***


「これはなんだ」

「エッグベネディクトです」

「……えっぐべねでぃくと……これはなんの卵だ?」

「え? ニワトリじゃないんですか?」

「ニワトリ……? これ、なんの肉だ?」

「……なにかの……。付け合わせの野菜は残った卵をつけて食べてください」

「分かった……、……ラクダか」

「え!? ラクダ!?」

「……、違うのか?」

「ラクダの切り身はちょっと見たことがなくて」

「俺様も生以外で食べたのは初めてだ」

「……生で食べたことしかないのに、焼いて食べてもそれと分かるということはつまり、味覚がとても発達しているということ……なのに生で食べちゃってたわけで……」

「焼くとうまいな。くさみもなくて食べやすい」

「しあわせにしてあげないと……」

「次はワニが食べたい」

「牛を食べましょう!! さばきますから! イチボを!」

 朝食の後、魔王さんは食器をキッチンまで運んでくれた。そしてなにをするでもなく、しよくたくに腰をかけ、皿を洗う私を見ていた。

 鍋を洗っていると、魔王さんが不意に立ち上がりコンロの前に立つ。

 横目で様子をうかがうと魔王さんはあごに手を当てて、しんけんなまなざしでコンロを見下ろしている。もしかして料理に興味があるのだろうか。

 魔王さんはおもむろにコンロのスイッチを押した。

「うわあっ!? 魔王さん! 危ないから離れてください!」

 突然、火柱が上がった。

 急いでスイッチを切り、咄嗟に洗っていた鍋をかぶせることで火柱を消した。魔王さんを見ると火傷やけどはしていないようだったが、驚いたのか目を丸くしていた。私も多分似たような顔をしていただろう。

「びっくりしましたねえ……なんでしょうね。故障でしょうか?」

 そう言いつつスイッチを押してみるとなにひとつ問題なく着火した。ツマミを動かせば弱火から強火まで調整できる。と、横から魔王さんが手を出してツマミにれた。

「ひえっ!?」

 見事な火柱が立った。

 しかも魔王さんがツマミから手を離した瞬間に、ただの中火に戻った。振り返ると魔王さんは顎に右手を当ててなにかを考えているようだった。私もコンロを見て考える。汚れなどで目がまっている様子はないし、スイッチを切れば問題なく火が消える。

 この魔法城は物理法則を無視しすぎやしないだろうか。

「この装置、お前は問題なく使えるんだな?」

 魔王さんは不思議がるように首をかしげた。

「あ、もしかして私しか使えないのでしょうか……」

「……どういう意味だ?」

「ここ私サイズなので、そういうことなのかな、と……」

 このキッチンはこの魔王城の他の部屋と大きく異なる。

 まず他の部屋に比べて装飾が少ない。天井は他の部屋と同じく高いのだが、置かれているものは全て私のたけに合っている。そしてなによりここは……私の『実家』だ。

 例えばこの使い古されたコンロのつくり、食卓や冷蔵庫といった家具の配置、少し古くて壁にひび割れが入っているところ……完全にあの家といつする。特に食器などの小物は私の記憶通りの『住所』に置かれている。それだけではない。あったらいいなあと思っていた位置に様々な調味料の入ったたなが配置されている。つまり私の理想のキッチンだ。おかげで私はとにかく使いやすい。それはつまり魔王さんには合わないということだ。

 魔王さんはコンロをじっと見ていたが、ひとつため息を吐いて目を逸らした。

「……そうだな。俺様は触らない方がいいな」

 それはどこかねているような、つまらなそうな声色だった。

「あー……魔王さんに合わせて調整しますよ! 分解して作り直せば……」

「お前が使えているならそれでいい」

「でも魔王さんも料理したくなることがあるかもしれませんし」

「お前がいる限りはない」

 さらっとそう言われてしまったので「一生そばにいろってことなのかな、けつこんじゃん」と口がとぅるんとすべった。

 魔王さんはろんげに私を見た後、無言で食卓に腰をかけた。魔王さんのスルースキルの高さには助かっているのだが、スルーされたところでずかしさは減るわけではないので、私はシンクに両手をつけて、ぬぅうん、と心で叫んだ。

