とある名領主
チョーダ帝国には、褒め讃えられつつも
その名はドゥラギリア・カンダルファン侯爵。
まだ三十歳にも満たない青年貴族だが、この国でその名を知らぬ王侯貴族はいない。
ドゥラギリア侯爵は先の戦争において、名のある屈強な騎士よりも多くの武勲を立てたことから、皇帝陛下の覚えめでたく若輩ながら叙爵された幸運の持ち主だ。
だが、その爵位が名誉爵とも言われる下級の騎士爵や男爵ではなく、帝国領地の一部を統治する「侯爵」ともなれば、他の王侯貴族は黙っていなかった。
「いくら武勲を上げたとしても、平民をいきなり侯爵にするなど」
「そうです。貴き血を継ぎ続けてきた帝国貴族の品性が失われてしまいますぞ」
「せめて男爵から徐々に功績を積んで陞爵させては?」
そもそも、ドゥラギリアは家名も何も持たない一兵卒なので、上流階級の者たちからは
だが皇帝陛下はそのような貴族たちの言葉に耳を貸さず、毅然と帝国東部の【カンダルファン領】を与え、ドゥラギリアは晴れてドゥラギリア・カンダルファン侯爵となった。
「カンダルファン? はて、聞いたことのない……」
「前任はどこの貴族家だ? なに、前任がいないだと? 新しい領地か?」
「ははは。街道もなく何一つ整備されていない辺境を与えられても、税収どころか領民もいないのではないか?」
貴族たちは聞いたこともない土地の名に「そんな名も知れぬ辺境ならば与えたところで羨ましくもない」と溜飲を下げた。
もちろん彼らは、ドゥラギリアという一兵卒上がりの若輩貴族が、名も知れぬ辺境を僅か三年で帝国随一の税収を誇る産業地に変え、更に風光明媚な観光地として諸外国からも人が訪れるようなブランディングに成功するとは夢にも思わなかっただろう。
そんな手腕を発揮したドゥラギリア侯爵は、定期的に自領で社交界を開催する。
かつては貴族たちに招待状を送っても「そんな辺境になど行くものか」と蔑まれていたが、今では「招待状が届いた!」と他の貴族に自慢するほどの価値になっている。
王族はおろか皇帝陛下ですら滅多に招待されないこの社交界は、どこの国でも見たことがない物珍しい食事や酒が、さらに物珍しく美しい食器やグラスで振る舞われ、なんと御手洗場は帝都王宮にもない下水道が完備され、水洗式便座に魔石で動作するウォシュレットも付いている。
「真夏だと言うのに、どうしてこの会場は涼しいのだ」
「水系の魔術師を大量に雇い入れて気温を下げているのだろう」
「そんな者たちはどこにもいないのだが」
「貴公ら、あちらのテーブルでドゥラギリア侯が【えあこん】という魔道具を紹介されていたぞ。室内温度を調節することが出来るそうだ!」
「なんと、そんな便利な魔道具が!?」
「あのトイレと一緒に、ぜひうちにも欲しい!」
この社交界の主催であるドゥラギリア侯は多忙を極めた。
今も有象無象の名も知らぬ貴族たちのテーブルに赴いては、まるで見知った友人であるかのように歓談し、前世の知識を用いて領内で開発した魔道具を売り込み、領内各所に作った観光地への誘致を行っている。
ドゥラギリア・カンダルファン侯爵は、瞬く間に領民の生活を豊かにし、その結果帝国も豊かにした功労者である。
だが、この場にはそんなドゥラギリア侯爵を快く思っていない者もいるようだ。
今も歓談するドゥラギリア侯爵の精悍で端正な横顔を睨みつけるように見ているのは、隣領を統治しているヘヴァン・カッシング伯爵だった。
「ドゥラギリア侯爵はそろそろ結婚を考えられては?」
「それでしたら当家の長女などいかがでしょうか。なんでしたら妾として全員持っていってくださっても」
「というか私を、ぜひ!」
