第11話 同日 夕刻
里美に対するインタビューはそれから一時間ほど続いた。萎れた花のような表情で、ときおり心理的に寄りかかってきそうになる里美をなんとか立ち直らせるようにしつつ、龍は面接を終えた。
駐車場に向かっていく里美の肩を落とした後ろ姿を窓から眺めながら龍は重苦しい気持ちを抑えることができなかった。里美から得た情報では澤村楓がいつ、どのようにして感染したのか判明しそうになかったのだ。もう一度、資料を読み込もう。どこかに突破点が見つかる筈だ。そう思いながら、龍は何の気なしにあの曲を口笛で吹いていた。澤村楓が口遊んでいたという「さまよえるオランダ人」の序曲。
と、潤がいきなりノックもせずに入って来た。
「ノックぐらいしろよ」
龍は不平を言った。
「あ、悪い。どうだった?」
「モニター見ていなかったのか?」
「別の仕事があったからな。ロンとヒカルに頼まれて対象者らしい人物の行動確認をしに行っていたんだ。だが違った。対象が単なる犯罪者なのか、それともウィルスの感染者なのか、見分けをつけるのは難しい」
「そいつの過去の行動履歴は?」
「大人しいいい子だったらしい。だが中学に入って変わったというから可能性がなかったわけじゃない。でもどうやらその中学で根っからのワルに脅されてその道に引きずり込まれたようだ」
「そういうワルも一種のウィルスみたいなものだからな」
龍が応じると、全くだ、と潤は溜息を吐いた。
「熱の症状がある。もしかして、単なる風邪かもしれない。しかし、熱中症かもしれない、あるいはインフルエンザかCovitやSARSかもしれない。それと同じで表面の症状だけでは判断が付かない」
「確かにな」
ところで、と潤は言葉を継いだ。
「口笛なんて吹いてご機嫌だったな?うまく話を引き出せたんだろ」
「いや、なかなか難しい」
龍も溜息をついた。
「じゃ、さっきの口笛は?なんだったんだ」
潤の質問に
「対象者が口遊んでいたことがあった曲だ。潤、お前『謎のダンジョン』というゲームやったことあるか?」
龍も質問を返した。
「ああ、一時評判だったからな。一応一通りやったが、あれは初心者向けだよ」
「その中であの曲、使われていたか?」
龍は潤をみつめた。
「いや・・・覚えがないな。だが・・・」
潤は考え込んだ。
「なんか、あの曲、つい最近聞いたことがあるな」
「お前・・・オペラファンなのか?」
龍の問いに
「その曲、オペラなのか?」
潤が目を丸にして聞き返した。
「じゃあ、別のところで聞いたんだな」
確かに、潤とオペラは余り相性が良くなさそうだった。どちらかというとラップとかアフリカンテーストの音楽が似合いそうだ。
「うーん、どこだったっけな」
潤が机に肘を押し当て、眉を顰めて考え始めた。
「テレビかなんかでたまたま聞いたんじゃないのか」
「いや・・・なんか、もう少し違う状況で・・・。そうだっ」
潤ががばっと起き上がった。
「なんだ、びっくりさせるな」
「いや、ちょっとびっくりかもよ。龍も覚えているだろ、芝田のこと」
芝田、と言えば共通の話題になるのは「あの芝田」しかいない。半年前、猟奇殺人を繰り返し、一時ここに運び込まれた芝田 ライオネル 譲二のことだ。三十五歳、アメリカ人とのハーフ。アメリカのマサチューセッツ工科大学物理学科で量子理論を学び、卒業後にアメリカの投資銀行に入行、その後日本駐在。そしてその日本の女性の乳房と性器を切り刻んだ男。被害者は十一名。それも八歳から十七歳までの子供ばかりを狙った犯罪者。日本に現れた「悪魔」の中で最も重い犯罪を犯し、現在「監獄島」に収監されている男である。
監獄島は実際の名前ではない。東北地方にある島の一つを国有化してウィルスに感染した人間を収容しておく施設の別称である。
「芝田がどうした」
龍の声は真剣味を帯びた。芝田が関連しているとしたら、無下にはできない。
「あいつがここにいた時、おれ一度あいつの収監ゾーンにものを忘れて取りに行ったことがあるんだ」
潤は答えた。
ここにある収監室は地下二階、指紋と光彩認識、更に16桁のパスワードで三重にロックされた場所に存在する。基本的に二室ごとのゾーンに分かれ、空いている限りゾーンのうちの一室のみを使用する形で運営されていた。
「うむ」
龍が頷くと、
「その時、おれが入っていった時に芝田がその音楽を口遊んだんだ」
「・・・」
「あの時、なんか妙な気がしたんだ」
「何がだ?」
龍の問いに、
「いや、歌っている最中にたまたま俺が入っていったんなら、そういう事もあるかとは思うんだが」