「……えーっと、食後にお茶でもれましょうか」

 気持ちを切りえるためにそう提案すると、魔王さんは目をせてうなずいてくれた。

「じゃあお湯を沸かしますね!」

 ヤカンに水を入れコンロにかけて火をつける。強火にして様子を見る。

「……さっきからお前はなにをしているんだ?」

「え? お湯を沸かしています」

 魔王さんは怪訝そうに私の顔を見て、不意に思い出したように「ああ」と声をあげた。

「お前は魔力がないから魔法を使わなかったのか」

「あ、はい。……え? ……私って、魔力ないですか?」

「全くないというわけではないがほとんどない」

「あ、……そうなんですね……」

 ちょっとショックだった。

 ラピワルのたいは魔法を使うことを前提にした社会だ。実際この『夢』の中では物が飛び回るし、岩が転がってくるし、蔦も飛び出してくる。だからもしかしたら私もなにがしかのことができるのでは、などとちょっと考えていなかったこともない。

 正直、ちょっと魔法陣は描いてみたかった。

「それほどなやまずとも『ラピスラズリ』を使えばいいだろう? ……持ってないのか?」

「……持ってないですね……」

 魔王さんは右手で指を鳴らしてから手を開く。

 その手の中には私のこぶし大ほどの青い鉱石があった。

「使え」

「ありがとうございます!」

 それはまさにまんで見た通りの『ラピスラズリ』だった。

「おおお、これが『ラピスラズリ』……」

「使ったことないのか?」

「初見ですね」

「……よく今まで生きてこられたな」

「発光してますね! 魔王さんの瞳みたいで綺麗です! きらっきらっ!」

「……、……それは褒めているのか?」

『ラピワル』におけるラピスラズリは『現実』のラピスラズリと同じく、見た目は青い鉱石だ。しかし『現実』のものとは違う。『ラピワル』のラピスラズリは魔力を内部にめ込み、意図して生き物が触れたときにその魔力を放出するとくちようがあるのだ。つまり持ち歩ける魔力、これさえあれば魔力がなくても魔法を使うことができるチートアイテムだ

 とはいえラピスラズリは内部に溜め込まれた魔力を使いきってしまうと、輝きを失いクズ石となってしまう。チートアイテムではあるがそうはできない。

 合わせて、これもラピワルにおける重要な設定なのだが、この物語の主人公たる勇者は他の人間と違い生まれながらにして『魔力を持たない』。そのため勇者はこの鉱石をこうかというぐらい持ち運ばなくてはまともに生活ができない。常に重いかばんを背負い続けていた結果いつの間にか大人顔負けの武道家になり、オガシック国の勇者に選出されるほどの腕前になっていた。見事な脳筋である。同時に彼はオガシック国有数の貴族の生まれであるために従者もいるのだが……いや、今重要なのは。

「つまり、これさえあれば私も魔法が使えるということ!」

「そうだな。試しにそれで湯を沸かしてみろ」

「はい!」

 私はコンロの火を消して、ラピスラズリを握りしめてヤカンを見た。さあ、沸け!

「……ん? あれ?」

「……お前、今ちゃんと石を使おうと思っているか?」

「思っているつもりなんですが……」

 ヤカンの蓋を開けて中を見る。私の意思に反して全く沸いている気配はない。

 なにか使い方が違うのだろうか。鉱石が使えないなんてびようしやはラピワルには一度としてなかったはずだ。魔王さんも首をかしげ、私の手を見た。

「おかしいな……石の魔力に問題はなさそうだが」

 手の中の鉱石はきらきらと輝いている。もう一度握り直してヤカンを見る。

 さあ、沸け!

 しばらく待つが、水の温度が上がっている気がしない。

「……これは一生沸かないのでは……」

「……時間はいくらでもある」

「優しい! 天使かな!」

「魔王だ。……落ち着いて、水を湯にしようと思えばいい」

 魔王さんのアドバイスにのつとり、深呼吸してからヤカンを睨む。

「魔力、……現象の理解、……現象の再現、……水……湯……」

「あまり難しく考えすぎるな」

 石を握りしめ、これで駄目だったらつうにコンロで沸かそうと決めて、目を閉じる。

「水の温度が上がるということは、ねんおよび密度が下がるということ。現在ヤカンに入っている水の温度は約一五度前後と考えられるため約一・一四センチストークス、茶を淹れるのに適した一〇〇度の温度になった際は約〇・二九センチストークス。この粘度の違いにより注いだときの音に違いが発生する。目に見える事象としてはあわがぼこぼこと発生する。これを踏まえた上で、起こしたい事象はこのヤカンに入っている約四五〇ミリリットルの水の温度を八五度じようしようさせることであり必要なカロリーは三八・二五カロリー。よし、理解はできている。Just do it ! 」

