***


「……何故こんなに疲れているんだ……」

 部屋に入り、服を脱ぎ捨てる。落ちた服は勝手にどこかへ飛んでいく。代わりに飛んできたを適当に羽織り、書き物机に着く。筆記帳を取り出し、今日ためすはずだった『上界のものを落とす研究用』の魔法じんかくにんする。本当はこれを今日のうちに三十は試すはずだった。けれどなにひとつ進んでいない。一体この一日なにをしていたのか。

「……トール、……トールか……」

 料理されたものを食べたのは何日ぶりだろうか。他人と会話をしたのは何日ぶりだろうか。この城に俺様以外の生き物が食用ではなく存在しているのは何日ぶりなのだろう。人の名前を知ったのなど、初めてだ。

 ──だから、たくさん笑ってください。

 今日のことを思い返していくと首の後ろがむずがゆくなった。

「……意味が分からない……」

 本を開き、癖で頭をるったがどかすべき前髪はすでにい止められている。

「……これは便利だな」

 なんであれどうであれ俺様のすべきことは変わらない。

 ろうそくに火をつける。が、すぐに消えた。もう一度つける。が、消えた。

「とっとと寝ろということか?」

 つぶやきに合わせるように、寝台の上のとんがめくられた。

「いつまでこの城はこの魔王を子ども扱いするつもりだ」

 舌打ちをすると、ばさばさと布団が飛びついてきた。

「……分かった。少し読んだら寝る。……放っておいてくれ」

 もう一度蠟燭に火をつける。今度は消えることなく火が灯った。

 ふう、と息を吐き眼鏡をかける。明日こそ試しておきたい術式を頭に流し込みながら、ふと暗闇でこちらを見上げる顔を思い出す。炎に照らされたその表情にうそは見えなかったけれど、そのかたのない体や細い指先や、黒目がちの幼い瞳は子どものものだ。

「……、あれで二十四? ……まさか、ありえない」

 頭を振るって本に目を戻す。が、……どこまで読んだのか分からなかった。

「……」

 全く頭に入っていない。章の始まりから読み直すことにした。


【画像】


 ──答え合わせをしようか、──

「っはっ……」

 心臓が痛いぐらいに動き、全身から汗がこぼれ、息があがる。

「っげほっ……っうえ……」

 少しむせながら上体を起こす。悪夢から強制的にかんしたことによるいつものろう感が全身にあった。あまりにも悪夢を見るせいか、私は悪夢から目を覚ます方法を身につけていた。それをすれば夢の内容を覚えずに済む。ああ、嫌な夢を見たのだろうな、という感覚だけが残る。それは最悪な目覚めではあるが、『夢』にとらわれるよりはましだ。

「朝、か」

 窓の外はちょうど日の出らしく真っ暗だった。しかし意識はかくせいしていた。これはもう眠れないだろう。あきらめて起き上がる。今日も今日とて鹿の火消しにはげまなきゃいけないことを考えると、食欲もなくなる……。

「……あれ?」

 起き上がったはずなのに、気が付いたらベッドの上に戻っていた。いや、今、立ち上がった私に『掛け布団』がついてきて、ベッドに連れ戻していなかったか。

「そんなファンタジーがあってたまるかっ……えっ」

 しかし、立ち上がれない。ふかふかの布団によって両手両足がこうそくされている。

「いや起きるから! 仕事しないとっ!」

 ふわり、と顔の上にクッションが降ってきた。痛みはないけれど、視界がやわらかな暗闇に包まれてしまう。とん、とん、とまるで寝かしつけるようになにかが私の腹をたたく。

「いやっちょっと……」

 いい匂いがする。

「……し、ごとが……」

 落ち着く匂いだ。布団が温かい。悪夢によるあせがひいていき、息が落ち着いていく。このままだと眠ってしまう。仕事があるのに、やらなきゃいけないことがあるのに、体から力がけていく。とん、とん、と誰かが私を眠りの世界に連れていく。駄目だと思っているのに、目を閉じてしまった。遠くからおだやかな光が私をくすぐる。

