第17話 2030年9月2日

「うーん」

 潤は椅子の上で大きな伸びをした。

「何度見ても、分からないよ」

 龍は潤をちらりと見ただけで視線をディスプレイに戻した。その画面は映像が途切れ、その十分後に再開されたばかりのところであった。

「結局、俺たちのみている映像は引き算の映像だろ?」

「・・・」

 引き算と言うのは彼らが見ている画像が、あった筈の対象の車両が通過した時刻前後を消去した画像だからである。。

「どうしてこんなことができたんだ?きっかりその部分の画像だけ消すなんてどういう芸当を使ったんだ」

 ぶつぶつと潤は言ったが、その方法は判明している。犯行現場近くの全てのカメラのサーバーはクラッキングによって一定時間オフになるように操作されていた。つまり、犯人側は付近のカメラのサーバー情報を全て知っていたことになる。その上、証拠となる車両・人間がどの時間にそこを通過するか緻密に計画されていたことを指し示していた。

 その操作は複雑な経路をたどって国内から海外のサーバーを経由しておりアルゴリズムではそのルートを解明できなかった。海外のサーバー経由のネット犯罪の撲滅を図るために各国の捜査機関は協力して土台に使われるサーバーの撤去とルート解明のためのアルゴリズムを作ってはいたが、未だに撤去されえないサーバーは存在したし、そうした協力に応じない国家も存在していた。場合によっては国家そのものが犯罪に加担している国々もある。

「インターネットに全て繋いでいるっていうのもなんかなぁ。結局、そこをいじれば何でもできちまうっていう事だなぁ。昔はIoTなんてよく言っていたけど結局社会のvulnerability《ぜいじゃくせい》を高めただけだったよね。覗きやら悪戯の犯罪が増えただけだった」

 潤はぼやいた。

「とにかく、全部の画像をしっかり見ろ」

 龍は潤に命じた。

「分かっているよ。でもいったいこれからどうするっていうんだ。引き算の結果だけで引かれたものが何なのかなんてわかるわけないじゃないか」

 潤は反抗的に言った。

「いや、引き算だから分かることもある」

 龍の言葉に潤は首を傾げた。

「引き算の結果を見て引かれたものが分かるのか?」

「単純な計算だ」

「ん?」

「引く前と引いた後を調べれば、何が引かれたかの答えが出る」

「引く前?」

 潤は首を傾げた。

「そんなものがあるのか?」

「調べてみて分かったんだが・・・」

 龍は徐に言った。

「クラッカーが乗っ取ったのは半径200メートルの円の中にあるカメラのサーバーだ」

「まあ、それはそうだけど・・・」

 潤は暫く考えて、

「まさか?」

 と口走った。

「200メートル以上離れている場所の映像を片っ端から調べるってわけじゃないだろうな?」

「おっしゃる通り」

「馬鹿言うんじゃないよ。200メートル以内でも目がしょぼしょぼになっているんだ。それに200メートル以上っていうのはつまり・・・無限大だぜ」

「大げさなことを言うな。この範囲からもう200メートル広げて画像をチェックする。同じ時間内にこのゾーンに入って出て行った車を捜せばいい」

 龍は淡々とした口調で答えた。

「車と決まっているのか?」

「決まってはいないが、複数の人間がそれなりの量のガソリンを使っているんだ。まず車と考えて間違いないだろう」

「うーん」

 潤は再び唸った。

「じゃあ、まあやってみるか。だが、そうなるともう一度警察の世話にならなきゃならない。また渋谷に行くのか?」

「大丈夫さ。だいぶ前に香月さんに電話を掛けてその地域の録画を集めて貰っている。もうすぐ持ってきてくれるさ」

「へぇ、相変わらず手際がいいな、でも」

 潤は首を傾げた。

「なら、なんでそれを最初にやらなかったんだ?そっちの方を先にやった方が早かっただろ」

「いや、そんなことはない。いずれ分かるさ」

 龍はにやりと笑った。


 頼んでいた画像はそれから一時間後に届いた。届けてきたのは不愛想な刑事らしき男で、潤が別の椅子に脚を乗っけて、缶コーヒーを飲んでいる姿に一言いいたそうな顔をしたが、首を振るとメモリを置いてそそくさと出て行った。

