あの日、あの時、あの場所へ

しまおか

第一章 光一朗

 中竹なかたけ光一朗こういちろうは大きなバスターミナルに立ち、旅行チラシを見ていた。そこには、

『ミステリーツアー! 行き先はヒ・ミ・ツ! 思い出の時に戻りたい皆様にオススメ!「あの日へ帰ろう」ツアー大募集!』と謳われている。

期間は三泊四日。一人参加費として一万円と値段は超格安だが、様々なオプションがあるらしい。その費用は別途必要となるため、現金などは多めに用意してください、と注意書きがされている。

 さらに追加の留意事項が記載されていた。

・出発日と最終日の集合は時間厳守。着いた先での行動は自由

・当日は昔着ていた服、または思い出の服など三日分の着替えを持参すること

 光一朗は中学の時に使っていた古いスポーツバックを担いでいた。この中にそんな着替えなど入っていただろうか、と不安になる。そこで突然大きな声が響き渡った。

「ハイ、みなさ~ん! 時間厳守でお願いしまっせ~!」

 朝八時、広いバスターミナルへと集まったツアー参加者達に対しての呼び掛けだ。その中で最も目立ち、ハイテンションでおかしな関西弁を使うおばちゃんバスガイドが声を張り上げている。

 おばちゃんといっても五十代であろう。参加者は老若男女、様々な年代の人がいたが、彼女の声に引き寄せられぞろぞろと集まってきた。指定されたバスへと乗り込む姿を眺めていると、さながら三途の川を渡る死者達に見えてくる。

 馬鹿げた想像が膨らみ、おばちゃんガイドがあの世への番人のように思えてきた。彼女にいくらかお金を渡さないといけないのだろうか。渡し賃って確か六文銭だったよな。今のお金だといくらになるのだろうか。

確か現金は多めにとの記載があった。もし足りなければ天国には行けず、この世をふらふらとさ迷わなければならないかもしれない。光一郎は思わずポケットへ手を突っ込み、財布を持っていたかを探した。

 しかしふと我に返り、縁起でもないと下らない空想を頭から振り払う。そして自分も列に並んで乗り込む準備をし、くるりと辺りを見渡した。他にも沢山のバスが停車し、大勢の人達が集まっている。

 その中で光一郎達の乗るバスから少し離れた場所に、老人なのか、若者なのか、年齢不詳の怪しげな男を発見した。彼はこちらをじっと眺めている。

 同じツアー客だろうかと見つめていたが、その向こうにいた小学生の低学年くらいの子供達に目を奪われた。どこかへ遠足、または季節的に考えて夏の林間学校にでも出かける集団のようだ。先生らしき大人達の指示に従い、列を作って並んでいた可愛らしい姿が目に留まる。

 自分もほんの十年前はあの子達と同じことをしていたはずだ。そう考えると懐かしくそして微笑ましくなり目を細めた。横にいた高齢者の参加者達も、柔らかな表情で子供達に視線を向けている。旅行を前にして興奮しているのか、ワイワイと騒ぐ数人の声が聞こえてきた。

「ねえ、おやつはちゃんと三百円以内で持って来た?」

「バナナはおやつの中に入らないんだよね?」

「僕、ちょっとだけ三百円を超えちゃった」

「え~! い~けないんだ、いけないんだ! 先生に言ってやろう~」

「シ~! 止めてよ! 少しあげるからさ」

 こちらまで聞こえてくる程だから、当然引率する大人達の耳にも届いている。

「こら! そこ静かに! もう旅行は始まっているのよ! 家を出てから帰るまでが旅行なの。騒いだりして気を抜いていたりすると、怪我をしちゃうから! 静かにしなさい! あとおやつの三百円を超えた分は、先生が帰る時まで預かりますからね!」

「え~!」

そんな会話にぷっと吹き出していると、自分の並んでいた列がどんどん進んでいて、乗り込むバスのドアがもう目の前だった。ガイドと視線が合い、慌てて名乗る。

「あ、えっと、中竹光一朗です」

 自分の番になり妙にドキドキしていると、彼女に

「ハイハイ、コウちゃんね」

と軽い調子であだ名をつけられた。それは自分だけではない。次の人も、

「ハイハイ、トシさんにカヨちゃんね」

と呼び名が決められていた。運転席に座っている男の人が、そんな様子を見てクスクスと笑っている。

 その彼は若くて結構なイケ面だった。ガイドとのあまりのギャップに意表を突かれる。こんな若い男の人が親子ほど年の離れた彼女といること自体とても不憫に感じられ、勝手に彼のことを同情した。

 名前のチェックを終えてタラップを上り、バスの中ほどの席へ座った光一朗は乗ってくる他の人達を眺めていた。多くは高齢の人達だが、若い人達も混じっている。

 全体では男性の数が六割ほどを占めていた。スキーツアーなどとは違い、こういったバスツアーだと大抵は女性というかおばちゃんが多い、と聞いたことがある。その為数少ない男性は、肩身の狭い思いをするものだと思っていたため意外だった。

 それに二人組や家族らしき集団も見かけたが、ほとんどは一人のようだ。そういえば先程見かけた奇妙な男性は、このバスに乗ってこなかった。

 やがて乗客が全員揃ったのだろう。再び大きな声が車内に響き渡った。

「さあ皆さま、お揃いですね! それでは窓側に座っている方々は申し訳ございませんが、カーテンを閉めていただけますか?」

 光一郎を含めた窓側の席に座っていた人達が、一斉にガイドを見る。

「このツアーはミステリーツアーです。行き先は誰も知りません。ですから場所が予想できてしまうと楽しみも半減するでしょうから、私の指示があるまではカーテンを閉めて下さい。どこを走っているか把握できないようにしていただきます」

 彼女は急に丁寧な標準語に口調を変えて説明し、運転席の後ろのカーテンを引いてフロントガラスから覗く、前方の景色さえ見えなくした。

「ハイハイ、お願いしまっせ~! 早くせえへんと出発できしませんよ~!」

 再びおかしな関西弁に戻った彼女は、乗客達を促す。しょうがなく光一郎はカーテンを閉める。他の人達も指示に従う。

 朝から晴れ間が広がり、眩しいほどの夏の日差しがバスの中を明るく照らしていた。しかしカーテンを閉めたことで、車内は一気に暗くなる。外の景色が見えなくなったところで、バスのエンジンがかけられた。ドドドッ、という音とともにガイドの声が甲高く響く。

