第六章 治
今から思えば、この頃が人生における幸せの第一のピークだったかもしれない。第二のピークは結婚した時で、第三のピークは子供が生まれた時だろうか。
妻と出会ったのは、新工場を立ち上げた際に事務をやってくれる従業員を募集していた頃だ。作業員に関しては独立前から目を付けていた人に声をかけ確保していたため、仕事が軌道に乗るまで求人する必要がなかった。
けれども学の無い治にとって、会社の経理や事務を任せる人間は絶対に必要で欠かせない存在だ。それがなかなか見つからなかった。
工場を建てるまでは、前の勤務先の社長が協力してくれ、信頼できる人達の手助けがあったからできた。といって自分の城を持ったからには、いつまでも前の職場に甘えてばかりはいられない。
そんなわけで、独立を決めた時から信頼できる事務員を探していたのだ。しかしそのような人材はそう簡単に見つかるものではない。それはそうだろう。会社のお金などを扱わせるため、よっぽど信用できる人でないと任せられない。
それゆえ他の町工場では、ほとんどの所が社長の身内が事務をやっていた。だが治にそのような人はいない。そこで求人をかけていたのだが、良い人材が見つからないと悩んでいた所で募集してきたのが彼女だった。
親戚が営む食堂で世話になりながら働いていた彼女は、治同様両親を戦争で亡くしており、親戚を頼ってなんとか生きてきたそうだ。真面目な働きぶりと長い食堂での仕事で身に着けたのだろう愛想もあったが、しっかりと強い芯を持った女性だった。
彼女は働きながら高校を卒業し、簿記も習っていたという。そして親戚の好意にいつまでも甘えることなく、いずれは自分で働き口を見つけて自立しなければいけないと、新しい職を探していたらしい。
しかしまだ自分で部屋を借りて働けるほどの貯金もないため、まずは近場で働けないかと他の工場などの人員募集に目を付けていたという。けれども求人は作業員のものばかりで、資格を活かせる職はなかなか見つからなかったそうだ。
彼女は出来れば食堂と同じ肉体労働ではない、せっかく学んだ知識を生かした仕事をしたいと望んでいた。
しかし時代的にもそのような職には男性ばかりがついており、女性には下働きのようなものか、客を相手に愛嬌を振りまくような仕事しかなかったという。
治は一目で採用を決めた。近くに信頼できる食堂を営む親戚もいたため、身元が確かだったこともある。加えて簿記の資格を持っていて学がある点で合格だったが、それだけではない。正直言って治は一目惚れをしたのだ。
彼女が働いている食堂に評判の良い看板娘がいるという話は、工場を建ててから聞いていた。以前勤めていた工場とは距離があったため知らなかったが、その子が食堂の仕事とは別の職を探していることが噂になるほどだったらしい。
若い従業員達が良く食べに行くところだったようで、うちの工場で働かないか、社長にお願いしてみるからとこぞって声をかけられていたという。
けれど彼女が求める職の内容と合わなかったため、どことも折り合いがつかなかったようだ。それに社長やそこで働く身内の女性達の立場からすれば、男共が夢中になるような女性を仕事場に入れたら邪魔だと考えるのは当然だろう。
その食堂は、他の工場も含めて若手の従業員達が良く集まる場所だったらしい。そこで自分もまだ若いとはいえ、社長である治が顔を出しては気まずいだろうと、意図的にそちらへ足を運ばなかったため彼女の事を良く知らなかったのも無理はなかった。
しかしその噂の娘が、事務員募集の紙を持って訪れた時には驚いた。特別美人という訳ではない。ただ朴訥とした愛想の良い娘を見て、それまで仕事一筋で女性と縁がなかった治は、彼女の魅力に心を奪われてしまったのだ。
彼女の採用を決めた後は、前の職場の事務員に短期間だけ指導してもらうよう依頼し、仕事を覚えてもらった。彼女は初めてだと言いながらも、要領を掴むことは早かったらしい。
また黙々とかつ正確に仕事をこなすだけでなく、他の工員達ともすぐに打ち解けて仲良くなっていた。そんな彼女を社長の特権により様々な場面で呼び出し、話をしたりデートに誘ったりする中で治は求婚したのだ。
彼女はとても驚いていたが、一方で治同様家族というものに憧れていたらしく、結婚という言葉にも憧れていたのだろう。比較的早くに良い返事をもらうことが出来たのだ。
やがて彼女は妻となり、副社長の立場で引き続き会社の事務や経理を取りまとめてくれた。新しい工場の仕事が順調に回り始めたことも、彼女の力があったからだと思う。
そして結婚してから二年も経たないうちに妊娠し、まさしく珠のような男の子を生んでくれた。将来の後継者の誕生だとその時は思っていたのだ。
治は有頂天になった。戦後の厳しい中を生き抜いて一国一城の主として会社を立ち上げ、夢にまで見ていた家族をも手に入れたのだ。
その為これまで以上にひたすら働き、一生懸命工場を大きくするため、そして妻子を養うために頑張った。
ツアー初日はずっとそんな幸せだった頃を懐旧していたのだ。ところが二日目からは、期待していたような良い思い出の日と場所には戻れなかった。
翌日に立っていた場所は、すでに手放してしまった工場の裏にある、明らかに以前住んでいた我が家の玄関先だと判ったからだ。ただ工場同様、リフォームされて綺麗にはなっていた。
治は慌ててその場を離れ、工場すら見えない場所まで逃げようと走った。無我夢中だったため、気付いた時にはかなり離れた市場の駐車場まで辿り着いていた。
そこで落ちつきを取り戻して駐車している車のミラーで自分の姿を確認し、いつの頃に戻ったのかをようやく理解できたのだ。
昨日、持っていたバッグの中を覗き、入っていた服を見た時には判別できなかった。ただ一日目に訪れた時と場所から、明日は妻と結婚した頃ではないか、という漠然とした期待を持っていたが、それは裏切られた。