「おっぱい派? 顔派? 足? それともお尻かしら?」
「あらやだ皆さんお下品ですこと。女は締りと相場が決まっておりましてよ」
見目麗しい貴婦人たちから結婚を促されて顔をひきつらせているドゥラギリア侯爵。その侯爵を睨みつけるように眺めているヘヴァン伯爵はとても苛々して、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「貴婦人をあんなに
そんなヘヴァン伯爵の元に小太りな中年男性が現れた。
「全くそのとおりですぞ、ヘヴァン伯爵」
「……貴殿は?」
「これは無作法を。私はターンクロークと申します」
ヘヴァン伯爵は記憶を辿ってターンクロークという名前を思い出した。確か国外との貿易で財を成し、帝国に多額の献金をしたことで男爵になった者だ。
「ターンクローク男爵」
「おお、私のことをご存知で在られますか。これは嬉しい」
本来は身分下の貴族から身分上の貴族に声をかけるのはマナー違反だが、社交界ではその辺りのルールが緩和されるので、ヘヴァン伯爵は不躾な隣人を許した。
「それにしてもドゥラギリア侯爵ですよ。ここの主催であるにも関わらず、客人である我々を放置してあのように美女を独り占めするなど。きっとあの中から選び抜いた美女と夜はぐちょんぐちょんに燃え上がるのでしょう。ああ、卑しい卑しい。これだから兵卒の成り上がり者はいけません」
ヘヴァン伯爵は『お前のほうがよっぽど卑しい』と喉まで出かかったがグッと飲み込んだ。
商家から成り上がった貴族だからなのか、ちゃんと彼の後ろ盾となり貴族社会のことやマナーというものを教示してくれる貴族との縁がなかったのだろう。今もヘヴァン伯爵からするとこの小太りな中年男性は「貴族ぶっている庶民」という印象が拭えない。
だが、ターンクローク男爵の方はシメシメと思っていた。
『ヘヴァン伯は継承権こそないが、皇帝陛下の血縁者だ。自分の血に高いプライドを持っているのは間違いない。だから成り上がりのドゥラギリア侯が持ち上げられるのを快く思っていないのだろう。そこに取り入れば後は簡単だ……。くっくっくっ』
ターンクローク男爵は思惑が顔に出るタイプのようで、伯爵に見えないようにドス黒い悪い顔をしている。
「しかしアレですなぁ、ヘヴァン伯」
「……アレ、とは」
「いえね。私のような男からしてみれば、ドゥラギリア侯のように美女を大勢
「ほう。憎しみとはまた物騒な」
「ものの例えでございます。そもそも領主がまだ未婚とは如何なものかと。あれはきっと特定の相手を作らず、いろんな女と遊んでいるのでしょう」
「そんなヒマはないだろう」
「へ?」
「
「あ……、そ、そうなんですか」
ヘヴァン伯爵がドゥラギリア侯爵を援護するように言ったので、ターンクローク男爵は思わず「嫌ってるんじゃないの?」と問い質しそうになった。
『嫌っているのではないとすれば、あの若侯爵を持ち上げるとするか』
ターンクローク男爵は手のひらを返してドゥラギリア侯爵を褒めてみた。
「しかしこんな遠目から見てもドゥラギリア侯は美男子ですなぁ。あれほど整った顔立ちをしていて傷一つない。軍にいた頃はさぞかし上官からモテたことでしょうな。くっくっくっ」
「御覧くださいヘヴァン伯。私が知る限りあのような美男子は皇帝の側仕えにもいないでしょう。それに礼服の上からでも分かる引き締まったあの体。まるで抜き身のナイフのように美しい。そしてあの御顔。美しいなどという陳腐な単語でしか表現できない自分の語彙のなさを恥じ入るばかりです。きっとあの眼差しで見つめられたら、女ばかりか男であっても……」