「ハイ、それでは出発しま~す!」

 バスがゆっくり走り始めると、車内の灯りが点いた。乗客達がざわざわと騒ぎだす。

「それでは皆様改めまして、おはようございます! 私は今回のガイドを務めさせていただくゴンドウスズコ、と申します。皆様はゴンちゃん、と呼んでください。よろしくお願い致します!」

 彼女の挨拶に対して、パチ、パチ、とまばらな拍手が起こる。

「何や、拍手が少ないな~。 みんな、あの頃に戻りたいか~!」

 突然拳を振り上げたガイドの動きに、乗客は皆ポカーンとした顔で彼女を見つめた。

「何やノリが悪いでんな~! ここには昔の思い出の時や場所へ行きたいと思っとる人達が集まったんとちゃいまっか? あんたは? そうやんな? そのためにこの『あの日へ戻ろう』ツアーに参加したんでっしゃろ?」

 微妙に異なるツアー名を口にした彼女は、前に座っていた男性にマイクを向けて強引に頷かせようとしている。その人はその迫力に押されたのか、思わず首を縦に振っていた。 

だがその反応が気に入らなかったらしく、再びマイクを持つ。

「まだノリが悪いけど、まあええわ。では今回このバスを運転しているナカムラトオルくんを紹介しましょう。ナカムラくん!」

 そう言って後ろを振り向き、閉まっているカーテンを見つめた。そこに乗客の目が集中する。彼女はしばらく後ろを向いていたが

「な~んて、出てくる訳ないわな、今運転中なんやから。出てきたら怖いわ」

と一人で笑っていた。見事に水を打ったような静けさが車内に広がる。

「え~、それでは、今回のツアーについていくつかの連絡事項をお伝えします」

 いわゆるスべった状態をスルーした彼女は平然とガイドの仕事に戻り、標準語で説明をしだした。

「募集チラシの注意事項にも書いておりますが、三日目までは皆さん自由です。最終日は午後の二時に、先ほど集合していただいたバスターミナルへ集まってください。時間厳守です。もし遅れるようなことがあれば、その後どんな問題が起こっても責任は持てません」

 突然真面目な話をし出したかと思えば、あまりにも意味不明な発言に車内がはざわめいた。先ほど笑わなかった空気を壊すため、嫌がらせで言ったのではないかと思ったほどだ。

これからどこへ行くか不明なバスの旅に出て、三泊四日の間は自由に行動する。だが最終日には先ほどいた場所へと各自で勝手に集まってこい、という意味なのだろうか。口々に疑問を投げかける乗客の声を無視し、彼女は、

「皆さん、お金の用意はされていますか? 昔着ていたものや若い人が着る服なども用意されていますか? お金やそれらの荷物をしっかり持っていないと、これから大変なことになりますからね。お金が無いとどこにも行けないし、泊まれないし、集合場所に辿り着くことすらできない恐れもあります。着る服が戻りたい時代に着ていただろうものでないと、外を出歩く時に恥ずかしい思いをしますからね」

 そう早口でまくしたてながら通路を歩き、今度は一人一人に何か黒いものを配りだした。手に取ってみると、アイマスクだった。最後列に辿り着き配り終えた彼女は、またバスの前方に戻り説明する。

「ハイハイ、皆さん、今お渡ししたアイマスクをつけてくださいね~! 今から音楽を流しま~す。静かにしてくださいね~!」

 有無を言わさぬ声の響きにつられ、乗客達は素直に従って装着し始めた。バスにいる全員がカーテンを閉めた車内でアイマスクを嵌めている。この異様な光景は、まるでハイジャックにあった人質のようだ。

 まさかあのゴンちゃんの奇妙な明るさとイケメンのバスガイドは、乗客達を欺く為の仮の姿なのか、とまた下らない妄想を抱きながら光一朗も恐る恐る装着した。

 バスの中にクラシックらしき音楽が流れ始める。騒がしかった車内が少しずつ静かになり始めた。落ち着いた心地よい音楽を聴いていると、徐々に眠ってしまいそうになる。

 朝早くの集合だったため、昨日は余り寝ていなかったからだろうか。ただその記憶も定かでは無い。外からはゴーッと大きな音が聞こえる。おそらくバスがトンネルにでも入ったのだろう。

 その時アイマスクの中で瞑った瞼の奥がチカチカと瞬き、意識が遠くなる感覚に陥った。頭がくらくらとする。

耳から聞こえていたオーケストラの奏でる音が少しずつ遠くなっていく。光一朗はそのまま深い眠りに落ちていった。


 目を覚ました光一朗が立っていたのは、学校だった。

しかも中学、高校の六年間を過ごした母校だ。しかし目の前には小学生らしき集団と、その親とみられる大人達が大きな白い紙の前に立って騒ぎ、一喜一憂している光景が広がっていた。

 そこから少し離れた場所にいる自分の姿が、一階の教室の窓に映っている。それを見て驚いた。バスに乗った時には、確か半袖のポロシャツを着ていたはずだ。しかし今は長袖のシャツに薄手のジャンパーを羽織っている。さらに自分の体も小さくなっていた。

 だがその格好には既視感がある。そして思い出した。三月のまだ冬の寒さがわずかに残る中、やがて母校となる私立大乃川おおのかわ中学の合格発表を見に行った時の服装だ。

 あの日朝を出る時はまだ寒いが、日中は暖かくなるという天気予報をテレビで見た。そこで何を着て行けばいいか、母と一緒に悩みながら服を選んだ記憶が蘇る。

 そうか。バッグの中にはあの時の服が入っていたのだろう。だからこの場所へ来たのか、と合点が行く。目の前の状況はまさしく掲示板の前で、自分の名があるかどうかを確認していた時だ。しかしあの中に母や自分の姿は無い。

 このバス旅行は単純に過去へと戻るのではなく、思い出深い場所に昔の姿で戻るツアーのようだ。よって今は現在の時代らしい。つまりここは光一郎が数カ月前に卒業したばかりの母校だ。入学時には無く、在校中に建て直された新校舎の存在がなによりの証拠だった。

 ただし季節が違うため、若干は現実の時間より過去に戻っているらしい。バスに乗った八月の時点から三月まで遡っているようだ。周囲の人達が着ている服装のデザインからして、あの頃とは少し違う。しかも圧倒的に集まっている人の姿が少ない。

