第16話 逃亡者(三)

 ミーニングレスの掃討がよほど効果的だったのか、帰路に関しては「カクニスタに帰る」以外のことに気を配る必要は無かった。それでもミーニングレスは夜間であっても休むことを許さず、途中数回の休憩を挟むだけ。それもファイン・カールシュタイン達を気遣ってのことでは無く、カルバスを気遣ってのこと。

 その最中に人間達が息をつく。そんな帰路であったが、それだけ無理を重ねた甲斐はあって空が白む頃には無事カクニスタの城門に辿り着くことが出来たのである。

 追われる婦人達が安心できる場所に辿り着いた――そんな心温まるエピソードとして決着するのか。それとも、あるいは大きな歴史の一ページになるのか。

 少なくともファイン・カールシュタインは、これで活動を止めるはずもなく、休憩も取らずにカクニスタの有力者と面会を続けた。

 それはファイン・カールシュタインの要望があったからでは無い。カクニスタの有力者――それは即ち商人なのであるが発展を繰り返した販路の拡大と、複雑化してゆく商取引。さらには農家への保証を債権化する手法。広まれば間違いなく人の営みは豊かになるはずなのに――モールン教が教義がそれを阻む。そもそも商業をモールン教では“悪”と規定してしまっているのだから、最初から限界はあったのだ。

 しかしモールン教を捨てることは出来ない。それはすでに世界と同一化している。モールン教を棄てるなどということを人は、想像することは出来ないだろう。しかし、その普遍さがモールン教に腐敗を促したとするなら? 教義的には商売を行えないはずの佑教達と組みその圧力で利潤を追求する「聖商」たち。もちろん、その利潤は佑教達に流れることになる。

 となればまず「練教」となる事でモールン教に帰依する事を志した者達は、その敬虔さでは無く、物欲こそが目的になってはいないだろうか? 果たしてそこに「聖」という言葉に相応しい行いはあったのだろうか?

 しかし、今まではモールン教への批判もまた禁忌タブーだったのである。


 ――ソル派が出現するまでは。


 カクニスタの一角。この都市に“閑静な”などと言い表せる場所は無い。それでも街路が清掃され、それなりに見える区画が確かにあるのだ。カルバス車が通る道幅も広く、そこまでゴミゴミしくは無い。それでいて活気があるという肯定的な表現も可能な行儀の良い区画。

 そう言った区画にある屋敷がファイン・カールシュタインに提供されていた。カクニスタが掲げる旗印の体裁を整えるには些か不足なれど、それでも急場であるならまず十分と言っても過言では無いだろう。

 そんな屋敷をミーニングレスは訪れていた。救出からは早十日ほど過ぎてはいたが、その間にも旧派に対して示威行為――あるいは実力行使――にミーニングレスは狩り出されている。

 ミーニングレスに主義主張は無い。ただ、依頼された仕事を片付けただけなのであるが発注元になるカクニスタの有力者のほとんどがソル派であったために、成り行き上、そういうことになってしまった、という塩梅だ。

 さらにファイン・カールシュタインと共にカクニスタに逃れてきた、ラケル・トーデンダルがフーハに現在のところ依存するようになってしまっていることも、理由の一つになるだろう。なにしろ、すでにモールン教内部に“トーデンダル佑教貴派”というものは存在しない。

 必然的に、その娘ラケルも、もはやモールン教の主流派では無くソル派に与していると目されているため、カクニスタでもそのように扱われてしまう。そしてラケルの世話をするフーハも必然的に――現状のミーニングレスはそういった立場であった。

「実は私の護衛をお願いしたいのです」

 そのミーニングレスにファイン・カールシュタインは親しげに話しかけた。すでに逃亡生活のかげは見られない。綺麗に整えられた室内。窓ガラスを通してさえ輝く海面が見える。ここがファイン・カールシュタインの執務室だとするなら、十分に計算されての事だろう。何しろこの部屋はさほど広くはない。

 ファイン・カールシュタインは執務机を回り込んで、いつかのシェルストレームと同じように応接用のローテーブルに地図を広げた。

「ここカクニスタと同じような港湾都市は、やはり同じように商人達の力が強いのです。私はこういった都市間で連携を図り、束ね、今までのモールン教――その指導者達に圧力を掛けていきたいと考えています」

 ミーニングレスは微動だにせず、そんなファイン・カールシュタインを見据えたままだ。しかしファイン・カールシュタインはそれに構うこと無く話を続ける。

「もうこうするしか、やりようが無い。このままではモールン教はただただ腐ってゆくだけです。私は後世において非難されるとしても、自分の判断は間違っていないと確信しています――そういう覚悟で各都市の説得にあたりたい」

 そこで改めてファイン・カールシュタインは地図を指し示した。

「シュップ、カドニー、イトーダ、ミュータム、ダルテスム。これら沿岸の都市でソル派の影響が強くなれば、やがて内陸部にも影響が出てくるでしょう。それはシェハンダでも同じ事だ。彼らが軽視する商売。それこそが今や、人の生活を支えるいしずえであるからこそ、これらの都市は繁栄したのでしょう。であるなら私はもっと自由に商売が出来るように世の中を変えてゆきたい――ソル神の前では我ら人間は平等なのですから」

「それで」

 焦れたように、ミーニングレスが先を促す。それに対してファイン・カールシュタインは小さく頷いた。

「君をあの離宮で初めて見たとき、私は君を“剣”だと思いました。ソル派が掲げるべき剣。もはや手を打ちようがない患部を切り捨てるための剣だとね。血塗れだった君の姿こそが私に必要だった覚悟に違いないと。私は綺麗な身体のままでただ能書きを暗唱していただけだとね」

「俺は違う」

 即座にミーニングレスがファイン・カールシュタインの言い様を否定したが、彼女は別にミーニングレスに納得して貰いたかったわけでは無い。それは彼女なりの決意表明だったのだろう。

「君にお願いしたいことはさほど変わらないと思われます。ただ依頼主が常に私になるだけです。これはカクニスタの参事会も了承済み。となれば君のパートナー……フーハの安全も保証されると言うことになりますね」

 確かに――ファイン・カールシュタインは覚悟を決めたのであろう。自らも薄汚れていく覚悟を。実質的にはフーハを人質に取った事と変わらないのだから。そして、こうなってしまえばミーニングレスに抗う術は無い。

 悄然と――ミーニングレスは小さく頷いた。そんなミーニングレスの姿を見て、ファイン・カールシュタインは自嘲の笑みを浮かべる。

「……それでも私は君の友人になりたいと考えています。これから先は私のことをエヴェリーナ――エーファと呼んで欲しい」

「……」

 当たり前にミーニングレスから反応は無い。しかしこの瞬間“意味なしミーニングレス”と呼ばれた男に意味が授けられたことになる。即ち――


 ――“ソル派の剣”


 と。

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