「二つの月」及び、「太陽の帝国」解体新書

本庄冬武

本庄冬武、執筆した、主に長編二作品を振り返る。

 どもー。みなさん、こんにちはー&こんばんはー。歌ったり書いたりのトムでーす。元気に執筆してますかー?あー、そうですかー。いいと思いまーす(てきとー)。



 閑話休題、ノベルアップという所では、僕が小説を書き始めた理由みたいなものを書いたので、此処では、まさかここまで長編が書けるとも少しくらいは思っていたけど、そうでもなかった「二つの月」、「太陽の帝国」について、改めて振り返ってみたいと思いまーす。


 とりわけこの二作品に登場する、所謂、「設定」については語るに値する、結構なエピソードがからんでいると思うのです。


 今(二〇二〇年、十月九日、雨)が、コロナでこんな事になるとは到底及びもしなかったちょっと前、現在神奈川在住の僕は、ギターを背負っては、多摩川を超え、東京にも結構歌いにいっていました。そんなお世話になってた箱(ライブハウス)の一つが新宿にあったものです。で、この、新宿という街は、ある一定の区域が、そういった性的指向の人々のニーズに合わせたお店が立ち並んでいる事は、皆様もご存知かと思うんです。


 そのハコに行くには、そのエリアを通らないと、かなりの遠回りにもなるので、まぁ、正直、通り抜けざまに、奇異なるものを眺め回す心境で歩を進めたものでした。そこで、そういった指向の方々が主に楽しむのであろう、DVD等を販売しているお店の前を通り過ぎようとした時だったんです。


 かなり高齢の紳士が、若者らしき裸体のパッケージに包まれし商品を、まるで、袋から取り出す様にしながら両手に大事に抱え、お店からでてくる所でした。


 否、正直、少し、ギョッとする光景であった事は否定しません。ただ、その光景を目の前に見た瞬間、自分がかつて沖縄で暮らしていた頃、遠い離島まで旅した夜の事まで思い出したのも、これまた事実でありました。


 当時、その日本の最果ての南の島で、民宿の手伝いもどきみたいな事をやりながら、滞在し続けていると、類は友を呼ぶというか、県外出身ながら、居座り続ける者同士、なんとなく仲良くなっていくもんなんですよね。僕は、本土の沖縄ブームというものがある前から、既に沖縄の地を踏んでた人なので、あまりピンとは来ないんですけど、ある時期から、当時の僕みたいな人が一挙に増えた様な印象は受けていました。


 なにせ、せまい島の中での話です。束の間の、ブーゲンビリアなんて咲く月夜に、そんな皆で、滞在する宿泊所の庭先にある簡易型のテーブルで、喋り続ければ、気分はすっかり島の人間かである様に、「よそ者」にすら敏感になるのだから、人の心は不思議なものなんですよね。


 と、いうのも、僕が滞在していた宿ではないのですが、ある者が言うには、随分と年の離れた、女性二人組のお客さんが島にいらっしゃってるとの事なのです。して、あれは親子だとか云々の、そういう雰囲気ではない。あれは明らかにデキている。ある宵の頃、たまたま、その二人が宿泊している部屋の前を通り過ぎる際に聞こえてしまった、老婆の囁きと、若い娘の方の吐息、その他が、いい証拠だ。などと言い出すじゃあありませんか。


 その時は、まさかと一笑に付したものでしたが、噂をすればなんとやらってあるもんなんですね。寝静まった集落の中、地元の人にも配慮した小声で、時に冗談も交えた僕らの集まりの目の前を、恋人同士の手のつなぎ方をした、仲の良さ気な雰囲気満載の女性の影が二つ、並んだのが現れたんです。明らかに、親子以上の年齢差があった風に思います。ただ、印象的だったのは、驚く僕の目の前で、彼女達は誰かがいるとは思ってなかった風に慌て、自分たちの繋いでいた手をほどいた事でした。