 光一朗が受験した頃の合格発表は、学校に立てられた掲示板へ張り出された紙に受験番号と名前が記載されていた。基本的にはそれを見ることでしか合否を知ることができなかったはずだ。 

 しかし遠方から受験に来た人や当日見に来られない人の為に、事前申し込みしてお金を支払っておけば、電報で知らせてくれるサービスがあったように思う。それでも合格した場合、発表した当日から入学手続きの書類などを受け取ることができた。その為多くの人は掲示板の元へと集まって来ていたと思う。

 だが近年はインターネットの普及で、合格発表の様子が変わった。当日の同時刻に学校のホームページへとアクセスし、受験番号と名前を入力すれば合否が判るようになったと聞いている。

 それにより昔とは違い、遠方に住む受験生でなくてもネットで確認する人が多くなったようだ。合格していたらその日の内に学校へと向かって手続きをするのだろう。そのせいか、掲示板の前にいる人数は自分達の頃とは明らかにまばらだ。一部の生徒や親、または塾や予備校の講師などしか来ていない。

 時代は確かに違う。ただここは間違いなく思い出深い場所だ。県内では最も有名大学への進学率が高い中高一貫校の私立大乃川中学、高等学校で過ごした六年間は、まさしく青春そのものだった。そのスタートを切った瞬間がこの日であり、この場所からである。

 教育熱心だった母の勧めにより通い始めた塾で、成績が上位クラスの光一朗がこの学校を受験することは、自然な流れだった。

 地元の公立中学は、家から自転車に乗っても十分かからない距離にある。しかし大乃川は歩いて十分ほどの最寄り駅から電車で三十分、降りた駅から自転車で約五分の場所にあったため、学校まで約一時間弱はかかった。

 それでも光一朗の育った県で学校の成績が良い小学生なら、必ずと言っていいほど目指す学校が大乃川だ。周りにいた塾の生徒の内、半数以上は受験する予定だと聞いていた。それゆえ受験勉強も四年生の頃から意識していたと思う。

 ただ光一朗の家庭の事情が変わったことで、私立の学校に行かせるのは難しいという話が出たこともある。小学五年の時に父が病気で亡くなったからだ。その結果、母の実家で祖父母と母との四人の生活が始まった。

 しかし母が以前からパート勤めしていた会社で、正社員として働けるようになった。そして父が残した遺産もあるため、なんとかなると判断したらしい。今考えてみれば無理をしていたのだろう。それでも光一郎に受験させるというのが母の下した決断だった。

 お金の事は心配しなくていいという祖父母や母の言葉に甘え、家計の深刻さなど理解しないまま、無邪気に塾の友人達と競って受験勉強に励んだ。その結果無事合格できた。

 あの時、当人よりも母が涙を流してとても喜んでいたことを覚えている。ただ小学校を卒業したばかりの光一朗には、母の心の中にあったあの頃の想いや気持など、分かるはずも無かった。だが今の自分なら良く理解できる。

 そう考えると、母を喜ばせて大乃川に六年間通った人生は、結果的に良かったのだろうかという疑問が頭をよぎった。それなりの成績を残し卒業はしたけれど、期待だけさせておいて結局希望していた大学へは合格できず、浪人してしまったからだ。

 だからといって、この学校でとても充実した六年間を過ごしたことに間違いはなかった。そこで知り合った五人の親友達との学生生活は、何物にも代え難い。そんな暮らしを維持するため、母は懸命に働いてくれていた。贅沢はできなかったけれど、片親であるにも拘らずそれほど不自由なく生活出来たことには、とても感謝している。

 だからこそ最後の最後で期待を裏切ったことには悔いが残った。ただそうなった理由や原因は自分も母も理解しているし、やむを得ないことだったと今は納得している。

そう考えると、大乃川に合格して六年間を過ごしたことは正しかったのだろう。過ちだったのは肝心な時に体調を崩し、受験勉強に身が入らなくなっていたにもかかわらず、しばらく黙っていたことだったのかもしれない。 

 光一郎は掲示板の前の集団からさらに離れ、門をくぐり校外の道に出た。ゆっくりと学校を取り囲む壁に沿って歩きながら、いくつかの大学に絞って受験すると決断した時の事を思い浮かべる。本来こんなことを回想するため、この学校に合格した頃へと戻ったのでは無いのかもしれない。 

 確か合格発表の手続きの時に、後の親友の一人となる東田ひがしだとその父親とも会ったはずだ。その後は入学式にたまたま後ろの席にいた川木かわきの母親と光一朗の母が意気投合したため、それをきっかけに彼とも話すようになった。

 長崎ながさきとは一年で三クラスある中で同じクラスになり、中竹の“な”行で出席番号が前後したことから会話し始めたのが最初だ。そして佐藤さとうは東田と、吉瀬きちせは川木と同じクラスで仲良くなったことから、その六人がなんとなくつるむようになった。

 小学生の頃の同じ塾出身で、一緒に合格した友人達とは話もしたが、学校では何故かそれほど親しくならなかった。色々な組み合わせで人数が増えたり減ったり、別れたりくっついたりしながら、最終的に卒業までずっと一緒にいたのは東田他五名の奴らだ。彼らこそがかけがえのない青春時代を過ごした、親友と呼べる仲間だった。

 おそらく彼らと会うきっかけとなったのもこの場所だから、取り戻せない若かったあの頃を追憶し、懐かしむべきなのだろう。そんなことをぼんやりと考えている間、学校を一周していたらしい。再び先ほど出てきた校門の前までやってきた時、突然声をかけられた。

「おい、君? この学校を受験した生徒かい?」

 驚いたことに、目の前にいたのはこの三月までクラス担任をしていた門倉かどくらだった。中高の六年間で最初に光一郎の担任になったのもこの教師だ。

 そこから毎年クラス替えをし、三人の教師達が最後まで持ち上がったため、彼とは中三と高一の時にも世話になった。六年の内の四年間は光一朗の担任だったことになる。

 しかしあまり好きな教師では無かった。というかどちらかといえば嫌いであり、同じく担任だった佐々川ささかわの方が光一朗との相性は良かったと思う。もう一人いた脇坂わきさかは門倉寄りだった。

