第二章 綾女
『ミステリーツアー! 行き先はヒ・ミ・ツ! あの頃に戻りたい、と思っている方々にオススメ! 「あの日へ帰ろう」ツアー大募集!』と書かれており、他にも変った注意事項が記載されている。
前を向くと先ほどから奇妙な関西弁を喋り、自らをゴンちゃんと呼んでくれと名乗ったおかしなバスガイドがいた。
色々なやりとりや説明を何となく聞いているとアイマスクが配られ、言われた通りに装着して目を閉じる。すると聞き覚えのあるモーツアルトの曲が流れ始めた。リラックスさせるための癒しの音楽だ。
その効果によるものか、それまで騒がしかった車内が静かになる。しばらくしてバスがトンネルに入ったようなゴーッという音がした。まぶたの奥がチカチカと瞬き、意識が遠くなり始める。
頭がぼんやりとしだし、車酔いをしたのかと思ったがそうではないらしい。それまで聞こえていた様々な音が少しずつ小さくなる。綾女はいつの間にか眠りに落ちていた。
目を覚ました時に立っていた場所は、コインパーキングだった。
突然のことでしばらく固まっていたが、恐る恐るこの場所はどこかと周りを見渡してみた。すると徐々に記憶の底で眠っていた、見覚えのある景色が蘇ってきたのだ。
ようやく何故自分がここにいるのかを理解する。この土地がかつて両親と祖父との四人で暮らしていた、母の実家があった場所だと判った。
しかし綾女が高校へ入学した年の冬の寒いある日にあの事件が起こったため、この地を去らざるをえなくなったのだ。
あの日の朝、布団から出たくないと思いながら綾女はなんとか起き上がった。眠い目をこすりながら学校へ行くための準備を整え、朝食を食べるため二階にある自分の部屋から一階へと降りたのだ。
するといつものように車椅子が手放せない祖父の介護をしながら、慌ただしく食事を作っている母の姿が台所に見えた。忙しい父はすでに朝食を済ませ、会社へと出かけてしまっているようだ。
「おはよう」
母の背中に声をかけたが聞こえなかったのか、こちらを振り向かずに黙々と手と体を動かしていた。
それでも食卓の上にはすでに綾女の分であろうサラダとハムが乗った皿が置かれていた。後はトーストと目玉焼きだが、部屋に暖房が入っているとはいえ冷めてしまうと美味しくないからと、この時期は綾女が席に着いてから用意してくれるのだ。
食卓の椅子を引いて腰を下すとそこで母と目があった。返事はしなかったが、二階から降りてきた気配は察していたらしい。にこりと笑い、おはようと声をかけられた。その時の顔が何となく青白く見えたのは、後に気のせいではなかったことを痛感する。
その時奥の部屋から、朝が早い父と一緒に食事を済ませただろう祖父の、母を呼ぶ声がした。
「さなえ、ちょっといいかな」
夜は九時過ぎに寝るが、朝は父より早く五時頃目覚める祖父の世話を、母は毎日していた。一人で起き、何とか自分で車椅子に乗ることまではできる祖父だが、トイレにはどうしても補助が必要だったらしい。
夜遅く帰ってくる父のために、十二時近くまで起きている母の睡眠時間は少ない。朝からぐっと冷えるこの寒い時期は特に辛いだろう。
まだ外が暗いうちから目を覚ました祖父の下の世話などしながら、その後起きてくる父の分と合わせて朝食の準備をし、洗濯の準備もする。最後に食べ終わった綾女の朝食の片付けをした後、洗濯機で洗い終えた物を干し、そのあとで家の掃除をするのだ。
その間にも、祖父から声がかかれば家事の途中でも駆けつけなければならない。何かあってはいけないし、特に下のことで遅れてしまえば後処理のために余計な仕事が増えてしまうからだ。
「はい! 今行きます! 綾女、ちょっと待っていてね。パンは今焼いているし、目玉焼きも用意するから」
バタバタと慌てている母を見かね、椅子から立ち上がりながら答えた。
「いいよ、目玉焼きぐらい自分で焼くから。お爺ちゃんのところへ行ってあげて」
「いい? じゃあお願いね」
冷蔵庫から卵を取出し、祖父の元に向かおうとする母とすれ違った途端、背後でドタッと響いた大きな音に驚き、思わず振り向く。すると母が床に倒れていた。
「大丈夫?」
そう声をかけながら綾女はガスの火をつけて、卵を割ろうとしていた。慌てた母がただ単に躓いただけだと思っていたからだ。その為そのまま目玉焼きを作り始めていたが、なかなか起き上がってこない様子が気になり、もう一度、大丈夫? と声をかけた。
しかし返事が無い。奥からは再び祖父の呼ぶ声がした。
「さなえ、まだかな!」
「お母さん、お爺ちゃんが呼んでいるけど立てる? どこか打った?」
一旦ガスの火を止めて母に近づく。そこでようやく様子が尋常ではないことに気付いた。目を瞑ったまま真っ青な顔をして気を失っていたからだ。
「お母さん!」
そう叫んで救急車を呼んだことまではなんとなく覚えている。だがその間に祖父が自分で車椅子を押し、何事かと様子を見に来ていた記憶はあまり定かでは無い。
その時の祖父の用事はトイレではなかった。少し高いところにあって手が届かないものを取って欲しかっただけだということは、後になって知る。
母と一緒に救急車へ乗り病院に向かった綾女は、持っていたスマホで父に連絡し、学校へも連絡したらしい。比較的冷静に対応していたと周りからは言われたが、本人にその自覚は無かった。
病院に運ばれた母はすぐに緊急治療室へと運ばれたが、そのまま帰らぬ人となったのだ。死因は急性心不全だったと聞かされた。日頃の疲労が溜まりっており、また寒い冬の朝であったため、寒暖差の激しさが心臓に負担を与えたのだろうという。
祖父の介護を任せっきりにして、母の事を労わっていなかったと父はしきりに反省していた。無事高校へ入学できた後の綾女も、母の手伝いを碌にしてこなかったことに後ろめたさが残った。
