第2話 2030年8月8日

 龍の 目の前に四人の男が座っている。そのうちの二人は、仕立てたスーツ姿で、髪もきれいに整え、黒のピカピカに光る革靴を履いている。室内の蛍光灯が靴の上で反射しているほどだ。まるで丸の内や六本木に居を構える外資系の投資銀行の社員みたいな服装だが、目付きは鋭い。残りの二人はカジュアルな服装で、履いているのもそこらへんで売っているナイキとアンダーアーマーのスニーカーである。そのアンダーアーマーのスニーカーの男が、

「という事でこの男が昨日捕獲した澤村楓の観察を申請しました。私としては了承したいと考えています」

 と立ったままで控えている龍を指でさしてやや甲高い声でそう言った。その男、龍の直属の上司、TL(チームリーダー)の榊敏夫さかきとしおはまだ三十を少し越えたばかりだが、実質的に龍の属する第一ブロック部門を取り仕切っている。

 残りの男たちは顔を見合わせた。榊の横に座っているナイキのスニーカーを履いた男は、本部ヴァイスの神宮司敦夫じんぐうじあつお、革靴のもう少し若い方の男は同じくヴァイスの人見順三ひとみじゅんぞうである。

 先に口を開いたのは人見であった。

「関係者が事件の捜査をできないというのは基本です」

 そう言った人見は警察庁の公安から組織に出向を命じられたキャリア組である。

「和田龍一君が澤村楓の知り合いであるという点で、その方法には疑問を持たざるを得ない」

「しかし、ここは警察でもない。これは事件でもない。まあ、事件と言えば言えなくもないが、通常の犯罪とは異なる」

 異論を唱えたのは神宮司であった。二人は僅かの間、にらみあうように視線を交差させたが、不意に同時に双方で視線を外した。もう一人の男が唸るような声を上げたからだ。

「それは・・・悪魔憑きの正体を解明するのに資するのかね?」

 声を上げたのはその中で最年長の男だった。薄いグレーのサングラスを掛けており、中年の割には引き締まった体をしている。内閣情報調査室長代理という肩書だが、内調の他の仕事には一切関与しない。そのかわり内調にも一切自分の手下を触らせない、という条件で未確認犯罪要因対策本部本部、別称悪魔憑き対策本部の本部長に座ったその男の名前は出雲葦彦いずもあしひこという名前であった。

「すぐに成果が出る保証はできません」

 榊はそう言って龍を見た。龍は頷いて後を引き取った。

「しかし、僕が彼女の事を、とりわけ幼い頃の彼女を身近に見てその性格を知っているという事実は悪魔憑きのメカニズムを知る上では極めて有効だと思います。そもそも彼女は極めて素直で、知的にも優秀な子供でした。その彼女がどうして悪魔に憑かれたのか、それを検証することで何らかの知見ちけんを得ることができると思います。また、彼女を観察、治癒対象にする事で治癒の方法にも何らかの進展が期待できると思います」

 人見は疑わしいという表情を示し、神宮司と榊は強く頷き、出雲は目を閉じた。

「その女性の母親は河合里美と言う事だな。有名人だ。捕獲の時に配慮はしたのか?」

 出雲の問いに

「とりわけ有名人だという配慮はしませんでしたが、スマホ動画や写真を撮らせないための高指向性電磁波処理はしてあります。また彼女は地元の人間ではありませんし、通っている高校も全く別の場所にあり、彼女自身はマスコミにも露出がなく、SNSでの暴露もないことを確認済みです。念のためその時に周囲にいた人間のプロファイルは確保してあります」

 榊が答えた。ロン・・・浩二ロナルド川路と三矢ひかるのコンビに遺漏いろうはない、と龍も知っている。

「・・・よし。分かった。とりあえず三か月間の観察は了承しよう。その間に何らかの結果がでれば延長することにする。そうでなければ施設に送る」

 出雲の言葉に人見は不満そうに眉を顰めたが、それ以上の異論を挟むことはなかった。とにもかくにも、色々な明確な主張を展開するにはこの事案は分からないことが多すぎる、皆の顔にはそう書いてある。