 急なことで言葉を失っていたところ、彼はさらに質問を続けた。

「君、名前はなんて言うのかな?」

 どう答えたら良いか迷い黙っていると、畳みかけるように

「もしかして中竹、っていうんじゃないか? 光一朗って言う人を知っているか?」

と問われ、思わず心臓が飛び出しそうになったが、慌てて首を横に振った。

 卒業以来会っていなかったが、彼は中学一年の、まさしく今の幼い姿の頃から高校三年になるまでの間をずっと見てきた人物の一人だ。

 六年以上前の光一郎の姿を見て、あの頃の自分に似ていると思ったのだろう。しかしそれを否定された彼は、首を傾げて独り言のように呟きながら校舎内へと戻って行った。

「そうか。とても似ていたから中竹の親戚かと思ったんだが、違ったか」

 その背中を見ながら、彼との苦い記憶が蘇る。三回目の担任となった高一の時だ。

その頃光一朗達は東田達と六人でいつもつるんでいた。進学コースである六年制の中では少しやんちゃな部類だったためか、教師達に目をつけられることが多かった。

 と言っても法に触れるようなことをやっていた訳では無い。ただ学校指定外の学生服や靴、カバンなどを身につけていたという程度だ。しかしそれがやや不良ぶっているように見えたのだろう。その格好や言動に憧れる後輩達がいたのも事実だ。

そしてあの事件が起こった。

 一つ下の中三には東田と同じ地区に住む猪口いぐちとその友人の三河みかわを中心とした、同じくやんちゃな集団がいた。猪口は先輩である東田を慕っていたことから、時々光一朗達の集まる場所に顔を出すようになった。

 後輩に頼られること自体は悪い気がしなかったため時々構っていたが、正直光一朗は面倒に感じていた。同じ学年でも他の友人達と言葉を交わしながらも、自然と集まったこの六人でいることが心地よかったからだ。

 そんなところへ、突然下級生が割って入ってきたことに対し違和感があった。そのため適度な距離を取りながら付き合っていたある日のことだ。猪口が調子に乗って光一朗達より先輩である高三の人達に喧嘩を売って殴られた、という一件が起こった。

 名前を聞くと光一朗の知らない先輩だ。しかし東田には中学時代に所属していた野球部の親しい先輩達がその学年にいるという。そこでこれ以上揉めることがあれば間に入ってやるからと話して、彼を慰めていた。

 すると突然、東田と光一朗の二人はそれぞれの担任である脇坂と門倉から呼び出しを受けたのだ。そして職員室へ行くと別々の部屋へ連れて行かれ、光一朗は門倉と佐々川の二人に囲まれて問い詰められた。

「中竹、お前が下級生の子を殴ったという話を聞いたが、本当か?」

 不可解な質問に疑問を持ちながら、そんなことはしていないと答えると、

「嘘をつくな! 実際被害にあった生徒がお前と東田に殴られたと言っているんだぞ!」

 全く身に覚えが無いため、その殴られたと言う子は誰かと尋ねたが、それは教えてくれなかった。その子の身を守るためだとか何とか理屈を捏ね、正直に話せの一点張りに光一朗も頭にきた。

「やってないものはやってない。殴った証拠でもあるんだったら出してください!」

 そう言い張り、親でも何でも呼べばいいと突っぱねた。すると門倉達は取りあえず今日の所は、と解放してくれたのだ。

 そして教室へと戻り、心配して残ってくれていた川木達に事情を説明する。聞いていた彼らも訳がわからんとぼやいていたところへ、東田も帰ってきた。

 彼の話を聞いてみると自分と全く同じだった。担任の脇坂と、彼がかつて世話になった野球部の顧問の二人に囲まれ、後輩を殴っただろうと疑われたらしい。もちろん彼もやっていないと答えたが、なかなか信じてもらえなかったそうだ。

「とりあえず今日の所は、と帰してもらったけどなんだろうな?」

 皆で不審がりながらその日は帰ったが、しばらくして二人はまた呼び出しを受けた。そこでも前回と同じ質問が繰り返され、その度に同じ答えを返す。そんなことを何日か繰り返すうちに、教師側からの質問がだんだんと具体的になってきた。

「○月○日の放課後、駅の近くでお前らが集まり、ある中三の男子生徒を殴っただろ?」

 何と東田とだけでなく、川木や佐藤達もその場にいたと言いだした。その為今は彼らも個別に呼び出しを受け、事情を聞いているという。

 だがそんな事実は無い。それに教師達が口にしたのは東田や佐藤の使っている駅だが、光一朗や川木、長崎が通学で使用している路線とは別だ。吉瀬に至っては自転車で学校に通っているため、電車通学すらしていない。

 しかも○月○日に、と言われても毎日日記をつけている訳でもないから何をしていたかなど覚えていない。だが最近、東田達または光一朗達が使っている駅にすら六人が揃って集まったことなど無かった。その事を説明すると

「お前らがつるんでいるのを見たという奴がいるんだけどな」

と、これまた信じてもらえない。しかし呼ばれた佐藤や川木達も、見ていないものを見たと言えるはずもなかった。身に覚えのないことへの質問には同じ答えしか返せない。

 ようやく全員が解放され、何の事だかと放課後の教室で話し合っていた所に、猪口と三河達がやってきた。そこでどうしたのかと聞かれたので、これまでの事を説明する。

「それは酷いですね。でも誰でしょう? 殴られたのは中三だっていうのなら、僕らの学年の奴らですよね」

 三河がそういうので光一朗は尋ねた。

「そういえば、この間猪口が高三の先輩に殴られたよな。他に上の学年の人から暴力されたとか言っている奴はいないのか」

 彼と猪口が顔を合し、二人して首を横に振る。

「いえ、聞いたことないですね」

「そうか。だったら何なんだ、これは?」

「殴ってないけど、お前らも見ていただろ、だから同罪だとか言われても知らないって」

 川木達が口々に怒りだす。そこで佐藤が猪口に指示した。

「お前達の学年で誰が俺達に因縁をつけられて、殴られたと言っているか調べてこい」

 彼は東田と同じ電車に乗って通学していることもあり、猪口達と一緒に帰る機会が多い。

「はい、当然です。誰がそんな馬鹿げたことを言っているのか、一人一人締め上げて白状させますよ」

 疑いが自分に向けられたからか、憤りを見せていた。そこで教室を出て解散し、それぞれ帰宅の途に着いたのだが、翌日の呼び出しで大方のことが判明した。今度は東田と二人一緒に、同室で担任三人に囲まれて尋問を受けた時の事だ。