それは祖父も同様だったらしい。いやもしかしてそれ以上だったのかもしれない。自分の世話のために寿命を縮めた、わが娘を殺したのは私だと毎日のように責め、泣いていたからだ。
その為母の死後、祖父の世話はほぼ全てといっていいほど訪問介護士に依頼するようになった。だが残された三人の関係がぎくしゃくとしだす。そこで祖父は家と土地を売却し、そのお金で老人ホームに入居することを決断したのだ。
その結果、父と綾女は母の実家から出ることになった。そうして一人きりになった祖父も、その後一年経たないまま病により亡くなったのである。
ここが思い出の場所なのは確かだ。毎日のように色々なことが起こった。だがいつの時期を指しているのかは不明だ。思い出の時とはこの家に引っ越ししてきた時だろうか。それとも母が倒れた時、または家を出た時だろうかと考えを巡らす。
そういえばあのおかしなバスガイドの話では、事前に用意した服などを身につけていた頃に戻る、と言っていたはずだ。そこで今自分がどんな格好をしているのかを確認しようと、近くに駐車していた車に近づいた。
そこで窓ガラスやミラーに映る姿を見て、ようやく納得する。学校の制服の上にカーディガンを羽織っていた。これは中学の時に着ていたものだ。それに自分の顔まで若返っていた。つまりその時代に戻ったことを意味している。
しかし何故中学時代でこの場所なのか、と再び首を捻った。この制服を着ていた中三の夏、元々この実家近くに住んでいたため転居による転校をせずに、母の実家へと引っ越してきた。したがって中学を卒業するまでの間だとは推測できる。
このツアーは決して過去に戻る訳ではないと説明を受けていた。その言葉通りに、かつてこの場所にあった家は壊されていてもう存在しない。更地になった後、駐車場となったようだ。
土地を売却したのは綾女達が家を出た高二の夏休みの間だったから、もう十年以上前になる。この土地を売ったお金のほとんどは、祖父が介護付き老人ホームへ入居して過ごすために使われたと父から聞いた。
しかし祖父はしばらくして亡くなったため、退去の為に一時金として払っていたお金が解約金として戻ったのだ。それなりの額が唯一の遺産相続人であった綾女の手に入ったことを覚えている。
その後父と過ごしたマンションからも出て寮のある看護学校に入った綾女は、後に勤めることになる介護施設から二駅離れたマンションで一人暮らしを始めた。
看護師資格を持った介護士になったきっかけの一つは、母の背を見ていたことと関係している。綾女が中三になった頃、自動車事故にあった祖父は半身不随となり車椅子生活を余儀なくされた。
そこで一人暮らしだった祖父を介護する必要がでてきたのだ。その為母は父を説得し、それまで家族三人で住んでいたマンションを出て、母の実家へと移り住むことになった。
祖母は母が結婚してすぐの頃にガンで亡くなったらしい。当然綾女が生まれる前のことだ。それから祖父は長い間一人で生活していたという。
そのこともあって、両親は祖父のいる家の近くに部屋を借りて住んでいた。そして母は時々顔を出していたし、綾女が生まれてからは祖父が面倒を看てくれたことも多かったらしい。綾女も物心が付いた時から祖父の所へ学校帰りや休みの日など、よく遊びに行った記憶がある。
十数年の間一人暮らしを続けてきたその祖父が、突然事故に巻き込まれて自由に歩けない生活となった。その事が想像以上に綾女達の生活をも大きく変えたのだ。
祖父の世話に母は翻弄され、日々苦労していた姿を綾女はずっと目にしていた。引っ越してきた当時は高校受験を迎えていたこともあり、碌に手伝うことができなかったことを歯がゆく思ったこともある。
だがいざ高校に合格してからは多少の手伝いはしていたが、十分で無かったことは自覚していた。母が奮闘していたことを把握していたものの、高校生活での新しい友人関係を築くことも大切だったのだ。
そのため部活動に入り、放課後には友達と一緒に遊んだりして家事や介護の手伝いなどは、ほんの気持ち程度しか携わっていなかった。
一方で父も管理職に昇進したばかりで仕事が忙しくなり、朝は早く出て夜の帰りも遅く、土日に休日出勤することも珍しくなかった。
そんな父や綾女達のご飯を作り、掃除洗濯等の日々の家事をこなしながら、一日中祖父の面倒看ていた母の心労が重なったのは当然だ。そしてとうとう倒れてしまい、そのまま心不全で亡くなった。よって自分や父の責任は決して軽く無い。
祖父もまた自分を責めた挙句、実家を手放し老人介護施設に入居すると言い出した。同じく父と綾女も母への労りが足りなかったこと、そして体調の変化に多少は感づいていながらもそのまま放置していた心苦しさを抱えていたからだろう。
祖父の意見に賛同して実家から出たのは、母が倒れた場所に住み続けることがとても辛かったからとも思われる。その後祖父が亡くなるまで、全くと言っていいほど互いに連絡を取り合うことはなかった。
父は祖父に会って話しをすれば、否が応でも母の事を思い出してしまうからと言い、祖父もまた同じことを考え、敬遠していたようだ。そんな理由を理解した綾女も父に従い、大好きだった祖父と疎遠になっていった。
後にそれが大きな間違いだったことに気付かされる。
そこでふと肌寒さを感じた。そういえば、バスに乗った時は半袖のシャツを着ていたはずだ。外の日差しも夏めいていた。
けれども今着ているのは秋冬用の制服で、カーディガンは寒い冬が来る前か、春が近づいてきた頃に羽織っていたものだ。つまり季節は十一月か、三月頃の可能性が高い。