「とにかく、早急に捕獲対象の家族に会わなければな」

 会議が終わると榊が龍に近づくなりそう言った。

「日本での今までの捕獲者の数は100名ちょっと、その100名でも十分面倒は起きている。個人情報の問題もあれば人権の問題もある。微妙な問題だ。とはいえ、感染力も確認されている。手早く処理して周囲を確認しなければならない。特に免疫の弱い若者たちだ」

「そうですね。まあ、とりあえず今日は本人と会ってみます」

 龍は答えた。


 悪魔憑き、とそれは呼ばれた。

 前の年、4月1日、突然十の国で突然、その動画がアップされた。ニューヨークのタイムズスクェア、ロンドンのオックスフォードストリート、パリ一区のオペラ座前、日本の渋谷の交差点、ベルリンのウンターリンデン、モスクワの赤の広場、ミラノのドーモ前の広場、バルセロネータ、リオデジャネイロのセラソン階段付近、カイロのスターズモール。

 どの場所の動画も共通していた。突然、マスクで顔を隠した男たちが一人の人間を追い詰める。そして引き倒し、その耳元に何かを囁く。倒された人間は一瞬、硬直し、そしてぐったりとする。その時、画面に何かノイズのような物が入る。暫くすると、警察がやってきて倒れた人間を救う・・・一見すると救うのだ。

 だが、そうやって救い出された人間はすべて犯罪者だった。男が8人、女が2人。罪の内容は様々だったが、どれも重罪だった。殺人、強盗殺人、レイプ・・・。尤も重罪だったのはロンドンの男で、彼の家の敷地内の庭からは十体の身元不明の死体が発見された。

 その動画は発信元不明のまま、五分の撮影の最後にメッセージが添えられていた。ロンドンの場合はこんなメッセージであった。犯罪者の名前は秘されたまま、

「彼は十人の男女を殺し、埋めた。レベル3。彼は憑りつかれている、悪魔に」

He had killed ten people, men and women & and had buried them. Level 3. He is haunted, haunted by D.E.V.I.L

 と書かれていた。

 最初に声明を出したのはベルリンで東京がそれに続いた。スコットランドヤードはいやいやそれを認め、他の都市でも次々に確認された。最後はリオで、モスクワは声明をとうとう出さなかった。もちろん認めたのは犯罪事実だけであった。だが、またたく間にその十本の動画は再生回数を天文学的に増やしていった。

 悪魔・・・その文字を見て最初の人々の反応は嘲笑ちょうしょうに近かった。フェィクだ、画像は役者たちが演じたものだ、ネット上の声はほぼ100%そうしたものだった。だがベルリンと東京が犯罪者の確保を認めた途端、論調は一変した。

 悪魔?・・・それは何か暗喩あんゆ的なものなのだろうか?と皆が思った。悪魔的なものはそれまでにも散々見せつけられてきたからだ。

 しかし、それらの犯罪者が全員、自白をした後に出された最後のメッセージは人々を戦慄させた。

「彼らの全てが犯罪的素質を有していたわけではない。彼らは悪魔に憑りつかれただけで、それが証拠に全ての人は自白をした。それは悪魔が追い払われたからであり、それ以外のどんな理由もない。Level3までの悪魔を短期的に駆逐する方法は既に発見されている。だが、それ以上のLevelに関しては未知だ。現代社会において悪魔は感染する。感染を避けるためには予防が必要であり、現段階で一定の予防方法は見つかっているが完璧ではない。しかし、これ以上の広がりを防ぐために我々はこの情報を不可逆的に拡散するために公開した」

 我々とは誰だ?と誰もが思い、情報に殺到した。しかし、それ以上の情報は発表されなかった。皆が疑心暗鬼に陥った。

「悪魔が感染する?」

 笑い飛ばす人も少なくはなかった。しかし、大半の人は動画で配信された画像と、警察が発表した事実を総合して、結論を出した。

「悪魔は存在する。そして感染するのかもしれない」


 その十年前、世界中を感染症が席巻した。致死的とまでは言えないが、世界を麻痺させるにはCOVIT19の力で十分だった。今度は悪魔か?

