて、マンションもなんだかかわいそうだねえ。」

杉ちゃんは大きなため息をついた。

「まあねえ、事件が起きたところだから、そういう現場に遭遇するのは、なるべく避けたいっていうひとは、多いだろうね。」

蘭は、杉ちゃんをなだめるように言った。

先日、瀧本和也が転落死したマンションは、大家さんの意向で、取り壊されることになったのだ。なんでも事件が起きてから、退居する人が続出してしまったらしいので。重機が、マンションの鉄骨をつぶしていくのを、杉ちゃんも蘭も悲しそうに眺めていた。

「仕方ないと言えばそれで済むのかもしれないが、このマンションが建った時は、テレビで宣伝したりするほど大騒ぎだったね。」

杉ちゃんがそんなことを言うので、蘭はなんとなく思い出した。駅前に巨大なマンションができたとして、あの時は確かに大騒ぎだった。それに家賃が月々30万もするというから、誰が住むのかと噂をしたものだ。一般人でも、そんな金持ちが富士にいるということは、さらさらないので。

でも、結果として、このマンションは、今回の事件のために取り壊されることになってしまった。本当に、数年の短命なマンションだった。

「本当に、みんな退居しちゃったんだな。なんでこんなに早く取り壊さなければならなかったんだろう。」

杉ちゃんがぼそりと言った。

「まあね、いくら30万の家賃がかかると言っても、賃貸マンションだし、永住する人はいないよ。」

蘭は、杉ちゃんに言った。

「でも、マンションには自治会とか、そういうものがあって、ちゃんと管理人とかそういうひとがいるはずだよな。それで、隣に誰が住んでいるかくらい、把握しておくもんだけど?」

と、杉ちゃんがまたいうが、

「杉ちゃんそれはもう古いよ。今の時代は隣同士で交流を持ったりすることもないし、管理人がいるマンションも少ないよ。」

と、蘭はまた反論した。

「そういうものかあ。」

「そうだよ。仮に僕らがマンションに住んでいたとしても、ほとんどの人は、管理人さんのお世話になることはないし、世話になるのは僕たち障害者くらいのもんだろう。杉ちゃんの考えはもう古い。」

蘭は、そういったが、心の内では、取り壊しになるなんて、やっぱり古いよなと感じていた。

「まあ、其れも仕方ないよね。時代はなんでも人間いらずで進んでるさ。」

と、蘭が言うと、前方から一人の女性が近づいてきた。なんとなく、瀧本和也に似た雰囲気を持っている。彼女は、マンションが取り壊される様子を見て、ひどく驚いた顔をしていた。まるで取り壊しになったことを初めて知ったかのように。

「あの、失礼ですが、お二人は、このマンションの住人の方ですか?」

と女性は、杉ちゃんに尋ねた。

「いや、僕たちは、このマンションの近所に住んでいて住人ではない。お前さんこそ誰なんだよ。」

と杉ちゃんが聞くと、

「はい、瀧本和也の姉の瀧本恵理子です。」

と、彼女は答えた。お姉さんとは、大変びっくりしてしまった杉ちゃんと蘭であるが、瀧本という名前と、顔つきがなんとなく似ていることから、そうなんだなとわかった。

「ああ、そうですか。じゃあちゃんとご家族がいらしたわけね。」

と、杉ちゃんがすぐ反応した。

「そのお姉さんがなんでこんなところにきたんだよ。」

「ええ、一度、弟が亡くなった現場を見ておきたかったんです。弟がああいう死に方をしたというのは、私はどうしても気になってしまって。」

「気になるって何かあったのか?」

と、杉ちゃんが聞くと、

「ええ、弟が芸能関係に入ったのは、もとは私の責任ですから。私が、精神状態が悪くなった時に、弟が、自分が芸能人になって、治療費を稼ぐからと言ったんです。それで、弟はのど自慢大会に

応募したんですよ。」

と、彼女は答えた。

「そう何だねえ。」

杉ちゃんは相槌を打った。

「ええだから、今回のことは、私が悪いような気がしてしまって。ほかの人は、仕方ないことだと言ってくれるんですけど、私はどうしてもそうは思えなくて。それで気になってこっちへ来させてもらいました。」

「そうかあ、それは大変だったな。有名人ってのは、なかなかつらい顔を外には見せないようにできているから、そんなことが在ったとは知らなかったよ。まあ、無理するなとも言えないし、大変だったねとしか、言いようがないなあ。」