そう考えた時、綾女が高校受験に合格した時の事が頭をよぎった。制服を着て受験した高校へと向かい、友人達と共に発表される掲示板を見に行った日だ。そして皆が無事合格していることを確認し、抱き合って喜びを分かち合った日でもある。
すぐ家に連絡すると母は泣いて喜んでいた。高校へ飛ぶようにやってきて、入学手続きの書類などを貰って一緒に家へ帰ると、待っていた祖父が大いに褒めてくれたのだ。
時期的に考えても、思い出の時とはあの日を指しているのだろうと推測した。辛いことが続いていたあの頃の、数少ない幸せを感じた瞬間だったからだ。
その後も祖父の介護で母は疲れ切り、まさしく寿命を削る日々が続いていた。結果、母との永遠の別れを経験し、祖父とも疎遠となっていく。
あの時の経験が綾女のその後の進路を決める要因の一つになったが、決め手になった出来事はもう一つあった。
祖父は自分で探し出した完全介護付きの老人ホームに入ったが、早い段階で病にかかったかと思うと、あっという間に亡くなったからだ。当時はただ悲しみにくれるばかりで、祖父の死に全く疑問を持っていなかった。
しかしその後ニュースで、祖父が入居していた施設において十分な介護がなされていなかったことを知らされる。そして虐待の実態や不適切な治療行為を行っていたことが次々と明らかになり、最後には閉鎖されてしまったのだ。
そこで祖父の時も適切な治療がなされていなかったのではないか、という疑問が沸き起こった。その為父に相談して祖父についても調べてもらうよう、警察に言った方が良いのでは、と告げたが難色を示された。
「もうお義父さんの遺体は焼かれているから、今更死因を調査することは難しいだろう。それに例え不適切な治療が原因だったとしても、お義父さんが戻ってくるわけでもない。せいぜい賠償問題でお金を払って貰うかどうかの話になる。お前はお金が欲しいのか?」
その言葉にはさすがに反発した。
「そんなつもりで言っているんじゃない!」
「そうだろう。それに相手の施設はもう閉鎖されてしまった。他にも多くの患者の賠償問題を抱えているらしいから、支払い能力はほとんどないだろう。諦めた方がいい」
余りにも冷めた意見に、綾女は憤慨した。
「そうじゃない。私はお爺ちゃんの死が、あの施設のせいかどうかが知りたいだけなの!」
それでも父は冷徹だった。
「綾女の言いたいことは理解できる。だが死因や実態が解明されるまで、一体どれだけの時間がかかると思う? それにお母さんが亡くなり、あの家を出た時点で俺達とお義父さんとの関係は一度切れた。少なくとも俺は完全に血の繋がっていない他人だ。お前はお義父さんの一人娘で、亡くなったお母さんの子だから遺産相続の権利もあった。血も繋がっているし知る権利もあると思う、だが俺は賛成できない」
そこまで言われ、父に逆らう程の勇気は無かった。全国ニュースで扱われるほど騒動になった事件に、当時未成年だった綾女が自ら飛び込むことなどできず、やがて諦めたのだ。
しかし祖父の入居した施設での事件があったことと、母の介護する姿がその後ずっと綾女の脳裏に焼き付いていた。
だからこそいざ将来の進路を考えなければならなくなった時、高校を卒業したら看護学校に入って資格を取り、また介護士の資格も取得したいと考えたのだ。
ほぼ無抵抗で弱い立場にある患者達を、十分にケアできる介護士を目指そうと思うようになったのは、拭い去れない過去にけじめをつけたかったからだろう。
これには父が猛烈に反対した。
「なぜあれだけお母さんが辛い思いをしていた介護の世界を目指そうとするのか、理解できない。身内の面倒を看るだけでもきついのに、赤の他人の世話をすることがどれだけ過酷か想像できるだろう。止めておきなさい」
と何度も忠告された。
それでも強い反対を押し切り、綾女は父の元を離れて看護学校の寮に入った。そして看護師を目指しながら、介護についても懸命に学んだ。その結果、五年間で無事両方の資格を得ることができたのだ。
その上でいくつか紹介された介護施設の中から、全国各地に施設を持つ比較的大きなグループ企業に所属する職場を選択した。
そこは資格取得に必要な、実習を行う際にもお世話になった施設でもあった。その時に職場環境も見ていたことから、正式な常勤勤務職員として働くには悪いところではないと感じていたからだ。
一口で介護施設と言っても、大きく分けて二十四時間体制で入所者のお世話をする「入所型」、昼間に高齢者が通ってこられる「通所型」、介護スタッフが高齢者の自宅を訪問する「訪問型」の三つの種類がある。
綾女の職場は「入所型」だったが、ここでもいくつかの種類に分けられる。
特別養護老人ホーム、いわゆる「特養」と呼ばれ、寝たきりや重度の認知症など常に介護が必要な高齢者が入居するものや、「老健」と略される介護老人保護施設といった医学的指導の下に、自宅に戻るための介護やリハビリを行う所、「健康型」「住宅型」「介護型」の三タイプある有料老人ホームやケアハウス、グループホームなどといったものと多岐に渡ってあった。
その中で綾女が職場として選んだのは、祖父が入っていた施設と同じ有料老人ホームの「介護型」だ。ここであれば医療体制も整っていて、看護師の資格も活かすことができると考えた。特に医療設備や体制がしっかりとした大きな企業を選んだのも、祖父のようなケースがあることを身に染みていたからである。
その頃は熱意を持って大きな目標を掲げていた。母のような辛い目にあう人達を少しでも減らし、その人達の助けとなりたい。そして祖父のように、遺族が疑問を持つような処置で命を落とす介護者を無くそう、という志を持っていたのだ。
