第3話 (遡)2017年4月3日 銀の会議

  遡ること約四半世紀、2008年の秋に、中東のある国の資本をベースに一基のロケットがオーストラリアのウーメラ試験場から発射された。海洋資源および海流の調査を行うという名目で、世間の注目を浴びることもなく密やかに発射されたそのロケットが運んだ衛星は軌道に乗り、さっそくアメリカ、ロシア、中国などはその衛星の使用目的が公表通りの物かを精査した。送られてきたデータの解析にはあまり手間取ることもなく、各国の情報機関はその衛星が目的通りの情報を地上に送ってきていることを知って満足した。

 それから5年が経過して、衛星が時折ノイズを発生するようになった時点まで調査を継続したのはアメリカだけであったが、機械の不調であると判定された。ノイズは年に1、2回不定期的に観測された。まず、一度小さなノイズが発生してその後別の周波数帯で断続的にノイズが発生するが、ほぼ1時間足らずで解消するのが常であった。


 2017年4月3日。

 その日もノイズが観測された日である。だが、それをノイズとして捉えないものたちがいた。その日「銀の会議」に出席した者たちである。

 銀の会議・・・。その出席者たちは悪魔と対峙する自分たちをLos Angeles(天使)と誇りをもって考えていた。だが、それと同時に彼らは自分たちを戒めることを忘れなかった。AngelesのAとGをからAg、即ち銀の元素記号にかこつけて「銀の会議」と名付けたのは創設者であるカレル オーモンドの提案である。その時、彼はこう言ったのだ。

「我々は悪魔と戦う必要がある。だが、我々は錆びない金ではない。自らを律し、常に輝くために自分を磨かねばならぬ銀である。さもなければたちまち黒く錆びてしまい悪魔と変わらぬものになってしまうであろう。悪魔は天使の堕落した姿だと常々言われている。それを戒めるためにこの会議を銀の会議と呼ぶことを提案したい」

 彼らがその会議に銀と冠するにはもう一つの理由がある。彼らはその会議の間、常に目を瞑っている。ヘッドギアを必要とするものはヘッドギアをつけたまま、そうでないものはそのまま、ずっと目を瞑っている。ただ、会議の最中、彼らの網膜に映っているのは輝くような銀の色である。その色をもじって銀の会議と呼ぶのである。

 会議・・・。その手法は一時流行し、やがて非科学的とされた精神感応という手法であった。テレパシーという名でも呼ばれたその手法があらゆる場所で喧伝されたその時期、銀の会議のメンバーはあらゆる手法で、それを非科学的なものであるとする宣伝工作を行った。実際に精神感応をコミュニケーションの手段として使っている彼らにとって、その秘密を探られるのは危険な事態であったからである。彼らの多くは政治・教育・経済に影響力を持つ人物であった。

 彼らの方策はやがて実を結び、精神感応のみならず、テレキネシスを含めあらゆる超能力は非科学的なものと断罪された。それと同時に、彼らが開発した増幅装置をロケットに搭載し、やや能力に劣る者でもコミュニケーション上問題ないレベルまで引き上げるようにした。能力に劣るものはヘッドギアをつけて会議に参加するようになった。最初のノイズは会議の開催通知、次のノイズは増幅の目的で使用された。


「諸君、事態は急速に悪化している」

声を発した議長の深みのある声音に皆、互いに相手も見えないまま頷いた。テレパシーにおいても音の感触と云うものがある。彼らはそれで誰が発言しているのかを知ることができた。

「懸念していた通り、世界の政治環境は我々の敵が成長するのに適した環境になりつつある。ほぼ第二次世界大戦時の欧州の環境に近似しつつある」

「たしかにその通りだ。これまで地域で散発的に観測された悪化と違い、今度の悪化は全世界レベルで進行している予兆がある。特に昨年のフィリピン大統領選以降、悪化の速度は進行した。アメリカ大統領選があのような予測不能の結果になったのはそれを示している」

