第11話 名前

 港湾都市カクニスタ――

 その歴史は古い。だからこそ、というべきかこの都市の支配者は度々入れ替わっている。それは多分に地政学的な問題にもなるだろう。天然の良港とも言えるセーデルバリ湾に睨みを効かせるように発展してきた街。それがカクニスタなのであるから。

 街の基礎を作ったのはセーデルバリ佑教貴。もっともそれは街の発展を見込んだという理由では無く軍事拠点として砦を作ったのが始まりだ。ただ、それによって湾とその周辺の治安が安定すると、瞬く間にカクニスタは商都として豊かさを増していった。もちろん、そのために戦略上の要地として各勢力に狙われる事になったのだが、一度カクニスタを中心にした販路が形成されてしまうと、他に代わりの街など無い事に人々は気付き、諦め、そして今もカクニスタは発展途中である。

 モールン教と、その一派であり異端である「ソル派」がいがみ合う中、それでもカクニスタはそんな争いすらも飲み込んで――欲望が互いに探り合って凪のような理不尽な静寂が街に訪れていた。


 「彼女」の裸身が弓なりに反る。すでに欲望で濡れそぼったシーツの上で。「彼女」は苦悶としか思えない表情を浮かべ何度も首を横に振るが、同じく裸身のミーニングレスは、それによってますます刺激されたのか「彼女」の中心を責め立てた。二人はそんな「会話」を一日中……いや、休憩を間に入れての事であれば五日ほどは、ずっとこんな状態であった。

 そして今。大きく「彼女」の身体がたわみ、震え、肌の上で輝いていた汗が飛び散り、再びの終極に達した。ミーニングレスはそんな「彼女」を強く抱きしめ、己の汗と「彼女」の汗をかき混ぜるようにさらに身体を密着させる。僅かな隙間も赦しはしないとばかりに。「彼女」は芋虫のように身体をよじる。そして柔らかな肢体はベッドから枕元の壁へと逃れていった。その動きは果たして彼女の本意であったのか。それとも、ただ動こうとしただけで汗が潤滑油になってしまったのか。ミーニングレスの膂力が「彼女」をその懐から解放する助けとなってしまったのかもしれない。しかし、それを許さないのもまたミーニングレスの膂力であり身体能力であった。ミーニングレスは腕と足を滑稽なほど蠢かし、逃げてゆく「彼女」に追いすがる。そして壁際に「彼女」を追い詰めると自らの懐に彼女をかき抱いて、その唇を吸った。そしてそれを無抵抗に受け入れる「彼女」の琥珀色の瞳に涙は浮かぶ。その涙の意味するものは――

 ――悲嘆か。はたまた随喜か。


 カクニスタは何度か支配医者が入れ替わっている都市でもある。それはつまり都市計画が途中で放棄された区画もあると言うことだ。そしてそんな区画はが巣くう場所でもある。

 ミーニングレスが“ねぐら”として手に入れた家屋はそんな場所にあり、街路とはまったく繋がっていない、一見廃屋かとも思える建造物であった。しかし、そういった瓦礫の奥には堅牢な石造りの一角が綺麗に残っており、ある意味では「仲介業者」のとっておきでもあった。

 ミーニングレスはダレル金貨を気前よく五枚差し出し、仲介業者の口を効果的に塞いでしまう。もちろん、その背景にはミーニングレスの能力がある事は間違いないだろう。しかし同時にミーニングレスが要求した、新しい長剣の発注についても快く請け負ったのは、ミーニングレスと取引できたという看板が物を言うからだ。

 決して「命無しライフレスが無いのなら、始末する好機」とは考え無かったところに仲介業者の強かさがある。ミーニングレスを売り渡すよりも、利用した方が長期的に見れば利が大きい。踏み倒すことが前提のならず者相手に商売をするなら尚のことだ。

 そういった選択が仲介業者に出来たのは「ミーニングレスの強さは決して長剣ライフレスに依存したものでは無い」と言うことを理解出来る知見。そしてカクニスタの都市事情。そういう要素があるからこそでもある。

 結果としてミーニングレスは長剣が手元に届くまで「彼女」と存分に引き籠もることが出来るのであり、仲介業者に水、食料などをまとめて準備させることも出来た。ただただただれて腐り落ちるような生活であっても、ミーニングレスは構いはしなかったであろう。元々、彼の人生に“意味は無いミーニングレス”のであるから……


 久しぶりの水分補給を兼ねて喉を鳴らしてエールを二人は喉に注ぎ込む。今度はお湯を用意してたらいの中で互いの身体を洗い合って汗を流した。シーツに関しては、無駄な抵抗を諦め、交換したシーツが部屋の隅ですえた臭いを放っているが二人とも構いはしない。元々、カクニスタという都市は

 さらに二人はさらに塩漬けした肉、魚、そして保存の効く果物をそのまま貪った。裸のままの二人の身体に様々な液体が降りかかるが、それを気にする素振りさえ見せない。時には互いの身体を舐め合い官能の疼きを楽しみ合う。

「あの……」

 肉の脂に濡れた唇から粘性の高い液体を垂れ流す「彼女」から、明瞭な言葉が発せられた。

「……名前……聞かせて?」

 それは切なる願いであったのか、さらなる欲望を高めるために必要な手続きだったのか。そんな「彼女」の欲求にミーニングレスはしばし空虚な表情で応えた。濡れた灰色の髪は濃さを増し赤い瞳もそれに応えるように深みを増していたが、ミーニングレスの感情が窺えない。それでも――

「お。お……れの名は『ヒメワカ』」

 そう言ったミーニングレスの声。今にもちぎれそうな弦を一本一本丁寧に爪弾くように。声を出す事自体が久しぶりだったのだろう。自分の声に戸惑うミーニングレス。しかしそれでもミーニングレスは先を続けた。

「俺……は、この世界の人間では無い。モールン教が行った儀式の結果、この世界に現れてしまった。モールン教は俺たちを『フラムミリンゲン』と呼んだ」

 それは罪の告白にも似た――一体誰の?

「そう……それじゃ今度は……」

 「彼女」はミーニングレスの身体にしなだれかかった。そして上目遣いでミーニングレスを見つめる。「彼女」の豊かすぎる肢体がミーニングレスに襲いかかるようでもあり、逆に支えるようにも見えた。

 「彼女」はそんな姿勢のままミーニングレスの耳元に唇を寄せ、こう囁く。

「……ボクに名前を付けて」

「…………君は名前が……」

「前の名前に意味なんか無い。君が呼んでくれる名前が本当に大切な事」

 名前の無い「彼女」が見せる溶けた蝋のような笑み。しかし、その声は火よりも熱かった。

「名前を教え合って、付け合ったら、またボクを愛して? そしてボクも君を愛してあげる――さぁ、僕の名前を」

 「彼女」は立ち上がった。その肢体をミーニングレスに見せつけるように。それは無敵を謳われたミーニングレスを畏れさせるのに十分な力があり――つまりこれはだった。

 ミーニングレスはその圧倒的な力に膝を屈し、あの切れかかった弦のようなか細い声で、こう告げる。


 ――君の名は「フーハ」だ。


 と。

 そして、まるでミーニングレスが「フーハ」に臣従儀礼オマージュを行うその部屋を見渡すように壁に掲げられた護符アミュレットが鈍く輝く。

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