第三章 規則

 おうさんは食事の後、私の顔を見て「子どもはもうる時間か」と微笑ほほえんだ。意味が分からず首をかしげると、魔王さんは窓を指さす。見れば窓の外は食事の前よりも暗くなっているようだ。

「この城はどんてんおおわれているから時間は分かりにくいが、夜は来ている」

 魔王さんはそう言って立ち上がった。

「ついてこい」

 続いてろうに出ると暗さは一段と増していた。み出した先から自分の体がやみけるようだ。魔王さんが歩きだすとしよくだいの火がともるが、先ほどよりもそのほのおだいだいいろく見える。その夕焼けのように温かな橙が届かないところは黒い絵の具をぶちまけたようにしつこくに染まっている。先ほどまでは窓からわずかでも光が入っていたのだと、このくらやみになって気が付く。たしかに夜が来ている。

 炎は先ほどよりも明るく、かげは先ほどよりも濃い。とうかんかくに並んだ燭台の炎は呼応し合うようにらいでいる。はちみつみたいにとろっとした光とぬまのようにどろっとした影の間を魔王さんが歩き始める。

「トール、影につかまるなよ」

「へ?」

「転ぶなということだ。足元に気をつけろ」

 詩的な表現だが、そう言われて見れば足元にはわずかな光しか届いておらず、影が足首をつかんでいるかのようだ。カツ、……、カツ、……とゆったりと続く魔王さんの足音をたよりに歩く。かべにうつる魔王さんの影は異形そのものだ。炎の揺らぎや光源に合わせ、その異形の影は伸びたり縮んだり、数を増やしたり減らしたり、濃くなったりうすくなったりする。おどっているようで楽しげだ。その後ろをついて歩く私の影は小さく、やはり楽しげに踊っている。

 それにしても、静かだ。

「……魔王さんは、このお城にずっとひとりだったんですか?」

「そうだ」

「その、部下の方とか他にいないんですか。ほら、あの……魔王さんって死者と異形の王じゃなかったでしたっけ?」

 ゆらゆらと影が揺れる。魔王さんがこちらに視線を投げて微笑む。

「異形には意思がない。名前もない。意思のつうができないものは部下にはならない。ただ異形はりよくばいたいに活動する。魔力を操作すれば異形を魔王の部下に見せることはできる。死者もそうだ。がいの中に魔力を宿らせれば動かせはする。……たまに勝手に魔力が宿って動きだしてしまう者もあるが」

「ああ、だから死んで筋肉なくなっても歩けるんですね」

「そうだ。……他にも聞きたいことはあるか?」

 魔王さんはおもしろがるように目を細めて私を見ている。

 何故か子どもあつかいされているような気がしたけれど、いい機会だったので気になっていることを聞くことにした。ぺたぺたと大理石を走り魔王さんのとなりに並ぶ。魔王さんはなおのことゆっくりと歩いてくれて、ようやくその隣を歩ける。

「この城ってほうのお城ですよね。動いたりするんですか?」

「城の位置は最果てのとうから動くことはない。ただ部屋の場所は変わる」

「え、部屋の位置が変わるんですか?」

「ああ。最初は迷うかもしれないが、慣れれば城のげんも分かってくる……」

「城に機嫌があるんですか? 無機物ですよね?」

 魔王さんはけんしわを寄せた。

「ならば法則と言ってもかまわない。例えば玉座の間では風の魔法を使うと重力がくるう。平たく言うとお前は死ぬ」

「わたしはしぬ」

 さらりとけい宣告された。

「廊下も場所によっては魔法を使用するとゆかからやりが飛び出してきたり、岩が転がってきたり、底なしの血の海ができたり、……平たく言うとお前は死ぬ」

「わたしはしぬ」

 魔王さんはつらつらとおそろしい法則を並べ、ニヤリと笑った。

「そもそもこの城は魔力の密度が高い。高密度の魔力はそれだけでばくやくに成り得るから気をつけるにしたことはないな。お前はすぐに死にそうだし」

「えっ!! 危ないじゃないですか! ばくはつは駄目ですよ! 爆発は駄目ですよ!」

「何故、二度も言う……?」

「大事なことだからです!」

「……安心しろ。そうやすやすとは爆発しない。この魔王城の密度はおれさまが管理している。爆発するほどに濃くなることはない」

「魔力はほうすると爆発するんですか?」

「ああ。もしくは別の魔力がぶつかると爆発する」

「別の魔力……って、城で魔法使ってだいじようなんですか?」

「俺様の魔力は城の魔力だ。同一だから爆発は起きない。他の魔力であっても城より弱ければ城が飲み込むだろう。だから……ありえないことだが、もし他の人間がこの城と同等程度の魔力を放ったのであれば爆発する。平たく言うとお前は死ぬ」