それまで少し離れたアパートに住んでいた治が、工場裏に住宅兼事務所を建てたのは結婚後だ。しかも子供が生まれる前だったと思う。ということは、妻と結婚した頃ではない。それでは子供が生まれる前なのか、後なのか。
そこで頭の中に浮かんだのが、妻と子供が家を出て行ってしまった日の事だった。
最初は治達を含めて四人から始めた工場も、小さいながら十名以上の従業員を雇えるほどに成長していた。
結婚をして家も建てて子供もできた治は、景気の良い時期だったこともあり、調子に乗ってしまったのだろう。ある時期から稼いだ金で遊ぶことを覚えてしまったのだ。
それまでは戦前から苦労し、脇目も振らず必死に働いてきた。おかげで収益が順調に伸びて生活が安定しはじめ、子供もある程度大きくなったと一息ついた頃だ。
他の社長連中に言われ始めたのがきっかけだった。
「和合社長はさ。もう少し遊びを覚えた方がいいぞ」
「そうそう、社長は真面目過ぎる。だから面白みがない」
「一生懸命働くのもいいが、時には息抜きも必要だよ。そうでないと従業員達も窮屈に感じてしまって、働き難いだろう」
そんな戯言に耳を貸さなければよいものを、見栄を張って自分の稼いだ金をどう使おうが勝手だろうと言う馬鹿な連中達に乗せられた。彼らの言うことも一理あると思ってしまったのだ。
そして彼らに誘われるまま、毎晩のように女性のいる飲み屋へと通いだした。若い頃に遊び慣れていなかったことも影響したのだろう。晩年で覚えた快楽に、治がどっぷりと嵌るにはそれほど時間はかからなかった。
妻からはもちろん注意され、遊びを控えるよう何度も忠告を受けていた。彼女も急に変貌した夫の態度に戸惑っていたようだ。
「あなた、最近夜遊びが過ぎるわよ。毎晩、ベロベロに酔っぱらって帰ってくるのは体に悪いし、子供の教育上もよくないから」
しかし治は従わなかった。
「付き合いだよ、付き合い。町工場の社長っていうのは横の繋がりが必要だ。これも仕事だって何回も言っているだろ」
「それにしても毎晩、っていうのは止めて。体やお金のことも考えて、少しは間隔を開けた方がいいんじゃないの」
「煩いな。俺が稼いできた金をどう使おうと勝手だろう」
「でも子供だっているのよ。将来の事を考えて、もう少し付き合いを抑えて貯金しておかないと。会社の事もそうじゃない。あなたも昔は言っていたでしょ。好調な時ほど慎重にならなきゃいけないって。それなのにここ最近はどうしたの。人が変わったように遊びだしちゃって。他の社長さんも毎晩、あなたのように飲んでいるの? 違うんじゃない? あなた、騙されているんじゃないでしょうね」
薄々は感付いていた。最初に焚き付けていた連中も、治のように毎日は飲んでいない。しかし入れ代わり立ち代わりくる連中の手前、また飲み屋の女達におだてられ言いくるめられてしまっていた。
それでも変に意固地となり、痛い所を突いて煩く説教する彼女に、酒の力を借りてとうとう暴力まで振るうようになったのだ。
「やかましい! 誰が稼いできた金で生活できていると思っているんだ!」
それこそ食卓に置かれていたものを払いのけ、彼女を足蹴りにしたり、頭を叩いて髪の毛を掴んで引きずり回したりしたこともある。
一度箍が外れてしまえば、落ちるのは早かった。気に食わないことがあって酔って帰った日には、息子にまで暴力を振るうようになったのだ。
そんなある日、酔っ払って帰ってきた治に対して妻はこう言った。
「このような行為が続くことに、私は我慢できません。ですからこれ以上あなたのお世話をすることもできません。もう一度言います。これ以上、私はあなたの面倒をみることはできません」
その次の日、彼女は子供と一緒に家を出ていってしまった。
どこへ行ったかは不明だった。以前彼女が世話になっていた親戚の食堂も、その頃には土地の値段が高騰したことから、古くなった家屋と共に売却して別の場所へと移転していたからだ。その新しい住所を治は知らなかった。
妻と結婚した当初は多少の付き合いもあったが、向こうも客商売で忙しいこともあり縁遠くなっていたことは事実だ。それに親戚付き合いというものをどうすれば良いのか判らなかったこともあり、食堂のおじさん達とは十年以上も会っていなかった。
そこで反省し、よりを戻そうと努力して心を入れ替え彼女の事を探していれば、またその後の人生も変わっていたかもしれない。だが強がった治は、一人になって清々したと吹聴し、妻子の後を追うことなく夜遊びを止めなかったのだ。
しばらくして、久しぶりに彼女の親戚であるおじさんが治を訪ねてきていきなり言った。
「この書類に判を押してくれ」
それは離婚届だった。すでに妻の分は住所以外全て記載され、捺印もされていた。
「あ、あいつはおじさんの所にいるんですか?」
「いや違う。だがそんなことはあんたに関係ないだろう。あの子達がどこにいるか知る必要はない。さっさとこの書類に判を押してくれさえすればいい。もし押さないというのなら、次は弁護士が来て離婚話だけでなく、財産分与や子供の養育費についての話し合いをすることになるだろう。だがあいつはそれを望んでいない。金は要らない。別れられれば、それでいいそうだ」
ここでごねると話が厄介になりそうだと感じた治は、素直に判を押した。そこでようやく、彼女や子供にもお金が必要だということに考えが及んだのだ。
それまでは全く頭になかった。いや、実際起こっている面倒な事を想像しまいと拒絶し、現実逃避していたからだろう。
おじさんが黙って工場から出て行く姿を見送りながらはたと気付いた治は、工場の金庫を開けた。そしてそこにあった現金三百万円のお金を手に取り、紙袋に入れて彼を追いかけ渡したのだ。
眉間に皺を寄せながら、紙袋の中身を見た彼は一瞬驚いた顔を見せたが、再び渋い表情をして尋ねてきた。