「殴られたと言っているのは、最近お前らと良く一緒にいる猪口だ。お前ら二人があいつを殴ったんだろ!」

 門倉がそう言うと、脇坂が付け加えた。

「猪口本人から何度も話を聞いているんだ。そろそろ正直に話せ!」

 これにはまさしく空いた口が塞がらなかった。何を言っているんだ、この人達は。

「俺達はやっていません。確かに猪口が他の先輩に殴られた話を聞いたことはありますが、俺達じゃないですよ」

 東田がそう説明すると、それは誰だと尋ねてきた。しかし彼も猪口の承諾を得ずに話すのはまずいと思ったのだろう。それに先輩を売ることにもなると考えたようだ。

「詳しくは知らないのでそれは本人に聞いてください」

と、口を濁した。光一郎にも同じ質問をされたが、同様に答えた。

「いや、殴ったのはお前達じゃないのか?」

 ここからは、違う、正直に言え、と今まで繰り返してきた応酬がまた続く。だがこれまでと違って猪口という具体的な被害者の名が出たため、誤解を生じた理由に合点がいった。 

 今まではどういう話から、このような誤認が生まれたのかが不思議でしょうがなかった。どこで恨まれたのかは知らないが、光一郎達を嵌めようと嘘をついている奴がいるとばかり考えていたのだ。

 しかしこれまでぼんやりしていた中でのやり取りが、ようやく霧が晴れたようにスッキリとした。といってこちらの主張が変わることは無い。同じやり取りが続くことに業を煮やしたのか、脇坂はこんなことまで言い出した。

「お前ら二人、ここへ来る前に口裏を合わせる練習でもしたのか」

「そんなこと、していません」

 東田が反論すると、後ろに立っていた門倉が彼のポケットからチラリと見えたウォレットチェーンに目を付けた。

「その腰につけている鎖は、中竹と同じものに見えるが。もしかしてお前らが互いを庇い合うための絆のつもりか?」

 完全な言いがかりだった。確かに中学の修学旅行で見つけて買った同じ種類の物だが、他に川木も持っている。それに東田は気に入っているのか毎日つけているが、光一郎達は気が向いた時しか持ってきていない。今日はたまたま久しぶりにつけてきただけだ。

 話は平行線を辿り、再びその日も暗くなった頃に解放された。すると今までと同じく教室で心配して待っていてくれていた川木や佐藤達と共に、猪口と三河の姿があった。

 どうだったと佐藤に聞かれたため、猪口が俺達に殴られたことになっている、と説明する。それを聞いた皆は怒った。

「なんだ、それ? おい、猪口、お前まさかそんなことを言ったりしてないだろうな?」

 佐藤に問い詰められた彼は、首を横に振って強く否定した。

「なんですか、それ。多分誰かが教師達におかしなことを言っているんですよ」

「誰だよ! だったら誰が言っているか調べろ!」

 そう怒鳴られて猪口は項垂れていた。しかしそれ以上に落ち込んでいたのは東田だった。自分はともかく、彼は東田を慕っていつも後ろについて来た後輩だ。

 そんなあいつを殴ったと誤解され、何度も同じ質問を受け続けてきたことになる。まるで警察が小説やドラマでやるような、矛盾点が無いかを確かめるための事情聴取を何度も繰り返されたのだ。

 そこで受けた心理的な傷は大きかったようで、とぼとぼと帰る彼を佐藤が懸命に励ましていた。その後ろを猪口達が付いて行く。彼らとは反対方向の駅に向かうため、光一朗は川木や長崎と一緒に帰った。

 真実が全て明らかになったのは、その日の夜の事だ。夕食を食べ終わった後、東田から電話があった。珍しいこともあるものだと思い尋ねる。

「どうした? 何かあったのか?」

 すると彼は鼻声で教えてくれた。

「猪口が嘘をついていたと白状したよ」

 話は聞いてしまえば単純なものだ。以前、猪口が高三の先輩にちょっかいを出して殴られ、目の周りを少し腫らしていた。それを担任の教師に見咎められ、誰に殴られたと詰問されたらしい。そこで先輩達の名を出すとまずいと思った彼は、咄嗟に東田の名を出したという。

 その事を中三の担任が脇坂達に相談したらしい。そこで普段から光一朗達のグループとよく一緒にいることを知っていた教師達は、その嘘を信じたという。そして光一朗達を完全に犯人扱いしたのだ。

 一度言いだした嘘を訂正できないまま、懸命に作り話を言い続けていた猪口も良心が痛んだのだろう。今日の帰りの電車で元気のない東田を見かねたらしい。さらには佐藤にどういうことだと再度強く問い質されたため、ようやく頭を下げて謝り真実を語ったそうだ。

「なんだ、それ?」

 馬鹿馬鹿しくて、怒りを通り越し呆れてしまった。しかし電話の向こうの彼は違う。ずっと信用してきた後輩に騙されたショックもあったのか、泣いていたのだ。

 おそらくこれまで教師達から受けた屈辱に対する怒り、そして光一朗他全員に迷惑をかけて申し訳ないという想いと情けなさなど、様々な感情が入り混じっていたに違いない。

「もう、人間不信に陥りそうだよ」

 涙声で弱弱しく呟いた彼が余りにも打ちひしがれていたため、光一郎は却って冷静でいられた。こんなつまらないことでこれ以上悩むことは無駄だと思い、彼に告げた。

「ああいう馬鹿な奴と、それを信じる馬鹿な大人達が一部にはいるってことだよ。でも、今回の件で信じてくれた奴らや先生もいただろ。いい勉強になったと思えばいいさ。誰が信用出来て、信用できないかがはっきりしたんだから」

 今回の件で猪口の同級生である三河は、全く知らなかったらしい。よって彼はずっと自分達の事を信じていた。

 だから誰が教師達におかしなことを言いつけているのかを、真剣に探ってくれていたという。ただその犯人が余りにも身近にいたため気付かず、彼もすっかり騙されていたようだ。

 他にも東田に対する事情聴取の際、同席していたかつての野球部の顧問は、比較的彼の事を信じていたという。担任の脇坂がしつこくやっただろうと頭ごなしの発言をしていた時にはたしなめていたと聞いている。

 光一朗の時もそうだ。担任の門倉は嘘をついていると決めつけてかかっていたが、同席していた佐々川は何度も首を捻っていた。

「嘘をついているようには見えませんが、どうしてこう話が食い違うのでしょうか」

と、門倉に疑問を投げかけていたこともあったのだ。教師同士でも意見が食い違っていたのかもしれない。だが強硬派の門倉や脇坂がいたせいで、担任でない他の教師は真相を解明するため、不本意ながら同席していたに過ぎなかったのだろう。

