2

 子供の頃の私は、他の子供と同じように夜の暗さが怖かった。

 眠る前は母に頼んで必ず豆電球を付けて貰ったし、密かにくまごろうと名付けたテディベアを胸に抱いていないと眠れなかった。ドア脇のクローゼットはアーチ状の白い観音扉になっていて、夜になると違う世界へと繋がる窓のように見えた。私はその観音扉が閉まっていることを何度も確認した。

 当時の私には、クローゼットの奥にわだかまる暗闇が何よりも怖かった。夜になると、何かがじっと息を潜めて籠る獣の匂いのように殺気立った気配が、閉ざされた観音扉からじわじわ漏れてくるのが感じ取れるようだった。それは毛むくじゃらで、老木みたいな節くれ立った太い腕を持ち、尖った爪は簡単に顔面の皮を剥ぐに違いなかった。それが寝室から出ようとした微かな痕跡――折悪く微かに観音扉が開いていたのを見付けようものなら、中から伸びてきた真っ黒い腕に首根っこを摑まれ、クローゼットの暗闇に引き摺り込まれる。私は頑なにそう信じ込んでいた。四歳の頃だった。

 後に振り返ると笑い話でしかない想像の産物が、子供の頃にあれほど生々しく実体を備えていたように思えたのは、それが幼いながらに摑もうとして頭の中で形象化させた、死の感触に他ならなかったからだと私は思う。

 私は時折夜中に目を覚ますと、クローゼットの扉が微かに開いているのを見た訳でもないのに、怖くなって泣き出した。当時の私は両親と父方の祖父と暮らしていた。祖父の部屋は私の隣りだったので、夜泣きする私をあやすのは祖父の役目という暗黙の了解が家にはあった。

 橙色の豆電球の光の中、ベッドの淵に腰を下ろして私が落ち着くまで髪の毛を撫でてくれた祖父の姿を、私は今でもよく覚えている。白髪で長身で、ボタンでできたくまごろうの目のような優しい眼差しの人だった。暗闇を微塵も恐れる気配のない祖父の周囲が、当時の私には絶対的な安全圏内に感じられた。

 私が大人は全て正しく、全てを知っていると誤った認識していた頃のことだ。私の中では、当時三十過ぎだった両親の世代が大人の基準だった。祖父のように更に倍近くも齢を重ねると更に倍の大人になって、死の恐怖すら克服できるようになるのだと思い込んでは度々感銘を受けていた。

 その祖父も私が小二になる頃には加齢で衰えが進み、階段を昇る降りする足元も覚束おぼつかなくなったので、二階の私の隣りの部屋から一階の和室に部屋を移された。祖父は一日中ベッドに居付いてあまり家の中を歩かなくなり、苦しそうに肩で息をすることが増えてきた。

 細かい時期は忘れたが、よく晴れた日だったことははっきり覚えている。その日、私が学校から帰ると、相変わらず祖父はベッドの淵に腰かけていた。私はリビングのローテーブルで、母が皿に用意してくれた林檎を食べていた。リビングの隣りの和室は襖を開きっ放しにして、常に物音が聴こえるようにしてあった。さっきから忙しなかった祖父の呼吸音が、ふいに排水溝が詰まった時のような苦しげな喘鳴に変化した。私が和室に駆け込むと、ベッドの淵に両手を衝いた姿勢で祖父が唇を丸く窄め、必死に息を吸い込もうと全身を震わせていた。祖父は自分でも驚いたように目を丸く見開き、唇の端から涎の糸を滴らせながら掠れ声で私に訴えた。

「苦しい、助けて、助けて」

 祖父の骨ばった両手が伸びてきて、私の両肩を鷲摑みにした。私は激しくもがいて祖父の両手をもぎ離すと弾かれたように階段の踊り場に飛び出して、ベランダで洗濯物を干していた母を大声で呼んだ。階段を駆け下りてきた母は祖父を見るなり悲鳴を放って、棚の上の電話に飛び付いた。母の傍で救急車を待つ間、祖父は呆然とした眼差しを私に注いでいた。私が全力で逃れようともがいたことに、祖父はショックを受けたらしかった。後ろめたさから、私は傍らの母の手を握ったまま祖父の視線を避けて俯いていた。

 院内での緊急措置で祖父はすぐに復調して二日後に退院してきたが、その翌年の二月の暮れ、市立病院のベッドの上で静かに息を引き取った。あの時、既に祖父は半分以上死んでいたのだと私は思った。祖父の葬儀の記憶はあまり残っていないが、恐慌を来して目を見開いた祖父の必死の形相だけは、未だに私の頭に焼き付いていた。

 あの時の祖父の形相ほど、人間は幾つになっても決して死の恐怖から逃れられないという、絶対的な事実を明瞭に示すものは他になかった。祖父にしがみ付かれた瞬間、私は限界まで見開かれた祖父の瞼の奥に、心からの絶望と恐怖を見た。その瞳を通して、死が直に自分に向かって流れ込んできたとすら感じた。四歳の私は間違っていた。死はクローゼットの暗闇に巣食う怪物ではなかった。より生々しく、剥き出しで、決して他の何かには例えようのないものだった。

 雨がといを伝う音を聴きながら、暗闇の中でベッドに仰臥していると、規則正しい心臓の鼓動が背中を押し上げるように伝わってくる。かつての祖父のように、この心臓もいきなり停止しないとは限らないという怯えが膨れ上がってくると、私は次第に息苦しさを感じ始めてきた。これは典型的な過呼吸の症状だった。過呼吸は体内に酸素を取り込み過ぎることで起こるので逆に息を止めるか吐く必要があるが、息を止めていると喉が詰まって、却って必死に息を吸い込んでしまう。

 徐々に冷静さを塗り潰して、頭の中に恐怖が膨らみつつあることを私は自覚した。最近は眠れないと、時折パニックを発症した。私がベッドで息を詰めていると、下から玄関の鍵が開く音がした。何時かは知らないが夫が帰ってきたらしかった。

 頭と四肢が痺れて寝室が狭まるような圧迫感に囚われ始めたので、私は雨でも外に出たかったが、今階下に降りて夫にあれこれ問い質されるのは厭だった。私はこの症状のことを、夫には話していなかった。夫が温め直したトンカツを食べて寝室に引き上げるまでの時間が、私には水の中で息を止める時間ほどに長く感じられた。夫が寝室に引き上げてさらに一時間以上耐えた午前三時過ぎ、私は寝間着にカーディガンを一枚羽織ったきりの格好でベッドから滑り出た。

 こんな雨の深夜に、人通りは全くなかった。家の黄色い門灯と白い街灯の列が濡れた路面を照らし、雨の飛沫が斜めに光の輪を横切った。私は宅地を縫って走る堤防に沿った三号公園の敷地に入って、傘を差しながら隅の遊具の脇で煙草を一本喫った。たいていは外を歩いていると、私は次第に落ち着いてくる。手首を探って脈拍が正常なことを確かめると、私はまた寝に家に戻った。朝方に低空飛行の眠りが訪れ、翌朝は朝食を拵えて夫を無事送り出した。

 鏡に顔を映すと、よく夫が何も言わなかったなと思うほど、不健康そうな真っ白い顔色になっていた。私は目が大きく隈ができ易いので、体調を崩すと覿面できめんに顔に出る。薬物中毒者みたいに面相が荒れていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る