杉ちゃんは、彼女の話にそう返答した。

「ええ、もとはと言えば私が弟に頼りすぎてしまったかもしれません。弟は、頻繁に私に連絡をよこしてきましたが、何か悩んでいるとか、そういう様子は一度もなかったんです。私がメールを送っても、ただ元気だとか、新曲をつくっているとか、そういうことを言うばかりで。だから、私は、弟の生活は、順調だったんだと勝手に思っていました。」

「ちょっと失礼。弟さんが、中村櫻子さんの傘下にあったことは知っていましたか?」

蘭は、恵理子さんに聞いた。

「いいえ、其れも知りませんでした。弟が、そんなものに安心感を得ていたのも知りませんでした。」

恵理子さんは、正直に答える。

「中村櫻子さんのことは、時々雑誌などで読んだ程度で、それ以外のことは知りません。まさか弟がかかわりを持つことになるとは、、、。」

そういう恵理子さんに、蘭は、櫻子さんと一緒に、和也君が杉ちゃんの家に来訪した時のことを話し、

「櫻子さんのような、宗教的指導者に頼るほど、和也君は追い詰められていたのでしょうか?そのあたりを、お姉さんであるあなたなら、もしかしたら知っているのではないかと思ったんですが?」

「いえ、私何も知りません。本当に何も知らないんです。和也が、そういうひとのところに行っていたことも知らなかった。言い訳をするようですが、本当に、知らないんですよ。」

恵理子さんの話は、何も知らないということから、真実に近いのだろうと思われた。そういうのだから本当何も知らないのだろう。

「まあ、僕たちは警察ではないので、さほど厳格に質問したりはしないですけど、あなた、弟さんのことをちゃんと見ていなかったような気がしますよ。それは、ちょっと反省した方が良いのではないでしょうか。僕はそう思いますね。」

と蘭はちょっときつい口調で恵理子さんに言った。

「ごめんなさい、、、。」

と涙を見せる恵理子さんに、

「まあいいじゃないかよ。しょうがなかったということもあるさ。」

と杉ちゃんが、そういって慰めたのであった。

「でも、確かに、そちらの方のいう通りでもあります。私、人生無駄にしちゃったというか、時間を浪費するしか方向がないから。家の中で居心地が悪いと言っても、誰かに助けてもらって、代わりにやってもらうしか能がないでしょう。其れしかない人間なんて、生きている価値なんかないんじゃないですか。」

「そうだねえ。生きる価値のない人間は意外に長命であるということはきっと確かだろう。僕みたいなバカな人間も含めてな。」

と、杉ちゃんはからからと笑う。

「杉ちゃん、それは言っちゃいけないよ。そんなひどいセリフ。」

と、蘭が注意すると、

「そうだけど、それは事実だからね。それは世の中の定義みたいになっててさ。いてほしい奴らが割と短命で、いつまでたっても心の中に残り続けると言って我慢しているのによ。悪い奴は、のらりくらりと生きている。そういうのが世の中ってもんだよ。」

「杉ちゃん、いくら何でもそれは言いすぎだ。彼女だって、そういうことを言われて一度や二度は、傷ついているはずだから。」

蘭は、彼女をかばったが、いいんですよ、と彼女は言った。

「いいんです。私、正直に言って、弟が人気が出てくると、弟に食べさせてもらっている割に、弟が人気歌手で、私はただのダメな人かなんて、嫉妬したことありましたから。その報いを私が受けたということになりますから。いいんですよ。」

「そうですけどね。」

と蘭は言ったが、彼女はにこやかに笑って、もういいんですと言った。

「それであなたは、これから先どうするつもりですか。弟さんが亡くなられて、一人で生活でもしていくつもりですか?」

蘭は、彼女に聞いた。

「そうですね。私は、もう頼る人もいないので、施設にでも入るしかないかなあと。もう、私の人生は終わったようなものだし。」

と、恵理子さんは、申し訳なさそうに言った。多分選択肢はそれ以外ないのだろう。それしかないというのは確かなんだけれど、なにかそれは言ってはいけないような気がする。

「あとは、静かに過ごせばよいかなあと思っています。」

「いや、違うだろ?」

と、杉ちゃんが言った。

「本当は、弟さんがどうして自殺したのか、調べたいんじゃないのか?違うかい?」

「そんなことないわよ。あたしはもう、生きていても価値はないわ。」

「弟さんのことを晴らすのも、お前さんの使命だとおもうよ。」

と、杉ちゃんはきっぱりいった。

「先ほども言ったけど、逝ってほしくない奴ほど簡単に逝っちゃうものでね。ほんとにどうでもいいやつばかりが、のうのうと生きているのが、人間社会ってもんだ。だけど、逝っちゃった奴のしたことを、目指していくっていうのも、また、生きているやつらの使命でもあると思うんだよね。お前さん、いくら施設で暮らすことになったとしても、外出の自由くらいはあるんだろう。其れなら、その時間をどう使うかは、お前さんの自由だよな?」