「このお金は何だい」
「正式な財産分与を計算すればこれでは足りないでしょうが、いま手元にある現金がこれだけしかありません。これをあいつらに渡してやってもらえますか」
「手切れ金、と考えていいんだね」
「どう取っていただいても構いません」
ふうっ、と深い息を吐いたおじさんは言った。
「あの子達に何か言い残したことはあるかね」
言葉に詰まったが、そこで何とか絞り出して答えた。
「元気でな、と伝えてください」
最後まで謝罪することの無かった治に、おじさんは腹を立てていたのかもしれない。だがそれを責めることなく、
「そうか。じゃあ、もう会うことはないだろう」
そう言い残して去っていった。
その後、工場の業績が良い時代は長く続かなかった。独り身となっても工場だけは唯一残った我が子だ。そう考えた治はようやく遊びを止め、がむしゃらに働いて経営を立て直し、そして老後の為にも必死にお金を溜め始めたのだった。
元々が生真面目だったこともある。だが周囲にいた社長達も自分の会社経営が苦しくなると、遊んでいる場合ではないため、飲みに誘われることも少なくなった。
彼らだって当初から無理をしていたのだ。工場の業績が良い治に嫉妬し、遊ぶよう焚き付けていた節もあった。
また飲み屋の女達も羽振りが悪くなった治には用がない。これまでちやほやしていた態度を変え、より金払いの良い会社関係の社長達に乗り換えていった。そうしたことが冷静さを取り戻したきっかけともなった。
今考えれば、もっと早くそういう機会が訪れていれば、妻子に逃げられるようなこともなかったかもしれない。
だが後悔先に立たず、だ。それに踏み止まるチャンスは幾度もあった。妻の注意を受け入れていればこのようなことにはならなかったのだから、自業自得だ。
それに暴力だって振るう必要はなかった。口論で済ませればいいものを、頭の悪さから口で学のある妻に勝つことなど出来ない。また非は自分にあるために、言い負かされるのも当然だ。
そんな時に自分を大きく見せよう、正当化させようとして出たのが、非力な妻子に対する暴力だった。今更だが本当に最低な男だ。
しかし当時はそんな自分に言い訳をしていた。悪いのは周りであって、自分は間違っていないと信じ込んでいた。そんな性格が後の大きな災いを起こす根源だったのだろう。
そうして過ごす間に年齢も七十を超えた。時代も進み、後継者がいない工場は閉鎖するか、他の大規模な会社に吸収されるかの選択を迫られたのだ。
治の工場も同様だった。幸いその頃には業績も立て直していたし、特許を取っていた技術が少なからずあったために、工場を引き継ぎたいと申し出てくれる会社はいくつかあった。
リーマンショック後に多くの町工場が潰れていく中で、淘汰されて生き残った数少ないライバル社は、規模を拡大して効率化を目指すか、今までとは別の技術を使って成長する新たな道を模索していたからだ。
「社長、どうですか。一代で築いてきた工場とその技術も、後継者のいない現状ならば、先はありません。しかし弊社なら社長が大事に育ててきたこの工場とその意思を引き継ぎ、さらに大きく成長させることが出来ます。そうすれば今働いている従業員達も困ることはないでしょう。是非売却することを考えてみてはくれませんか」
「工場を買収した後も、従業員の雇用は守ってくれるんだね? 吸収した後に首を切らない条件だといくらで買い取ってくれるんだ?」
「従業員全員の雇用を守る、という条件は難しいですね。もちろんできるだけ、今いる人達はそのまま働いてもらいたいとは思います。ですが効率化を進めるためにも、将来的には当社の持っている工場との兼ね合いから、数人はリストラ候補に挙がるかもしれません。それは当社の工員も同じです。正直、退職するまでずっと保証するとは言い難い」
「なら、従業員の雇用条件を無くしたなら、いくらになる?」
手を挙げている会社が複数あったこともあり、治はできるだけ良い条件を引き出しにかかった。先方が欲しいのは、工場の技術と設備や敷地と取引先との関係だ。熟練した使える従業員はしばらく雇用されるだろうが、全員とまでは約束できないことも承知している。
しかし表面上は残された工員達の事を大事に考えているという体裁で臨まなければ、好条件は引き出せない。そうした駆け引きをしながら、工場は一番高値を出した所へ売却し、自分は引退しようとしていた矢先だった。
ある日、近場の町工場の社長連中と集まる夜の会合に出席するため歩いていた時、事故に巻き込まれたのだ。しかも運転していた若い男は、スピードの出しすぎで車のハンドル操作を誤ったのか、いきなり歩道へと突っ込んできたのだから避けようもない。
意識が戻ったのは、救急車で運び込まれた病院のベッドの上だった。その時はすでに緊急手術を終えており、その結果、命は助かったものの半身不随になることは避けられない状態だと聞かされたのだ。そしてその後は車椅子での生活を余儀なくされた。
もう今までのように働くことが出来なくなったことで工場の引き継ぎ話は前倒しされ、条件も足元を見られた。
その為思っていた以上の高値にはならなかったが、従業員の雇用についての条件を盛り込まないとしたことで、何とか納得できる金額を提示した会社へ売却することを決めたのだ。
幸か不幸か、後遺障害が残ったことで事故を起こした相手の自動車保険による多額の賠償金が手に入ったこともあり、これまで働いて貯めた貯金などをはたいて、全国に病院や施設を持つ大きなグループ企業が経営する、介護付き老人ホームへ入所することができた。
皮肉なことに健康だった頃より経済的な余裕はあったが、なにせ寂しい独り身だ。事故に遭った時、警察が別れた妻や子供に連絡したようだが、一度たりとも病院や施設へ面会に来ることなどなかった。