しかし父が言っていた通り現実は甘いものでは無く、とても厳しいものだった。この業界自体、労働環境は決して良いものでなく、賃金もそれほど高くはない。ただ綾女が就職した施設は大きなグループ企業だ。給料も看護師資格を持っていたこともあり、同業者や他の人達と比べてもそれほど悪くは無かったと思う。
それでも慢性的な人手不足や施設職場の人間関係では様々な問題が起こる。基本的に介護福祉士の資格を持っている人や、介護職員初任者研修や実務者研修の段階の人達が入居者の担当を受け持っていた。
国から特定指定入居者生活介護として介護付き有料老人ホームの認定を受けている場合、要介護または要支援二の入居者三人に対して、最低一人の常勤職員を配置させておかなければならない。
他にも様々な規制がある中で、常勤勤務者の労働時間を一日八時間に抑えながら、常時配置しなければならない人員の規制は、細かく決められている。看護資格を持つ綾女などは、一般的に何かあった際のバックアップ要員として常時配置されていた。
しかし介護福祉士の資格所持者でもあったことから、ある時人手不足という理由で担当者を持たされることとなったのだ。
事務局長の
「五十嵐さん、君は介護福祉士の資格も持っていたよね。申し訳ないけれど、入居者の介護担当の兼任をお願いしたい。もちろん従来の看護師としての仕事より、ずっとハードになるだろう。しかしここ最近離職者も増えていて、欠勤などがあるとすぐ人手が足りない状況に陥ってしまうことは、君も承知しているね。グループ内の他の施設から応援要員の要請もしてなんとか回してはいるが、手配できない場合もある。そうなると介護士達の勤務ローテンションが厳しくなるんだ」
確かにそうだった。ただでさえ一日八時間を三つの時間帯に分け、二十四時間決められた人員を必ず配置しなければならない。そのため不規則な労働環境の中、体調を崩す介護士達もいて退職するものまで出れば、残された人員だけで回さざるを得なくなる。
そうなると余裕を持った勤務ローテーションを組むことは、どうしても難しい。するとどこかで無理をしたり負荷がかかったりする。その為体調を崩す職員が出てくるという、悪循環から抜け出せなくなるのだ。
余裕を持った配置ができればいいのだが、今の社会制度では介護職員達の定着は難しいと言わざるを得なかった。
そう言った実態を把握していたため、事務局長や介護士のリーダー達から頭を下げられれば断れない。了解しましたと答えると、周りからは安堵の声とともに励まされた。
「なるべく負担がかからないよう、勤務時間も考えるからお願いします。頑張ってね」
厳密にいうと勤務に支障が出ないことを条件として、看護師が介護福祉士の役割を兼務してもいいという規則は存在する。
だが現場ではその条件が、しっかりと守られていると言い難い面があった。そうなると仕事量は一気に増大し、しかも文字通り体力勝負であることや、不規則な勤務体系に翻弄され、肉体的にも相当な負担がかかる。
実際に兼務し始めてからの仕事はハードだった。それだけでも心が折れそうな状況に加え、精神的にも利用者による心無い言葉で傷つくこともあった。現場における介護者は、決して弱い立場の人ばかりでないことを痛感させられたものだ。
あそこが痛い、体の支え方が悪い、飯がまずい、味が薄い、いや濃すぎる、と言ったものから、介護士達への態度への悪口に止まらず、酷い時には唾をかけたり、暴力を振られたりもした。
また見舞いに来る親族達の悪口を散々言っていたと思えば、いざ面会に来ると担当する介護士達の対応が悪いと言い出し、全く身の覚えのないことでクレームを受けたりすることもあるのだ。
それだけでない。時には遺産問題などで被介護者とその親族、また親族間同士の醜い諍いが起こっていたりすると、巻き込まれる担当者もいた。全く関係ないはずの介護士が余計な知恵を吹き込んでいるのではないかと疑われ、双方から理不尽な非難を浴びるケースも稀にあったのだ。
しかし問題がある人ばかりではない。担当する患者さんには複雑な家庭環境にある方や、様々な性格を持ち、一人一人異なる症状で苦しんでいる人達がいる。
その中でも特殊だったのが、オサムさんというお爺さんだ。
七十六歳の彼は、祖父の時と同じく交通事故に巻き込まれて下半身が麻痺し、車椅子生活を送っていた。
介護状態になったきっかけも不幸な出来事だったが、加えて彼には家族がいなかった。それに親しい友人もいなかったらしい。そのため見舞いに訪れる人は誰もおらず、施設での生活はずっと一人だったのだ。
戦前生まれの彼は、焼け野原となった東京の下町で幼少期を過ごしたという。戦後の混乱期をなんとかして生き残ったが、両親は戦争で亡くしていたらしい。親しい親戚などもいなかったようだ。ある時彼は言った。
「それでもどうにかして工場で働く大人達の中に潜り込み、何でもすると言って使い走りや、それこそ今なら犯罪で捕まるようなことまでさせられながら世話になった。そうやって信頼を得るうちに工場の仕事も教えてくれるようなり、そこでいろんなことを学んだよ。そのおかげで、後に独立して自分の工場を持つまでになり、小さいながらも複数の従業員を雇う社長にもなって結婚もした。子供もできたさ」
しかし良い時代も長くは続かなかったらしい。様々な事情で妻は子供を連れて彼の元を去ったようだ。その頃の話をしている表情はとても寂しそうだった。
彼は一人身となってからもがむしゃらに働いて必死にお金を溜め、年齢が七十に近づいた頃からそろそろ引退しようとしたらしい。そこで工場を引き継いでくれる会社と交渉していた矢先、事故に巻き込まれたという。
