第5話 朝焼け(一)

 闇がもっとも濃くなるのは夜が明ける直前だと言う。そして、その言葉を裏付けるようにカクニスタ自慢の大型港には纏わり付くような闇が蹲っていた。空には星の一つも瞬かない曇天であるのだろう。それでも変わらぬ海から吹き付けてくる潮風はそれ以上に身体を冷やすに違いない。だがそれも尚、夜の闇は人の心を震わせる。

 ましてや今から、得体の知れない「研究施設」に乗り込むのならば――


「佑教様。良いんですかい? “意味なしミーニングレス”なんか呼んで」

「構わぬ。今回はソル派が相手だ。それに――」

「それに?」

「お主達は知らなくて良いことだ」

 “佑教様”と呼ばれた男は、実際にステッラン達に名乗りもしなかった。その必要がないと判断したのだろう。今回の仕事に合わせてのことか濃い灰色の野良着姿であったが胸から提げた聖印シンボルがあまりにも豪奢すぎて、動きやすい服装に着替えた意味が無くなっている。いやその前にたっぷりと肥えたその身体では、こんな場所に出て来られるだけで迷惑なのだ。いつも通り部屋の中でそっくり返っていてくれた方がよほど助かる――と、ステッランは胸の内だけで毒づいていた。

 一方でステッラン達はカクニスタに巣くう多くの傭兵――その最下層である。ステッランともう一人、テュコは薄汚れた粗末な衣服しか身につけることが出来ない。何とかそれぞれが左腕に手甲ガントレット、そして刃が欠けた片手剣を揃えてはいるが傭兵らしい部分はそれぐらいで、あとは浮浪者と変わりはない。モールン教からおこぼれのような汚れ仕事を請け負い、汚れ仕事に精を出し、何とか食を繋いでいる。

 立場的にはミーニングレスも似たような立場なのであるが……

 そのミーニングレスも今は佑教、ステッラン達と共に埠頭に高く積まれた樽の影に身を潜めていた。白一色のその出で立ちに文句を言う者は誰も居ない。どうせ血に濡れて「白」であることが無意味になるのに、ミーニングレスは「仕事」に向かうときは必ずこういう出で立ちで衣服を揃える。しかしこれは「余裕がある」と言うことだ。服に金を回す余裕があるのだから。暗闇の中で尚、燐光のように浮かぶ白。どれほど金を掛けているのか……

 しかしミーニングレスはそれだけの仕事をこなしている。今回も「研究施設」に単身、斬り込む予定なのだ。佑教、ステッラン達はその仕事結果の「確認」と「後始末」のためにあとから乗り込むだけ。やはり高額な報酬を得るためには相応な腕が必要になるのである。

(もっとも、それだけじゃあなぁ……)

 ステッランはミーニングレスの行動がどれほど危うい物か、改めて考えてみる――自らを慰めるために。

 何しろミーニングレスはつい先日、佑教貴とも繋がりが合った聖商エステルルンドを――いやエステルルンドを葬ってしまった。当然モールン教からも付け狙われるかと思われたが、モールン教内部の争いによってその件は一端棚上げにされた。

 この辺りが目の前の佑教が言った“知らなくても良い”事情なのだろう。しかし、このカクニスタで生き抜くためには耳聡くなければならない。だからこそステッランはその辺りの事情を知っている。

 そして今、モールン教が問題のミーニングレスを駆りだしてまで襲撃を企てている相手はモールン教外部の敵。つまりは「異端」だ。そのはずなのにカクニスタでは勢力を増している。その理由の一端にミーニングレスがエステルルンドを凋落させた事も含まれるだろう。それであるのに今度は異端――ソル派を潰す仕事を請け負うミーニングレス。

(どうしたって、長生きできるはずがない)

 そうステッランが結論を出したところで、闇の中に灯りが現れた。いよいよ待ち望んだ“変化”が現れたらしい。これほど正確な情報を佑教、つまりはモールン教が入手できたのは考えるまでもなく「異端審問」の名を借りた拷問によってであろう。

 やはりどう考えてもモールン教を敵に回すのは間違い――つまりミーニングレスは長くない。改めて自分の未来予想に確信を抱いたステッラン。そして闇に慣れた目には「研究施設」つまり外洋船の姿を捕らえていた。

 埠頭側のカンテラと、船上のカンテラが呼応するかのように円を描く。情報によると外洋船に補給するための寄港らしい。となればカバルス車の一台も用意してあるはずだが、ソル派の不手際なのだろう。そういった姿は見えない。

 それでも錨が投げ入れられ、隠しようない水音が闇の中に浸透してゆく。続いて巻上機の鎖の音がカラカラと響いた。カンテラで合図を送っていた船員がロープを放り投げる。それを受け取った埠頭側で合図を送っていた者は係柱ポラードにそれを結わえようと身を屈めた。

 瞬間――

 身を屈めた男の延髄にミーニングレスの長剣が突き立てられた。


 ミーニングレスは作業のように男――命を失ってから性別が判明するのも妙な話ではあるが――を処理した。普段なら剣をかえすとろだが、今回はそのまま音を立てないように男の身体を設置させた上で剣を引き抜く。次に向かうのは先ほど投げ入れられた錨、その鎖。

 一切防具を身につけない真白なミーニングレスが世の理に逆らうように下から上へと身体を踊らせる。カンカンとミーニングレスの長靴ブーツの奏でる音がリズム良く闇に響いた。ミーニングレスに果たして隠密の概念があるのかどうかも判然としない。

 だがしかし船員達にとっては作業を止めるほど違和感があったわけでは無いのだろう。タラップが何事も無く降ろされてゆく。そんなタラップの傾斜をなぞるようにして粘性のある液体が流れ落ちていった。同時にタラップがいきなり勢いを増して埠頭に叩きつけられる。

 すると今度は液体では無く、ひとかたまりになった固体が派手な水音を立てて落ちていった。

「……行くぞ」

「……わかりやした」

 ミーニングレスの独断専行に対しては苦虫を噛み潰すしかない佑教、そしてステッラン達であったがとにかく「研究施設」に乗り込むことに支障はないようだ。むしろミーニングレスが佑教の指示を覚えていた事を僥倖とするべきかも知れない。

「……今日は“意味なしミーニングレス”では無いのかもな」

「違いない」

 テュカのそんな前向きな呟きに、ステッランは苦笑を浮かべながら応じた。同時に樽の影から立ち上がる。これから佑教には「確認」の仕事が。そしてステッラン達は「後始末」。もっともこの有様では死体を海に蹴落とすだけで済みそうだ。その前に係柱ポラードにロープを結わえ付ける仕事も必要だろうが、何ほどのことも無い。これまた簡単な仕事だ――命を奪うことに比べれば。

 もしかしたら最後には「楽な仕事だった」とミーニングレスに感謝することになるかも知れない――そんな事をステッランは考えていた。

 

 

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