いつのまにかターンクローク男爵は自分の性癖を吐露しているようだった。実際彼は奥方や妾を持ちながらも、街で男娼を買って遊んでいるのだ。
「……貴殿の色好みをとやかく言うつもりはないが、場所を考えて控えたほうがよろしかろう」
「おっと。これは失礼を」
「ドゥラギリア侯の体がナイフか。詩人のような表現をする」
「お恥ずかしい限りです」
「彼奴は貴族になっても日々鍛錬を続け、戦える体を維持している。帝国のためにたゆまぬ努力を続けてるあの胆力は、同じ貴族として頭が下がる思いだと思わないか、ターンクローク男爵」
「そ、そうですな」
ターンクローク男爵は内心で『どういうことだ?』と困惑していた。
『ヘヴァン伯はドゥラギリア侯のことを彼奴と卑しめて呼んでいるし嫌っているのだろうが……。なんか褒めちぎっているような気がする』
そこにアハハウフフと貴婦人たちの笑い声が聞こえてきた。
ドゥラギリア侯爵の洗練された大人のジョークが、独身女性たちをころころと笑わせているのだ。
「チッ」
ヘヴァン伯爵はドゥラギリア侯の方を睨みつけながら舌打ちした。
『よしよし、侯を気に入っているように聞こえたのは気のせいか。このような舌打ちをしているくらいだから嫌っているのだろう』
ターンクローク男爵は安堵しつつ、気を取り直してドゥラギリア侯爵を卑下するための会話を続けた。
「そういえば……。ドゥラギリア侯が戦時中に得た武勲は、戦意向上のために誇張された御伽噺に過ぎないと聞いておりますが、本当のところはどうなんでしょう?」
「どう、とは?」
「あの見た目ですから、王侯貴族のご婦人にすり寄って英雄譚を捏造してもらったのではないかと口さがない連中が……」
口さがない連中などいない。もしドゥラギリア侯爵の関係者にこの会話を聞かれたとしても「自分が言ったのではない」と言える保険のため、でっち上げたウソだ。
そもそも、やれ「単身奇襲を成功させ、見事に敵将を討ち取った」とか「敵軍が放った魔物を殲滅せしめた」とか「敵兵に囚われし皇女を救い出した」といったドゥラギリア侯爵の英雄譚は、どれも現実的な話ではないので、本当に捏造だと思っている。
「全部事実だ」
またしてもヘヴァン伯爵自身が肯定したことでターンクローク男爵は驚いてしまい、二の句が出てこなくなった。
「貴殿は知らぬようだが、彼奴は単騎で敵陣に特攻を仕掛け、居並ぶ千や万の敵兵を蹴散らしながら前進し、敵の本陣で不埒にも女を抱きながら宴会をしていた敵将の首を八つ持ってきた。どれも一騎当千の猛者ばかりだ」
「て、敵将の首を八つも!?」
「うむ。それで敵軍は指揮系統に壊滅的打撃を受けた。我が帝国が勝利できた要因の一つだな」
「し、しかし八人とはまた随分な……」
「誇張ではない。戦場で私自らその惨劇を目の当たりにしたのだから」
「そ、そうなのですか。ヘヴァン伯爵が戦場に?」
「私は作戦参謀として参戦していたからな。ちなみにその八人の敵将が手篭めにしていたのは、どれも我が帝国の臣民だ。それを知って彼奴は、まさに鬼神のような働きで敵を倒し、彼女らを救い出したのだ。あれは―――怖かった」
「えっ? 【氷結】と名高いヘヴァン伯が恐れる程ですか!?」
「私にはそんな缶チューハイみたいな二つ名がついているのか……」
ヘヴァン伯爵は一瞬眉をしかめて憮然としたが、メイドがトレイに乗せて運んできたシャンパンを受け取ると、すぐに機嫌を直した。
「このシュワシュワの美味いことよ」
「な、なんですかその魔法薬のようなものは」
「シャンパンという。彼奴が考案した新種の酒だ」
「むむ……」
