第八章

 まだ夜も明けて間もない早朝に、キツネ目の男、河原浩司は現金八百万円とは別に、紙袋に包まれた固まりの入ったボストンバックを持って横浜にある古びた倉庫の中の一つに車で入って行った。そこには既に黒いセダンの車が一台止まっていた。

 浩司は車を黒い車の横につけ止まり、助手席に置いてあったボストンバックを肩にかけ、ドアを開けて外に出る。と同時に黒い車からも運転席から一人、助手席から一人降りてきた。後部座席にはもう一人乗っていたが、車から降りずじっと座っている。

「遅かったな」

 助手席から降りてきたオールバックの男が浩司に声をかけた。その声には怒気が含まれていた。明らかに相手は約束の時間より三十分ほど待たされたことに怒っている。

「すまない。ちょっとトラブルがあってな。申し訳ない」

 浩司は努めて冷静に相手の下手に出ないような口調で謝った。こういう奴らと付き合うには相当の駆け引きが必要になる。

 変に下手に出る態度を示すと、相手は調子に乗っていつまでもこちらをなめてかかってくる。といって、こちらが相手の上から物を言う態度をすると相手の怒りを買い、冷静な話し合いができなくなってしまう。

 あくまで対等な立場で臨機応変に態度を変えていかねばならない。引くときは引き、押すところは押すのだ。

「チッ、ちゃんと約束の金は持ってきたんだろうな」

 オールバックの男は舌打ちをしながら大きな声を出した。

 まずい。相当怒っている。黒の車の後部座席にまだ座っている男も相当イラついている様子が見えた。そう思った浩司は頭を下げた。

「本当に申し訳ない。実は昨日の夜、用意していたお金を自宅近くでヤクザ風の若い男達に襲われて盗られたんだ。それで、代わりの金をかき集めて用意するのに時間がかかっていたんだ。なんとか集めてみたが、現金では八百万円しか用意できなかった。その分残りの一千二百万円の代わりにヤクを用意した。末端価格で一千五百万円ほどはある。これで手を打ってもらえないだろうか」

「なに?金を取られただ? 代わりにヤク? 今回の代金二千万円は現金で用意する約束だったはずだが?」

 オールバックの男は浩司に歩み寄り、持っていたボストンバックを奪いとって中身を確認した。その時黒い車の後部座席から男が一人降りてきた。

 その男にオールバックの男が、

金杉かなすぎさん、金は河原が言うように現金は八百万円しかありません。代わりにこれが」

 とバックの中に入っていた紙袋を開けて中から白い粉の入ったビニール袋を取り出した。袋は十ある。金杉と呼ばれた男はその白い粉のビニール袋の一つあけ、中身を小指で少しすくって舐めた後、浩司の方を向いて言った。

「河原さん。確かにこのヘロインは純度と数からしても、あんたの言う通り千五百万円の価値はあるでしょう。しかし一体どういうことですか。約束が違うじゃないですか」

 言葉は丁寧だが彼の声は腹の底から出る迫力のある声だ。

「すみません。本当なんです。お金は用意していました。それが夜盗まれて今日の朝では、どうしても現金では全額集められなかったのです。しょうがなく、次の取引用に隠してあったヘロインを持ってきました。本当です。信じてください! どうしても現金でなければ、というなら今日にでも金を下ろして用意しますから」