「あ、私は死ぬんですね、やっぱり」

 なにも安心できなかった。私を見て魔王さんは少し微笑む。

「だがきっかけは魔法だ。魔法を使わない限り……いや『あの部屋』は指を鳴らすと床からつたが出てくるか」

 蔦が出てきた部屋は食堂だ。たしかに魔王さんはあのとき指を鳴らしていた。

「あれがトリガーだったんですか!? あの部屋!?」

「そうだ。あの部屋だと、舌打ちする、物を床に落とす、よごれた格好で入るだとかもきっかけになる。蔦も出るし、花もくし、……お前は死ぬだろうな」

「食事する部屋なのに!? デススイッチ多すぎませんか!?」

「いや、むしろ食事をするからこそあの部屋は決まりが多いのだろう。……今まで使わなかったから気がつかなかった。これからは気をつけなくてはいけないな」

 あの部屋使うのやめようとは言えなくなった。テーブルマナーを意識せずに使えるようになろうと決意したところで、ふと魔王さんが足を止めた。

「一度見てみれば理解できるだろう」

 ひょいと魔王さんは私をわんで摑んだ。

「ひょえっ!?」

 そのままわきかかえられたと思ったら魔王さんは近くのとびらり開けた。

「……えっ……なんで、ここに?」

 そこは玉座の間だった。

「いや、だって、玉座の間に向かって歩いてませんでしたよね!?」

 そもそも扉の形だってちがっていたのにそこは玉座の間だった。

「このように部屋は位置を変えようと思えば変えられる」

「そうなんですか!? 便利ですね!? 足いらないじゃないですか!」

 混乱して自分でも意味の分からないめ方をしてしまった。魔王さんは「足はいる」とすたすたと玉座まで歩を進めた。そして玉座にすわると私をぽいと自分のひざに置いた。あまりの不敬にあわてて下りようとした私の腹に異形の腕が回る。もふもふと温かい。

「死にたくないなら載っていろ」

「へ?」

 パチンと魔王さんが指を鳴らした。小さなたつまきが生まれふわりとかみく。

「さて、……今日はどちらに出るかな?」

「っうわあ!?」

 とつぜん、体が宙に向かって引っ張られる。とつに目の前にあった魔王さんの胸にすがりつく。「上か」と魔王さんは楽しそうに笑う。

「トール、てんじようくいの数を数えてみろ」

「天井……?」

 暗がりをにらむと玉座の真上にはつるぎさんのように無数のとがった杭があった。

「えっうわっ知りたくなかった事実!」

 魔王さんの束ねられた髪が地ではなく天に向かっていく。

 しかしその足はゆうに組まれたままだ。そのこわいろもどこか楽しんでいるようで命の危機にひんしている私との温度差しか感じない。しかもどんどん上に引っ張られる力が強くなっていく。やばい。目を閉じて全力で魔王さんの胸にすがりつく。

 冷たい指が私のほおをつつく。

「トール、どんなときも目は開いておけ」

「っはいっ」

「いい子だ、あれを見ろ」

 私が目を開けると魔王さんはやさしく微笑み、階段の下を指さした。

「お前のは飛んでいないだろう」

「え? あっ本当ですねっ……!」

 木の椅子は浮く様子なくしっかりと床についている。が、正直そんなことよりもけんすいをしているような気持ちになってきているし、血が頭にのぼってきて、痛い。魔王さんはそんな私と違って楽しそうに笑っている。