「ときにターンクローク男爵。カンダルファン領にある【八つの祭壇】は知っておられるか?」
「ええ、そりゃあもう……」
「あれは討ち取った敵武将の魂を鎮めるために作られたものだ」
「えっ、あの立派な建物が!?」
帝国三大観光名所の一つである巨大な祭壇は、もはや塔である。
それを見た高名な芸術家や建築家たちは「こんな複雑な建造物を作るのは神か悪魔か」と、己の才能の無さに嘆いたと言われている。
しかし、デザインから建築まで、すべてドゥラギリア侯爵が一人で行ったことはあまり知られていない。
「軍の主要な将軍を失った敵国は、卑怯にも魔物を扇動して我が帝国に
「はぁ!? そ、そんなことが人間一人の手でできるのですか!?」
「出来たのだよ。その時も私はこの目で見ている。どんな知略も意味をなさない圧倒的な数の暴力に対し、彼奴は天が割れるほどの雷槌を視界いっぱいに落とし、何万もの魔物たちを一瞬で駆逐した。あれは―――マジ怖かった」
「え、ち、ちょっとお待ち下さい。当時は一兵卒だったドゥラギリア侯が、そんな戦略級魔法を使ったというのですか!? そ、そんなの伝説にある異世界からやってきた勇者みたいじゃないですか!」
「勇者か……」
ヘヴァン伯爵は少し遠い目をした。
「ああ、その時倒した魔物たちの遺骸から得た素材が加工されて帝国兵の装備増強に繋がって、結果的に敵国を国境まで押し戻せたのは有名な話だが、商家の貴殿なら知っているのではないか?」
「そ、そうでしたっけ」
「ついでに教えておくが、皇女救出も本当の話で彼奴の手柄だ」
「えー……」
「いよいよ兵も武器もなくなった敵国が最後の手段として試みたのは皇女誘拐という卑怯極まる計画だった。しかし彼奴は帝国内の内通者と共に敵を討ち倒し、皇女様は無事にご生還なされた。ちなみに皇女様を連れ去ったのは敵国に雇われた【黒の騎士団】だ」
「ええっ!? 天下に名を轟かせる最強の暗殺集団ではないですか!」
「その後も大変でな。皇女様が彼奴に求婚するやら、親バカで子煩悩の皇帝陛下がそれを強制的に支援しようとするやらで、帝国内部が揺れに揺れたのだが、そのあたりのことも知らぬか」
「え、あ、はぁ。ははは……」
笑ってごまかしているターンクローク男爵だが、自分の無知を晒してもヘヴァン伯爵に取り入るために話を続けるしかない。
「しかしヘヴァン伯の治められているカッシング領はここよりずっと帝都に近く、長く栄えておられる。ここも一見すると栄えておられるが、伯爵領の栄華とは比べ物になりますまい?」
ヘヴァン伯爵が領主を務めるカッシング領は、ここより高地にあり死火山に出来た湖が美しく、王侯貴族の避暑地としても有名だ。いくらカンダルファン領がここ数年で栄えたとしても、古くから栄えているカッシング領には敵うまいとターンクローク男爵は考え、ヘヴァン伯爵を持ち上げたのだ。だが―――
「確かに比べ物にならないほど彼奴の領地は多大な税収がある」
「……へ?」
「私のように帝国になんの益も
「そ、そんなにご自身を卑下なさらなくても……」
「まぁ聞きたまえよターンクローク男爵。彼奴の領地改革は見事の一言に尽きるのだ」
いつの間にかヘヴァン伯爵はドゥラギリア公爵を褒め称える側に回っていた。
「武勲を上げて拝領したドゥラギリア侯は、最初こそ領民たちからまったく期待されていなかった。しかし赴任してほんの数年で信奉されていると言っても過言ではないほどに敬われるようになった。それはなぜか? 彼奴の領地改革が信じられないほど成功したからだ」
「ええと……。領地改革とは?」
