当惑エイティーン(一)

 翌、日曜日。私の目の前にはあの端正な顔立ちをした美の化身がいた。穏やかな秋の日差しが入るカフェには、そこそこの人がいるけれど、大して騒々しいというわけでもない。むしろ優雅なティータイムにうってつけないい感じの雰囲気、なんですが、どうして再びこの人と会っているのかと聞かれると、そう大した理由でもなかったり。



 時は戻って昨日の十八時。

 気が付いたら私は、ふらふらと家路を歩いていた。惰性で歩けてはいるが、他の思考は殆ど追い付いていない。何をしていたかも朧気のまま、玄関のドアを開けた。

「おかえり」

 母親の声が聞こえた。恐らく生気など一切こもっていないであろう声で返事をし、リビングを通り、そのまま自室へ入ってへたり込んだ。なんでこんなに疲れてるんだろ。よく分からない。そのまま床に臥して、三十分ほど死んだように寝た。

「なにかあったの?ものすごく疲れてるけど」

 起き上がってリビングへと降りると、母親に声をかけられた。あ、私ですか、と返すとあんた以外に誰がいるのよ、と笑われた。

「今日はちょっとはしゃぎすぎたんだよ」

「優香のお兄さんと琉斗くんの二人と遊んでたんでしょ?あの二人と遊んだ後のアカリはいつも疲労コンパイ、みたいな顔してるし」

 妹の緑里にそう言われたので、あのノリは疲れるからね、と笑った。

 三人で食卓を囲んでご飯を食べた。疲れてこそいたがその分腹も減っていたので、普段通りぐらいには食べられた。食べ終わって皿を片付けたあと、風呂に入ろうとしたらリビングから声が聞こえてきた。

「朱里ー、シュークリームとエクレア、どっちがいー?」

「んー、じゃあ私はシュークリームで」

「りょーかーい」

 うちの家族は全員、甘いものに目がない。四つ買っているはずなのにたまに僕のがないんだよね、とは父親の談である。父は今日のように仕事帰りがたまに遅くなるのだが、どうやらその間に無くなっていることがあるんだそうだ。

 まあ犯人は知れているが。

 

 その後風呂に入ろうとしたのだが、服を脱いだときに、鎖骨のあたりに痣のようなものがあることに気が付いた。ちょうど服を着ていれば分からない位置。どこで打ったんだろう、と考えたところで、心当たりがひとつあることに気が付いた。

 というか、あのときでしかないよなこれ。

 ……恐らくキスマークであろう痣を見ていたら、ほんのりとだが昼間の記憶が甦ってきた。ひとつ浮かぶたびに強烈な恥ずかしさが、身体の感覚とともに迫ってくる。これ以上見ていると羞恥心で気絶しそうなので、さっさと風呂に入ることにした。結局風呂で色々思い出して死にそうにはなったが。というか死んだ。

 ちなみに、あの痣を見てからお尻に違和感を感じ始めたのは内緒である。


 ……ここまで聞いた感じだと全然あの状況に繋がりそうにもないが、問題はここからだった。鞄の中に、知らない財布が入っていたのだ。いや、厳密に言えばその財布が誰のものなのかは分かっているのだが。

 これまた私はテンパった。あの人にこれをどうにか返さなくてはならない。返さなくてはいけないのだが、あの人がどこにいるのか分からない。というか何をしている人なんだかも分からない。とにかくヒントになるものは無いかと財布の中を探してみて、そこで気付いた。

 私はあの人の名前を知らない。

 さらにテンパった。え?どうすんの?というか名前よりも……先に身体を知っちゃった……の?え?どう、え?とまあこんな感じに混乱していたが、結局布団に入ってしばらくしてから名案を思いついた。

 交番に届けよう。やだ私ったら天才。


 その後はしっかり寝て、翌日体の至るところに感じる違和感や筋肉痛に頭を抱えながら、物理的に重くなった腰を上げて駅前へと向かった。現場から近いところの方があの人もすぐに見つけやすいかな、というささやかな配慮故である。

 予定外なのはこの後だった。

 昨日声をかけた場所あたりに、あの人がいたのである。

「もしかして、財布を届けにきてくれたんです?」

 こくこくと頷く。予定外の対面に面食らったのもあるが、そんなことよりとにかく気まずい。気まずすぎる。昨日の出来事は、簡潔に言えば「罰ゲームでメイクしてそれっぽい格好をして逆ナンしにいったら同性に見事に食われた」ということになるのだから、そりゃこんな気分にもなるだろう。というか文章にするととんでもない破壊力だなこれ。他の人の人生でこの日本語を使うことなんてないよ絶対。

 対してその人は、どうしてなかなか余裕の笑みである。

 恐らく、今日も私は嵌められたらしい。相手の方が一枚も二枚も上手だった。いやそりゃこんなガキが敵うオトナなんてそんなにいないとも思うが。まあ冷静に考えればそうだろう。勝手に私の鞄に知らない財布が入ることは間違いなくないし。でも来ちゃったものは仕方ないし、歩く手間が省けたので良いだろう、と財布を渡して帰ろうとしたら、「折角だから、お茶でもしませんか」と誘われた。ので行った。私は本当に、ほとほと学ばない人間である。

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