 切れた糸が一本ずつつながり、自分の体の感覚が少しずつ戻ってくる。指先を動かすと、それが自分の指だと分かる。息を吐き出すと、自然とまぶたが持ち上がる。全身がここよい疲労に包まれている。大きく伸びをすると、口から満足そうな息がこぼれた。

 体を起こして、窓を見る。

「……え?」

 窓の外が明るくなっていた。

「二度寝!?」

 ベッドから飛び下りてパジャマを脱ぎ捨てる。急いでスマホを確認しようとして、まくらもとにあるはずのそれを探す。

「……あれ?」

 覚えのない枕と覚えのない布団だ。青を基調としたカバーがついているそれらは、白糸でリボンのモチーフのしゆうが入っている。触り心地のよいリネンだ。そこにスマホはなく、周りを見渡すとパリの古いアパルトメントの一室のような景色が広がっている。

「……ああ、そうか」

 私はどうやらまだ『夢』を見ているようだ。

「じゃあ、仕事しなくていいのか……」

 ほ、と息を吐いたところで、膝の裏を『なにか』にされた。

「え」

 突然の膝カックンに体勢がくずれる。けれどしりもちをつくことはなく、ぼすん、と私は座椅子の上に落ちた。しずむような座面にの装飾の入った木のひじきがついたその座椅子は、私がじようきようあくするより早く『浮いた』。

「えっ!?」

 空飛ぶ座椅子は私を乗せて勝手に移動を始める。咄嗟に肘置きを摑むと、座椅子は心得たように速度を上げた。

「ぎゃあ!? ちょっと待ってっ新手のジェットコースターかな!? ドア! ぶつかる!」

 しかしぶつかる直前にそのドアが開いた。そこはお風呂場だった。真白の壁に真白の床。真白のよくそうには金の猫足がついているし、洗面台のじやぐちも金だし、バスローブがかかっている洋服かけも洒落じやれている。お湯の張られた浴槽からはこうりようの匂いがして、どこぞのセレブのみたいでいけすかない。などと考えていると座椅子が急に動いた。

「ぎゃっ!!」

 頭から浴槽に投げ込まれた。慌ててお湯から頭を出すと、そこにはシャンプー、リンス、せつけん、エトセトラが宙に浮いている。とても、嫌な予感がした。

「……待ってください、あの、私、自分で洗えます」

 私の宣言は無視され、それらは一気に私におそいかかってきた。

「ぎゃあっ!? 洗える! 洗えます!! 自分でっぎゃああっちょ、あいたたたたたっぶふっうえっ鼻、鼻にっ、うわあっげほっおえっ……」

 ──そうかつすると、液体に襲われると人はおぼれる。

「……げほっ」

 勝手に動くバスタオルで体中をわっしゃわっしゃされる頃には現実とうも終わっていた。水分があらかたぬぐい取られるとバスローブが飛んできた。もうていこうするのも鹿鹿しくなっていたので大人しく羽織る。するとまたに膝カックンされ、今度はドレッサーの前に連れて行かれた。勝手に動くドライヤーが私の頭をかわかしてくれ、くしが勝手に私の髪をかしてくれる。

「頑張ってくれているところ悪いが、私の髪はそうやすやすと真っ直ぐにはならない……いててててっ……」

 私の宣言は無視され大量の櫛が私の髪を伸ばし始めた。鏡の中の自分はうんざりしきっていて、まさに先生に髪を乾かされていたときの顔だった。

「……はあ……」

 これが魔法の世界か、とため息を吐く。

「ぎゃあっ!?」

 突然、上からなにか降ってきた。

「今度はなにっ……本当になんだ……」

 それは──黒を基調とした前開きのワンピースだった。折り返されたそでには白のフリル、すそにも愛らしい黒のフリルがあしらわれている。素材は高級スーツに近く、こうたくが美しく布は柔らかではだざわりもよい。この素材はブリティッシュスーツというよりはイタリアスーツだなと現実逃避をしながら、そっと、そのワンピースをドレッサーの上に置く。