 浩司は再び頭を下げる。その姿をじっと睨んでいた金杉はしばらくして言った。

「その話が本当だとしたら、あなたを襲ったヤクザ風の男達というのはどんな奴らです? 襲われた心当たりはありますか?」

「心当たりは全くありません。突然だったのです。ヤクザ風の男達というのは」

 浩司は痴漢で捕まったなどとは言わず、電車で手首をつかまれて自分を取り囲んだ男達の風体を伝えた。そしてお願いをした。

「もし金杉さんにその男達の心当たりがあったら、何とかしてもらえませんか。またどこかで見かけたら叩きのめしてもらいたいんです」

「もちろん、その礼金は今回の金とは別ですよね。いくら貰えるんです?」

 金杉の冷めた言葉に、浩司は言葉に詰まってしまう。

「も、もちろん別です。金を奪っていった奴らの件は二千万円全額取り戻していただいたら、そ、そう、ですね、五、五百万円ではいかがですか?」

「ほう。五百万円ですか。本当にそんな奴らがいたらですがね」

「ほ、本当です! 信じてください!」

 浩司の焦る姿を見て、少し考えた金杉は答えた。

「分かりました。今回は八百万円とこのヘロインで、神田雄一を処分した礼金としましょう。二千万円奪った奴らのことをもう少し詳しく伺いましょうか」

 そう言って金杉が浩司に近づいた瞬間、倉庫の中にばらばらっと突然人がなだれ込んできた。ざっと見渡しても二十人以上の人間が一瞬にして彼達を取り囲んでいる。

「な、なんだ、お前らは!」

 突然のことに驚いた金杉達が叫んだ。

 取り囲んだ男達の多くはスーツ姿だがその周りには警察の制服を着た男達も含まれていた。拳銃を構えている男達もいる。

「お、お前ら警察か!」

 そう叫んだ浩司に対して一人の男が、一歩前に出た。

「警視庁組織犯罪対策課だ。ここで暴力団がある取引をするとの情報を得た。無駄な抵抗はするな。そこにあるのはヤクだな。そして先ほどお前らは、神田雄一を処分した礼金とも言っていた。金杉! お前ら三人は河原圭が死亡した前後にフランスへ出入国もしている。河原浩司! お前は他の国を経由しているが同時期にフランスに入出国している。貴様ら全員、覚せい剤取締法違反及び河原圭、神田雄一殺害の容疑で逮捕する!」

 警官達が一斉に金杉と河原浩司たちを取り押さえる。

「ふ、ふざけるな、こんな逮捕は許されるわけない! なんなんだ、これは!」

 浩司の声がむなしく倉庫の中に響きわたった。

 

 

 倉庫での逮捕劇があった二時間後の朝八時、浩司の勤めていた商社の四十五階にある役員室の一室では大騒ぎになっていた。

「こ、これは何だ!」

 部屋に備えられたパソコンの画面に映る、ネットに掲載された動画を見て大野おおの取締役は叫んだ。

 大きな会社では誹謗中傷や内部告発などをインターネットに書き込みされていることがあるため、日々内容をチェックしている部署がある。

 その書き込みを確認している君塚きみづかという社員は、この会社に入社して本社四十階にある調査部に配属されてから二年間、一日中パソコンの前に座り画面を見続けるのが仕事だった。

 近年、どこの会社でも社内の人間が会社への不満や会社で行われている不正などを、ネット上で内部告発することが多くなった。

 手段としては掲示板と呼ばれる場所に書き込むことが多かった。しかし最近ではその会社の管轄している省庁のホームページなどに書き込まれることも少なくない。

 そのような内部告発から監督省庁が動いて調査し、企業に警告または罰則を与えたという記事も今では珍しくなくなった。

 君塚の仕事は、定期的にその掲示板と呼ばれる場所で会社のことが書かれていないか中身をチェックすることだ。会社名でネット検索を行い、同様の書き込みが他にもないかどうかも確認する。そして今日の早朝君塚はこの動画を見つけ、上司である調査部の部長に相談した。

 部長は事の重大性を感じ取り、すぐ君塚と一緒に社内コンプライアンス責任役員であり、調査部のトップである大野取締役に朝一番で報告をしたのである。

 そこには、インターネット上に会社の社員が痴漢をしている、という書き込みとその現場一部始終を撮影した動画が掲載されていた。

 その社員が電車の中で痴漢をしているところや近くにいた男の人に捕まった様子が映っている。さらに電車から引きずり下ろされ、痴漢した女性と捕まえた男性に対してアタッシュケースからお金を出して謝り、逃げるようにして電車に乗って行ったところも動画で流されていたのだ。しかしなぜか痴漢した男以外の男達や痴漢された女の顔にはモザイクがかけられている。 

 さらにその動画に対して

 ― これは一流商社の社員だ

 ― どこの社員だ?

 ― ●●だって

 ― え~!

 ― すごい金を持っているね

 ― いくらぐらいだろ?

 ― 二千万円くらい?

 ― スゴ~イ!

 ― 商社ってそんなに儲かるの?

 ― そんなわけないじゃん

 ― どうも会社の金流用しているみたいだよ

 ― ほんと?

 ― いや、不正な取引で稼いだ金だろ

 ― 不正な金って?

 ― 商社だから違法なものを輸出入してたりして

 ― 違法なものって?

 ― 麻薬とかじゃない?

 ― 盗品とか貴金属とか美術品とか?

 ― 二時間ドラマの見すぎじゃない?

