第3話 転校生(一)

「よっし! セーブできたぞ!」

 僕はバイザーを押し上げながら喜びの声を上げた。今までどうやっても「エステルルンドの屋敷」イベントをクリア出来なかったのだから、僕が声を上げてしまっても仕方が無い。

 朝、登校の準備をしながら、さらにはトイレの中で「これはやったことが無いぞ!」と思いついた方法がまさか正解だったとは。すでに制服に着替えていて、あとは鞄を掴んで出るだけという状態だったんだけど、僕は矢も楯もたまらずそのまま強引にログインして……いや、遅刻寸前なのはわかっているよ。だから無駄な動きを廃して、出来るだけ早く進めたんだ。

元親もとちか! あなた、まだ家にいるの? 学校は!? らとこちゃん来てるわよ!」

「わかってる! すぐ行くよ!」

 母さんの声が聞こえる。これで僕が『リベルタス・リワード』をプレイしていたことがバレたら、一体どんなペナルティが降りかかってくることか。僕は鞄を改めて掴み直して家を飛び出した。


 家の前では母さんの言ったとおり、らとこが迎えに来ていた。

 らとこ――遠隈とおくまらとこは所謂、幼なじみになるのだろう。それほど家が近いわけではなかったが、同年代の子供がこの地域では僕とらとこぐらいしかいなかったのだ。

 らとこは一歳年下で、僕と同じ八洲島学園に入学してきた。この辺り慕われてると言うよりは単純に僕をボディガード代わりに出来ると遠隈家が考えている“きらい”を感じる。何しろ、らとこは中々の「お嬢様」に見えるのだから。

 顔は間違いなく可愛い(断言)。それでいてちょっと太めの眉毛がいつも困り眉なのがなんとも庇護欲をくすぐる――僕が困らせてる、ということはないはずだ……いや、今朝はともかくとしてだよ?

 僕とらとこは今、小走りになって学園へと向かっていた。それにつれて制服――緑色のブレザータイプ――で押さえ込まれたらとこの“ゆるふわ”なボディが本領を発揮している様子が見て取れる。僕はこれでも背だけは高いので、小柄ならとこを振り返りながら、その弾む様子をつぶさに堪能できるという寸法だ。

 しかしこれで年下なんだよな……「お嬢様」=「ナイスバディ」の法則に当てはまる以上、らとこが「お嬢様」である事に皆、納得してくれると思う。

「お、お兄ちゃん、何してたの? こんなギリギリになるなんて……」

 そんな、らとこが息を弾ませて、もっともな文句をぶつけてきた。

「い、いや“リベワー”をな」

「それで寝坊? 困った、お兄ちゃん」

 さすが、らとこ。常識的な方向に修正してくれた。縁なしの丸い眼鏡掛けてるだけのことはある。それに一本くくりにした三つ編みも、まるで「委員長」のようだ。それなのに“ゆるふわ”……いいね!

「お兄ちゃん!」

「わ、わかった。今日だけだから。今日だけ特別! な?」

「もう……」

 慌てて言い訳すると、優しいらとこはいつものように困り眉で許してくれた。今まで早足した甲斐もあって、これから先はそれほど急がなくても間に合いそうだ。僕はスマホで、それを確認すると、らとこの隣に並ぶ。


 僕たちの家がある住宅地から学園に向けてはゆるやかな下り坂になっている。高い建物も無いので、こんな風に晴れた日には、進むごとに空に包まれるような錯覚を覚えることができた。

 あまりの気持ちの良さに「リベルタス・リワード」を朝早くからプレイして、それを味わい尽くせなくなってしまったことに罪悪感を覚えてしまったが、それももう後の祭り……僕が言っちゃいけない台詞の様な気もするが仕方ない。何しろ最難関とも呼ばれている「エステルルンドの屋敷」クエストを突破したんだからな。

 「リベルタス・リワード」はフルダイブ式のRPGだ。MMOと古式ゆかしいイベントクリア型のRPGを組み合わせたようなシステムで、僕が挑んでいる――いや、挑んでいのは「エステルルンドの屋敷」だ。あまりの「無理ゲー」ぶりに、

「ソロ専用だったけど、間違っているんじゃ?」

「運営がバランスを確認してない」

 なんて、よく聞いてきた言葉だ。そもそも「カクニスタの暗殺業務」というイベントを起こしてしまった事が間違いなのでは? 何て推測が為されていたわけだが、今回、というか、今朝、ついに僕がクリア出来ることを証明してしまった。

 切実に思う。

「もっと自慢したい!」

 と。

 しかし学生の身の上では、すぐさまその欲求を満たすことが出来ない。学校があるからね。さすがに学校休んでまでやることじゃ無い。クリアの証である「リベルタス・リワード」の護符アミュレットは入手できたし、セーブも出来た。

 ……それに。

 本当に“あの”クリア方法が正しいかどうかが、僕にも自信が無いんだ。なにしろかなり無茶だしなぁ。あとから“秘められた経緯”なんかが解明されるパターンなのかも知れないが――やっぱり自慢するのはちょっと止めて、しばらく「エステルルンドの屋敷」を他にクリアする人が現れるかを確認した方が良いのかも知れない。

 この辺りは「リベルタス・リワード」の有利な点で、連続イベントであっても、それをやり直すことが出来る仕様が物を言う。

 当たり前に経験値、評価、アイテムは無くなるけれどやり直しが出る仕様で、これで離脱者を発生させない……という事らしい。僕はただ面白いからプレイしているだけなんだけどね。難しい理屈はともかく。

 ああ、でも身近でプレイしている人がいれば……

 僕はそう思いながら傍らを歩く、らとこの揺れる髪を何となく見つめていたが、それで気付くことが出来た。逆に身近の方が自慢しにくいのかも知れない、と。とにかく僕は一端落ち着いて、授業中に行動方針を固めることにした。


 そして予鈴が鳴る頃には、問題無く僕たちは学園の校門前に辿り着いていた。そして、そんな僕たちを出迎えてくれたのが、我が学園の誇る才色兼備で無敵の生徒会長

ヴェリン・チャーチワースである。

 その碧眼に、溢れんばかりの感情の揺らぎを見せつけながら。

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