 ふぁさ、と膝の上に戻ってきた。

「……まさか、これを着ろとは言うまいな……?」

 私の声に合わせるようにそのドレスが浮いた。

「待ってくれ。話し合おうじゃないか。二十四にフリルはきつい」

 頭からワンピースにっ込むことになった。

「待って! 着る! すいません、文句言わずに着ます! しようすい!? ぐふっうえっできるっ説明してくれたらできるからっおえっめすぎ! 骨ゆがむよ! あひゅっひえっあ、ちょっとゆるめてくれたのね、ありがとうっ! って誰にお礼を言っているんだ! いててててっなんだそれ、っくつか! お前ら全員口をつけろ! 話し合おう! 痛い!」

 ワンピースを着せられローラースケート靴をかされたところで、座椅子によって廊下に放り出された。

「無茶苦茶すぎる……あいてっ! あ、櫛か。ありがとうね……」

 ため息を吐いてから自分の格好を見る。

 首から腰のあたりまで輝くボタンによってめられる前開きのワンピースに、腰下の白いエプロン。白いフリルの付けえりに、リボンの形をしたブローチを首元につけられている。そして白のニーハイソックス。ワンピースの丈がひざ下じゃなかったらごくを見ていた。せめてエプロンだけならカフェ店員と言えたかもしれないが、さすがにこれは無理だった。

「これはメイドさんだな……きっつ……秋葉原でもいけぶくろでも日本橋でもねえんだぞ……」

 客観視したくなかったので自分から目を逸らし、櫛をエプロンのポケットにしまう。

 見渡すとそこは『夢』の続きで、長い廊下だった。

 朝の光を通したステンドグラスが廊下に色とりどりの影を落としている。出てきた部屋の前にあったステンドグラスには一頭のライオンが描かれていた。ふさふさとしたたてがみをガラスでこれだけ描ける人が、果たして世界に何人いるだろうか。──先生以外に。

「……ああ。なんか余計なことを思い出したな」

 頭を振り、な感傷をき飛ばす。『夢』が続いているなら私がすべきことは魔王さんを楽しませることだけだ。

「……朝ごはんを作ろうかな。あ、自分の足で行きます」

 ローラースケート靴が勝手に動きだそうとする気配を察し、せんせいすると止まってもらえた。とりあえず壁に片手をついたままあしみをしてみる。勝手に足が前に進んでいこうとするのをおさえて、二十回ほど足踏みをする。

「……なんかいけそうだな」

 両手を広げた状態で、右足を前に出してみる。するすると進んでいく。

「わわ……ああ、そうか、重心の移動か」

 左足、右足、と順番に出していく間にどんどん速度が上がっていく。両手を腰の後ろに組んで体勢を前にたおせばさらにスピードが乗った。割と楽しい。体が思った通りに動く。

「そういえば一晩しっかり寝たの久しぶりだなあ……」

 そもそも朝日を感じるのも久しぶりじゃないだろうか。こうなってみるとあそこまでひとりで一生懸命仕事しなくてよかったんじゃなかろうか……と楽しくない過去を思い出していると、昨日も使わせてもらったキッチンの前に辿たどいていた。

