第一章 2

 翌日。

「転校生を紹介する。入れたかみね

「高嶺まゆです。よろしくお願いします」

「……えっ!? 繭姉!?」

「えっ、嘘!? 翔ちゃん!? 翔ちゃんなの!?」

 小森翔太は初恋の幼馴染、高嶺繭香と再会することになった。


   * 夏川雫 *


 嫉妬という感情が分からなかった。意味は『自分より優れた者を妬み嫉むこと』らしい。

 だからこそ初めて芽生えるこの感情にどうしていいか分からない。

 突然の転校生。その正体は小森翔太くんの幼馴染らしい。

 しかも彼女は私の目から見ても美少女だった。

 栗色の髪はふわりとウェーブがかかっており、端正な顔には入念なメイク。しかもスタイルまで抜群。男の好みを完全に体現している。そう感じてしまった。

 翔太くんと高嶺さんは再会するや否や、私の知らない過去話に花を咲かせていた。

 彼のあんな楽しそうな顔は初めて見たわね。

 それが嫌だ。すごく嫌だ。私以外にあんな顔を向けないで欲しいと心の底から思う。

 泥のように冷たい感情が私の中に流れ込んでくる。

 ああ……なるほど。これが嫉妬なのね。あまり歓迎できるタイプの感情ではないわね。

 だって人格を支配されそうになっているもの。彼女さえいなければって。

 けれど私の内心はさらに荒れ狂うことになる。

 高嶺さんの転校に合わせて席替えをすることになったの。

 これまで私は席が変わるという、ただそれだけのことにバカ騒ぎする生徒の思考が全く理解できなかった。

 けれど今なら分かる。彼らがなぜ騒ぎ、何に期待していたのかを。

 あれはきっと意中の相手と隣同士になりたい、もしくは離れたくない気持ちを抑えられなくなった表れだ。なにせ私もまったく同じ気持ちだもの。

 というのも私の席は翔太くんの隣。

 ついこの前までフェイクを見せつけるのに好都合としか思っていなかったのに離れてしまうと思うと胸が張り裂けそうだわ。

 それだけじゃない。もしも翔太くんと高嶺さんと隣同士になってしまったら……。

 濡れた犬のように頭を振る私。悪夢を追い払い、唇を噛みしめる。

 心なしか目が潤んでいたかもしれない。

 人生で初めて神頼みをする私。これまで架空の存在を崇拝するなんて馬鹿らしいと言ってごめんなさい。

 どうか……どうか翔太くんともう一度隣の席に! 結果は――、

 やっ、やっ……やったあぁぁぁぁっー!!

 幸運にも再び翔太くんの隣の席に当たる。あまりの嬉しさに飛び跳ねてしまいそうだわ。

 翔太くんもこの結果を喜んでくれているかしら。

 気になった私は浮かれた気持ちを押し殺し、彼に視線を向けてみる。

(ええええぇぇぇぇっ!? なんか夏川さんがめちゃくちゃ睨んでくるんですけど!? やっぱり嫌だよね? そりゃそうだよね! ようやくフェイクが終わったのに隣って……ええっと、つまり僕が睨まれている理由って『お前、何この結果を甘んじて受け入れてんだ。何とかして席を替えやがれ』ってことでいいんだよね? だったら――)

「先生! 繭姉――じゃない。高嶺さんは目が悪いので夏川さんと入れ替わってもらうのはどうでしょうか」

 ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああっ!! 

 ちょっ、ちょっと待ってよ翔太くん! いま私は人生最大級の幸運を噛み締めていたところよ!? なんで天国から地獄に叩き落とそうとしているのかしら!?

「そうだな。高嶺の心境を考えれば小森が隣の方がいいな。よし、夏川代わってやれ」

 嫌です! あまりふざけたことを言っているとぶっ殺すわよ先生!

 なんて思ったものの、結局私は高嶺さんと席を代わることになってしまった。

 だって翔太くんときたら期待した目でこっちを見てくるんだもの。

 どこか誇らしげなのが腹ただしい。

 私というものがありながらそんなに高嶺さんと隣になりたいのかしら。

 ……泣くわよ。

 とはいえまだ大丈夫。焦るほどではないわ。

 なにせ私たちはフェイクを経て本物の恋人になったばかり。放課後はいつものように下校できるに違いない。

「ねぇ、翔ちゃん。もしよかったら一緒に帰らない? ほら、久しぶりの再会ってことで積もる話もあるでしょ?」

「うん♪」

 なんでよ!? だからなんでそんなに楽しそうなのよ翔太くん!

 今の『うん』なんて語尾に♪が付いていたじゃない! 

 私と下校するときはいつも緊張した面持ちだったくせに!