「この城はこの城『以外』のものに対して多くの規則を課している。それに反するとこういったしよばつあたえられる」

「なるほど!? めっちゃ厳しい先生ってことですね!?」

「……あの椅子もあの調理室も、お前を部下にしたことで現れた」

「へあっ!? そうなんですか!?」

「城はお前をかんげいしている」

「していますか!? これ!? していますか!? うぎゃっ! 飛んじゃうっ」

 すがりついた魔王さんの首からいいにおいがする。天使かな、天使だったな、そんなことを思っている間もどんどん引っ張られる力が強くなっていく。私の背中を大きな手が支えてくれているからぎりぎり飛んでいないが、もうこしは完全に浮いている。

「城は城独自の規則を持っている。それは自由意志と近い」

「ま、魔王さんっ! もう、う、腕が限界で!」

「同時に、この玉座は俺様の意識を反映する」

「これっいつまで引っ張られるんですかねっ!?」

「つまり……」

 魔王さんが私から手をはなした。

「うそっうわっぎゃあああっ!!」

 突然のことで一気に体が宙に投げ出された。

 ──落ちる!

 死んだと思った私の右手を魔王さんの左手が摑んでくれていた。その大きな手で私の手を包むように優しくにぎってくれている。腕はびきり体は完全に逆さになっているけど、杭は遠い。遠いけどこわい。泣きそうなぐらい怖いけれど、目を閉じるなと言われたから、なんとか開ける。

「トール」

 魔王さんが、ぐ、私を見ていた。

 その灰色のひとみの裏から青の光がこぼれ、まるでサファイアだ。

「怖いか?」

「っこわいというかっやっぱり人は地面に足をついていないとね! 駄目ですよ! 空なんか飛ばなくてもね! 歩きゃいいんですよ!! あああっ気圧がいたいいいいいっ」

「そういうことではなく、……俺様が怖くないのか?」

「はいぃい!? なんで!? 大好きですよ!」

 左手を伸ばし魔王さんの手を摑む。が、もう全身が限界をむかえていることも分かった。

「ごめんなさいっ魔王さんっお役に、立つ前にっ死んじゃいそうですうぅういいっ」

「……可哀想かわいそうやつだ」

 魔王さんが、神様みたいながおを浮かべた。

「ひゃあっ!?」

 重力が元にもどり、頭から魔王さんの膝の上に落下することになった。

「このようにこの城には機嫌がある。分かったか?」

「……大変よく分かりました」

 魔王さんは「いい子だな」と笑った。


***


 落下すいと落下事故の後、また魔王さんについて廊下を歩きだす。

「……部屋の場所が変わるなら廊下を歩かなくてもいいんじゃないですか?」

「俺様は魔王だから玉座に座ることが仕事だ。俺様が望めば玉座の間にはいつでも戻れる。ただ他の部屋は違う。そこは歩いていくしかない」

「玉座の間だけ一方通行なんですね……」

「時は同じ方向にしか進まない。行きたい場所があるなら自分の足で歩くのが正道だ」

 魔王さんは歌のようなことをさらりと言う。溶けたあめのような炎のかがやきを見ながら、もしかしてからかわれているのだろうかと少し考える。しかしその背中は特に笑っている様子はない。

 魔王さんが足を止め、ひとつの扉を指さした。

「この部屋を使え。俺様の部屋も近いから……」

 橙色の炎が魔王さんのりの深さをきわたせる。その体の左側は闇に溶けているが、壁には異形の影がゆらゆらと踊る。フェルメールのえがいた絵画のようにはっきりと分かれた光と影をまとった魔王さんが私を見下ろしている。

すこやかにねむれ、トール」

 魔王さんがモフモフの手で私の頰をでる。温かくて気持ちがいい手だ。つい笑ってしまうぐらいに気持ちがいい。『夢』の中で眠ったらきっとこの『夢』は終わってしまうだろう。だとしたら、眠ってしまうのはもったいない気がした。でも、夜は来ている。

「魔王さん、……今日、楽しかったですか? 私は本当に楽しかったですよ」

「ククッ……今日はいい部下ができた。だから、今日はいい日だった」

 魔王さんが楽しそうに笑った。

 きっと私はこの笑顔のためならなんでもできる。

 この笑顔を見られたのなら、きっと、今日は死ぬのにちょうどいい日だった。

「魔王さん、毎日楽しいことしましょうね」

「楽しいこと?」

「しあわせは心が満ち足りていることをいうんですよ。だからたくさん楽しいことで心をめていきましょう。私は、……私は魔王さんのそばにいられる限り、しいご飯を作りますよ。楽しいお話だってできるようにがんります。いつしようけんめい、頑張ります。だから、毎日たくさん笑ってください。いつもそばにおいてください」