「あ」

 そこで気が付く。

「これ止まれなくない? ギャッ!」

 キッチンのドアにげきとつして停止した。鼻を押さえて、ローラースケート靴を叩く。

「お前さ、止まるときは空気読んで止まってくれよ」

 きらり、とローラースケート靴が光る。なんとなく理解してもらえた気がしたのでよしとし、キッチンの扉を開いた。

 何故か、すでにまな板の上に野菜と卵と肉と白いパンが準備されていた。

「……魔法で料理はできないのか?」

 ここまでできるなら何故料理しないのか。なにか条件があるのだろうか。

「まあいいか、料理は楽しいし……」

 材料を見る。パンは柔らかい。マフィンに近いだろうか。美味しそうな匂いがする。なにを作ろうか考えつつ、どうせ必要になるだろうとなべに水を入れて湯をかす。

「卵、しんせんかな……」

 コップに水と食塩を入れ、卵を入れてみると、しっかりと沈んだ。これなら賞味期限が切れていることはないだろう。

「野菜も生で食べられそう。パン、卵、野菜だからサンドイッチでもいいかな。……調味料ってなにがあったっけ?」

 だなを開いてみるとおびただしい種類の調味料がそろえられていた。昨日よりも絶対多い。

「……どこで調達しているんだ……野菜も卵も……」

 どこか薄ら寒いものを感じつつ、調味料をひとつひとつ確認していく。

「塩だけでこんなに種類あるのか……あ。白ワインビネガーもあるじゃん。ん? これなんだ……ンッっぱいな! でもさわやかな匂いだな、いいレモンじゆうだな……」

 頭の中でレシピをいくつか並べて、どれが見た目一番美味しそうかを考える。

「エッグベネディクトにしよう」

 魔王さんは肉が好きなようだったから、そうしようと決めて、ボールを三つ取り出す。

 バターを大きく切って小さいうつわに入れ、お湯を沸かしている鍋の近くに置いておく。とっとと溶けてほしいので危なさは許容する。卵をふたつ割りらんぱくらんおうに分ける。卵黄の方にレモン果汁を少々とワインビネガー少々に塩コショウ少々を振りかける。

「卵白どうしようかな……砂糖混ぜて焼くか……」

 急にゴポゴポと音がしたので、鍋を見る。

「お湯がもう沸いているっはやくね!? あれっバターも溶けてる!?」

 コンロを確認すると中火のままだ。こんなに早くこの量のお湯が沸くはずがない。

「……まあいいか」

 理由は分からないが時短はありがたい。大きいボールにお湯を注ぐ。せんしながららんえきにバターを少しずつ混ぜていく。ここで乳化失敗すると話にならない。ボールにお湯をして温度をしたまま、バターを少しずつ少しずつていねいに加えていく。

 もったりしてきたところで味を見る。

「うん、……美味しい。オランデーソースはできた。あとは肉とポーチドエッグかー……どうやって作るんだったっけなあ……」

 まな板の上に用意されていた肉の表面を布でぬぐう。すでに常温になってくれているようなので、こう状に切り込みを入れ塩コショウで下味をつける。朝からこんながっつりステーキ肉を食べられるだろうか。まあ……魔王さんめっちゃ食べそうだし……いいか……。強火で一気に焼くことにした。

「っていうかこれ、なんの肉だ……」

 始めから用意されていたから疑わずに焼いているけれど、なんの切り身だろう。牛肉っぽい色のような気もするが、なんか匂いが違う。ローズマリーとタイムを今更入れておく。

 ぶたや鳥では確実にないのだが牛でもないとなると、あとなにがあるだろう。怖くなってきたが焼き色はれいなので、火を止めて、ふたをする。あとは余熱で火が通るだろう。

「ポーチドエッグ、ポーチドエッグ、あー、どうやるんだったかなあ」

 残っていたお湯に塩とワインビネガーを入れ、弱火にする。はしでくるくるとかき混ぜて水流を起こす。イメージは鳴門なるとかいきよううずしおである。

 そしてそのうずの真ん中にそっと卵を割り落とす。白身が綺麗に固まったところで、水流に任せてもう一個……まとめてやってしまおう、もう一個、……いや魔王さんもっと食べるだろうな、えいや、もう一個。火を落とし、後は放置することにした。

 野菜をザクザクと適当な大きさに切り、少し大きな皿に盛りつける。

「……パンを焼いちゃうかなあ、魔王さん起きていらっしゃるかな」

 ドオ=ごおおおオン、おおおおおおん、ゔぉおおおん。

「……今、なんか爆発した音聞こえたような……」

 深く考えると怖い気がしたので、考えずオーブンに半分に切ったマフィンを入れた。


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