半身不随の体になり、今や車椅子が手放せない体になったために、工場売却の件も足元を見られ安値で買い叩かれたそうだ。
「それでも後遺障害が残ったこともあって、相手の自動車保険による賠償金は結構な額になった。それにこれまで働いて貯めたものや工場を売ったお金で、五年前にこの介護付き老人ホームへの入所ができたんだ。皮肉なことに健康だった頃より経済的な余裕はある。だがなにせ一人身でこんな体だ。使い道も限られる。それにこれまで仕事人間だったせいか、特にこれと言った趣味もないし、人付き合いもゼロに近い。人生、ある程度の金は必要だ。しかしこの年になればたくさん持っていたって、使い道がなければ宝の持ち腐れさ」
と、いつも吹聴していた。
綾女が担当になった当初、そうやってぽつりぽつりと彼の境遇を聞かされた。そのうちに亡くなった祖父と同世代であり、重なる点も多かったことから少しずつ情が移ってしまったのだ。
他の患者に比べて大人しく我儘を言うことも無く、煩わしい親族との争いに関わる必要も無かった。それに彼もまた綾女の事を若い頃の元嫁に似ていると言ってくれたので、接しやすい方だと思い心を許していったのである。
しかしそれがいけなかったのだろう。親密になるにつれ、徐々に彼の態度が変化しだした。親しい関係であることを利用して、綾女に対しセクハラ行為をし始めたのだ。
初めは車椅子からベッドに運ぶ際、または入浴させるために体を持ち上げる体勢を取った時、軽く肩や背中に軽く触れる程度だった。そういうことは良くあるために、何も言わなかったことが彼を調子づかせたのだろう。徐々に彼の手が、お尻や時には綾女の胸に何度も当たるようになった。
偶然にしてはあまりに頻度が高くなっていたため、その頃からようやく何度かに一度はやんわりと注意するようにした。
「やめてくださいよ」
するとその度に彼は、申し訳なさそうな態度を取りながらも言い訳をするのだ。
「ああ、ごめん、ごめん、ちょっと当たっちゃったな。どうしても男の人と違って力の弱い女性に持ち上げられているせいか、無意識にしがみついちゃうんだよね。いや、綾女ちゃんはしっかりとやってくれているから、安心はしているんだよ」
そう言われると自分の介護技術が心許無く、未熟だから不安にさせているのかと反省してしまい、それ以上言えなくなってしまう。それどころか
「ごめんなさい。どうすれば不安にならずに移動できるか教えて下さい」
と謝ってしまい、助言を求めてしまった。そこで彼は
「もう少し、がっしりと抱き上げられるように体が密着すると怖くないのかもしれない」
と、必要以上に綾女の体へしがみつくようになったのだ。するとどうしても手が首や腰に絡みつき、その延長線上にあるお尻や胸に手や腕が当たることは避けられない。
そんなわけで多少の事には目を瞑るようになった。今思えばまだ実際に勤務し三年ほどしか経っていない時期で、介護福祉士の担当としてもまだ慣れていなかったからだろう。
もちろん資格を取得するために必要な三年の従業期間や、五百四十日以上の従事日数程度の経験はあった。しかし実際に入居者の担当を持ち、責任ある立場で従事するのとでは大きく違う。そんな自分に自信を持てていなかったことが災いしたのかもしれない。
彼の行為はエスカレートし始め、腕や足にそして体に触れる頻度と時間も長くなっていった。腰やお尻、胸に当たるというより、撫でるような行動までし始めた。
それまで余り厳しく注意しなかったことも、彼が調子に乗ってしまった原因ではあったと思う。偶然触れてしまったかのような振る舞いに、つい笑顔で応じたこともあったからだ。
後々考えれば彼の境遇に同情する気持ちもあり、また自分の経験不足のせいだと思い込んでいた。その為冷たく突き放すことができなかった自分も悪い。それが相手を助長させたのだろう。
彼の行動はしつこく、そして明かに悪質なセクハラへと発展した。撫でる行為の次にはとうとう揉む行為までし始めたのだ。
両手が塞がった状態でそこまでされると思わず、キャッという声がでてしまう。そして止めてください、と注意する言葉もさすがにきつくなって大きくなった。
そのようなことが度重なると、周辺の患者さんや介護士達も感付く。そしてオサムは彼らからも注意されるようになったのだ。
「おい、いま見ていたぞ。ちょっと酷過ぎるじゃないか。完全なセクハラだ」
「そうよ、そうよ。五十嵐さんも嫌がっているじゃない」
「オサムさん。そういう行為は止めていただけますか。彼女が驚いて咄嗟に手を放してしまえば、あなた自身が怪我をすることにも繋がります。危険ですから止めてください」
しかしそこで綾女が、彼を庇うような発言をしたこともあった。
「いえ、私の補助の仕方が悪くて不安定になったからでしょう。だからオサムさんもしがみつく為、無意識に手を伸ばしてしまったのだと思います」
すると彼は我が意を得たとばかりに開き直るのだ。
「そう、そう。わざとじゃない。いや、彼女は一生懸命やってくれているから悪くない。俺が怖がりだから、ついしがみついてしまうだけだよ。悪気はないんだ」
明かにそうではないと、周囲で見ていた人達は判っていたと思う。だが当事者達が大丈夫だと言っているのなら、とそれ以上責める訳にもいかない。その為行為自体を見過ごすしかなかったのだろう。
そんなことが二度三度と繰り返されたことで、彼の行動もより大胆になっていく。周りの目を気にすることなく、あからさまに胸やお尻を撫でたり揉んだりした。さらにそれ以上の行動をすることもあったのだ。
そこでさすがに我慢できなくなった綾女も、激しく注意せざるをえなくなった。しかしこれまで何度も自分の振る舞いを許されてきた身だ。綾女自身も満更ではないと勘違いした彼は、逆に怒りだした。
