第14話 逃亡者(一)
それは恐らく屋敷と呼んでも良いのだろう。しかし庭はない。個人の邸宅では無くカクニスタという都市が所有する施設。その辺りが妥当な判断になってしまう。しかしながらイエローベージュの外壁、四階建てのその建造物は個人所有の建物であることに間違いない。建っている場所はカクニスタでも商業区に近い――つまり港に近く付近にはカバルス車が多く待機している待ち合い場がある。そんな立地だ。
つまりは仕事場に近く、その屋敷の所有者もまた商人であった。名をシェルストレームと言った。
「申し訳ないね。ゴミゴミした場所で」
シェルストレームは、そう言って自らの屋敷の二階にミーニングレスを招き入れた。それはミーニングレスに付き従うフーハにも同様だ。ミーニングレスがフーハを連れているという情報は入手済みだったのだろう。
そのシェルストレームは縁なし帽を被り、ふくよかな印象を人に与えていた。それというのもたっぷりとしたブラウンの髭を蓄えていたことも大きいだろう。眉も今にも垂れ下がってきそうな程。そんな風に髭に覆われる容貌を選んでいるのは表情を隠すつもりがあるのかも知れないが、髭の色よりも薄いライトブラウンの瞳があまりにも感情を映しているように見えた。
今、その瞳に映る感情は“好奇心”。ミーニングレスという存在に興味を惹かれているのだろう。そしてフーハにも。
そのシェルストレームの言葉に、いつもの真っ白な出で立ちのミーニングレスは僅かに首を横に振った。その背後に控えるフーハは全身黒で固めている。ただそれだけに琥珀色の瞳がやけに目立っていた。
「掛けるかい?」
と、シェルストレームは続けて尋ねながら、同じ部屋にいた秘書――あるいは家宰――に出て行くように命じた。それに抵抗の素振りを見せた、まだ年若く見える秘書に向けて、シェルストレームは笑みを見せた。
「この段階で、もう手遅れだよ。そんな事になるならね。大丈夫。真っ当に依頼すれば何ら問題は発せしない。エステルルンドもそうだったろう?」
その名を出すことで秘書を封じてしまったシェルストレームは、部屋の中央にあるローテーブルに周辺の地図を広げた。すでに立ちながら話を進めるつもりであるようだ。この性急さが商人らしいと言うべきなのだろう。
ミーニングレスは何も言わず、広げられた地図を見つめていた。
「ツテを頼って、無理矢理呼び出してしまったことは申し訳ない。しかし、この仕事をこなせるのは君しかいない。そして緊急事態と言っても良い。依頼の内容としては、ある人物を迎えに行って欲しいんだ」
その言葉に対して、ミーニングレスは僅かに頷いた。それは謝罪に対しての頷きだったのか、それとも依頼を受けるという意思表示の現れだったのか。しかしシェルストレームはそれを確認するよりも、説明した方が早いと判断したらしい。
「迎えに行ってもらいたい人物はエヴェリーナ・ソンマル・カールシュテイン。夏領家を継いではいるがお父上は冬領家の当主でね……つまり彼女は随分冷遇されている。ただ彼女はソル派なんだ。貴族の中でそれを表明した事に敬意を示したい。それが『カクニスタ』の考えでもある」
そこでシェルストレームは一息ついた。
「……実際、風向きが変わったのは君がエステルルンドの影響をこの街から一掃してしまったことも大きい。そのおかげでカクニスタも由緒正しい血統に連なる人物を旗印として迎え入れることが出来る。それがこの依頼を出した理由」
「……問題は?」
ミーニングレスが短く問う。シェルストレームの説明に納得したという証だろう。シェルストレームも短く頷いて説明を続けた。
「シェハンダからの脱出は出来たんだけどね。モールン教……ソル派もそうなんだけど、とにかく旧派が追いすがってきて、現在彼女たちはこの離宮に閉じ込められているのと変わらない状況だ。場所はここ」
先ほど広げられた地図の一点をシェルストレームが指さした。カクニスタから南西におよそ十レグアと行ったところだろう。さほどの距離は無いように思える。半日とは言わないが、カバルスを走らせれば日付を跨ぐことも無いだろう。シェルストレームも、さらなる説明の必要を感じたのか、そのまま続ける。
「離宮と言っても、大した建物じゃ無いんだ。籠城なんて出来ようはずもない。今、ファイン・カールシュテインにモールン教が手を出せないのは、単にそういう権威を尊重してのことだ。夏領家とは言え貴族は貴族だからね。その代わりに周囲を封鎖している。そして食糧が尽きればファイン・カールシュタインも投降するしか無い。そして余裕が無いんだ。我々も手をこまねいていただけでなく、傭兵達を何度か派遣したんだが……この辺りは見通しがよすぎるんだ。隠密行動に向いていない」
つまりミーニングレスの力を借りて力押しするしか無い、という判断になったのだろう。かなり無茶な話ではあるが、ミーニングレスに掛かれば不可能とも言い切れない。
だがシェルストレームは確かに正直だったのだろう。さらに困難な状況までも明らかにした。
「――実はもうお一方、迎えに行ってもらいたい人物がいる」
「それは別の場所か?」
さすがにミーニングレスが確認すると、シェルストレームは髭を振るわせながら笑みを見せた。
「これを幸運と言って良いものか判断が付かないが、同じ離宮にいる……はずだ。ファイン・カールシュタインよりも状況的にはさらに複雑でね。ラケル・トーデンダルという女性だ。姓でわかるとおりトーデンタル佑教貴のご息女。だが父君である佑教貴はシェハンダで命を落とされた」
そこまで説明されれば、後は言わずもがなであろう。
「彼女も……迎え入れるのですか?」
フーハが発言した。シェルストレームはそれを意外に感じたようだが、それを言葉にすることは無かった。その代わりにミーニングレスを見遣る。
「彼女が世話をしてくれているのなら、こちらも手間が減るんだ。任せても良いかな? ご婦人が二人だからね。身のまわりを手伝ってくれる必要になる可能性もあってね。彼女にお願いしても?」
それはフーハを同行させるミーニングレスの顔を立てるつもりであったのか。それともフーハのことなど、どうでも良いと言うことなのか。ミーニングレスは僅かにフーハと頷き合って、シェルストレームの申し出を受け入れる。続いて、細かな部分の確認に移った。
「カバルス車は?」
「ファイン・カールシュタインは乗馬を嗜む。こちらから二頭引き連れていけば大丈夫だ」
ミーニングレスは再びフーハに目を向けると、フーハもまた頷きで応えた。乗馬の心得があるらしい。
「それで報酬だが……」
「戻って来てからで良い。その代わり市民権を彼女に」
「え?」
そのミーニングレスの要求は確かにシェルストレームの意表を突いたのであろう。しかし、そこはシェルストレームも素人ではない。すぐさま表情を立て直し笑顔を見せた。
「君の市民権は?」
「必要無い」
それは伝え聞くミーニングレスの性質とは随分違っていた。しかしシェルストレームはそれを喜ぶべき変化だと判断したのである。
――つまり御しやすくなった、という点で。
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