 そう言ったのはヨーロッパ出身の男だった。声には苛立ちを隠せない響きがある。

「しかし、調査の限りではいずれもあの男のように世界を破滅の瀬戸際まで持っていくほどのことはない。特に国際的に影響力の大きいアメリカについては懸念しているが、どの国もある程度自制をしている」

 そう言ったのは中国の女性である。

「中国ではそれが一般的な考え方なのか?」

 ヨーロッパ出身の男の反論には揶揄やゆするような響きがあった。

「中国政府と私は別だ」

 その答えに議長が

「その通りだ。われわれは同士だ。出身の違いをベースにしたコメントは控えたまえ」

 と諭した。

「分かった。だが明らかに環境は悪化している。水質が変化すればそこに住む魚は変わる。このままではまた以前のようなことが繰り返されてしまう。とにかく指導者レベルにまであいつらが憑りつかないようにするために全力を尽くすべきだ」

 それを聞いていた15人全員が頷いた。

「感染者の状況はどうだ?」

 議長の声に

「レベル1の感染者は相当数いる。2もだ。だが、3以上に悪化するケースは限定的だ。1、2は自然に治癒するケースも多い。3をthresholdとして監視下に置くのが妥当だろう。今のところ4以上のケースは観測されていない。少なくともわが国ではいないのは確実だ。幾つかの事件で確認したが全て3のレベルまでだった。ひどいケースもあったが・・・」

 とヨーロッパ出身の男が応えた。

「日本でも同様だ」

 と言ったのは出雲である。

「いちおう、治安が保たれている中ではレベル3が犯罪を犯してもほとんどのケースは逮捕される。だが事前にそれを抑止するのは困難だ。今の法体系では全く無理と言っていい。レベル3とみなしうるの犯罪者の近辺は重点的に監視している」

「それに生来の犯罪者というのもいるからなかなか区別がつかない」

 ぼやくように別のヨーロッパ出身の男が言った。

「今まで判明している方法以外に区別をつける方法がないのか?」

「残念ながら今のところはない。だが、確実にこの原因による犯罪者は増えている」

 議長が答えた。

「風邪とインフルエンザのようなものだ、症状は似ていても原因は異なる。だが重篤化すればいずれも肺炎になる」

「風邪とインフルエンザは特定可能だ」

 と発言したのはロケットを調達した中東出身の男であった。王族でもかなり高い地位にいるその男は通商経済の大臣で、一時は大学の科学関連の教授として教鞭をとったこともある男であった。

「その通りだ。だが、諸君も承知の通り、犯罪者の数は一定の社会経済においてその割合はほぼ同一だ。社会経済が不安定になっている現代においてその数が増えるのは予想されることだが、その数、及び犯罪内容はその割合をはるかに上回っている。いわゆる病原菌やウィルスが蔓延した時に超過死亡数で被害を推定する手法を使うと、犯罪数は世界で年間10万件、それに伴う死者数は5万人いる。この数は今後爆発的に増えかねない。特定方法に関しては今、施設で研究している。患者が増えることで唯一良いのは治験するケースが増えることだ。もう一つ考えるべきことはレベル3とレベル4が果たして同じ病原で起きる事なのか、という分析が必要だ。レベル4はレベル3の悪化の結果だという症例は今まで確認されていない。というよりレベル4は現段階においてアイデンティファイされていない。だが存在することは確実だ。彼らがウィルスを増殖させているのは資料によって確認されている」

 その資料がCIAによって発見されたのは偶然であったが、結果的にCIAはその資料は偽物だとして調査の継続を中断した。荒唐無稽だとしてCIAが放棄した資料を拾い上げ、銀の会議に持ち込んだのは会議のメンバーの一人である国務省の高官である。政治任命が一般的な国務省の高官でありながら、しぶとくその男が生き延びているのは余人に代えがたい専門的知識を暗号解読の分野で有しているからであった。その男が呟いた。