 目を開ける。

「……なるほど」

 なにひとつ状況に変化がない。これは駄目だ。

「普通に沸かします。もう少々お待ちください」

「『普通』か」

 魔王さんがヤカンを見下ろした。そのたん、ヤカンの中の水がふつとうし水蒸気がき出す。

「すごい! さすがです! 魔王さん!」

「俺様にとってはこれが『普通』だ」

 魔王さんがパチンと指を鳴らすと、私の手から鉱石が浮かびふよふよと魔王さんの手元に飛んでいく。魔王さんの右手の中の鉱石は光をくしクズ石になっていた。

「問題なく使えたな……どういうことだ?」

「素晴らしいですね! 魔王さんは水を湯に変化させるという事象をかんぺきに理解していらっしゃるんですね!」

「お前と同じ年ごろの魔法を使えない勇者がいるが、あいつとお前では使えない理由が違いそうだ」

 光を失った石を指先でくるくると回しながら、魔王さんはどうでもよさそうにどうでもよくないことを言った。いや……まさか……でも……しかし、もしも本当にここが『ラピワル』の世界ならば、魔法が使えない勇者といえば主人公しかいない。

 そして彼は十四歳だ。

「魔王さん、私、二十四歳なんですよ」

「ふっ」

「鼻で笑った!!」

「子どもは大人らしくしたがるものだ」

「おおんっ!? けん売っているんですね!? あっしかしそういう顔すら人間国宝……これは全面こうふくするしかない……」

「何故勝手に負けているんだ? まあ、魔法が使えなくてはいけない理由はない。不便はあるかもしれないがお前は器用なようだし……トール? 聞いているか?」

「……、魔王さんはおいくつなんですか?」

 魔王さんはかたまゆを上げてにやりと笑った。

「一万日は生きている」

「二十七歳ですか……言うほど年食ってねえじゃねえか、若造が達観しやがって……」

「喧嘩売っているのか? 蔦にしばられたいように見える」

「いえっ! 魔王さんは魔王だから百年とか生きているのかと思っていただけですー」

「俺様がそんなに生きていたら世界はとっくに終わっている」

 魔王さんはどうでもよさそうにそう言ってから手の中の石を上に投げた。それは放物線を描き、ぱか、と開かれた魔王さんの口に『シューッイン!!』した。意味が分からず声が出ない間に魔王さんはそれを飲み込んでしまった。

「なっえっ!? なんで食べたんですか!? 喉が痛くなるでしょう!」

「? まるみすればいいだろう」

「蛇なのかな!?」

「魔王だが? ……紅茶は淹れないのか?」

「今すぐに!!」

 もう魔法とか漫画とかどうでもいいから魔王さんをしあわせにしなければ、と何度目かのちかいを立て、私はポットにお湯をそそぎ込んだ。

「茶葉を入れなくていいのか?」

「まずはポットを温めるのが美味しい紅茶のコツなんですよ!」

「……ふうん」

 ヤカンの中のお湯の温度が下がってきていたので火にかける。ポットをコンロの近くに置いておく。紅茶を淹れるコツはとにかく温度だ。棚から茶葉らしきものが入っているびんを三個取り出し、全ての蓋を開ける。

「……んー……魔王さん、好きな匂いありますか?」

 魔王さんの座っている食卓まで瓶を持っていくと魔王さんはひとつひとつの匂いをぎ「これだな」と最後に差し出したものを選んだ。かんきつ系の匂いが混じっている茶葉だ。魔王さんは猫っぽいのに猫が嫌いな柑橘系の匂いは好きらしい。ひとつ勉強になった。

 ポットが充分に温まっているのを確認してからお湯を捨てて、茶葉を四グラムポットに入れ、再度沸騰したお湯をゆっくりと注ぐ。ポットの中の空気が茶葉を押し上げ、全ての茶葉が水面にじようする。それがゆっくりと自重で沈んでいく。対流に乗りのぼったり下がったりするのを確認する。そうしていると手元に影が落ちた。

 魔王さんが私の上からその様子を覗き込んできた。

「こうやってお茶の葉っぱがぐるぐる回っていると美味しい紅茶になるんです」

「……対流が起きているのか。……ふむ……」

「はい。このまま茶葉が開くまでしばらくちゆうしゆつしますね」

 魔王さんが私の肩に顎を置いた。魔王さんの髪が耳に当たる。くすぐったいけれど、魔王さんは茶葉の動きを見るのを楽しんでいるようなので動かないようにする。

 お茶の葉がぐるぐると回り、茶葉の匂いが広がる。ぐるぐると耳元で音が聞こえる。……ん? ぐるぐる?