 ― いや、ほんとらしいよ

 ― そんな社員を雇っている会社はひどいね

 ネット上で痴漢をした社員に対する批判だけでなく、その人間が勤めている会社への非難、誹謗中傷の書き込みが延々と続き、いわゆる炎上した状況になってた。

 なぜ会社名まで具体的に書かれているのか最初は分からなかったが、書き込みと動画の中の画像を拡大すると理解できた。

 痴漢した男が、取り押さえられた男に名刺を取り上げられた場面が動画に映っており、その名刺に書かれた会社名とその人間の名前、河原浩司の名前までがしっかりと映しだされていたのだ。 

 この書き込みを見た大野取締役は君塚に指示をした。

「至急、河原という社員の直属の上司に連絡を取り、役員室にくるよう言いなさい! 河原という社員も出社しているようなら一緒に来るように伝えること! まだ出社していないようなら出社後速やかにこの部屋に来るよう指示しなさい!」

 役員の剣幕に追い出されるように、君塚は慌ただしく部屋をでると、隣にある秘書席の机に移動し、社内部署の全てが記載されている内線一覧表から河原の所属する部署の内線番号を調べ、呼び出す電話をかけた。

 おそらくこの時間なら河原自身が居なくても、部署の管理職または他の社員が一人や二人は出社している。君塚の予想通り河原の部署、本社の三十階にある流通管理部はすぐに電話に出た。

「流通管理部です」

 声は低いが丁寧ではっきりした声だ。

「おはようございます。調査部の君塚といいます。流通管理部の畠田はただ部長はいらっしゃいますか」

「畠田は私だが。調査部? 朝早くから何の用かね?」

 先ほどまでの丁寧な言葉が一変してぶっきらぼうで不機嫌な声に変わった。

 この会社では始業時間の朝九時より一時間くらい前の朝一番にかかってくる内線は、社内でも早く出社する役員クラスの人間がそれぞれの部署の責任者にかけてくることが多い。

 そのため、部署の責任者も役員から電話があった時に出社していないと格好がつかないため、それよりも早く出社して電話に備えていることが慣例となっていた。畠田部長もそうだった。

 それなのに朝一番の電話が役員ではなく平社員らしき若い男から、しかも調査部という現場にとっては嫌な印象しかない部署からの電話であれば不機嫌になるのもやむを得ない。

 それにしても急変した態度にむっとしながら、君塚は用件を伝えた。

「朝早くに申し訳ございません。大野取締役の指示で電話をしております。そちらの流通管理部には河原浩司という社員がいると思うのですが、もう出社されていますか?」

 大野取締役という名前が出て、畠田は急にまたかしこまった言葉に戻り

「大野取締役からですか。はい。たしかに河原浩司というものはこちらの部に居ますが、まだ今朝は出社していません。取締役は河原にどういったご用件があって」

 そう答える言葉に割り込むように君塚は、はっきりと、しかし厳しい口調で告げた。

「河原さんはまだ出社されていないのですね。それでは畠田部長お一人で結構です。至急、大野取締役のいらっしゃる役員室へおいでください。また河原さんが出社次第、同じく役員室に来るようにどなたかにお伝えしていただけますか。大野取締役がお呼びです。畠田部長は役員室まで今すぐお急ぎください」

 心の中では態度がころころと変わる畠田部長に対して怒りを覚えていたが、大野取締役の威を借り、命令口調で部長を呼び出すことで君塚はその憂さを少しだけ晴らした。

「わ、わかりました。今すぐ伺うと伝えてください」

 部長は内線を切った後、すでに出社している部下に、

「河原が出社したらすぐに大野取締役の役員室にくるように伝えてくれ」

 と指示し、自分も急いで役員室に向かう。

 四十五階にある役員室に向かうためエレベーターに乗った畠田は

「まずいな。河原の取引がばれたのか」

とつぶやきながら、携帯をだし、河原の携帯にかけた。つながらない。電源が切られているようだ。留守番電話にもならない。

 チッ、と舌打ちした畠田はすぐに別の役員の携帯を鳴らした。しばらくして携帯に出た役員に向かって畠田は言った。

近藤こんどう常務。今、調査部経由で大野取締役に河原のことで至急の呼び出しを受けました。今向かっています。まだ詳しいことはわかりませんが何か取引でばれたのかもしれません」

 電話に出た近藤は、慌てて携帯から電話をかけてきている畠田の声を聞いて言った。

「大野が? 河原のことで? わかった。何を聞かれても今はわかりません、と答えて時間を稼げ。大野が何をつかんでいるのか、どこまで知っているか聞きだした上で後から報告しろ。いいな」