「どうも・・・手が足りないな」

 その声に議長は重々しく頷いた。

「致し方ない。我々のような人間はそう多くない。その中で問題を解決していかなければならないのだ」

「分かってはいるが・・・しかし情勢が悪くなればそんなことを言っていられなくなるかもしれない」

「その時の事も考えている」

 議長は答えた。

「ところで・・・」

 ロシア人の男が発言した。

「この会議の回数を増やすことはできるのかね。これから情勢がひっ迫したら年に2度では心もとない」

「そのためにインターネットでの意見交換会の仕組みを作ったのだが・・・」

「インターネットを経由した情報交換は例え暗号化を強力にしてもわれわれは参加できない」

 ロシア人の男が言うと、その通りだと中国からの参加者が同意した。

「君たちの国では暗号化やサーバの転送による輻輳化なんかで中味を知られたり発信元を隠すことでごまかせるが、我々の社会では不審な情報を発出したり入手したりするだけで充分嫌疑の対象になる。下手をすれば牢獄行き、挙句の果ては拷問だ」

「衛星は発射してから10年近くなる。更に故障が増えてもおかしくないと言えばそうだが・・・目立たないように少し増やすことはできる、その程度だ。それに通信が傍聴されているのは共産主義国家だけではない。いやむしろ傍聴能力の点からいえばアメリカ、イギリスの方が高い」

 議長は慎重に言葉を選んだ。

「今のうちはそれでも構わないが・・・しかし事態が切迫した場合のことは今から考えておいた方が良い」

 中国人の男が言った。

「了解だ。他には特にないか。ではそろそろ終わりにしよう」

「悪魔には尻尾でハエでも叩いていてほしいものだ」

 そう、スペインの男が軽口を叩いた時だった。

「誰かいるのか?」

 議長が鋭い声で叫んだ。

 一斉に緊張が走った。中には相手の顔が見えないのに目を合わせようときょろきょろする者までいた。スパイか?盗聴か?

 そもそも宇宙衛星を使ったこのシステムは極めて微弱だが指向性の強い波長を狭い帯域で使用することで設計されており、参加者の中にもアンプやアンテナを使わないと参加できないものがいる。使用頻度も限定されているので見つかる可能性は低い、その筈であった。衛星で変調された電波は参加者にエンベッドされた暗号解読システムで読み取られる。暗号システムはメタ言語で参加者に理解される仕組みである。システムと暗号、そしてメタ言語の全てを解明されない限り安全な筈である。

「どうした?何かあったのか?」

 漸く一人が議長に恐る恐る尋ねた。

「くすっと、笑う声が聞こえた」

 議長の声は緊張したままである。

「聞き違いではないのか?」

「いや・・・。今も確かにいる。君は誰だ?」

 沈黙と緊張が支配した。

「おじさんたちこそ、誰?何のお話をしているの?」

 聞こえてきたのは子供の声だった。突然、銀の背景が急に明るく輝きを帯び、参加していた全員がたじろいだ。

「こども・・・?」

 再び顔を見合わせようと無駄に横を向いた男女が数人いた。

「でも、悪魔が尻尾でハエを叩くって・・・面白い」

「君の名前は?」

 議長が落ち着いた声で尋ねた。どうやら悪意のある者ではない。それが彼を安心させた。もちろんこの事態は解明する必要がある。しかし、国家や組織による妨害行為の心配はなさそうだ、と一瞬のうちに判断した。

「龍一・・・だよ」

「日本人だね」

「そうだよ」

「ミスター出雲。この件は君に一任する。できる限り早く報告をしてくれ」

 議長が言うと、

「分かった。早速対応する」

 という出雲の答えがあった。うむ、と唸ると議長は

「とりあえず、今日の会議はここまでとする」

 閉会を宣した。次々に参加者が離脱していったが、

「ねえ、悪魔はどうして尻尾でハエを叩くの?」

 子供の声が響いた。

「それは・・・・」

 スペインからの参加者が離脱する直前にためらいがちに答えた。

「暇だからさ・・・」

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