第23話 悪名(一)

 何事も上手く行ったわけでは無い。それでもファイン・カールシュタインの活動はまずまずの成功を収めたと言うべきなのだろう。彼女が巡った各都市間の連携が図られるようになったのだから。それも海上で。

 港湾都市同士で連携させようというファイン・カールシュタイン――エーファの政略は見事というしかない。陸路を通じてのことであればモールン教の監視の目から隠れることも難事であったが海路を通じての交流となれば、しっかりとコントロールできる。またそれは諸外国との交易に関してもそうだ。

 陸路はモールン教の支配下にありながら、ソル派は海上という盤上の外で策を巡らせている。策を巡らせるとは行っても別に戦争を仕掛けるわけでは無い。エーファが目論んだのは「販路の制御」である。すでに人類社会は海路を駆使しての一大経済圏に組み込まれなくては生活もままならない状態になっていたのであるから。内陸部の産物だけでは自ずから限界がある。もちろんモールン教の支配層が愛して止まない嗜好品や貴金属を使っての装飾品の数々。あるいは香辛料。海路を抑えられると言うことはその全てに影響が出ると言うことなのである。

 簡単に言えばソル派によるモールン教への兵糧攻め。そういった状態なのだ。

 では、ソル派は内陸部を干上がらせようとしているかというと、それもまた違う。しっかりと穀物、それに塩などは流通させる。ただ少しばかり不自由になっただけ。これではなかなか怒りに火が点かない。ただソル派に鞍替えした方が確実に便利なのである。これが大きい。

 しかもソル派は従来のモールン教のように他派閥を積極的に排除したりはしない。なんなれば共存も可能だろうというスタンスなのである。ただ、自分と同じ考え方の人を贔屓しているだけ――それは、なんら特別なことでは無い。

 さらにソル派は商行為を完全に肯定していた。それがどういった効果をもたらすのか? 今までなら商人が社会福祉に資金を投下しても当然のこととされ、人々の感謝の声は全てモールン教が吸い上げていたのだ。ソル派はその仕組みを改め商人にもしっかりと感謝が行き届くようにシステムを作り替えた。

 ソル神が商人の行為を讃えていると――そういうことにしてしまったのである。必然それは商行為の肯定となり商人達の面目を施す形となった。そして、社会的に認められれば自然と商人達の姿勢も良くなってゆくという好循環をもたらしてゆく。

 これはソル派が新たな発見をしたわけでは無いのだろう。単純に今までのモールン教が悪すぎたのだ。謂わば心理的に相対的な効果もあって人心がソル派に傾いているとも言える。

 それを仕掛けたエーファが調子に乗れば元の木阿弥になる可能性もあった。しかしここでもエーファは優秀だった。貴族位はそのままに平民である商人、そして市井の民達と積極的に交わり「異端」と言われ忌避されていたソル派の印象を和らげることに腐心した。元は容姿に優れたエーファの立ち振る舞い、そして物腰。そこに人々は自分たちを導く理想の貴族の姿を見出したのである。

 決して自分たちから一方的に搾取しない、優しき指導者。それがエーファのイメージなのである。

 しかしそれだけでは指導者としては不十分なのだ。優しいだけでは必ずなめられてしまう。時には厳しい面を見せなければならない。エーファはそういった部分に全く考えが及ばない人物であるのかと問われれば――もちろん、そんなはずは無い。

 しかしエーファは自らが見栄えの良い旗印であり続ける事の大事さを弁えていた。決して自らの手が汚れたように見えないように。そう政敵が消えていくかのように思われればそれで済むのだ。

 そんな“都合の良さ”を演出していたのは、時折エーファの側に寄り添い、またある時は闇の中に伸ばされた手のように動いていたミーニングレスであった。その存在をエーファは決して隠しはしない。時にエーファはミーニングレスを派遣して弱者を救い、またある時はもめ事を強引に仲裁させ、その真っ白なミーニングレスの姿を畏怖の対象として作り上げたのだ。

 ミーニングレスの存在が、どれほど各都市に向けてのエーファの説得工作の助けになったのか? 今更確認する必要も無いだろう。エーファの名声が高まる事と同時にミーニングレスの名も知れ渡るようになっていった。

 ――それが「悪名」であったとしても。


 戻って来たカクニスタでは、何故か自分の屋敷が用意されていた。しかしミーニングレスはその不自然さ全て無視した。肝心な事はフーハがそこにいること。ただそれだけであったのだから。

 そしてカクニスタの参事会も自らが仕掛けたも同然のミーニングレスの「悪名」であるから、彼の危険性を十分理解していた。そのために丁重に扱われていたフーハをミーニングレスは抱いた。

 以前とは比べものにならない豪奢な部屋で。天蓋付きの寝台で。身のまわりの世話をすべてあてがわれた女性使用人に委ね辛うじて人間らしい生活を送りながら、ミーニングレスは獣のようにフーハを貪った。

 それは不条理さを感じさせる構図。この瞬間、大事なことはただ一つの欲望であったことは確認するまでも無いだろう。つまりミーニングレスとフーハがいればそれで満ち足りるのである。

 それでは歴史を積み重ね研鑽された部屋を飾り立てる装飾は全く無意味なものだったのだろうか? 人は獣とは違うと生活を営んできた事もまったくの無意味であったのか?

 それでも人は美しさを求めるものだ。それもまた欲望の一つの表れ。しかしそれを肯定するならば……欲望のままに豪奢な寝台の上で絡み合うミーニングレスとフーハの姿こそがもっとも美しさを湛えているとは言えないだろうか?


「キミはファイン・カールシュタインを抱かなかったのかい? ボクに全部ぶつけられても身体が保たないよ」

 一段落、と言うべきなのか。寝台に横たわるミーニングレスの裸体にしなだれかかるフーハの豊かな肢体。辛うじてシーツがそれを覆い隠しているがその曲線はあまりに扇情的だった。

「…………」

「他の女を抱いたらボクがヤキモチ焼くと思ったのかな? そんな事心配しなくて良いのに」

「お前は……」

 その話を打ち切るようにミーニングレスから声が上がった。フーハが微笑みながら、その先を察する。

「ボクも君が忘れられなかった。なんて言えれば格好も付くんだけどね。ラケルがとにかく離れてくれないものだからさ。まぁ、可愛くはあるんだけど」

「厄介か?」

「殺すほどのことは無いよ」

 フーハがそんな風に呟いたところで控えめなノックの音が響いた。

「――失礼いたします。トーデンダル様が、どうしても呼んで欲しいと。我々ではもはや」

 そして扉の向こうから泣き言そのものの声。苦笑を浮かべたフーハが汗に濡れた半身を起こす。

「ほらね――行くとだけ伝えて時間を稼いで。それと湯浴みの準備を」

 手慣れた様子でフーハが女性使用人に指示を出した。ミーニングレスが出回っている間に、彼女は彼女で自分の居場所を作り出していたらしい。そうと悟ったミーニングレスの胸中に渦巻く感情は一体何か――

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