「行儀が悪いぞ」

 男が消えたのを確かめると、龍が潤に注意した。

「きっとあの男は香月さんに悪口を言う。何であんな奴らにヤマを渡したんですかとか言ってさ」

「構わないじゃない。あちらさんの投げだした案件だし」

 潤は脚を椅子に乗っけたままうそぶいた。

「上の方はそう思っているが、下はそう思っちゃいない。刑事と言うのは猟犬だ。飼い主がなんと思っているかは関係なく本能では狩りの対象を捨てたくはない。それにむこうさんにはこれからも協力してもらうことがあるかもしれない。あんまり評判を落としたくない」

「じゃ、あいつらが来る前に言ってくれればいいじゃん。いまさら言っても、覆水盆に返らず、さ」

 頬を膨らませて、潤は男の置いていったメモリを手に取って掌の上でジャグルしてから、

「二つある。半分ずつだ」

 そう言うと片方を龍に向かって放った。


 それから二時間、龍と潤は一言も会話をせずに画面を見続けた。龍が二度目の目薬を差そうとした時、突然潤が龍を呼んだ。

「龍、これ・・・」

「ん?」

 差しかけた目薬をデスクの上に置いて、潤の席に近寄った。潤の指している車は一台のワゴン車だった。渋谷の街を流している広告の用のワゴン・・・。よく見る風景の一コマだった。おそらくはキャバクラ用のものだろう。女の子のキャラクターが側面に描かれている。

「これがどうかしたか?」

こんな目立つワゴン車を犯罪に使うものか、と思いながら龍は潤に尋ねた。

「このワゴン、さっきも見た」

「さっきって言うと?」

「最初の録画のさ、気になったんだよね。録画が切れるちょっと前にあの通りに入る入り口にちょうどいたんだ」

「うん?」

「ほら・・・」

 潤はマウスをクリックした。別の画面が現れた。その画面の左下に車の先端部分だけが僅かに映りこんでいる。

「同じ車ってよく分かったな」

「この車、変わっているんだよ。前部のこの部分に・・・」

 潤はそう言うと車の左側を指した。

「突起がある。たぶんアンテナを後で実装したんだ」

「もう少し画面を大きくできないか」

 龍が言うと、潤はパソコンを操作した。

「これが限界かな」

 拡大した映像に運転手は映りこんでいなかったが助手席の男の顔が僅かに捉えられていた。大きなマスクの上に鋭い眼が見える。

「他には怪しい車や人物は?」

「今のところ見当たらない。そっちは?」

 龍は首を振った。

「取り敢えず第一候補だな」

「うむ。だが気を抜くな。全て調べてからにしよう」

 龍の言葉に潤も頷いた。だが・・・龍は考えていた。たぶん、あの車が犯人だろう。その証拠に車は映像が切れる直前にあの通りに入ろうとしている。前に障害物はない。少しの時間、あるいは位置のずれで映りこんでしまったのだろう。


 結局それから半日かけて全ての画像をチェックし終えたが、その車以外に怪しいと思われる車は見つからなかった。

「ふぅ」

 潤は溜息を吐いた。窓の外はもう真っ暗だった。

「どうする?」

「今日の所はこれまでにしよう」

 龍は残った一台の車を横から撮った唯一の写真を見詰めながらそう言った。小学校の脇から井の頭通りへ出る場所にあるコンビニの写真は他のものよりカメラが古いらしく解像度が余りよくなかった。だが、その解像度でも車体の横に書かれた文字は判読可能だった。

 そこには皮肉なのだろうか、黒々とした文字で"Angel's Dream"(天使の夢)と書かれてあった。




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