また工場売却時に従業員の雇用を守る条件を入れなかったことが知れ渡り、長く働いてくれていた古参の人達すら誰も見舞いに訪れることなく、また周辺の町工場の社長達からも人でなし呼ばわりされて、近づく者がいなくなったのだ。
不自由な体になり、特にこれと言った趣味もない。今や引退した身となっては人との付き合いもゼロだ。金はあっても使い道がない、という生活が続くことになる。
ツアー二日目は馬鹿な過去の反省ばかりしていたが、翌日目を覚ました場所は自分が晩年を過ごした施設の前だった。
当然のように当時のまま、車椅子に乗った状態だ。ここからも急いで離れなければ、と一瞬思ったがその必要はなかった。
よく見れば施設は営業しておらず、取り壊されかけていたからだ。そういえばあの事件が起こってから、この施設はしばらくして閉鎖し、別の場所へと移転したと聞いている。
当然だろう。殺人事件の起こった施設に入ろうというもの好きな人はいない。そこで全く別の用途に使うために売却され、今は取り壊している途中のようだ。
しかし今日は工事が休みなのか、敷地の中には治以外誰もいなかった。それをいいことに、まだ残されていた玄関口から侵入し、建物の中に入ってみた。
だがそこから先は瓦礫で埋め尽くされ、前に進むことは出来ない。治は目を瞑り、かつてあった施設の様子を頭の中に描いてみる。するとあの日の事が鮮明に浮かんできた。
やはりそうだ。三日目の今日はあの事件が起こった日の、この場所へと呼ばれてきたのだろう。治が職員二人を刺殺し、一人に重症を負わせた日だ。その結果、逮捕されて裁判が行われ、死刑判決が出たのだ。
しかし治は死刑が執行されるまでにいた拘置所で病気を発症し、医療刑務所へと移送された。そこで末期のがんであると告知され、死刑によってではなく病気によりこの世を去ることになったのだ。
そして気付けばこの訳の判らないツアーに参加させられていた。思い出の時と場所に連れてこられ、半ば強制的に過去を顧みるよう仕組まれたかのごとく、今までの人生を振り返ってきたのだ。
もちろん逮捕されてから裁判に至るまでにいた留置所や拘置所にいる間、または死刑が決まった後もずっとこれまでの行いを悔い、自分なりの反省もしてきた。だから死刑判決も素直に受け入れ、静かに執行を待つ身だったのだ。
それが急に体の調子が悪くなって診てもらったところ、末期のガンだと知らされた時には衝撃を受けた。もう死ぬことは決まった身であり、多少の恐れはあったものの死自体は覚悟していたつもりだった。
しかしそれが刑の執行よりも先に、病による死を迎えなければならないだろうと判った時には、心の中で叫んだ。頼む、病気で死ぬ前に刑を執行して早く殺してくれ! と。
病気で死ぬことなど許されない。少なくとも治が殺した二人の遺族はそう思っているだろう。治自身も自らの死にふさわしいのは、刑の執行によるものだと考えていた。
それなのに一般社会で生きている男性の平均寿命とほぼ同じ七十九歳になった自分が、病死でこの世を去ることなどあってはならないのだ。
これまでにも数えきれないほど回想してきた、あの事件の日の事を考えた。
事の発端は、危険運転をしていた車が起こした事故に巻き込まれ、下半身に後遺障害を負ったまま、介護付き老人ホームに入所したことから始まったのだ。
車椅子生活ではない状態で施設に入っていたならば、あんな事件を起こすほど神経を拗らすことはなかったのではないか。といって事故を起こした相手は自ら起こした事故の衝撃で死亡しており、恨んでみたところでしょうがない。
怒りをぶつける先を失ったまま、一人寂しく介護される身になったことも要因の一つだったのだろう。だがそれも自業自得で言い訳に過ぎない。
嫁と子供に逃げられ、施設に入った後は誰も様子を尋ねてくれる人がいなかったのは、全て自分の人徳の無さと行ってきた事の結果だ。工場を売却するまで働いていた従業員やその他の誰も施設に来なかった。それまで付き合っていた社長連中もまたしかり、だ。
自分の不徳の致すところだとあの頃素直に反省していればまた違ったかもしれない。だが治は好きで介護を受けている訳では無いという被害者意識を持っていた。やり場のない怒りが溜まり、自分勝手な歪んだ性格に目を瞑ってしまったのだ。
そのことは何度も拘置所の中や医療刑務所に移送された後でも考えてきた。だがその度に自分は加害者だが、同時に被害者でもある死刑囚だという無念さと後悔の念が入り交っていたのだ。
どこで道を誤ったのかと何度となく考え直してみたものの、答えが出ないまま自分は死んでしまった。だからこそもう一度あの世へ行く前に考え直してみろという意味で、今このような経験をしているのかもしれない。
そう、あの事件は、入居した施設で介護してもらった綾女という女性に治が惚れてしまったことが発端だ。彼女が若い頃の嫁にとても似ていたことが不幸の始まりである。
それまで担当していた介護士が一身上の都合で退職するために、彼女が新しく担当になりますと挨拶に来た時は息を飲んだ。とても驚いたが、昔の妻に再会したようで感動もした。
だからこの時、これまでの失敗を繰り返すことなく、逃げた彼女に償うつもりで接し続けていれば良かったのだ。最初の頃はそうしていた。だが自分の昔の身の上話をしたりすると、綾女は親身になって聞いてくれ、何度も首を縦に振りながら励ましてくれさえしたのだ。
そのため徐々に甘えを出してしまったのがいけなかったのだろう。さらに治は彼女に対する好意を示すために、当初思っていたこととは全く真逆の、相手が嫌がるようなセクハラ行為に及んでしまったことが、事を大きくしてしまった。
一度彼女に激しく注意されたことがある。そこで素直に謝り、止めれば良かった。だがくだらない自尊心がそれを許さず、言い訳をして彼女の反論を封じ込めたことがまず間違いだったのだろう。そこから増長してエスカレートさせたことも大きな過ちの一つだ。