「なんだよ! 触られるような介護の仕方をしているから、悪いんじゃないのか。君がいつまで経ってもちゃんとできないからだろ! こっちだって体全体を預けているから、どうしたって不安になる。それを紛らわすためには、そうするしかないだろ!」
勝手な言い分だが、彼は一度怒りだすと止まらない。そこでしょうがなくその場を収めるため、セクハラ自体を曖昧にせざるを得なかったのだ。そして大きく揉めた後はそういった行為がしばらく止むため、その場その場をやり過ごしてきた。
だがそんな対策では根本的な解決にはならない。結局彼を増長させる結果にしかならず、行為自体が度を越すようになった。服やパンツの中に手を入れ始めるようになるまで悪質化したのだ。
そこまでくればもう完全な確信犯だ。その状態を見かねた他の介護士や患者達から話を聞いたらしい事務局長に綾女は呼びだされ、状況の説明を求められた。
すでにその頃の彼の態度は目に余り、周囲の人達が撮影した動画という証拠まであったため庇いようも無い。そこで正直に今までの経緯を説明し、今後の対策を相談することになったのだ。
ただ彼が入所した経緯や環境も把握している施設側としては、すぐに追い出す決断もできかねるようだった。そこで事務局長の指示により、まずは介護担当者のリーダーを通し、本人に直接注意してもらうことになったのだ。
しかしリーダーによる注意と警告に、彼は納得しないどころか行為自体を認めようとせず、反省や謝罪する態度を見せなかった。そのため実際に施設にある防犯カメラや観ていた人がスマホで撮影した動画などで、実際行為に及んでいる姿を見せて抗議もした。
「オサムさん、やっていないなんて通らないですよ。明かにこれはやりすぎです。完全な犯罪行為じゃないですか。本人だって嫌がっています。入居時にもご説明しましたし、契約書にも書かれていますが、これは明らかな違反行為です。施設に入居している限り、最低限のルールは守ってもらわないと困ります」
暗にこれ以上セクハラ行為を続けるのなら、施設としても正規な手続きとして追い出すことも可能であることを告げたのだ。しかしそれでも彼は開き直るばかりで、なかなか首を縦に振らず、全く反省の色を見せなかった。
このままではまた同じ事を繰り返すに違いない。そう判断した介護リーダーと事務局長達が話し合った結果、綾女を担当から外して男性の中堅介護士への担当変更を行うことにしたのだ。
これには少なからずショックを受けた綾女だったが、問題をここまで大きくしてしまったことは自らの責任でもある。よって反対意見を述べることはできず、甘んじて決定を受け入れるしかなかった。
しかしそこでもひと悶着あった。
「なぜ、担当を変える! 俺はあの子の介護以外は受けない! 早く連れて来い!」
「それはできません。今までさんざん注意してきたにもかかわらず、あなたは五十嵐さんに対するセクハラ行為を認めず、止めようとしなかった。施設としても度重なるあなたの行為をこれ以上、見過ごすことはできません」
事務局長は毅然とした態度でそういうと、介護リーダーがさらに付け加えた。
「本来なら、退所処分となってもおかしくない行為です。証拠となる映像もありますから、警察沙汰にされてもおかしくない犯罪行為なのだということを認識してください。ただ施設としても、事を大きくしたくはありません。入居者を追い出すような真似もしたくないのです。ですから今回担当者を変える、ということで妥協したのですよ」
だが事務局長を含めたリーダー達や新担当者からの説明を聞こうともせず、彼は騒ぎ始めたのだ。
「喧しい! 追い出せるものなら追い出してみろ! ここへ入る時に私がいくら払っていると思っている! しかもこんな野郎の担当者になんか、面倒を見て欲しくなんかない! 私の担当は彼女以外、認めん! さっさと連れてこい!」
事務局長やリーダー、そして新担当者に対して乱暴を働きだす始末だった。同じことを何度も三人から説明を繰り返したが、綾女を連れて来いと言うばかりで
そこで本人を一度落ち着かせるため、その場は引いて改めて協議をすることとなった。そして出た結論は、事務局長と新担当者と一緒に綾女も彼の元に訪れ、再度説得することとなったのだ。
オサムが呼べと言っていることもあり、今回は直接被害を受けた本人の口から、セクハラなど目に余る行為が続いたためにこれ以上担当することはできない、とはっきり告げるようにと要請された。
それでも担当替えを受け入れてもらえないのなら、この施設から規則違反として出て行ってもらう、と最終決定も下されたのだ。
正直、綾女はこの時点で彼の目の前に出ることが怖かった。しかしこれが最後だと言い含められ、勇気を振り絞って新担当者達と共に彼の病室へと向かったのだ。
部屋のドアをノックし、綾女が名乗ると彼は上機嫌な声で答えたが、背後から入室してきた二人の顔を見て一気に顔がこわばる。彼は車椅子に座ったまま睨み付けてきた。
怯みながらも先頭に立った綾女は、手に持ったタブレットにより、これまで撮影されたセクハラ行為をしている動画を本人に見せた上で断言した。
「このような行為が続くことに、私は我慢できません。ですからこれ以上オサムさんのお世話をすることもできません。ここにいる彼に担当変更してもらいます。彼なら力は強いですし、私の時におっしゃっていたような恐怖心を持つことも無いでしょう。もう一度言います。これ以上、私はあなたの面倒をみることはできません」
続いて後ろにいた事務局長が一歩前に出て告げた。