 東京という花の都は、新宿というドストライクな中心地と、沖縄でも、はるか最果ての南の島、という、かなりの距離と、それは時系列すらも離れている経験なのですが、僕の中では、何かが結びついた一瞬でした。


 先ず、年齢差、っていう事にくくって話すと、これは特に「2つの月」の中で、まるで我が身に起きた様にあれこれ語っていますが、僕には、「トム」という、本名でもあだ名に通用する名前を持っているにも関わらず、実際、一時の僕は、周囲の仲間から「ロリコン」という、親しい間柄であるからこそ許される呼び名のみでしか、我が身が呼ばれなかった時期が続いた事があります。

 

 それだけ、交際する事となった女性が、その都度うら若く、僕が年をくっていけばいくほど、その年齢差はどんどん開いていくすらあるようで、俗っぽく言うのならば、いい思いしたのかもしれませんが、内実を言わしてもらうなら、それは躾のなにもなってない野良猫を飼いならそうと、若さの勢いで根本的に叩き直そうとする飼い主の関係ばかりであった様に思うのです。それだけ、あの時の、あの娘の、あの一言が、今でも効いているなぁなんて思う事がよくあります。


 年齢は確かに存在するけど、精神の年齢は、決して、それに比例しない、って事ですかね。多分、それは、それこそ、人として。


 僕は根本的な事が解っていなくて、その都度、パートナーには、懇々と説教され、諭され、よく怒られたものです。言わば、オイタをして正座させられ、剣幕に猫背に目を点としている、大学もとっくに卒業した男を、つい、この前まで中学生だった少女が腕を組んで険しく見下ろしている、なんて事は有り得るんだって事なんですよね。結局、そういった事は、「二つの月」のヒロインであるリーンのみならず、「太陽の帝国」の、主に、イヨの存在なんていうのも、そこら辺り、物語っていると思います。


 「二つの月」は、「実際に起きた事」なんてキャッチフレーズつけてますが、これは、まぁまぁほんとです。ネタバレにもなるナイーブな部分なんですが、二〇一六年、五月三十一日に、自分に起きた、「不可思議な出来事」をベースにしています。リーンというヒロインの、碧眼と髪の色自体は脚色ですが。


 これはオカルトの類の話になりますが、霊感の強い知り合い曰く、所謂、霊界などとはまた違う、要するに異界、異世界な次元というのは存在するそうで。僕の語る体験談に、なにがしがの異常を持ち前の霊能力で感じた彼女がかけてきたラインの無料通話が、受話器越しに若干の只ならぬ雰囲気と共に、「気を付けて」と僕に語り掛けてきたのが印象的な思い出です。


 けど、いくら、ミュージシャンになる前の夢が、小説家であったとはいえ、純度百パーのオリジナル小説が書けるなんて事は、当時思ってなかったんです。できなくて元々、みたいなノリで、非公開にして「二つの月」は書いていきました。それが書けた、という時点で、世界は一気に広がりましたねぇ。


 「太陽の帝国」に関しても、冒頭部分は、実際に、夢で見た他愛もない妄想の光景を、忠実に再現してみただけです。その夢の中で、僕は、当たり前の様に、宇宙船の舵を切っていたのです。


 最初は短編にするはずだったものを、長編にしようと思い至った経緯は、最早、おぼろげなのですが、やるからには、ともかく自分の(こうだったら、面白いんじゃね?)って言う、B級的なノリは一貫させたいと書いていきましたし、それは見事、成就できたと思っています。ただ、その趣味全開としたノリの中、主に、ファーストシーズンのヒミコとイヨ、それ風に言えばヒミイヨの関係なのですが、出尽くされ、最早、焼きまわしにすらなりつつある、その手のジャンルの設定を引き算していき、実際、自分が過去に目にした事のある経験らを加えれば、この世界が描写される事は、最早、必然だったのかもしれませんが、思いついてしまった瞬間に思った事は、(……これ、誰得?)という苦笑でした。