思い返せばいくつかの時点でブレーキをかけることは出来たはずだ。きっかけは何度もあった。だがその度にプライドが邪魔をし、歪んだ愛情表現を止めることが出来なかったのだ。
担当替えを言い渡された時など絶好の機会だった。様々な証拠を突き付けられ、本来なら施設を追い出されても文句が言えない状態だった。この時に目を覚ませば良かったのだ。
にもかかわらず、自分の非を認めたくないという傲慢さが、おかしな感情に火をつけた。完全な逆恨みで、自分を邪険にした綾女を許せなくなっていたのだ。
冷静に考えてみればおかしな話だということは理解している。最初は妻に似ている彼女に好意を持っていたはずなのに、逃げた妻と同じく今度は憎悪の対象へと変わってしまったのだから。しかし好きだったからこそ、憎しみが増大していったのかもしれない。
さらに勝手な八つ当たりもした。担当変更をすると決めた事務局長や、新担当者と名乗った体の大きな男性介護士に対しても、怒りの矛先を向けたのだ。
担当替えに腹を立てて暴れた治に、綾女の口からかつて妻が最後に言い残した、
「あなたの面倒をみることはできません」
と言う言葉を告げられたことも引き金になった。
そこで思わず頭に血が上り、カッとなりあんな取り返しのつかないことをしてしまったのだ。いやそれ以前にナイフを準備していたことが、何よりも大きな間違いだった。
警察や検察、裁判において何度も繰り返し確認され、最初から殺すつもりだったのかと問われた。
彼女に対しては愛情が憎しみに変わった時点で、殺意があったのかもしれないと答えた。他の二人に対しては無かったと証言したが、それも事実だったかどうか本人ですらあの時の精神状態が異常すぎて判断できない。
今振り返ってみても、頭がおかしくなっていたとしか言いようがなかった。様々な感情が入り乱れて怒りを増幅させ、新しい担当者と名乗った男の体が大きかったことで、足が不自由だというハンディを克服したかったのだろう。
また己の強さを誇示するためにナイフを用意していたのかもしれない。本当に殺す気があったのかと問われれば、無かったと思う。
だが何かあればナイフを使って威嚇しようと考えていたことは確かだ。結局あの時のやり取りで、彼女の一言さえ無ければ最後の一線を越えずに済んだかもしれない。
ただあの時尋常でなかったことは、動かないはずの足が動いて立ち上がることができたことからも判る。
だがそのことが事態をさらに大きくさせた。体が動いた喜びと相手を恨む心が爆発し、事務局長と新担当者の男性を切り付け、最後にあの女性を滅多刺しにしたのだ。
どうしてあんなことが出来たのだろう。間違いなく自分がやったことなのに全く理解できず、未だに不可思議でしょうがなかった。
裁判でも医師が証言した通り、下半身不随で何年も立つことができず、そして事件後の状態を見ても医学的に証明できないことが起こったという。だからあの事件の全容が治に把握できる訳がない。
といってやったことは許されない行為だ。その為、医療刑務所の中では何度となく危篤状態に陥り、その度に抗がん剤を投与されて痛み止めも投入されたが、心の中では余計なことをしないでくれとさえ思っていた。
医師や刑務官に尋ねたこともあるが、このような状態で刑が執り行われる可能性は、ほぼないという。近年は早い例もあったが、死刑が確定して執行されるまで平均八年かかると言われ、最長では四十年以上も執行されないままの人がいるらしい。
ならばこの痛みは、刑の執行に代わるせめてもの自分に対する罰だと考えていた。だから痛み止めや延命治療など必要ないのだ。がん細胞に体が蝕まれ、体中に激痛が走ってのた打ち回ったとしても、それは天が与えた自分が受けるべき刑の一つなのだろう。
しかし現実の医療刑務所では、不当な処置をすれば人権問題に関わると糾弾される。そのことを恐れてなのか、治が苦しんでいればそれを和らげるため、最低限の治療を施さざるを得なかった。
事前に延命治療はしなくていい、と担当医師には告げてはいたが、それはそれで死刑から逃れるための発言であり、行為だとみなされたらしい。あくまで第三者が見た時に、不適切な医療行為と言われない程度の対応はしていたようだ。
いよいよ命が危なく、今後意識もなくなるだろうという段階になるまで、治は担当医師や教誨師に対して懺悔を繰り返した。死を目の前にして、ようやく自分の犯した罪の重さをわずかばかりながら理解できるようになったからだろう。
時には医師の計らいで心療内科の専門医が立ち会い、治の話を聞いてくれたこともあった。医療刑務所は治のような病にかかっている死刑囚以上に、精神疾患を持った囚人が多く入所しているため、その手の医師は多数いたのだ。
今更医師達にいくら反省の弁を述べても、自分が殺した二人の命は戻らないことなど承知している。それどころか人を殺めたことを後悔していると口に出し、人に聞いて貰うこと自体が自己中心的な行為なのではないか。
罰を受けているというより、苦しい胸の内を少しでも軽くしようとしているだけではないかと、教誨師に尋ねたこともある。すると彼は答えてくれた。
「もちろん、遺族の方々が聞けばそう考える人もいるかもしれません。だからと言って、あなたが犯してしまった罪に対し、反省することすら許されないということはないでしょう。後悔の念を述べず、心の中だけに止めて自分を苦しめ、それを自らに課された刑であると考えることは、決して正しいことだと私は思いません。なぜなら刑務所内で禁止されている、自傷行為に準じるものと解釈できるからです」
「では、苦しむことさえ許されないのですか?」
