第6話 朝焼け(二)

 ファドフォディウス――

 冬の営みの間に育まれた命では無く、魔導の技を持って構築された「人間」だとされている。過去に幾たびか確認されているが、恐るべきはその身体能力。確実に「人間以上の身体能力」と認識されており、人の世に放たれればこれほど厄介な存在も無い。

 人間と変わらぬ姿であり、また素手でありながら武器を持っているのと変わらない危険度――いや武器が人のかたちを真似ているだけと考えた方が実情には合うのだろう。

 そんなファドフォディウスをソル派が育成しているとの情報がモールン教にもたらされたのは二十日ほど前のことだ。物資の流れから、そのような企みがあったことは確実視されたが今まではどこで育成されているのかが皆目見当がつかなかったのだ。それが船の上で行われていることを知ったモールン教は驚きと同時に納得もした。見つかるはずが無いと。

 すぐさま対応策を練り、処理のためにミーニングレスに白羽の矢を立て――そして今がある。


 ミーニングレスは船内を進む。狭い船内では長剣を縦横に振るうことは出来なかったが相手も手練れでは無かったようだ。長剣の切っ先をミーニングレスがねじ込んでいくだけで事は終わっていった。船員に長いロープを纏った者達。そういった区別などに意味が無いと言わんばかりにミーニングレスは動くもの全てを動かぬものへと変えてゆく。船内に掲げられた弱々しい灯りが作り出す影だけが妖しげに蠢いていた。

 ミーニングレスの長剣がその灯りを照り返していたが、やがてそれも収まる。理由は再び真っ赤に染まり始めたミーニングレスのコートを見れば一目瞭然だろう。

 汚れているのだ。血で。船内が狭いために「血振り」も出来ない。もはや長剣は巨大な釘と変わらない。ただ鋭い先端で多くの命をその場に打ち込むだけ。

 そんな陰惨たる船内にようやくのことで佑教達が乗り込んできた。それまでに出会った生者は存在しない。そのことごとくをミーニングレスが処理してしまっていたからだ。それはモールン教の計画通りではあったのだが――

「――貴様、目的の物は」

 そう佑教に尋ねられたミーニングレスはかぶりを振り、次いで長剣の切っ先を下に向けた。

「船倉か……」

 ステッランがミーニングレスの仕草の意図を察した。

 そう。何人もの命を奪ったミーニングレスではあったが今のところ「人間以上」の命を奪った感触は無い。もっともそこまで順調に育成が進んでいるとも思えなかった。つまりは子供の姿のファドフォディウス。そういった存在とは未だに遭遇していない。

「よし。お主はそのまま船倉を探れ。助けは――」

 言いかけた佑教に向かってミーニングレスは再び首を横に振った。

「佑教様。船長室みたいなものは甲板にあるはずですから……」

「殊勝な心がけだ」

 ステッランの言葉に佑教は応える。とにかくこれで気味の悪いミーニングレスの後に付いて行かなくてもいという「名目」が出来た。だからこそ口を利くことすら汚らわしいと思っていたステッランの言葉に佑教は過分な賛辞で報いたのだ。

「我は資料を確認する。お主は先に行け」

 ミーニングレスは今度こそ頷いた。


 流れる血に導かれるようにしてミーニングレスは、床に巧妙に隠されていた扉を発見する。ミーニングレスは当たり前にその扉に長剣を差し込んだ。しかし手応えは無い。そこでミーニングレスは長剣を抜き今度は左手で扉を開けた。

 船倉――なのだろう。しかし灯りが無い。ミーニングレスは掲げられていた弱々しい光を放つロウソクを落とす。即座に火が回ることもなく、一瞬弱まったロウソクの灯りが安定し、船倉の様子がようやく掴めてきた。梯子――いや簡易な階段が備え付けられていることも判明した。もちろんミーニングレスはそれを無視して船倉に飛び降りる。

 一瞬だけ左右に赤い瞳を配し、動くものが無い事を確認――いや。

 動く“もの”は確かにあった。大きな球状のガラス器の中で人間のかたちをした“もの”が浮かんでいた。そういったガラス器が三つ。ミーニングレスは躊躇うこと無く長剣でそれらを砕き割った。同時に後退あとずさってロウソクを拾い上げる。

 実際、抵抗する事も出来なかったのだろう。ガラス器の中の“もの”はかたちを急速に失いガラス器の中の液体と同化していった。それにつれてすえた臭いが船倉に充満する。これらの“もの”がファドフォディウスであったのだろう。

 しかしミーニングレスは船倉の片隅に扉がある事を発見していた。下方向と横方向の違いはあるものの今度も同じ手順で安全を確認。長剣の切れ味が維持されていたならばミーニングレスは扉を切り裂いていたのだろうが、それは叶わない。

 ミーニングレスは切っ先で扉を開けた。やはり反応は無い。だがしかし船倉とは確かに違う何か――潮風の臭いがした。ミーニングレスが扉を開けたことで風の通り道が出来上がってしまったらしい。船倉に満ちていた、すえた臭いを打ち払うように潮風が舞う。あるいは血で汚れきったミーニングレスを打ち払うように。

 そして、そんな潮風の向こう側に――


 ――彼女はいた。


 太い鎖に縛られ、壁に吊されるように。

 濡れ羽色のざっくりと切り揃えられた髪。左側の一房が弱々しいロウソクの灯りでもわかる程に鮮やかな青色をしていた。すでに服としての意味を無くした彼女の身体を覆う黒い布。そのあまりの頼りなさは布が粗末という理由だけでは説明出来ない。彼女の肢体があまりにも暴力的だったのだ。

 それは服を破壊しただけでは無い。

 理性を、心を――そして自分が自分である意味を。

「う、む……そちらにも何かあるのか?」

 遅れて船倉に現れた佑教の喉にミーニングレスの長剣が吸い込まれる。つまり殺された――そうステッラン達が認識する前に、長剣は易々とその命を刈り取ってしまった。その判断の速さこそが異常の最たるもの。

 そこに理由を見出すとするなら、彼女を他の男に見せる事も許さないという、呆れた独占欲。それしか無い。

 ミーニングレスは続いて長剣を無骨な太い鎖に叩きつけた。鎖がそんな事で切れるはずが無い。砕けるはずが無い。逆に長剣が砕け散る事こそが当然の成り行き。事実、長剣は砕け――しかし同時に起こるはずの無いことが起こった。

 鎖が砕けたのだ。彼女が戒めから開放される。その暴力的な彼女の肢体をミーニングレスに投げ出すようにして。そしてミーニングレスは躊躇いなくその肢体を受け止めた。


 ――“命無しライフレス”が砕かれたことによって、ミーニングレスは彼女の命を手に入れる。


 なんとも暗喩に満ちた光景であったのだろう。そしてその瞬間、朝焼けの眩しい光が差し込んできた。それにつれて彼女の目が開かれる。琥珀色の瞳がミーニングレスの赤い瞳を捕らえ、すぐさまそらされる。それに追いすがるミーニングレスだったが彼女の視線が捉えたものはエステルルンドからミーニングレスが奪い、長剣の柄に結わえていた護符アミュレットであった。

 彼女は砕けた長剣の柄から護符アミュレットを外すと、それをミーニングレスの胸に押しつけ同時に柔らかな自らの肢体をミーニングレスに預ける。もはや何も心配いらないとばかりに安らかな笑みを湛えて。


 ――そしてこの時、ミーニングレスは「意味」を手にした。 

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