「彼奴の領民は元々が閉鎖的で、領土には名所も主産業もなく知名度はないに等しい辺境だった。しかし彼奴は諦めず、自ら旗を振って改革を推し進めた。その結果は貴殿も知っていることであろう」
「あ、い、いえ。私はあまり……」
ターンクローク男爵は脂汗が滲み出してきた額を拭った。
「ふむ? 商人である貴殿が知らぬとは。例えば農業だが、カンダルファン領は彼奴がテコ入れしたことで、たった一年で収穫高が何十、いや、何百倍にも増えた」
「なんと! そんな魔法のようなことが!?」
「ドゥラギリア侯爵の知識は素晴らしい。一つの土地で異なる作物を交互に育てる作法や、土地を休ませるという考え、そして農業に適した土への改良が行われた。その成果は帝国に献上され、他の領地でも積極的に行われ始めている。無論、我が領でも率先して取り入れているところだ」
「う、噂に聞いたことはありますが、その発案者がドゥラギリア侯だったとは……」
「貴殿は帝国名物【カレーライス】を知っておろう? あれも彼奴が発案したレシピだ」
「あの有名な!?」
「うむ。彼奴の考えた料理レシピはカレーライスだけではない。そのすべてが大人気だが、それは彼奴の領内で見向きもされていなかった不人気穀物の【ライス】を売るための手法だったわけだ」
「なんと……」
「ライス料理の需要が高まったことで、ライスは一転して人気の食材となり、帝国内でバカ売れしている。近々レシピと共に諸外国にも輸出されるようになるだろう。例えば隣国のアキュバとか」
ジッとヘヴァン伯爵はターンクローク男爵の目を見ている。吸い込まれそうでどんな嘘も見通すよう青い瞳だ。
ターンクローク男爵は脂汗を拭いながら目をそらした。
「そ、そうですか。自分の無知を恥じ入るばかりです。息子にすべて譲ったもので、めっきり外のことがわからず。ははは」
「それはそれは……」
「それにしてもドゥラギリア侯がそれほどの御方だったとは存じませんでした。さすがヘヴァン伯は博識でいらっしゃる。敬服いたします、ははは」
「博識? それは彼奴のことだな」
「えぇ……またそっち……」
ヘヴァン伯爵の口から出てくるドゥラギリア公爵の逸話が止まらない。
「彼奴は農業改革と並行して独占的で閉鎖的だった古い鍛冶ギルドを解体し、工業革命も行った」
「ギルドを解散!? そんなことができたのですか」
「うむ。彼奴は鍛冶ギルドが解体されても技術を提供しなかったマイスターたちを無視し、それより素晴らしい加工技術を領内の鍛冶屋に惜しみなく提示した。彼奴が定めた一定の品質を担保しつつも原価を下げる技法は帝国内に広まり、様々なカンダルファンブランドが名を高めている。貴殿が着ているその服の宝飾もおそらくはカンダルファンブランドだが」
「な、なんと……」
「それで職を失ったマイスターたちは、隣国のアキュバに迎えられていると聞いた。アキュバのスパイが扇動したという噂もあるが」
「そ、そうなんですか。へぇ……」
脂汗が止まらない。
「ここまでの話で理解できたかな、ターンクローク男爵」
「はい?」
「ドゥラギリア・カンダルファン侯爵のことだ」
「り、理解ですか?」
「見た目は見ての通りだし、武人で数々の武勲を立てた実績を持ち、しかも博識で領民に愛され、帝国からの給金と税収で帝国随一の富豪でもある。―――そして」
「そして?」
「―――そして独身だ。貴婦人が放って置くはずがない。侍らせたいと思わなくてもああしてよってくるのだよ」
「それは確かに……」
「よいかターンクローク男爵。貴殿とは
ターンクローク男爵はごくりと唾を飲んだ。