 それは東田との電話を切り翌日学校へ登校した際、呼び出しを受けた時に肌で感じた。再び六人全員が職員室に集められ、真相を知った教師達から説明を受けたのだ。

 しかしそれは謝罪しているとは決して思えない扱いだった。経緯を告げられた後、彼らの一人が放った言葉はいまだに忘れられない。

「両方を信じる訳にはいかなかったからな。お前らの日頃の態度が悪いんだぞ。疑われるようなことをしているから、こういうことになるんだ」

 ここぞとばかり、これまでに校則違反して叱られた事案を挙げられたのだ。佐々川や野球部の顧問の先生は疑って悪かったと言ってくれた。

 だが門倉や脇坂を含め、中三の担任をしていたその他の教師達は、自らの非を認めたくなかったらしい。ごちゃごちゃと言い訳をしていた。

 途中から喋る内容が支離滅裂になってきたので、腸が煮えくり返ってきたところに佐藤が告げた。

「要は俺達がやってなかったってことでしょ? もういいですか?」

 彼らも罰が悪くなったのか、ようやく帰っていいと言った。そこで職員室を後にしたのだが、部屋を最後に出た佐藤は横に閉開するドアを思いっきり閉めたのだ。嵌めこまれている覗きガラスが割れるかもしれないと思ったほど強く、バンッと大きな音が鳴り響いたことを覚えている。

 普段なら教師達に叱られてもおかしくない行為だ。しかし誰も追いかけては来なかった。彼らも自分達に非があると認識していたからだろう。それだけで多少は気が晴れたものだ。

 その後、猪口は二度と自分達の前に顔を出すなと佐藤からすごまれたためか、卒業まで彼を見かけた記憶は無い。三河は相変わらずちょこちょこと顔を出していたが、話によるとその後大きな顔ができなくなった猪口は、学年でも大人しくしているとのことだった。

 また暴力を振るった真犯人である高三の先輩方は学校謹慎を言い渡されたという。窓ガラスやトイレなど、校舎のいたる場所を掃除している姿を見かけたことがあった。

 思いがけなく門倉に声をかけられ、この学校で起こった嫌な出来事の一つを追想してしまったが、そんなことばかりではない。楽しい出来事もあったのだ。どちらかというと、良い思い出の方が多かったくらいではないだろうか。

 あの事件だって文字通り反面教師と考えれば、信じられる人間とそうでない人間が世の中にはいることを教えてくれた。また自分達の日頃の行いにより、足元をすくわれることがあると身をもって体験した。学校と言う場でまさしく多くの事を学んだのだ。

 良いことが起これば成功体験として身に付き、悪いことが起こればその後に同じ轍を踏まないようにすればいい。それに嫌なことがあった時ほど、大事なものが見えてくることも知った。

 あの事件で六人の絆が崩れることは無かった。誰もが犯人と名指しされた光一朗達の事を信じてくれたのだ。この学校で得たものの一番の収穫は、彼らとの出会いだろう。 

 そして経済的には決して余裕があった訳でもないのに、大乃川へ通わせてくれた母や祖父母には大変感謝している。それだけに、悔やまれるとすれば彼らの期待に添えなかったことだけだ。そして母の事や受験の事を考えない訳にはいかなかった。

 光一朗が体の調子がおかしいと思いだしたのは、高三の秋頃だ。受験の本番まであとわずかで追い込みの時期だった。

 複数の予備校が行っていた模擬試験の結果が出揃い、そろそろ本当に出願すべき大学、第一目標とする大学を変更すべきか否かを決める大事な時でもあった。

 成績が良かった生徒の中で、学校推薦により大学を受ける同級生も一部いた。しかし光一朗達六人は東京の大学を第一希望としていて、全員が一般受験する体制に入っていた時だ。

六人の内三人ずつが、文系と理系に別れた。光一朗は早稲田の商学部で佐藤は理学部、東田は慶応の商学部で川木が工学部、長崎は青学の経済、吉瀬は東工大の工学部を目指していた。

 全員合格して、東京で集まろう! そして合コンをやろう! というのが合言葉であり、約束事だった。東田と川木には当時付き合っていた彼女がいたけれど、当人達曰くそれとこれとは別だと言い張っていたことを思い出す。

 中高一貫校で進学校でもある大乃川では、高二から文系と理系で授業が別れる。さらに成績別でA,Bとクラス分けされていた。幸い六人とも文系理系のAクラスにいたため顔を合わす機会は多かった。

 それに給食の無い学校だったため、授業が別でも昼休みには集まり、持参した弁当や購買部で買ったパンなどを一緒に食べたりしたものだ。放課後も集まってくだらない話をしたり、また受験の件で真面目な話をしたりして、時には学内にある自習室に行って勉強したりもした。

 だが本番が近付くにつれ、徐々にそれぞれの勉強のペースが異なってきたせいもあるだろう。集まったり会話を交わしたりする時間も少なくなっていく。

 大乃川では高二で普通校が学ぶ高三までの内容を終え、最後の一年は受験専門の授業を行っていた。それでも各々の目標とする大学の受験科目や勉強の進み具合により、学校で教えることとのずれが生じる。

 したがって学校を休んで自宅、または近くの図書館で自主的に勉強する生徒達も増えてきたのだ。特に光一朗や東田など、学校に通うだけで一時間近くかかる生徒は、その時間のロスも大きいと感じて休むことが多かった。

 学校側もそのような生徒の行動を黙認していたことから、高三の夏休みを終えて二学期に入ると、六人全員が揃って集まること自体が少なくなっていたのだ。

 そんな中、光一朗は秋口から背中に鈍痛を感じて勉強に集中できなくなり始めた。最初は肩こりがひどく、長い間机に向かっているため背中まで筋肉が硬直したからだろうと高をくくり、シップを貼ってしのいでいたのだ。

 また冬の本番に向けて夏に健康診断を受けている。念のためにと検査入院した後は、健康維持の為にいくつかの薬を貰った。そして体に異変が起こったら、すぐに知らせるよう言われてはいたのだ。 

 けれども具体的な病名を告げられていなかったため、これぐらいたいしたことはないと勝手に判断してしまったのがいけなかった。

 痛みはなかなか治まらない。症状がどんどんと酷くなり、時には夜中二時頃まで勉強していたこともあったので、一人激痛に悶えていたこともあった。

 年が明ければ大学のセンター試験もあり、二月には多くの私立大学で本番の試験が始まる。第一希望は早稲田の商学部だが、他にも日程の事なる政経学部や文学部、慶応の経済と商学部、青学の国際経済学部と商学部、国公立では横浜国立大学の商学部を受験しようと思っていた。