 世界中の株式が10%程度下落した。しかし、それが十分な下落なのかどうかさえ分からなかった。世界は再び疑心暗鬼の世界へと突入した。

 その中で最も早く対応をしたのはドイツと日本であった。

「xx通信<ボン発>ドイツ内務省は、本日会見を開き、先般ベルリンで発生した事案、一部で「悪魔憑き」と呼ばれている事件に関し当該動画を配信したとされるグループと包括的な協力体制を取ることについて合意した。当該グループは自らをAEC(anti devil commission)と称していることも同時に発表された」

「xx新聞<東京発>日本政府はAEC Japanと称する団体と会談を行い、政府内に対応組織を作ることを発表した。対応組織は内閣調査室に発足し、その長には出雲葦彦氏(55)が就任する見通し。出雲葦彦氏は警察庁公安部長、警察庁官房長を歴任し、現在は警察庁官房付き>


 日本が早く反応したのは出雲の力によるところが大きかった。

 官僚組織は往々にして危機に対処できない。なぜならば、官僚というのは基本的に「うまみのある仕事は争っても奪う」が「責任ばかり生じてうまみのない仕事は押し付けあう」動きを本能的にとるからである。本来、それをさばくのは政治の仕事であるが、Covit19によって政治的・経済的に危機に晒された日本は支配政党であった自民党が分裂し、その半分が自由党を結成し、残りの保守派が自民党とは名ばかりの保守政党として残った。その自由党が野党の一部と連立を組んでいる状況で政治基盤は極めて弱い状況で官僚を捌き切れるような状況ではない。現に「悪魔」の出現に対して、どこが対応すべきか大揉めに揉めていた。

 国家公安委員会は警察は犯罪に対応するのが使命であり、犯罪でもない「悪魔」の対応は警察の業務ではないと主張し、厚生労働省は「悪魔」対策は医療の範疇ではない、と述べた。文部科学省は「悪魔」は宗教の対立概念ではあるが、宗教は主管であっても「悪魔」は宗教ではなく、まして科学の対象ではないと言い切った。災害時に業務を押し付けられる傾向のある防衛省、自衛隊は「自衛隊は国民を守る使命は有しているが、悪魔であっても国民の一部を形成するものであり、自衛隊が国民に対峙する事例を作るのには疑義がある」と主張した。他の省庁は沈黙をした。

 そんな中で、出雲は内閣直下に対応組織を置き、警察、厚労省、文科省、及び自衛隊の一部を集結して対応する案を纏め、各省庁に迅速な根回しをして組織を立ち上げたのである。各省庁からは担当に相応しい人間のリストを提出し、出雲自身が面接をして合計百人余りの組織を作ると、それを五つの地区に分けた。更に地方自治体から県単位で十人から三十人ずつ人を集め、保護施設の運営及びロジスティックスをまかなう組織を作り上げた。

 既に数十人が感染していたが、不思議なことに地域はばらばらであった。通常、全て感染というものは地理的要因によるところが大きい。だが、それ以外のメカニズムで感染が起こるのではないか、と考えられた。それにもかかわらず地域ごとの組織にしたのは、調査・捕獲・収容というプロセスは地域性が高いからである。第一ブロックは、東京を含む関東甲信越、第二ブロックは北海道・東北、第三ブロックは東海・北陸、第四ブロックは近畿・中国地方、第四ブロックが四国・九州である。