 「二つの月」が、言わば、「僕なりの文学」とも言える代物であるのなら、僕が歌の歌詞にしたい事を物語にしようなんて、思いつきもあったのが、気づけば「太陽の帝国」でした。僕は、結構、作品(楽曲)の歌詞の中で問題提起するのが好きです。だからこそ、ヒミイヨを展開する時に苦笑すらありましたが、迷いはなかったですねぇ。禁忌、なのかもしれませんが、それは歴然としてそこにあるなら、何もなかった風にする事の方が、なんか気持ち悪いし。そういった事が憚れるか否かは時代によって変わる程度のものだし、そもそも人の性的指向なんて人が裁けるものでもないと思うんですよね。それに、そもそも日本人って、少なくとも葛飾北斎が生きていた頃から、世界でもまれに見るほどエロい民族性な所、あると思うんです。今、そんな【揺れ戻し】の只中にあると思うんです。(おれは思う! メッセージはAll love need is a free!! だったら、尚更やったれ!)と。ただ、もっと、よくありがちな設定にしたってよかったとは思うんです。その点では、書きながら、

「……これ、最悪、誰も読まないぞ……」

 とも苦笑しましたが。ま、イヨと双璧であるもう一人のヒロイン、シリナという存在も、ある種、ヘイト蔓延る昨今へのアンチテーゼであったりします。


 「二つの月」でも「太陽の帝国」でも、一貫としているのは、自分がいかに日本が好きか、「日本というものへのこだわり」を表現したと思っています。特に、「二つの月」にでてくる、「もうひとつの日本」は、以上の僕の経験、考え等を踏まえた上での、僕なりの日本への思い故の理想郷です。僕は、海外にいた事もあって、海外の友達も昔から多かったんで、小さい頃から、「日本」っていうものを、よく考えさせられたんですよね。


 やっぱ日本って、いい所だと思うんです。けどそれと同じくらい、中国や韓国やロシアだっていいとは思いますが、そういった類の事は、本稿とは別の次元の話題となるので割愛します。どちらにしろ、例えば、歌でも、僕は、絶対に歌詞に英語のphraseをいれないのですが、それの様に小説も、これからも、どこかで「和」というものが意識できる作品作りはしていきたいですね。


 ただ、この二年間、二次創作含め測ったら、累計百万文字以上の内容を書いていました。正直、突然ぶっ倒れて病院行きになった事も、之必然であった気がするし、現在ガス欠である感も然りな気がします笑。嬉しい事にネタは降ってきてますが、エンジンかかるのはもう少し時間かかりそうです笑。


 短編もありますが、ただ、主に、「二つの月」と「太陽の帝国」という、オリジナル二作品をぶっ通しで書いてきた挙句、「太陽の帝国Ⅱ」の最終章、「チーモの夏休み」で、それまで一貫としてあった、言わば「様々な原因で蓄積された毒気」とも呼べるものが、完全に抜けていて、それは、その後に発表した「そして、猫しかいなくなった。(時々、かなり、犬もいる)」や「永遠のWOODSTOCK」にも反映されているのが、我ながら印象的な気分でいます。


 現在(二〇二〇、十月月十二日、晴)、まさかの「太陽の帝国Ⅲ」がありうる段階にきているのですが笑、そんなわけでファーストシーズンはともかく、もう、セカンドシーズンの百合描写の時点で、(……これ、もう、奇をてらうのは限界だな)と苦笑してました。そして、所謂、「奇書」的な特徴ももつのが、これまでの「太陽の帝国」シリーズであったとは思うのですが、

(……別に、二度ある事は三度なくてもいいんじゃねーか)

 って開き直ってきています。ツイッターで触れましたが、歌では表現していて、小説ではまだ表してないお題があり、それを描写する世界観として、「太陽の帝国」という設定は、自分にとって非常に描きやすい設定であるなぁと改めて思う昨今です。





 この今の果てにどんなものが描けるか、自分でも楽しみですね。

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「二つの月」及び、「太陽の帝国」解体新書 本庄冬武 @tom_honjo

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