「そうではありません。ただあなたのような罪を犯した死刑囚に対して刑務所という場所ができることは、社会から隔離すること、そして刑が執行される日まで亡くなった被害者を忘れず、また残された遺族へ思いをはせ、自分の行為を反省する日々を過ごさせることです。ただ人の心の中まで完全に把握することなど出来ませんから、そう促すことしかできない、とも言えますが」
「死刑囚であるはずの私は、病に倒れたことで刑の執行を逃れています。だったらその代わりになる罰を受けなければならないと考えてはいけないのでしょうか」
むきになって反論すると、静かに諭された。
「あなたが治療を拒否し、痛みでのたうち回って苦しんで死んでいくことを、遺族の人達が望んでいるかどうかは判りません。もちろん絞首刑を逃れ、ごく普通の一般の人達と同じくガンに侵されて病死することなど望まない、と考える遺族もおられるかもしれません。しかし私は今の状態を含めて、あなたが悩み苦しんでいることもまた、罪を償う上で必要なことだと思っています」
「どういうことですか?」
治が尋ねると逆に質問された。
「死刑囚には、いつ刑が執行されるか直前まで通知されません。刑が確定されてから数年の内に執行される人もいれば、十数年経ってもそのままの方もいらっしゃいます。あなた自身は、どちらが死刑囚の処遇にふさわしいと思われますか?」
「そ、それは分かりません。早く死にたいと思っている人ならば、刑の執行を待ち望んでいるかもしれません。しかし一日でも長く生きたいと思っている人もいると思いますから、どちらがいいとは言えないのではないでしょうか」
「私もそう思います。死刑になりたくて何人もの罪なき人を殺すという凶悪な事件を起こした人を、すぐ刑に処すことが本当に良い事なのか。もしかすると死にたいけど死ねないという苦しみ、いつ刑が執行されるだろうかという恐怖と戦う期間を長くした方が、死刑囚にはふさわしい罰だという考えもありますからね」
治はそこで首を横に振った。そして嘆き項垂れた。
「私は末期がんだと判明するまで、早く刑を執行して欲しいと考えたことはありません。呼ばれた時には素直に従い、刑を受け入れることが自分にできる数少ないことだと思っていました。でも今は違います。早く死刑にして欲しい。けれどもそれが許されない」
その意見に対し、教誨師は肯定した。
「確かに今の段階であなたの刑が執行されるケースは、ゼロではないでしょうが稀でしょう。放っておけば、間違いなくあなたは病が原因で死に至ります。時間の問題ですから、わざわざ人の力によってその期間を短くしようとすれば、世論が騒ぐかもしれません。ただでさえ死刑廃止論を主張する人達がいますから、ここぞとばかりに騒ぎ立てるでしょう」
「では、私の命を奪うという刑は、絞首刑ではなくガンという名の病気による刑だと考えればいいのでしょうか」
その問いに対し、彼は少し考えてから答えてくれた。
「現実的にはそうかもしれません。元々二名の命を奪って一人を重症にしたとはいえ、七十を過ぎた犯罪者に死刑を言い渡した時点で、刑の執行による死よりも病死する可能性が高いと、多くの方は予想していたことでしょう。男性の平均寿命は八十歳ですからね。よって今のあなたの現状は想定内ということです。つまり刑の執行の前に病死していいのだろうか、と悩むこと自体に大きな意味があるとは思えません。それ以上に大切なことがあるのではないでしょうか」
「それはどういうことでしょうか」
「他の死刑囚と同様に、死を迎える瞬間まで犯した罪を反省し続けることです。命を奪った方々に対する謝罪と冥福を祈り、遺族達が嘆き苦しみ、怒る気持ちを想像し、それを受け止めることではないでしょうか」
治にはまだ納得できなかったため、再び聞き返した。
「本当にそれでいいのでしょうか」
「死というものはどんな人にも平等に訪れるものです。ただ一部の例外を除いて、死の迎え方を自分で選ぶことは通常できません。ですからほとんどの人はいつ訪れるか判らない死と常に向き合い、それを受け入れなければならないのです」
「例外、というのは自殺、のことでしょうか」
「そうですね。普通は老衰か病死、次いで事故死でしょうか。事故死にも自らの過失によるものから、自然による災害に巻き込まれるもの、また他人にもたらされる場合があるでしょう。あなたが犯したような殺人のよる死がそうです。狙われて殺される方、巻き込まれて死ぬ方もいらっしゃいます。いずれも自分では選ぶことの出来ない死だとは思いますが、その中でも最も罪深いものは、他人によりもたらされた死でしょう。なぜなら亡くなった人達が死と向き合い、受け入れる機会や時間を与えないまま、命を奪ってしまうからです」
「え? でも自分が死と向き合ったり、受け入れたりすることはとても恐ろしい事でしょう。それを奪うことが罪、だというのですか」
「私はそう思います。生老病死、この四つはどんな金持ちだろうと貧しかろうと、どんな国に生れようと、この世に誕生した人全てが避けて通ることのできない道です。その中でも人間にとって重要なのは、最後の死ではないでしょうか。人はどうやって生きた上で、死を迎えるのか。それをどう考え、受け入れ、行動するのかは、人として生まれたものに対する永遠の問題です。その答えを得られないまま亡くなる人は多いでしょう。しかし答えを得る機会すら与えず奪うことは、大きな罪だとは思いませんか」
穏やかに話す言葉には、彼の強い意志の力を感じた。だが正直に治は首を捻った。
「すいません。難しくて私には良く分かりません」
それでも彼は落胆することなく、話を続けた。
「分からないなら分からないなりに、考えてみてはいかがでしょうか。自らの死を迎えるにあたって、他の人の死を考えることは良い機会だと思います。そこでどのような答えが出ようとも、また答えが出なかったとしても、想像し、考え、苦しみ、悩むこと自体が大切なのではないでしょうか。それがあなたに与えられた最後の使命なのかもしれませんよ」