「彼女の言い分とこちらの提案を受け入れてもらえないようなら、この施設に入られた時にサインされた契約書の規則に基づき、退所処分とさせていただくことにします」
するとオサムはいきなり逆上し、どこで手に入れて隠し持っていたのか、突然ナイフを手に取り、振り回し始めたのだ。また驚いたことに、立つことができなかったはずの彼がおぼつかない足取りで車椅子から起き上がり、襲いかかってきた。
「キャー!」
綾女が叫ぶ中、刃物から逃がそうとした事務局長が一歩前に出た。しかし完全に無防備だったため、振り回したナイフの餌食となる。二度ほど刺され、真っ赤な血を流しながら倒れた。
さらに取り押さえようとした新担当者をも彼は果物ナイフで薙ぎ払って刺したのだ。余りの恐怖に逃げることもできず、綾女はその場で腰を抜かして動けなくなっていた。すると彼は覆いかぶさるようにして突き刺してきたのだ。
あの時の事が蘇り、もう感じるはずのない痛みを覚えた気がして、思わず胸やお腹を抑えた。父から強く反対されても強い覚悟を持って介護の世界に入ったが、いざ実際の現場に立てば想像以上に様々な問題は起きた。
体力的にも精神的にも仕事の辛さに耐えられなく、くじけそうになったこともある。それでも真剣に辞めようとまで思ったことはなかった。
どの職場でもそうだろうが、辛いことばかりでは無い。楽しく、そしてやりがいを感じられた瞬間もある。綾女も入居者の方々にお礼を言われたり、励まされ勇気づけられたりして、立ち直ったこともあった。
選んだ道が間違っていたとは決して考えたくない。しかしそうであるならば、何故思い出の時と場所がここだったのだろうか。そしてなぜこの場所であの時の事件に至るまでの事を、自分は回想していたのだろうか。
そこで気が付く。このツアーでは後二日、別の服に着替え、その時にあった思い出の時と場所へと行くはずだ。それならば持っているバッグの中には、今着ている中学時代の制服以外にどんな服が入っているのだろう。そう思って中を覗いた。
するとそこには看護学校に入った時の服と、施設に就職が決まった時の服が入っていた。つまり介護の道に進んだこと全てが思い出の時であり、場所であることを意味するのではないか。
そう考えると、綾女は不幸な事件に巻き込まれてしまったものの、やはり自分が選んだ世界は最も大事な居場所だったのだと、強く実感したのだ。
確かに自分が犯罪被害者となったことで、父には心配や悲しい思いをさせ、そして迷惑をかけたことは間違いない。あの事件が起こったことで、他の被害者や施設に勤める皆さんにも多大な影響を与えたことは理解している。
失敗だったのはあの入居者に対して行った自らの、中途半端な同情という名の自己満足に浸った感情だったのだろう。またその後の対応と危機管理に、甘さがあったことは否めない。
しかしあんな馬鹿げた犯罪行為に及んだ彼一人の行動のために、綾女が選択してきた人生そのものを否定したくはなかった。いや正直に言うと、してたまるものかという想いのほうが強い。
それに今日は記念すべき高校合格をした日の姿に戻っている。時代はそのまま現代のようだが、新たなスタートを切った場所に立っていた。あの事件に至るまでの嫌な記憶を呼び覚ましてしまったが、そんな事を考えるためにここへ来たのではないはずだ。
しかも明日、明後日に訪れるだろう時や場所のことを考えれば、いつまでもあの悪夢に捉われている場合ではない。この姿でここへ来た意味が必ずあるはずだ。
そこで再度周囲を見渡し、この辺りを歩いてみようと駐車場の敷地を出た。道路に出て左右を見る。左側は確か商店街があったと思う。母の代わりに買い物へ出かけたことが何度かあった。
しかし綾女は右側に向かうことにした。歩いて十分ほどの所に中学校がある。この実家に引っ越してきてから、何度も通った母校への道だ。そして目的地へと向かいながら考えた。
合格した高校は、商店街を抜けた先の駅から電車に乗って二駅ほど先にある。ここからなら四十分ほどかかる場所だ。先程頭に浮かんだ通り、高校に合格した時と場所であるならば、立っていた場所は学校であっても良かったのではないか。
もしかすると中学の制服を着ている訳が他にあるのではないか。そう思ったためかつての母校へと向かっていたところで気付く。学校へと近づくにつれてすれ違う人達を見ると、同じく制服を着た子やその保護者と思われる人と歩いている姿が多い。中には生徒同士の集団もいた。
その光景には既視感がある。間違いない。入学手続きを終えた後、高校を合格した報告のために、中学の担任だった先生達の元へと向かった帰り道に見た景色ではないか。確か連絡してやってきた母と一緒に手続きを済ませてから、再度合格発表を一緒に見た友人達の一部と待ち合わせをし、先生達の所へ行ったはずだ。
合格したこと自体はすぐに電話で報告を入れていた。しかし直接会ってお礼をしたいと言う意見が出たことと、他の同級生達はどうだったか聞きたいという目的もあって向かったのだ。
担任と相性が悪かった友人や、他人の合否に興味はないという子達もいたため、再集合した時は全員ではなかった気がする。そこで確信した。やはり今日はあの合格発表の日なのだ。そしてもう一度記憶を呼び戻す。先生に会いに行った時、何があったのか。
思い出しながら歩いている間に、学校の校舎が現れた。校門から次々と出てくる生徒や保護者、そしてこれから挨拶に行くのだろう生徒達が中に入っていく。綾女は敷地に足を踏み入れることなく、かつて学んだ教室を見上げた。
あれから十年以上が経っている。校舎の耐震工事をしたのであろう壁には、大きな鉄骨の柱が交差されていたが、それ以外は全く変わっていない。校庭の周りに植えられている桜の木々からは、いくつかの蕾が膨らみ始めていた。もう少しすれば開花し始めるだろう。