 しかし背中の違和感がなかなか取れず、だんだん右脇腹にまで痛みが広がっていた。ここまでになると時間の余裕も無い時だったが、さすがに病院で診て貰った方が良いと考え、ようやく母に相談したのだ。

 それまで母には体は大丈夫? 遅くまで起きているし顔色もあまりよくないけど、と声を掛けられてはいた。その度に心配をかけないようにと強がって大丈夫と答えていたが、その我慢にも限界が来ていたのだ。

 その為やむなく実は、と朝食時に説明したところこっぴどく叱られたのだ。

「なぜもっと早く言わないの! だから何度も大丈夫なのって聞いたでしょ! 勉強も大切だけど、受験には体の調子を整えることも大事なことなのよ! すぐに病院へ行って診て貰いましょう。お母さんも会社を休んで一緒について行くから」

「そこまでしなくていいよ。自分一人で行けるから」

「何を言っているの! 今は大事な時だし、未成年のあなたを一人で行かせる訳にはいかないの。ただの風邪とは違うのよ!」

 そう強く主張した母はすぐに会社へ連絡して休むとことを伝え、病院の予約もして急いで一緒に出かけたのだ。そしてそれまでの症状を医師に訴えたところ、様々な検査をすることになった。

 結果は肝臓周辺に炎症が見られるため、即刻入院して精密検査する必要があるとの診断がでた。これには思わず絶句し、母の顔は真っ青になっていた。背中の症状は肝臓の炎症から来るものだったらしい。

ここまで痛みが続いて範囲が広がっているようであれば肝炎の可能性が高いが、それ以外の可能性もあるという。こうなると受験がどうのと言っていられない。まずはその日の内に入院手続きを行った。

 三人部屋の病室へと案内された光一朗も、疲労がピークに達していたのだろう。一旦自宅へ着替えなどを取りに行った母が病院へと戻った時には、出された薬を飲んで横になり熟睡してしまっていた。

 入院している間に様々な検査を受け、痛み止めの薬を処方されていたため、眠くなったりもした。ただ痛みが和らげば頭は働くし元気だ。そこで渋る母をなんとか説得し、医師の承諾を得た上で受験勉強の為に使っている参考書などを、病室に用意して貰った。

 もちろん安静が必要なため、長時間の勉強は禁止されている。病院の消灯時間も早かったため、遅くまで起きていることはできない。

 ただ早く寝る分、早く起きて早朝から頭の働くうちに少し勉強した後、疲れたら再び休むことはできた。その繰り返しで一週間の入院生活を終えたのだ。

 検査の結果、母親同席の元で医師から告げられたのはやはり肝炎だという。本来ならもう少し長く入院して治療の必要があると進言された。

 だが手術するのかと聞いたところ、それは今のところ必要無いという。その為、治療に専念するのではなく、なんとか自宅へと戻って受験勉強を続けたいと申し出た。

 そこで母と医師は悩んだ末に、毎日処方された薬を飲み、一日最低七時間以上の睡眠を取って無理をせず、定期的に通院をする条件でなら帰宅してもいい、との承諾を得たのだ。

 ただしまた痛みが酷くなるようだったら、すぐにまた入院して貰うことになるがそれは覚悟しておいて欲しいと言われた。大学受験も大事だろうが、今回が駄目でも来年がある。だが体は一つしかないのだからもっと大切にしなければいけないと、諭されたのだ。

 確かに体が資本であることは納得できる。それに痛みがひどければ受験勉強自体も集中してできない。それでも仲間と共に東京の大学へ行くのだという目標を、あの時点では諦めきれなかったのだ。

 そこで自分の体力も考え、苦渋の決断だったが受験する大学も本命である早稲田の商学部と受験日の近い慶応の経済、青学の商学部の三校に絞った。国公立を諦めたため、センター試験の受験も止めたのだ。

 そして試験が全て終わったら、再び入院して本格的な治療に入る事を約束させられた。医師や母が言うには、体が万全である態勢で大学生活を送る為にはそれが必要だと説得されたためである。

 学校側には母が連絡をし、これから全て欠席しても年間の出席日数が足りていて卒業に支障ないことを確認して貰った。

 ただでさえ弱っている中で、通学に気力や体力を費やすことは避けたい。また人が大勢集まる場所に出ることで、余計な菌が体内に入る可能性もある。そのため辛い時にはすぐ休める自宅で、勉強と療養を兼ねることにしたのだ。

 体調が悪いことは学校の一部の教師を除いて黙って貰い、東田達にも知らせなかった。時々メールでどうしているかという連絡はきたが、お互い受験で忙しい時期だ。猛勉強中! という一言で話は終わらせられたことは幸いだった。

 彼らに余計な心配をかけたくなかったし、同情されることを嫌ったからだ。それに万全な態勢でないまま受験をして浪人した時の事を考えると、今の状況を言い訳にしたくなかった。

 受験校を絞り、以前より少ない時間しか勉強できないため、一層集中できたことはむしろ良かったのではないかと思う。だらだらと勉強しているより、この時間だけという限られた中で緊張感を持って勉強に打ち込めたことは、貴重な経験だった。

 通院時には痛み止めの注射を打ち、処方される薬を飲んでどうにか年を越した。いよいよ本番が始まると、母は無理をして一週間の有給休暇を取ってくれた。そして二人で東京のビジネスホテルに宿泊しながら、その間になんとか目標だった三校の受験をこなすことができたのだ。

 その後は約束通り、帰宅して即刻入院することになった。

 試験の合否は全てネット検索により、病室にいながらでも知ることができる。手ごたえは五分五分という自己判定だった。しかし力を出しきれなかったのだろう。残念ながら全て不合格と言う結果に終わった。

 最初の二校は第一志望校の本番前に、大学入試の雰囲気と場に慣れるための肩慣らし受験だった。合格すればもうけものという気でいたこともあって、落ちたことにはそれほどショックを受けなかった。