「最後の使命、ですか」
思わず唸った治に、彼は意外なことを言い出した。
「それにあなたが死刑を受けないことで、救われる人物もいるのです」
「馬鹿な。そんな人がいる訳ありません」
しかし否定する治に対し、彼は自信を持って断言したのだ。
「いいえ、確かにいます。あなたは死刑制度に反対を唱える人達がいることをご存知ですか?」
「は、はい。それは知っています」
「それは何故だか、考えたことがありますか?」
「少しは、あります」
「どのように考えられましたか?」
尋ねられた治は自分なりに得た答えを口にした。
「死刑が本当に被害者やその遺族に対しての償いになるのかどうか、と疑問に思うことがあります。中には死刑になりたくて人を殺したという犯罪者もいるからです。そういった場合、終身刑というものがあれば一生生きて罪を反省させることが出来るでしょう」
「そうですね。他にはどうですか?」
「他に? ああ、そうですね。例えば日本だと絞首刑と決まっていますが、それが残虐だという意見があることも知っています。また冤罪などの場合もあるので、無実の人を国が誤って殺してしまう危険性があるから、死刑は廃止しろと言っている人もいるようですね。実際ここ数年で死刑囚だった人が、冤罪で釈放されたケースもありますし。でも私の場合は当てはまりません。だから私が死刑にならないことで救われる人がいるとは思えませんが」
そう付け加え、先ほど言った彼の意見に反論したが、それでも彼は主張を変えなかった。
「いいえ。いるのですよ。日本の世論は遺族の心情を鑑みて、死刑は必要だと考える人が多数を占めます。ですから死刑が廃止されることは、なかなか難しいでしょう」
「そうでしょうね。私が逆の立場であってもそう思います」
「しかし考えてみてください。刑が執行される際、多くの方が関わるということを」
「死刑に関わる人達、ですか?」
意外な話の展開に治はついていけなかったが、彼は淡々と説明し始めた。
「そうです。まず、死刑が確定されれば、六カ月以内に死刑執行上申書というものを、確定判決を出した裁判所に対応する検察庁の検事長が、法務大臣宛てに提出します。その後法務省の刑事局が裁判記録を取り寄せ精査し、数年後には刑事局の起案によって執行に向けた審査や決済が行われます。最終的に法務大臣がサインして死刑執行命令書が作成されるまでに最低でも十名以上の役人達の目を通り、印が押されるのです」
「しかしそれは役人の仕事でしょうから、当然じゃないですか」
「他にもいます。というよりもここからがあなたのような死刑囚と日頃接している、数少ない人物達が動き出します。刑を執行する刑務官が選出され、死刑を執り行う日の朝、囚人の元へと十名ほどが集まり、連行するのです。その人達は職務を遂行するだけですが、そこにいる皆がその囚人の死刑を望んでいるとあなたはお思いですか?」
「そ、それは」
そこで日頃から世話になっている看守達の顔が浮かび、思わず言い淀んだ。
「刑務官達だけではありません。あなたの身の回りの世話や食事の準備、配膳、清掃などの雑務をこなす人達もいるでしょう。その人達はあなたがすぐに死ねばいいと積極的に望んでいるとお思いですか」
懲役刑が確定した受刑者で衛生夫と呼ばれる人達の事だ。初犯で犯罪傾向が進んでおらず、一定程度の学力を有する人物が対象となるらしい。その人達が労務として死刑囚の世話などをさせられるのだ。
堀の中のエリートらしいが、治のような障害者を相手に、介護士のような役割を果たすことは大変だと思う。それでも彼らは親切に、そして一生懸命やってくれている。そのことが脳裏に浮かび、思わず首を横に振った。
中には死刑囚が少なければ、面倒な世話をする必要もなく、管理する仕事も楽でいいと心の中で思っている人達がいるかもしれない。しかし早く死ねばいいのに、と考えながら任務に当たっていると感じたことはなかったからだ。
「そうでしょう。他にも私のような教誨師もおります」
ハッとして目の前にいる彼を見つめた。
「日頃から死刑囚の方々と接している私のような人間も、執行直前に呼ばれて最後の教誨を行います。しかし最も大変なのはやはり刑務官達でしょう」
「そ、それはどうしてでしょうか?」
ここで少し彼は答えを躊躇していたが、静かな声で尋ね返された。
「本来なら詳しい死刑の状況を、今の段階で死刑囚に対し説明することは相応しくないかもしれません。ただあなたの場合は、まず執行されることがないと思われますのでお話ししますが、よろしいですか?」
改めて問われたことで迷いはしたが、もうすぐ死ぬ身だ。今更何を言われたところで恐れるものはない。
「構いません。教えてください」
彼はそこで深く頷き、口を開いた。
「穏やかに死を覚悟し、静かに連行される死刑囚もおります。淡々と教誨師と話をし、死刑執行の命令書を読み上げられるのを素直に聞き、そこに揃った拘置所所長の他、立ち合いの検事や検事事務官、拘置所の総務部長、処遇部長、医官らと最後の会話を交わしたりする人もいます。最後の祈りを捧げる者や遺書を残すこともできるので、この時に最後の言葉を残す人達もいます。しかし中には大変混乱し暴れる人がいると、刑務官達はそれを必死に押さえつけるのです。そうして刑場の執行室へと力づくにより連行し、ガーゼで目隠しして後ろ手に手錠を掛けるのです」
具体的な死刑までの流れを説明され、想像した治は息を飲んで声を発することが出来なかった。それでも教誨師は話を続けた。
「そこから執行室に連れて行き、踏み板の上に立たせるとすばやく両足をひもで縛り、首にロープをかけ、三人の刑務官が同時にボタンを押すと、そのうちの一つが連動して踏み板が外れ、死刑囚は落ちていくのです」
三人でボタンを押すという話は聞いたことがある。少しでも刑務官の精神的負担を軽減しようとの苦肉の策らしい。