「まず彼奴は皇帝陛下やその御一家にかなり寵愛されている。そればかりかどういうわけかチョーダ帝国以外の近隣国家の王家からも気に入られている。それに帝国で一番の金持ちは皇帝家ではなく彼奴だ。彼奴に経済制裁でもされたら、どこの貴族も干からびるぞ。それと今更言う必要もないことだが、帝国最強は彼奴だ。貴殿の知り合いでドラゴン殺しはいるか? そのドラゴン殺しを一万人用意しても彼奴には勝てぬと断言しよう」
「ドゥラギリア侯は化け物かなんかですか」
「その化け物の所には帝国の下級貴族になりすましたスパイがよくやってくる」
ターンクローク男爵はビクッと背中をこわばらせた。
「これはたとえ話だが」
ヘヴァン伯爵の冷たい宝石のような青い瞳に見据えられ、ターンクローク男爵は全身から吹き出していた脂汗が止まったのを感じた。焦りから出ていた汗が恐怖のあまりに引っ込んだのだ。
「もし貴殿が怪しい手合いの者にこの帝国の実情を尋ねられたら、こう言うといい。ここで最も危険で最も
「そ、それは皇帝に対する不敬なのでは……。い、いえ。別に私はそういう手合いと知り合いでもなんでもありませんけどね!」
「そうそう。アキュバという国は、この領地から近いせいかよくちょっかいを掛けてくる。そろそろ彼奴がブチギレして単身で攻め入るかも知れないな。もちろんあちらの出方次第だから友好的な関係が築ければいいのだ。勿論、我が帝国に敵対するのなら帝国貴族として私もアキュバに対して考えるところがある。貴殿はどう思うかね」
「ああ! そろそろお
ターンクローク男爵はいそいそと立ち去った。
ヘヴァン伯爵はその背中を見送りつつ、少し離れた所で待機していた自分の執事兼諜報員に目配せして後を追わせた。
一仕事終えたヘヴァン伯爵が一心地ついた時、周りにいた貴族たちが抑えきれなくなったのかワッと湧き上がった。
「さすがでございます伯爵! 見事アキュパのスパイを燻り出しておられた!」
「いやはや、傍で聞きながら手に汗握る思いでしたよ」
「あのスパイに同情するよ。よりによってヘヴァン伯爵に対して、帝国の最重要機密であるドゥラギリア侯爵を卑下するとは」
拍手喝采の中、ヘヴァン伯爵は大して面白くなさそうに会釈すると、今も貴婦人たちに囲まれたままキョトン顔をしているドゥラギリア侯に近寄った。
「そろそろいいのではないか」
「申し訳ありません。ヘヴァン伯爵。随分みなさんと話し込んでしまったようです」
「まったくだ。婚約者を差し置いて他のご婦人方と」
睨まれたわけでもないのにドゥラギリア侯爵を取り巻いていた女性陣は、顔をこわばらせながらカーテシーして引き下がった。
ヘヴァン・カッシング伯爵。
チョーダ帝国では【氷結の女伯】と讃えられる女傑であり、帝国軍参謀として数々の戦いで敵を翻弄してきた知将だ。
そしてドゥラギリアが一兵卒の頃から目をつけて、その後ろ盾になっている美女であり、まんまとドゥラギリアを侯爵まで押し上げた幸運の女神でもある。
実のところ
無論ドゥラギリア侯爵が化け物じみた戦闘力を持ち、奇々怪々な知識を持つ「異世界からやってきた勇者」だから実現できたことだが、彼一人ではこの世界の
皇帝陛下からは「まさか君たち、帝国を乗っ取ろうとか思ってないよね?」とか「二人に反旗を翻されたら勝てないから、マジで頼む」と再三顔色を伺われているが、今の所そんな考えはない。
ただただ、二人は幸せに過ごしたい。それだけだ。
チョーダ帝国には、褒め讃えられつつも
その名はドゥラギリア・カンダルファン侯爵とヘヴァン・カッシング女伯。後に炎帝ドゥラギリアと氷帝ヘヴァンと呼ばれる大陸の覇者カップルである。
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