第30話 離脱(一)

 僕とヴェリンは「瑞皓ずいこうの会」支部に乗り込もうとしていた。いつかの領事館と同じ夜のことではあったけど、すでに時刻は変わろうとしている。真夜中と言っても差し支えは無いだろう。空には満月。月を隠すほどの分厚い雲が出ているわけでは無いが、月にぼんやりと霞が掛かっている。だが雨が降る心配は必要無いだろう。気温も寒さを感じるほどでは無い。

 乗り込むべき支部がある場所は繁華街では無い。高級住宅街、その中央にある自然公園の隣にあるレンガで組み上げたような建物。瀟洒な、という言葉を使うことが許されるなら、それが一番しっくりくるような気がする。「瀟洒」という言葉の正確な意味は知らないけど「お洒落っぽい」という事で良いんじゃなかろうか? もしかしたら隣の自然公園まで含めて教団の敷地なのかも知れない。さて、どういう手順で乗り込めば良いのか……

 隣を歩くヴェリンも、そして僕も今は制服姿では無い。と言っても僕はパーカーにジーンズという普段着でしか無いわけだけど。それでも動きやすさに配慮した出で立ちのつもりだ。靴もまぁ、スニーカーだし。

 動きやすさを重視してるのはヴェリンも同じだ。赤いカチューシャはそのままだったが髪は緑色のリボンでしっかり縛っている。胸元が少し開いた真っ白なシャツに、アイボリーのパンツ姿。足下は……ああ、やっぱりスニーカーだね。

 それでお互いの得物が僕が竹刀でヴェリンが……模擬刀とでも言うんだろうか? 木製の剣の形をした棒だね。ざっくり言ってしまうと。

「元親。そういった“もの”は私にまかせて。本来なら……」

「それはもう何度も話し合ったじゃ無いか。僕は結果だけを待ってる気には、どうしてもなれないんだ。それに積極的に出ていくつもりも無いよ。ヴェリンの邪魔にならないように……そのほうが“囮”っぽいだろ?」

 この議論は何回目になるのだろう。確かに理屈だけを言うなら、僕が一緒に向かう必要は無いのかも知れない。だけど、らとこの心が折れてしまっているのなら、その時は僕が必要になると思う。

 風波は囮として支部を混乱させて欲しいと言っていたが、その最中にらとこと会えることだってあるだろう。いや、何としても会って言葉を届けたい。

 何かそうしないと――僕は酷く後悔するような気がする。こんな状況に遭遇したことは無いんだけどね。もっとも風波の説明する、らとこの現状を見過ごせば、確実に僕は後悔するだろう。それだけははっきりとわかる。

 そんな僕の決意を、ヴェリンはため息と共に受け入れてくれたようだ。諦められた、と言い換えることも出来るかな?

「わかった。理解しがたいけど、わかりました」

 それでもヴェリンが矛盾したことを言い出した。だが、とにかく賛成してくれるなら何でも良い。ヴェリンの足を引っ張ることはしたくないし。

「私も、らとこには言いたいことがあるからね」

 そうだね。あっさりとバレてしまうよね。僕がこれだけ、こだわっているんだから動機は推して知るべし、って奴だし。

「らとこにとっても必要な事は『やってみれば何とかなる』という心構えだと思う……もし、何か――その、洗脳状態であったとするなら」

「やっぱりそんな可能性もあるよな」

 特に、らとこは押しに弱いところがあるし。いや今からやろうとしていることは逆に押し返そうとしているだけ……細かいことはいいか。

 らとこの身体を差し出そうという、父親の企みは誰からどう見たって「悪いこと」なんだから。女の子をそんな……

「どうも、入り口の場所を間違えていたみたい」

 ヴェリンが緊張した声を出す。何しろ得物を持っていたので、交通機関を利用しにくかったんだよね。ヴェリンが何かの楽器のケースを用意してくれていたんだけど、それを持ったまま殴り込みって言うのは無理だから。

 昔見た映画で、楽器のケースがミサイルランチャーになってた西部劇(?)を観たことあるけど、さすがにそんなものが用意出来るはずが無い。

 いや用意出来たって使わないけどね。そんなもの使ったら死人が出てしまう。

「でも、あの門で間違いないわ。どうする? らとこを発見するまではこっそりと行く?」

「せめて建物の中まではこっそりと行きたいな」

 建物に近付いたら、恐らく窓ガラスを割るぐらいの事はしなくちゃならないだろうから、それも望み薄だ。しかし警備会社と契約しているとして……果たして教団は外部の人間が入ってくることを認めるんだろうか? 建物内に監禁した女の子がいる状態で。

 やはり何もかもが行き当たりばったりだな。やはり頼りは、またしても風波、ということになってしまう。

「……かと言って、乗り越えるにしても塀は高すぎるし」

 鉄製の格子状の塀で高さはそれなりに。ただ、あからさまな侵入禁止の仕掛けは無いみたいだ。つまり手を掛けることが出来れば……

「あ、そうか」

「な、なに? いきなり?」

「こう言うのって、外国の人の方が詳しいんじゃ無いのかな? 忍者のやり方だよ」

 言いながら僕は竹刀を柵に立てかけた。鍔が上手くストッパーになるみたいだ。そして鍔はそのまま足場になる。

「あとは紐か……パーカーから引っこ抜くかな」

 言いながら、パーカーの紐に手を掛けていた僕の手をヴェリンが制した。

「なるほど。意図がわかり見えたわ。それなら、これで行きましょう」

 ヴェリンが自分の髪を結わえていた、緑色のリボンを解いた。

「……これって忍者のやり方なの?」

「そういう学習マンガを読んだことがある」

「忍者を学習……」

 何か重大な勘違いを引き起こしたような気もする。とにかく、そのリボンを竹刀に結びつけて、まずはヴェリンが竹刀を足場にして軽やかに塀を乗り越えた。解かれた金の髪が月光を浴びて、一瞬見とれてしまう。

 だけど、いよいよだ、という緊張感が即座に僕を引き締めた。今度は僕の番。リボンを持ったまま塀の上で一端留まると、リボンをたぐり寄せて竹刀を手元に引きつけた。結構上手く行くものだね。

 むしろここから敷地内に飛び降りることの方が緊張したぐらいだ。だけど飛び降りてしまえば何とかなってしまう。スニーカーの名前のままに、音もほとんどしなかったしね。……あれ? もしかして僕たちの装備って最適?

「上手く行くものね」

 ヴェリンも同じ感想を抱いたらしい。僕は立ち上がって、竹刀からリボンを解こうとするがヴェリンが代わってやってくれた。不器用で申し訳ない。近付いたヴェリンの胸元が気になったからとか、そういう理由ではない……と主張だけはしておこう。

 そしてヴェリンが再び髪を結わえ、その視線の先には蛍光灯の灯りが漏れ出している、恐らくは正面玄関。

「今の状態で十分奇襲になっているか」

「そうね」

 どうやら面倒になって正面突破しようという僕の提案にヴェリンも賛成してくれたようだ。少なくとも施錠されているかどうかぐらいは確かめてもバチは当たらないだろう。

 締まっていたら次の手を考える。開いていたなら風波に言われた囮の役割を精々果たすことにしよう。

 

 ――そして、らとこの救出も果たしてみせるぞ。

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