 なんて不満を募らせている間にもせっせと帰り支度に勤しむ翔太くん。

 その様子はまるで高嶺さんと二人きりになりたくて仕方がないと言わんばかりだった。

 ……えっ? 二人きり……?

『「もしよかったら僕の家に来ない? きっと母さんも繭姉を見たら喜ぶと思うんだ」

「もしよかったら翔ちゃんの家に寄っていい? 久々におばさんの顔も見たいし」』

 ぎゃああああああああああああああああっ!! なにいまの精神攻撃!? 見計らったかのように息ぴったりだったのだけれど!

 心が! 心が壊れちゃう! 

 いとも容易く私のATフィールドを貫通させるのはやめてもらえるかしら。今の一撃はロンギヌスの槍に匹敵するわ。

 って、そうじゃなくて! えっ、なにっ!? まさか翔太くん……再会して間もない彼女を自宅に連れ込む気!?

 というか幼馴染ってだけで彼にお呼ばれしてもらえるの?

 なにそれ。卑怯にもほどがあるのだけれど。

 私でさえ家にお邪魔したことがないのに。こんなことならフェイクをしている間に行っておくべきだったわ。

 その発想がなかった当時の自分を殴り飛ばしてやりたいわね。

 ……はぁ。羨ましい。

 幼馴染という圧倒的な戦力に叩きのめされている間に教室を後にする二人。

 えっ、えっ、ちょっと待ってよ! もう少し私のことを気にかけてくれてもいいんじゃない!? 

 急いで追いかけなきゃ! 彼の部屋で二人っきりになんか……絶対にさせてあげないんだから!

「あの……夏川さん。このあとちょっと時間いいかな?」

「あアん?」

「ひぃっ! ごめんなさい。何でもないです!」

 名前も知らない男子生徒から話しかけられてしまった私は無意識に殺意を放ってしまっていた。

 それに当てられた彼は悍ましい未確認生命体でも見てしまったかのように戦慄している。

 こっちはそれどころじゃないの。モブは引っ込んでなさい!


   * 高峰繭香 *


 下校中。私は早速切り出すことにした。

「そういやさ翔ちゃん……」

「ん? なに繭姉?」

「夏川さん……だっけ? 彼女に振られたって本当?」

「うぐっ……!」

 私の質問に分かりやすくむせる小森。

 おいおい、なんだそのベタな反応。そういうのはノーサンキューだっての。

 ……にしても。

 私は咳き込む小森を流し見つつ思う。

 ほんと変わらねえな。普通・平凡・凡庸ってこいつのためにある言葉だろ。

 外見、性格、スペックが全て脇役レベルとか再会したこっちがビックリだっての。

 ちったぁ私を見習って自分を磨くとかさ、そういう発想はないわけ?

 路傍の石ころは誰からも相手にされないってことが分かんねえのか。高校生にもなって気付けてないとか致命的だろ。

 私、高嶺繭香と小森翔太は幼馴染だ。と言っても幼い頃に婚約した男でも何でもない。

 というか、幼馴染に夢見過ぎ。あんな設定はきもオタが自分で気持ちよくなるために編み出した妄想だっての。

 だいたい性別問わず好意を寄せられる私が小森なんて相手にするわけないっての。笑止。

 えっ、じゃあなんで小森と下校してんのかって?

 そんなの決まってんだろ。

 さっきから尾行してやがる夏川雫(バレてねえとでも思ってんのか)と小森が楽しそうなことになってるからだよ。

 だから他の生徒の誘いを断ってまで家に邪魔しようとしてるわけ。人の目があるところじゃこいつらの関係を詳しく聞けねえからな。

 というのも、どうやら小森と夏川雫は私が転校する前日まで付き合っていたらしい。

 らしいってのは、私が転校したばかりで情報不足だからだ。どうもクラスの連中の話は納得がいかねえんだよな。だっておかしいだろうが。小森と夏川が付き合っていたなんて。

 夏川雫は間違いなく本物の美少女だ。ぶっちゃけオーラが違う。

 努力じゃ決して辿り着くことができない異世界の住人と言ってもいい。

 そんな彼女が小森と付き合っていた? バカバカしい。誰がそんな情報を鵜呑みにするかよ。うまい儲け話の方がまだ信じられるっての。

「えっと……もしかして転校初日に聞いちゃった? 僕と夏川さんのこと」

 ようやく落ち着いた小森は気まずそうに問い返してくる。

 私は昔から接していた姉モードで肯定する。

「うん」

「そっか……」

 おいおいなんだその落ち込みよう。まさかマジで付き合ってたんじゃねえだろうな。

「えっと……これから話す内容は絶対に口外しないで欲しいんだ。僕と繭姉だけの秘密。それを守ってくれるなら何があったのかを話すよ」

「大丈夫。約束は守るから教えてもらえる?」

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