「私と一緒に河原も呼ばれています。まだ出社していないのですが、このことを伝えようとしたのですが携帯が通じません」

「なに! あの馬鹿が。何をしているんだ。まあいい。今日のところは知らぬ存ぜぬで押し通せ! あとでなんとかしてやる」

「わかりました。大野取締役とのお話が終わりましたら、後ほど伺います。お願い致します」

 そう言って畠田は電話を切った。エレベーターはすでに四十五階に降りていて、もう目の前に目的の役員室がある。畠田は役員室の扉の前で深呼吸をし、そしてドアをノックした。

 

 始業時間の九時少し前に、河原の所属する流通管理部あてに本社一階にある受付から内線が入った。この本社は五十階建ての自社ビルですべてのフロアにこの会社の部署が入っている。

 セキュリティの問題で、IDカードを持った社員以外は全て一階の受付窓口を通し行き先を告げ許可を得ないと入館できない仕組みになっていた。

 一階には警備員もいて厳重に入館者をチェックしており、9・11のテロ以来高層ビルではこういったセキュリティシステムを導入しているところは多くなっている。

「はい、流通管理部ですが」

 先ほど畠田部長から河原が出社したら役員室へ来るようにと言われた前野まえの副部長が電話に出た。まだ河原は出社していない。なんどか役員室から河原はまだか、という確認の電話が入るたびにまだです、と答えていた。

 何か緊急事態が起こったと感じた為、先ほどから河原の携帯に何度か電話をかけたが電源が切られているようで全く通じない。いつもならとっくに出社している彼から全く連絡もない、ということに不安を感じていた矢先に、受付から内線が入った。

「流通管理部の河原浩司さんの件でお伺いしたいことがあるといって警察の方がおみえです。どなたか上司の方にお会いしたいとおっしゃられていますが」

「警察だって!」

 部長の畠田はそれこそ河原の件で役員室にいるため席をはずしている。会うのならば副部長である前野が合わなければならない。しょうがなく受付の女性に答えた。

「わかった。こちらにお通ししてください。」

 しばらくしてエレベーターからスーツを着た警察と名乗る刑事が四人降りてきて、前野のいるフロアに入ってきた。

「警視庁組織犯罪対策課のものです。あなたがこちらにお勤めの河原浩司さんの上司に当たる前野副部長さんですか」

 一人の刑事が胸ポケットから身分証を出してみせ、前野に聞いた。

「はい、私が前野です。この部署の責任者の畠田は今席を外しておりまして、代わりに私がお伺いします」

 そう説明し、流通管理部の応接室に四人刑事を案内した。

 組織犯罪対策課だって? たしか暴力団などを取り扱う部署であったと思ったがなんでそんなところの刑事が来るんだ? と応接室に刑事を案内する間、前野はそう考えながら首を傾げた。

 警視庁の組織犯罪対策課というのは、いわゆるマル暴と言われる暴力団関係を主に取り扱う部署であり、二〇〇三年四月に銃器対策、薬物対策を行っていた生活安全部の一部と統合されて新設されたできたところだ。

 前野は四人の刑事を応接室の席に座らせた後、早速切り出した。

「ところで、こんな朝早くから警察の方が来られるなんて。当社の河原がどうかしましたか? 実はまだ彼は出社していないのです。いつもなら出社しているのですが、本人の携帯に連絡しても通じず、本人からの連絡もないため心配していたところだったのです。事故か何かあったんですか?」

 すると刑事の一人が答えた。

「いえ、実は河原浩司は今日の朝未明に覚せい剤を所持しているところを現行犯逮捕されました。しかも暴力団と一緒のところです。そしてある殺人事件にも関与している疑いもかかっております」

「覚せい剤で逮捕されたですって! 暴力団と一緒って、しかも殺人事件なんて」

 あまりのことに絶句した前野は完全に混乱していた。刑事はそれを無視するかのように

「間違いありません。さらにこのようなものがネットに」

といって、脇にいた別の刑事がタブレットを取り出して画面を開き、前野の方に向けた。

 刑事の出したタブレットは無線でネットに繋がっているらしい。そこに何かが掲載されているようだ。

 前野は混乱したまま、その画面を覗き込んでしばらくじっと見ていた。

 動画だ。何かを撮影しているようだが。そこで気付いた。動画の中で映っている男の一人は河原だ! そして彼が痴漢をしている状況からお金を渡して逃げるところまでが映し出されている。しかも途中で会社の名刺までが映っていた。間違いない。河原だ。

 さらに渡しているお金は二千万円ほどあるようで、そのお金が会社の不正取引で得たお金であるかのような書き込みまでされている。

 この事か、朝から部長が役員室に飛んでいったのは。そう合点が行った前野は、だんだん状況を把握することができた。しかし、そこで覚せい剤で暴力団と殺人事件がどうつながっているんだ? まさか、河原が覚せい剤を密輸入しているということか? それを暴力団に渡していたのか? 殺人事件というのは? 