と潤は答えた。
「あいつ、俺が入ってきたのに気付いて歌い始めたような気がするんだ」
「そうか」
「で、おれが近づいていくと不意に歌をやめやがってさ」
「ん」
「で、おれが覗き穴から中を見た途端、指で目を突いてきやがったんだ。思わずしりもちをついてしまったんだ、あの野郎」
潤はその時のことを思い出してか悪態をついた。もちろん、覗き穴は強化プラスチックで防御してある。とはいえ、いきなり目の前に指を突き出されたらしりもちをついても仕方ない。まして相手は凶悪犯罪を起こした男である。
「しかし、拘束衣は着せてあったんだろう」
龍の問いに
「ああ、だがどれくらいの効果があるのかなぁ。あの時はまじに突っついてきやがったからな、あいつ」
潤は心もとなさそうに呟いた。
「まあ、それだけあいつが強力にウィルスに冒されたんだとは思うけど」
「お前、それ報告書にあげたか」
龍の問いに、
「上げるには上げたが、曲の名前は知らなかったんでね。曲の名前までは出さなかった」
「なるほど・・・」
それで龍の意識には引っかかってこなかったのだ。
「芝田の記録は残っているよな」
「もちろんだ」
「なら、それをすぐに調べてみよう」
龍が調べたのは携帯のログだった。やはり・・・芝田も同じ頃に『謎のダンジョン』というゲームにログインした痕跡があった。しかし、アクセスはその時で止まっている。澤村楓と同じだ。
引っ掛かった。だが、同時に同じ頃にアクセスがなくなっている理由が分からない。もし、それが何かを意味するのだとしたら、二人はなぜアクセスをしなくなったのだろう?潤も同じことを考えているようだった。
「ログインは二年前に止まっている。確かに同じ曲を口遊んでいたというのは気になるけど、偶然の一致じゃないのか?クラッシック音楽を好きな人間はいる」
「芝田はインテリだ。クラッシック音楽が趣味だとも書いてある。だから、『さまよえるオランダ人』序曲を知っていても確かに何の不思議もない」
「あの曲、そんな名前なのか」
潤が尋ねた。
「うん。だが、澤村楓はクラッシック音楽好きだとは思わない。彼女はその意味では普通の女子高生と同じだった」
「お前が知っていたのはそれよりもだいぶ昔の事だろう?」
「ああ、だが彼女の母親との話の中でそんな話は出なかったし、彼女が聞いていた曲は携帯の分析や家宅の捜査で大体掴んでいる」
アメリカや日本・韓国のポップ音楽が大半だった。たぶん、クラッシック音楽には目もくれないタイプ。
「ふぅん。だとしてもゲームとの連関はないじゃないか」
潤は呟いた。
「確かに。もう一度あのゲームにアクセスして確認してみる」
「じゃあ、俺も協力するよ」
潤は気軽に請け合った。
翌日、龍がオフィスにやってくると潤は前の日と同じ格好で、目を赤く腫らしていたまま龍を迎えた。
「よう・・・」
「お前、ここに泊まり込んだのか」
龍の質問に潤はこくりと頷いた。
「ここのインターネット環境は家よりいいからな」
龍のオフィスのWi-FiはZというシステムに対応して構築されている。本来ならIP7という名でも構わないのだが、これ以上のシステムの変更はないという意味合いでZという名前に変更されたのだ。携帯のシステムも今はZmobileという名前になっている。
「で、どうだった?」
龍も一晩やって確かめている。最後までは行っていないが、今日のうちに最後までは終わらせられるだろう。
「あんな曲は使われていなかった、っていうか、クラッシック音楽みたいなのは一つもなかったぜ」
「そうか、俺も途中までだが、確かに使われていなかった」
龍は頷いた。
「やっぱり偶然じゃないか?」
潤の言葉に
「うん、だが『謎のダンジョン』というゲームは気になる」
「二人ともあのゲームをやっていて、近い時期にやめているのも気になるな」
潤も頷いた。
「とりあえず報告だけはあげておこう。無駄に終わるかもしれんが、ゲームの製作チームも調べておこう」
ゲームの製作者は既に調べておいた。”Dreams”という名前で、世界中のゲーム制作者がinternetを経由してゲームを作成しているらしい。本社はポーランド。日本には渋谷に小さなオフィスがあるらしい。おそらく、そこはソフトの開発の割り当てと日本語化、そしてメンテを行う機能を持っているのだろう。
「そうだな、こうなったら藁をもすがりたい気持ちだよ」
溜息を吐くとと潤は天を仰いだ。
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