と、杉ちゃんは言った。

「そうですね。私も、弟の死については、不可解なこともあります。私も、出来れば、弟がなぜ自殺したのか理由を聞きたいくらいです。」

彼女、つまり瀧本和也君のお姉さんは、静かに言った。

「よし、其れなら、もう言葉はないよな。頑張って弟さんの自殺の理由を調べよう。僕も、協力するし、ここにいる蘭だって、協力できるよ。な、そうだろう。」

杉ちゃんに言われて蘭は、あ、うん、と頷いた。

「それでは、決まりだよ。弟さんの自殺について、一寸調べてみよう。まあ、マンションは取り壊されてしまったけどよ。弟さんにつながるものはなにかあるはずだし。」

と、杉ちゃんに言われて、彼女、瀧本恵理子さんは、はいと頷いた。

「とりあえず、富士市の警察署に行って、お姉さんだと言えば、警察も捜査経過を教えてくれるんではないでしょうか。」

と、蘭はそう提案すると、恵理子さんは、はいといった。そこで蘭がタクシーを呼び出し、警察署へ向かって、走って行ってもらった。

「ああ、よく来てくださいました。お姉さんが見えてくれるなんて、和也君は、とてもうれしいと思います。」

警察署に行って、受付に、瀧本和也の姉であるというと、応対した華岡は、丁寧に言った。そういうところは、芸能人の身内というのは得をするものである。

「まあ、こちらにいらしてください。」

と、杉ちゃんたちは、面談室に通された。とりあえず、捜査状況を教えてくれと蘭が言うと、華岡は、

「ああ、遺書のようなものは何も見つかっていないのですが、容疑者らしき人も、見当たらないし、飛び降りた瞬間を目撃した人も誰もいなかったので、自殺と判断しました。とりあえず、彼の、前日の行動を調べてみましたところ、彼は、芸能事務所の方々と、かなり折り合いが悪かったということは、わかっております。なんでも、小山田和也といえば、恋愛歌の天才だと言われていたようですが。」

確かにそうだ。華岡が言う通り、小山田和也という歌手は、男性でありながら、女性の恋愛感情を繊細に歌い上げるということで、人気のある人物だった。

「ああ、確かに、僕も彼のプロモーションビデオとか見たこともあります。僕から見ると、なんだかなよなよしていて、弱そうな男だなと思ってましたけど。」

と蘭が言うと、

「いやあ今は、こういう時代だから、恋愛の悲しみを歌う人のほうが流行るんじゃないのか。若い奴の流行歌は、俺もよくわからないこともあるけどな。」

と、華岡は、腕組みをした。

「で、その恋愛歌ばかり作らされるのが嫌になった小山田は、もっと自分らしい歌を作りたいと言って、事務所側と対立していたようなんだ。まあ、事務所側としては、小山田にいつまでも、変わらないで欲しかったらしいけどさ。小山田のほうは、人生の悩みとか、つらさとか、そういう事も歌いたかったらしいんだ。」

「そうですか。それは聞いたことあります。弟は、昔から、詩を作るのが好きで、よく子供のころ、詩のコンクールなどに入選したりしていました。学校の先生が、金子みすゞみたいだねと言って、からってました。」

と、恵理子さんは、そういうことを言った。

「うん、それはちゃんと聞いている。小山田の曲作りはいつも詩先で、それができてから、曲をつけていたらしい。まあ、音楽評論家のひとによると、小山田の曲は、音楽表現としては未熟なところも在るが、歌詞にあう、静かで憂鬱な感じがよく出ていると言っていた。」

「そうなんです。弟は、そういわれていました。一度、クラシックの雑誌にも取り上げられたことが在ります。なんだか最近のポップミュージックは、電子楽器ばかり使って、その音に合うようなキーキーした声のひとが多いと言われてますけど、弟は、思いついてた曲はすべて譜面に書いてました。まったく、音楽学校を出たわけでもないのに、なんでそんなにきっちりと書くのかわからないほど、きちんと書いていました。」

