第8話 2030年8月19日
「忙しいのに・・・ほんとによかったの?」
「ああ、たまには息抜きも必要さだろ」
原宿の近辺はCovit19後の不況で今は見る影もない。竹下通りは以前、多くの若者が集うことで有名だったが。今は多くの建物がシャッターを閉ざしたままである。かろうじて駅前と明治神宮と繋がる表参道のエリアだけはまだそこそこ人通りがあった。
ヒカルを誘ったのは龍だった。原宿にある老舗の中華料理でランチをしないかと言ったのはヒカルが洒落たレストランよりも中華料理を好みなのを知っていたからでもあり、イタリアンやフレンチではあまりにもデートっぽくなるのを避けたかったからでもある。
だが、待ち合わせの喫茶店で会ったヒカリはまぶしいくらいおしゃれをしてきた。いつもなら作業服か捕獲の時に動きやすい伸縮性のあるスーツを着ているのだが、ホワイトのブラウスと組み合わせた鮮やかな黄色のスカートからすらりと伸びる脚は龍の目にもまぶしいくらい綺麗だった。
いつもなら獲物を求めてきらきらと輝いている瞳は、丁寧に睫を揃えてしおらしく下を向いて少し恥ずかしげである。つんと尖った愛らしい唇は鮮やかなピンク色に彩られていて、男だったら誰だって、指でその唇で触れて見たくなる。だが、それに成功したものはまだ誰一人いない。
中華料理店に入ると、
「どうする、ビールでも飲む?」
と尋ねた龍にヒカルは、
「でも・・・昼だから」
と恥じらうように答えた。ヒカルが酒に強いという事は知っていたが、
「じゃあ、お茶にしよう。好きなものを頼んでいいよ」
とヒカルにメニューを差し出した。
「え、でも・・・。一緒に選びましょ」
少し甘えたような口調に龍は頷いて、
「じゃあ、油淋鶏と堅焼きそばは食べたいな」
と言った。
「じゃあ、私は・・・」
ヒカルはいそいそとメニューを
「ふう、お腹いっぱい」
それでもしっかりデザートの杏仁豆腐を口に運びながら、ヒカルは目の前の龍を睨むように見た。
「龍があんなに追加するから」
酸辣湯に焼売、それと、とさんざん悩んで広東風マーボ豆腐を足して注文したヒカルに、
「あと、クリスピーアロマダックと酢豚を」
と追加したのは龍である。
「ちょっと、そんなに食べられないよ」
と抗議したヒカルに、
「俺たちは力仕事だから、な」
と構わず追加したのは、ヒカルがずいぶん遠慮した注文しかしなかったからで、普段のヒカルの食べる量を知っている龍が気を利かしたのである。
「でも、美味しかった」
「良かった」
目の前にある中国茶を手に取り啜ると、
「ところで、ヒカル」
と龍は話を切り出した。
「うん、なに?」
「しくじったんだって?珍しいな」
軽く聞こえるように龍は冗談めかしたが、杏仁豆腐を掬っていたヒカルの手が止まった。
「知ってたんだ・・・。ロンから聞いたの?」
「ああ」
掬った寒天を元に戻すと、
「あのおしゃべり・・・」
と毒づいた。
「隠す事なんてできやしない」
インタビューが録画されているように出雲は基本的に秘密主義を排している。もっとも録画のように一定の権限がないと見れないようにしているものもあるが、チームごとの活動は録画だけでなく、書類の記録として原則公開される。虚偽の記録や、重大な事態の書き落としは即時ペナルティの対象になる。
「分かっている」
ヒカルは突然食欲を失ったようにスプーンを置いた。
「ロンはお前が澤村楓とのインタビューに同席したことがその原因じゃないか、と考えているようだ。ショックだったのか?」
ううん、とヒカルは首を振った。予想通りだった。
「あんなのは何回か見ているからね」
「じゃあ・・・?」
「・・・」
「俺が河合里美、、、さんと関係があったからか?」
「違うよ。私も彼女のファンだった。あんな女性と付き合えるんなら誰でもそうなる、・・・と思う。それになんであんたの昔の事を気にしなけりゃならない?」
「それはそうだな。俺にも色々と間違いはある。それは正していかなけりゃならない」
「そうだね」
ヒカルは空を見た。
「いずれにしろ、気を引き締めろ。俺たちが相手をしているのは生半可なものじゃない」
「わかっているよ。たまたま調子が悪かったんだ。次は失敗しない」
お茶をもう一つ頼むと龍はヒカルと自分の茶碗に茶を注いだ。
「でも、ありがとう。気にしてくれたんだ。それに美味しかったよ、ほんとに」
「どうだ、ビール飲むか?」
「え、今から?」
「うん。酔って忘れよう」
「そうだね。そうしようか」
いつものヒカルに戻った、と龍は思った。
「ヒカル、俺たちは仲間だよな」
「もちろんよ」
ヒカルは笑顔で答えた。
「仲間よね」
「良かった」
龍がそう言ってビールを頼むと、
「ねぇ、龍・・・」
とヒカルは言ったまま、口籠った。
「なんだい?」
「あ、ううん、いい」
慌てたように手を振ったヒカルの目が、なんだ、と言いながら皿に手を伸ばした自分の体を通すかのように、ふっと遠くの景色を見遣ったのに龍は気づかなかった。
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