「魔王さん、今もしかして喉鳴らしていますか?」

「……喉? ……ああ、たしかに鳴っているな……」

 ぐるぐると魔王さんは喉を鳴らし、私の肩から顎を離し食卓に腰かける。

 魔王さんは右手の指を鳴らした。すると、その手の中に一冊の本が現れる。青い表紙の本だ。なにかの研究日誌なのか表紙にインク字で『記録』と書かれていた。なんの記録だろうと考えて、気が付く。

 その文字は、『日本語』だった。咄嗟に口を押さえる。

 私は今まで日本語を話している。魔王さんが話している言葉もまた日本語だ。この世界はどこまでも西洋風のデザインをしているのに日本語だ。

 ──コツ、と音がする。コツ、コツ、と耳の中で音がする。

 残り時間を刻むような音がする。ここは『どこ』だ。

《──こちらに落ちてこい》

 私はどこに落とされたんだ。

「トール」

 呼ばれて目線を上げると魔王さんが本をめくりながら「どうした」と言った。

「いや、……大したことでは……」

まったなら俺様に話せと言った」

 魔王さんは本を読みながら優しく微笑む。

「……魔王さん、聞きたいことがあります」

「答えられることは答えてやる」

 魔王さんの読んでいる本の中身が少し見える。それもまた『日本語』だ。

 魔王さんは右手で膝に置いた本をめくっている。片手のせいかページをめくりそこねたり、数ページめくってしまったりしている。

「この魔王城が復活したのは今から何年前ですか?」

 それが『ラピワル』の第一話だ。魔王城の復活一年後に魔王とうばつの命が出されるのだ。そこからどのぐらいっているのか。それともその前なのか。前なら、いい。むしろそんなことを命じられていない世界観が理想だ。

 しかし、私の問いに魔王さんは口角を上げた。

 それは笑顔に似ていて、全く非なるものだった。

「何故、そのようなことを聞く?」

 魔王さんの低い声がまくを揺さぶり、膝がふるえる。その瞳の奥から青い光がこぼれ、その指先に青い光が集まっていく。これは、──殺意だ。

「復活だと? まるで何年も前からこの魔王城があったかのようなことを言うな……? この魔王城がいつできたなど誰もが知っている。四一九日前だ。五十四日前に魔王討伐の命が出された。本当に聞きたいのはそれではなかろう。なにが知りたいんだ……?」

 魔王さんが立ち上がり、その異形の手で私のむなぐらをつかみあげた。むなもとのブローチがこわれて床に落ちる。カツン、と音が鳴った。

「っうえっ」

 足が浮き、喉が詰まる。魔王さんの右手が美しい魔法陣を描いていく。

「この城に辿り着いた者はお前が二人目だ。……トール、思い出したなら語れ。誰がお前をここに送った! なんの目的でお前はここにいる!」

「私はあなたをしあわせにするためにここにいるんですよっ」

 魔王さんが腕を引き寄せる。その顔があまりにも近い。咄嗟に両手で顔をかくす。

「そんないごとを聞きたいわけではない!」

「魔王さんちょっとっ……近いっ……」

「お前は何故ここにいる! 目を隠すな、俺様を見ろ!」

「こんな至近きよで魔王さん見たら目がつぶれますっ」

「……は?」

「ちかすぎ……ありがとうございます……じよう、サービス過剰……いきが当たるとかもう……息、息ができない……しぬ……むり……」

 べちゃ、と床に落とされた。

「ひえぇ……とんでもないファンサだ……まことにありがとうございました……」

 熱い自分の顔を両手でこする。さっき吐息が当たった。死ぬ。背面からならまだいい。担がれるのもいい。顔面を真正面は死ぬ。とりはだが立っている両腕をさする。

「お前、なんなんだ」

 魔王さんを見上げると、あきれ果てたという顔をしていた。

「魔王さんの部下ですが?」

「なんなんだそれは……」

 魔王さんは「お前、意味が分からない」と口をとがらせて呟いた。その拗ねた表情は年相応の青年のもので、そしてなによりもその耳が赤くなっていた。

「……照れてんのかよ……っ」

 あまりの尊さに私は床に崩れ落ちることになった。

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魔王の右腕になったので原作改悪します 魔王の右腕になったので原作改悪します/ビーズログ文庫 @bslog

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