「ボタンを押す刑務官の心情はいかほどのものか、私には想像できません。誰のボタンで踏み板が開いたかは判らないようになっており、一人だけに自分が殺してしまったと思わせないよう工夫されてはいます。しかし結果は三人の刑務官全員に苦悩を与えるだけではないかという見方もあるのです」
そうかもしれない。自分一人が“殺した”のではないと思える一方で、自分が“殺したかもしれない”という思いから逃れることは難しいのだろう。
「もっと大変なのは、死刑囚が落ちていく穴の下で待ち受ける、受け止め役と呼ばれる刑務官だとも言われます。落下した反動で体が大きく揺れたり、ロープのねじれで体がきりきり舞いになったりすることを防ぐ役目です。そのために彼らは落ちてきた死刑囚を抱きかかえ、立会人の方に向かせて静止させるのです。これは相当のベテランの刑務官でも泣いて嫌がる人もいるそうです。そんな人達が皆あなたの死刑を望んでいるとお思いですか」
そんなことは想像したことがなかった。
「彼らはそれが仕事だからやっているのです。中には苦に思わず、淡々とそれらを実行出来る方もいるでしょう。しかし彼らのメンタルケアは、実際に大変なものです。そういう私も、決して気軽な気持ちでこの仕事を引き受けている訳ではありません。ですからあなたの刑が執行されず、堀の外の人達と同様に避けることのできない病により死を迎えることで、救われる人も少なからずいることだけは覚えておいてください。だからといって死刑を望む被害者遺族達の事を忘れてはいけませんよ」
その後意識がある限り、過去を追想しては様々なことを考えてきた。時には涙を流し、時には怒り、時には笑い、時には苦しんだ。
そんな日々を過ごしていたある日、とうとう意識がほとんど無くなった。恐らく医師や刑務官の計らいで連絡されたのだろう。もう言葉を発することは出来ず、朦朧としてベッドに横たわっている自分の枕元へ、信じられない人物の姿を見たのだ。
それは自分から離れていった元妻と息子だった。もう三十年以上会っていなかったが、すっかりおじさんの姿になった息子でさえ誰だかすぐに認識できた。元妻もすっかりおばあさんになっていて、何故だか涙を流していた。
治がうっすらと目を開けたからだろう。周囲にいた人達が一斉に声をかけてくれて、おそらく二人が来ていることを教えてくれていた。だが不思議とその言葉は全く耳に入ってこない。
それなのに怒りながら泣いている彼女が呟いた言葉だけは届いていた。辛うじて意識のある治に対してこう言ったのだ。
「このまま静かに眠り、その先でもあなたが犯した罪を反省し、命を奪った人達やその遺族の方々に懺悔する毎日を過ごしなさい。あなたが死んだって逃げられないのよ。それは生きている私達も同じ。残された私達も、あなたの起こした罪の一片を心の隅に置きながら今を生きているし、これからも生き続けなければならないのだから」
おそらくそれがこの世に生きていた時に聞いた最後の言葉だったのだろう。その後意識を失い、そしてついに死んだのだと判った。
治は壊れかけの施設の前で泣いていた。自分を捨てて出て行ったあいつらが何を言っているんだ、と思ったこともある。もちろんそうなったのも己に全て責任があることは頭では理解していても、素直にそのことを認めたくない自分がいた。
しかし本来彼女達は治の罪の一片でも背負う必要がなく、関係ないとばかり思っていたがそうではなかった。世の中はそんなに甘くない。
別れて何十年経とうとも、彼女達は殺人犯の元妻であり、そして息子は死刑囚の血をひいた子なのだ。その事実からは逃れられない。
実際、治の持っていた財産はその死後、息子が相続する権利を保有する。しかし現実は亡くなった遺族に対する賠償金のほんの一部として支払われ、彼の手元には残らなかっただろう。
それどころか相続の放棄手続きをしないと、賠償金を支払う責任まで負ってしまう可能性だってある。関係ないでは済まないのだ。正直、これまで亡くなった遺族の事は考えていたが、身内の事にまで及ばなかった。
そのことが今更ながらに治の心を鋭く射抜いた。我ながら情けない。全く罪のない、いやどちらかというと被害者であるはずの彼女らに、加害者家族という重い十字架を背負わせたのだ。
自分がどれだけ愚かだったかを、ここでまた痛感させられた。あまりにも想像力というものが欠如していたとしか言いようがない。だから殺人という馬鹿なことをしてしまったのだろう。そして一度犯した罪を完全に償うことなどできないのだ。
殺した人は生き返らない。愛する人を失った遺族達の悲しみや怒りは、死をもってでも決して消すことなどできない。そして犯罪者の家族というレッテルをはがすことも不可能だ。それこそ取り返しようがない。
このツアーでは、思い出の時と場所に戻るとはいっても、過去に戻るわけではなかった。死をもってしても、やり直すことなどできないのだ。
それならばどうすればいい。明日には最初にいたバスターミナルへと戻らなければいけないようだが、その後はどうなるのか。今度こそあの世へと連れていかれるのだろうか。そして治の場合は、恐らく地獄と呼ばれる場所へと連れていかれるのだろうか。
別れた妻が言っていたように、地獄に行ってもなお現世で犯した罪を反省する日々が続き、亡くなった人達の事を思い、遺族に対する謝罪の日々を送るのかもしれなかった。
それならそれでいい。自分は決して許されてはいけないのだ。死んで肉体を失った今でもなお魂が残っている限り、犯した罪を償う日々を過ごすのだろう。自分はそれだけの事をしたのだ。
治は溢れ出る涙を拭うことなく、壊れかけた施設をずっと見上げていた。
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