予算は予備費、官房機密費から捻出され、出向の通知を受けた人間たちはおそるおそる新しい部署に赴いた。彼らが驚いたことにその時には全ての運営マニュアルが作成されていた。そればかりか、保護施設は既に建設が始まっており、その幾つかは完成していたのである。


 ”Yes,,, That's right. We believe what they are talking is true. We have gotten good reason to.... No, that's all. Personally I highly recommend you to prepare for it. Hope you will succeed....Bye for now"そうだ、その通り。彼らの話は事実だと我々は考える。そうする十分な理由が、、、いやそれだけだ。個人的には準備することを強く勧める。うまく行くことを願うよ。じゃあ。

 電話を置いた出雲は一つ、太いため息をついた。

「アメリカですか?」

 秘書官の鈴木が尋ねると、出雲は頷いて、

「大統領補佐官のGregor Molisonだ。彼とはプリンストンで一緒でね。だいぶ苦労していると見える。あまり強く主張すると非科学的だと批判されるらしい」

「でしょうね。私自身、今でも信じることが・・・」

 口を滑らした鈴木に鋭い視線を投げかけると、

「君がそんなことを言っては困る」

 と出雲は厳しい口調で叱咤した。

「申し訳ありません。悪魔というのは中世ヨーロッパの迷信だと子供の頃から考えていましたので」

「何もヨーロッパだけではない。どこの国にも悪魔の伝説はある。だが科学の進歩と同時に悪魔の信仰がなくなっただけだ」

「その意味では非科学的という批判はどうしても生じるのでしょうね」

 うむ、と出雲は頷いた。

「科学と言ってもそれが現実と乖離してまで主張すれば宗教のような物だ。科学の衣を纏ってはいるがね。アメリカではCIAは共産主義者による扇動、FBIは新たな集団による破壊工作の一環ではないかとみているらしい。逮捕者への尋問はCIAの息がかかった者たちがやっていてかなり強引な取り調べが続いているようだ。動画に中国のものがないというのがその理由らしい。AECは敢えて中国とインドという敵対関係のある二か国のものを作成しなかったようだが、その意図はうまく通じなかったらしいな。AECのアメリカ支部はCIAは問題外、FBIが見方を変えない限り協力はしないと主張しているらしい」

「そうですか。しかしアメリカがそんな調子だと、国際的に協調というのはしばらく難しそうですね」

「当面はヨーロッパに軸足をおかねばならないだろう。中小国や発展途上国だとインパクトがない。下手をすれば非科学的な国の連合と捉えられてしまう惧れがある」

「その意味ではドイツは心強いですね」

 鈴木の言葉に今度は出雲は大きく頷いた。

「ドイツは科学が進んでいる一方で、悪魔や魔女の本拠地の一つだからね。メフィストテレスだけではない。魔女狩りというのを知っているだろう?だがあの時悪魔は魔女の方についていたわけではない。魔女を狩っている方についていたのだ。それに・・・近代の最大の悪魔の一人があそこにはいた」

「ヒトラー・・・ですか?」

「うむ、ヒトラーのケースは今回の物と極めてよく似ている。かれが若い頃は意志薄弱で狡賢いだけの画家志望の人間だったということは良く知られた話だ。今回の悪魔憑きの被害者と似た性向だ。彼が自殺した後、部下によってガソリンで燃やされたことは知っているか?」

「ええ・・・」

「その後、ソ連軍によって埋葬されたが掘り出されて骨は粉々にされエルベ川に流されえた。ネオナチによって奪われたり、聖地に擬えられたりすることを嫌ったという話もあるが、本当のところは」

 そう言うと出雲は鈴木にちらりと視線を遣ると、

「物理的に滅失する必要があったからだ。悪魔を」

 と続けた。

「物理的滅失・・・」

 鈴木が薄気味悪そうに反復した。その声が他に誰もいない部屋の奥へと響いて、消えた。












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