 またまた頭が混乱する前野に対して刑事が説明してくれた。

「この動画から、前原浩司は昨日の夜に女性に対してわいせつ行為をしているとみられ、さらにそのあと、暴力団と覚せい剤と現金を持って会っているところを逮捕されました。この書き込みにあるように、河原浩司はなんらかの不正取引を行っていたと考えられますし、河原浩司は商社であるこちらの社員だ」 

 そして前野の眼をじっと睨んでこう続けた。

「こちらの部署では海外取引も当然行っていらっしゃいますよね。河原浩司は末端価格一千万円を超える覚せい剤を所持していたことから、会社での海外取引を利用して違法な輸入をしていた疑いもあります。そのための調査を行いたいのですが、ご協力いただけますか?」

 前野は自分の頭から血の気が引く音が聞こえたような気がした。

 とんでもない事件が起こった。わが社の社員が覚せい剤を行っていることが明らかになれば、会社は大打撃を受けるであろう。当社ほどの大きな会社であれば倒産とまではいかなくても、どんなことが起きるかわからない。まして自分の部署の部下が起こした不祥事だ。左遷はもちろん、最悪クビになることだってある。

 真っ青になっている前野に、刑事は再度大きな声で問い詰めるように尋ねた。

「ご協力いただけますか?」

 はっと我に帰った前田は答えた。

「少々お待ちください。私の一存では判断しかねます。至急、上の者に報告いたしますので、しばらくお待ちいただけますか」

 そして返事も待たず、応接室から逃げるように出た。そして部屋から出た前田は警察が来ている、とざわつき心配そうにしている女子社員の一人を捕まえて言った。

「応接室にいる刑事さんにお茶を出してくれ。四人分だ。だが何か聞かれても答えるな。話は上司が戻ってからと伝えて、聞かれても何も答えるな。いいな」

 そう念押しをしてから自分の席に戻り、受話器をとって畠田部長のいる役員室の内線番号を押しすと、スリーコールで部長が出た。

「どうした、河原はまだか」

 そう聞く部長に前田は受話器をおさえ周りに聞こえないよう小声で経緯を説明した。

「すみません。河原は今日の朝方、覚せい剤を持っているところを警察に逮捕されたそうです。その時暴力団と一緒だったそうです。今その件で警察の方が来ておりまして」

 前田はさらに、警察からの調査の協力依頼に対してどう対応するか指示を仰いだ。

「インターネットのことまで警察は知っているのか!」

 前野の説明を聞いた畠田は驚き、前田に指示をした。

「役員と相談するから、それまで待て。俺が戻るまで何もするな、いいな」

 電話を切った畑田に対し、経緯を聞いた大野取締役が怒鳴った。

「警察だって? 河原が逮捕されたというのは痴漢ではなく覚せい剤所持だというのか。しかも暴力団と一緒とはどういうことだ! 彼は暴力団と付き合いがあったのか。先ほどから君は何も知らない、というがどういうことだ! 管理不行き届きも甚だしい! なんとか説明したまえ!」

「申し訳ございません。しかし、先ほどからお話しているように私は全く知らないのです。警察が来ているというのでその対応をしなければならないのですが、戻ってよろしいでしょうか?」

 畠田は今にも腰を上げそうな勢いで告げた。大野に呼び出されたが近藤常務の指示通り、何も知らないとのらりくらりと尋問をかわしていたので、ここから出るいい機会だと考えたからだ。

 一番目の前に呼び出されて困る河原自身は来ない。いや来ることができなかった。すでに逮捕されているというもっと最悪の事態を招いている。

 こんな所でぐずぐずしていられない。そう焦る畠田に少し考えた大野取締役は言った。

「わかった。あとでしっかり説明にきたまえ。警察には今わかっていることだけを話せ。そして一度お引き取り頂いたあと、至急、彼の取引状況を社内調査しなさい。そして河原の容疑が確実であると判断したら、すぐに彼を懲戒解雇処分する。わかったな」

「わかりました。必ず調査して報告いたします。では失礼します」

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