綾女達がここを訪れた時、先生達は無事合格したことを喜んでくれ、一部の生徒達の合否の結果などもこっそり教えてくれた。そして一人一人に声をかけてくれた後、自分だけ職員室へと呼ばれたのだ。
「五十嵐さん、ちょっと時間があるかな?」
薄情に思われるだろうが女性の担任教師だったことは覚えているけれど、名前ははっきりしない。サワダだったかサワグチだったか。嫌いではなかったが、それほど親しくなかったと思う。この日も友人に誘われて付き合ったようなものだった。
だからこそ他の友人達を差し置き、個別で呼ばれたことに驚いた。そう、そのためあの日は他の人達が寄り添って帰る中、一人で学校を後にしたのだ。そこで妙に寂しく感じたから、周辺の情景が印象に残っていたのだろう。
しかしその足取りは、決して重いものではなかった。それどころかその後の高校生活や将来について、一つの指針を示す言葉をいただいたことが鮮明に蘇る。
元担任だった女性教師は、職員室の横にある会議室に綾女を招き入れた。そこで向かい合って労われたのだ。
「よくやったわね、五十嵐さん。受験の追い込みで大変だった夏に、あなたのおじい様が不幸な事故に合われ、引っ越しまでして苦労したでしょう」
話によると、祖父が事故後通っていたリハビリ施設の職員の中に、先生と親しい人がいたそうだ。その為介護に付き添っていた母の苦労などを、よく聞いて知っていたらしい。だから気にかけてくれたのだろう。
その時に言われたのだ。
「世の中には恵まれた人もいる反面、厳しい生活環境に置かれている人もたくさんいます。上を見れば切りがないし、より不幸な人達と比較しても切りがありません。失ったものを数えるよりも、今持っているものを最大限に活かすことを考えなさい、という言葉があります。あなたも、あなたのお母様もこれから苦難が続くことでしょう」
正直、あの頃はピンと来ていなかった。当時祖父の介護で骨を折っていたのは我が家の中で母だけだったからだ。それでも神妙な顔をして素直に聞いていると、彼女は話を続けた。
「でもあなたはまだ若い。これから高校生になるあなたには、無限の可能性を秘めた将来が待っています。学校での勉強はもちろん、クラスや部活動などを通じた友人関係でも多くのことを学び、たくさんの喜びや悲しみ、楽しいことも辛いことも経験するでしょう。家族のことでもそうです。笑って過ごせる時もあれば、思い通りにならないことや理不尽な壁に阻まれ、怒りの感情を持つこともあるはずです」
思い返せばこの時の先生の言葉は、介護で苦労している母と、障害を負った祖父がおかれた環境を踏まえてのことだったのだろう。
最後に彼女が告げたことを綾女は思い浮かべる。
「それでもそれら全ての事は、あなたの人生に与えられたものです。その環境の中で学びながらよりよく生きるために、最適な方法を選ばなければなりません。それが生きるということなのだと思います。決して負けないで、懸命に足掻いてください。簡単な事ではないとは思いますが、先程言ったようにあなた達には無限の可能性があります。ただそれを活かすも殺すも、自分次第であることを忘れないでください。そしてこれから始まる高校生活では、その後の人生の為にできるだけ多くのことを学んでください。陰ながら応援しています」
学校を後にした時は、少し興奮した状況でやる気に満ち溢れていた。それでも未熟だった綾女は、学校生活を楽しく過ごすための行動に尽力したけれど、その分母や祖父のことを顧みることは少なかった。
それが後に母の急死と祖父の不可解な死という、悔やんでも悔やみきれない結果を生んだ。先生が言った通り、悲しみや怒りや大きな壁にぶち当たってばかりいた。
けれども綾女は介護という厳しい世界を目指すようになったのだ。あの時の言葉通り、与えられた環境の中で懸命にもがき、できる限りの努力を費やしてきたつもりだった。
それは自分が生きるための道でもあり、人を生かすための一助になろうと決めた生き方だった。結果不幸な事件に見舞われることとなったが、それでもこれまで歩んできた道は誤っていなかったはずだ。
綾女はそっとその場を離れ、来た道を戻る。さあ、今度はどこへ行こう。この格好で行ける場所は限られている。例えば合格した高校だ。それなら今来た道を戻り、駅を目指さなければならない。
ふと空を見上げた。いつの間にか高く上がっていた日が傾き始めている。これから向かっても、合格した受験生のほとんどは手続きを終えていなくなっているかもしれない。
しかしそれでも良かった。今日中であれば、中学の制服姿で高校へ行っても周りからおかしな目で見られることはない。行ける場所には行ってみよう。そのためのツアーなのだと今更ながらに理解した。
だがどこへ行っても、新たに思い出すことはあっても、心の芯にある思いは変わらないだろう。それがこの場所に降り立ち、数時間ほどで感じたことだ。
それでも構わない。できることは全て試してみたかった。先程確認した財布の中には、それなりの金額が入っている。電車賃ぐらいどうってことはない。
明日明後日も思い出の頃、場所へと向かうのだ。おそらく明日が看護学校時代、明後日が介護施設に就職した時代のはずだ。ならば今日一日は、時間が許す限り看護学校に入るまでの思い出の地を回ろう。
またそこで確認するはずだ。歩んできた道でいくつかの寄り道はあったが、自分の生き方は正しく、良かったはずだ。綾女はそう自分に言い聞かせるしかなかった。
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