ワン・スローモーション

 俺はどうして前に出てしまったんだろう。


 まだ歩行者側の信号は赤なのに、どうかしていたとしか言いようがない。


 すぐさま大音量のクラクションが鳴り響き、俺の体は恐怖にこわばった。


 顔を上げると目の前にトラックのバンパーが迫ってくる。迫ってくるが……当たらない。


 むしろ車がゆっくり動いているように見える。いや、車だけじゃない。俺の視界に映る全てがスローモーションだ。


 ああ、これが死ぬ直前の光景ってやつか。


 ってことは……そっか。俺、死んじゃうのか。


 やべ。恵子と武彦は大丈夫か!?


 コマ送りのような世界では俺の動きも遅いらしく、振り返るだけでも必死だ。


 歩道の際を見ると、武彦は恵子を抱き留めて車道に飛び出さないようにしてくれていた。


 悪いな武彦。


 こいつとはガキの頃からの付き合いで、家も近所で親同士の付き合いも深い。武彦は一人っ子なので、いつもうちにきて俺と恵子の三人で遊んでいた。


 恵子は俺と一緒に住んでいるが、義理の兄妹ってやつだ。


 んー、ちょっと語弊があるな。


 恵子が義理の妹なんじゃなくて、俺がもらわれてきた子だと思う。


 まず容姿が違う。俺は日本人じゃないらしく、金髪で背も低い。しかし恵子は親父とお袋に似たストレートの黒髪で長身色白。テレビでよく見る女優のすずせひろを彷彿とさせる正統派の美少女だ。


 そしてもらわれっ子の俺と違って恵子は家の二階に個室を持っている。


 ちなみに俺は長男なのに寝床はリビングのソファだが、だからといって嫌われているわけじゃないんだよな、これが。きっと俺が男だから、扱いが雑なんだ。


「!」

「!」


 武彦と恵子がなにか叫んでいるが、俺の耳にはトラックのクラクションしか聞こえない。さっきからずっと鳴らしっぱなしだ。


 喧しい音の中で二人の幼い頃の姿を思い出す。


 一緒に暗くなるまで公園を駆けずり回ったクソガキの武彦も、今は立派な思春期真っ只中で、実は恵子のことが好き。


 たまに俺と公園に遊びに行くと、ベンチで物憂げに「いつ告白しよう……」と悩みを打ち明ける。アンニュイな自分もかっこいいと思っちゃう年頃なんだろうな。


 恵子は今も兄離れができていないから、やたらボディタッチしてくる。一緒に寝転がって俺の胸元に顔をうずめて寝てることもある。だけど、今度からそれは武彦にしてやんな。


 三人で一緒に遊んでいたのに、今度からは俺抜きになるんだろうな。悪いな、ほんとに。


「ジョン! 伏せて!!」


 恵子の声に思わず頭を下げるとトラックが通り過ぎた。どうやら車体の下に潜り、やり過ごせたらしい。


 なんだよ!!


 めっちゃ走馬灯ぐるぐる回して回想してたのに、傷一つなく無事じゃないかよ! めっちゃ恥ずかしい!


「馬鹿! なんで飛び出しちゃうのよ!!」


 恵子が駆け寄って抱きついてきた。もう歩行者側の信号は青になっている。


「あのクソトラック、車道側は黄色だったのに突っ込んできやがって!!」


 武彦は怒り心頭のようだが、そのトラックはとっくに走り去ったようだ。


「ほんと、怪我がなくてよかったなジョン」


 武彦が俺の頭を撫でる。


「私、心臓が止まるかと思った」


 恵子は涙目だ。


「帰ろう」

「うん」


 こりゃ命を救ってもらったお礼に、二人を強引にくっつける作戦を考えてやらないと。


「ワン」


 二人は俺のリードを仲良く持って歩き始めた。

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