華岡が言うと、恵理子はそういうことを言った。

「なるほどねえ。譜面にすべて書いていたのか。僕も動画サイトで、小山田和也の曲を聞いたことがあるが、昭和時代の歌謡曲のような感じもして、しっかりしているなと思った。」

と蘭が、そういうことを言った。

「そうなんですね。私は、そういうことをしている弟に、なんで自分が、この人の姉という、負担を

かけられなければいけないんだろうと思ってしまいました。」

恵理子は、申し訳なさそうに言った。

「ということは、弟さんに恨みがあったとでも言うんですかねえ。」

と華岡がいうと、

「警察の方にしてみればそういう事だと思うんですけけど、、、。」

恵理子は言葉に詰まった。

「じゃあ恵理子さん、弟さんが飛び降りた時、あなたどこにいたんですかね。」

と華岡が、警察らしくそう聞くと、

「ああ、私は、その時定期通院していましたので、病院にいました。米田クリニックというところです。それは、クリニックの看護師さんたちなどに聞けば、私が来ていたって、わかると思います。」

と、恵理子は答えた。華岡は一応メモしておきます、と言って、手帳にそれをメモした。

「でも、弟は自殺ともう判断がついているんですよね?」

恵理子は再度聞いた。華岡ははいと言った。それに恵理子は、わかりましたとだけ言ったのであった。


杉ちゃんたちがそういうことをしている間に、製鉄所では。

「一体誰なんでしょうね。こんな大金、僕がもらっても仕方ありませんよ。」

と、布団に寝そべったまま、水穂さんが、貯金通帳を開いて、大きなため息をついた。

「ええ、匿名で寄付するということで、私に送金をお願いしてきたんです。まあ、今は、インターネットで匿名で送金できる時代になっているのは間違いないんだけど。なんでも、水穂さんの口座番号教えろって、なんだか懇願するように言うから。それで、私は、そうするしかないと思って、それで送りました。」

と、浜島咲が、大きなため息をついて言った。

「それで、浜島さんは、その通りにしたんですか。軽い気持ちでやられちゃ困りますわ。だって、こういうことを悪用しようという人もいるんだから。」

由紀子が、いやそうな顔をしてそういうと、

「いや、それがねえ。本当に懇願するような感じだったのよ。だから、もしかして右城君も知っている人かなと思って、それで応じちゃったの。」

と咲は、またそういった。

「で、その送金したのは、一体誰だったんですか。せめて名前くらい名乗ったでしょう?」

「ええ、それは知ってるわよ。名前は確か、、えーとねえ、えーとえーと、」

と咲は、頭をかじって一生懸命思い出そうとした。由紀子が一つため息をつくと、、

「あ、思い出した!」

と、咲はでかい声で言った。

「まあ、送金何てさ、いまは機械でカタカタで打ち込んじゃうから、其れしか覚えてないけど、名前は、タキモトカズヤさんと言ってたわ。それだけはあたしはちゃんと覚えてる。」

「タキモトカズヤ。」

と、由紀子は全然知らない名前だと言おうと思ったが、

「聞いたことありますよ。僕が演奏活動していた時に、瀧本和也という小さな男の子が、僕が演奏した後に、舞台に花束を持ってきたことが在りました。確かその時はまだ、小学校の低学年くらいだったような。」

と、水穂さんが言った。

「そうなのね。つまり、ファンの一人だったわけか。でも、迷惑よね。こんなお金を、右城君に送ってくるなんて。あーあ、私もなんだか悪いことしちゃったみたいに見えるわ。でも、こんなお金を持っているんだから、相当な金持ちだと思うけど?」

咲はそういうことを言ったが、由紀子はもしかしたらこのお金で、水穂さんが治るチャンスを神様が与えてくれたのではないかと思った。由紀子は、そう思ってしまったのであるが、、、。

「まあ僕がもらっても仕方ないので、何処か福祉団体にでも差し上げましょうか。」

と、水穂さんは言った。


「そうですか、恵理子さんのアリバイは成立しましたよ。確かに米田クリニックに、通院していたことは、クリニックに電話して、確認をとれました。しかしですね、奇妙なことがわかりましてね。」

と、華岡は、又おかしなことが起きたと、恵理子さんのほうを見た。

「今先ほど、銀行に聞き込みをしてわかったことですが、なんでも、弟さん、つまり瀧本和也が、ある人物のところに、財産の一部を寄贈していることが分かったんです。」

恵理子さんの表情は何も変わらなかった。


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