 しかし最後に受けた、本命である早稲田の商学部に落ちたと判った時には、相当落ち込んだ。これで目標を達成できなかっただけでなく、浪人が決定したからでもあった。

 ただ浪人したのは自分一人では無かった。慶応の工学部を目指していた川木と青学の経済を第一希望にしていた長崎も、いくつか受けた大学が全滅だったため浪人したという。

 この春に大学生となるのは、第一希望だった早稲田の理学部に合格した佐藤と東工大に無事受かった吉瀬、そして第一志望の慶応商学部は駄目だった東田だ。彼は他に受けたいくつかの大学は合格したため、その中から上智大学の経済に進むことを決めたらしい。

 その三人は早速入学手続きや東京での住居を探しているという。浪人が決まった二人もそれぞれ大手予備校の寮に入り、来年再挑戦するという連絡をメールで受けた。それに対し、光一朗は自宅浪人するというメッセージを送ったのだ。

 それぞれが新たな生活を送るための準備に忙しいため、落ち着いたら会おうという話になった。おかげでしばらく連絡が途絶えていたことが幸いする。

 なぜならその頃の光一朗は、肝臓の炎症が悪化して起きることもままならず、病院のベッドに寝たきりだったからだ。

 入院していることは皆に黙っていた。その為しばらくは誰も知らずにいたはずだ。退院して良くなってから皆で会う機会が来た時に、実はと言って話せばいいと思っていた。

 だが思っていた以上に入院は長引き、早速五月のゴールデンウィークに皆で会おう、という話が出たのだ。しかも六人だけでなく卒業した大乃川の学年で集まるという。

 もちろんそんな会に参加できる状態では無かった為、メールで不参加を告げた後でもかかってきた電話には、母から上手く断りを入れて貰った。

 こんなはずでは無かった。現役合格にこだわらず、無理せずに早くから入院していたらここまでこじらせずに済んだかもしれない。さらにこれまでの学生生活自体が無駄だったのかと思い悩むこともあった。

 だが医師や母により、例え早期から入院していたとしても結果は今とそう変わらなかったはずだと言われた。だから頑張って受験したいという光一朗の希望を叶える為、自宅療養を許可したと何度も説明を受けたのだ。

 そのことで少しだけ救われた気がした。不完全燃焼だったことは否めないが、あの時点でやれるだけのことはやり、受験勉強中は苦しみながらも充実していた。試験を終えた後には爽快感さえあったのだ。

 浪人が決まり入院生活もなかなか終わりが見えない中、どこから聞きつけたのか六月になって、突然東田達が病室へ来てくれたことがある。そろそろ皆も新生活が落ち着きだしたからと連絡を取り合い、今度はいつ会おうかと相談していたそうだ。

 そこで五月の集まりに顔を出さなかった光一朗の事が気になったという。そして入院していることを母から聞き出して知ったらしい。

 その為に声をかけあって、三人が東京から、二人は寮生活している名古屋から集まり、わざわざ時間を合わせて御見舞いに来てくれたのだ。ただあまり長時間話すことは体力的に厳しかったので、僅かの時間だったことが残念でならない。

 それでも彼らには早く良くなって、来年こそ目標としていた大学に合格し、約束通り東京で集まって合コンするぞ! と声をかけられたことは強く心に残っている。あの時点では受験勉強を再開するのがいつになることだろうと不安に思っていた。

 だから彼らの励ましによって夏までには良くなり今度こそ早稲田に受かり、あいつ等と一緒に東京で集まりたいと強く心から願ったのだ。

 このバスツアーでは過去へ戻ることはできないようだが、三泊四日で思い出の場所に行くことができるとは言っていた。その一日目がこの学校だったのは正解だった。やはりこここそが、光一朗の良き時代の始まりの場所であり、原点だ。

 そう言えば着替える服によって行く場所が異なる、とガイドが言っていたことを思い返す。そこで持っていたバッグの中身を覗いてみると、確かに昔着ていたことのある服が入っていた。

 これはいつのだろうと一つ取りだして気付いた。おそらく中学三年の時、初デートで着たシャツだ。あの時は長崎と一緒のダブルデートだった。ただあの彼女とは楽しい時間を過ごした甘い記憶もあったが、半年持たずに別れてしまった苦い経験もある。

 他には、と取り出すと、高二の時に修学旅行で着ていたスキーウェアが出てきた。バッグにはそれしか入っていない。

 つまりこの学校以外に明日、明後日で二か所の思い出の日と場所にその頃の自分の姿に戻って移動し、記憶を辿る旅なのだと理解した。最終日は元の姿で、あのバスターミナルへ午後二時までに集合しなければいけないのだろう。

 初デートの場所は確か遊園地だったはずだ。修学旅行は、おそらく北海道へスキーに行った時の二日目で経験した、あの場所に行くのだろうと予想してみる。

 そう考えると楽しくなってきた。こうなれば思う存分、あの頃の思い出に浸ってやろうではないか。そこでまずはこの姿で学校へ来た一日目の目的を推測し、校舎の中に入ってみることにしたのだ。

 今日は合格発表の日だから、合格した生徒とその保護者達が入学手続きの為に学校の中へと入る。その時、限られた場所は少しばかり見学できるようになっていたはずだ。それを利用して、この小さい体でかつて学んでいた教室などを巡ってみよう。

 途中から新校舎になったため、入学当時の古い教室は無くなってしまった所も多い。しかしまだ残っている箇所もあるはずだ。

 在学中には考えてもいなかった校舎内の探検をしてみよう。そして様々な場所に顔を出しながら、今日一日は六年間過ごしたこの学び舎での出来事を振り返るのだ。たった一日では足りないほどの沢山の記憶が、ここには眠っている。

 受験や何やら色んなことを頭に詰め込んだおかげで、忘れてしまった出来事もあるだろう。それでもこの中を歩いていれば、先ほどのように様々な事を思い出せるに違いない。そのために自分は今日ここへ来たのだと思う。

 せっかくの機会だ。思う存分楽しもう。そしてこれまでのことを後悔せず、全てに感謝したい。今更過ぎたことを悔やんだってしょうがないのだ。過去には戻れない。

今の自分にできることは、ありがとうと言い忘れたあらゆる出来事を思い返し、言い残した全ての気持ちを吐き出すことだろう。

まずはあの親友達に感謝する。そしてこれまで育ててくれた母と祖父母にも、だ。他にだって仲良くなった友人達がいた。彼らにも感謝だ。

 一日でいったいどこまで顧みて、どこまでこの想いが届くだろう。そう、時間は限られている。その中で出来ることを精一杯やるだけだ。それが今の自分に与えられた使命なのだと、光一朗は改めて心に刻み込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る