 私が笑うと魔王さんは仕方なさそうに笑った。

「この城は暗いからな、怖くなったのか? 仕方ない。今日はいつしよに寝てやる」

「はい?」

 私がじっと見上げてもその真顔は変わらない。炎に照らされたその美しい顔は聖母像のように光に満ちた微笑みをたたえている。本当に美しいものを見るとのどおくで言葉がきようしゆくしてつぶれてしまう。魔王さんはそんな私を見て、ふ、と息をいた。

「心配するな。俺様が使っているしんだいは広いから問題はない……」

 なにかとんでもないかんちがいをされている気がする。しかし魔王さんはまた歩きだしてしまった。どこに案内されているのか。……ワンチャン? いや、そういうことじゃないだろう、これは。思い返せば魔王さんの私を見る瞳は、完全に……子どもを見る目だ。

「魔王さん、言っていなかったことがあります」

 げんそうに目を細めた魔王さんの顔を見つめ、口を開く。

「二十四です」

「なにがだ?」

「私がです」

「……は?」

「私が二十四さいです」

 魔王さんは目を見開いた。

 そのしゆんかん、廊下の燭台がいつせいに消えた。完全な暗闇の中で、完全なちんもくが落ちる。五秒ほど待っていると燭台の炎がついた。

「……」

 魔王さんが真顔で私を見下ろしている。私は眉間を押さえた。

「そんなにおどろきますか!?」

「……ありえない」

「ありえます!!」

「お前のような成人がいるか」

「いますよ!? 目を逸らさないでください! 私を見てください! っうわっ!?」

 魔王さんはこうを打ち切るように私をかついでしまった。米俵を持つようなその扱いは子ども相手とすればかんはない。魔王さんは私が抗議するよりも早く部屋の扉を開き、そこに私を放り込んだ。

「魔王さん、ちょっとこれ結構重要なことでっ」

「お前がひとりで寝られると言いたいことは分かった。まあ、怖い夢を見たら呼べ」

「呼びませんよ!?」

 魔王さんは私のさけびを鼻で笑った後に去っていった。

「……はぁ……!?」

 いやあせを流している自分の体をいまさら見る。着ているスーツが少し余っているような気がする。たけも少しずれているような気がするが、……それよりもこの『しろ』な両手。

「え、いや……いや、ちょっと待って、どういうことだ……」

 私の手の平が白かった頃など高校まで戻らなければならない。ひゅう、ひゅう、と喉が鳴っている。自分の頰にさわり、頭に触る。そうだ、髪が短くなっている。どこかで切れたのかぐらいに考えていた。けれど、そうじゃないのだろうか。

 部屋をわたす。

 放り込まれたこの部屋は十五じようぐらいの広さだ。壁はしろりだが、目線の高さに金色のりようで大量のねこが描かれている。寝ている猫や走っている猫など、自由な猫たちが描かれている。それは可愛かわいらしいが他にそうしよくはなく、台所に近いシンプルなつくりだ。家具もベッドとクローゼットとドレッサーと数冊の本が入ったほんだながあるだけだ。

 ドレッサーの前に座り、かくを決めて鏡の中の自分を見る。

「……、少なくとも、私か……よかった、別人よりはましだ」

 そこにはおくどおりの私の顔があった。ただ、──恐らく中学生ぐらいの自分だ。

 社会人特有のみついたつかれはなく、ほおぼねの上にあったはずのシミもなくなっている。髪は短く、ストレートパーマの効用が消えてなつかしいくせが出現している。そんな自分の顔を見ていると、なにかを忘れているような気がした。大切なことを。

「……なにか、が、違う……」

 きようれつな違和感はあるが、なにが違うのかが分からない。

「……これは、……『だれだ』……?」

 ──……六では幼すぎるだろう……十二ぐらいならいいか。

 急に頭に痛みが走る。ずく、ずく、と眼球の裏側をいもむしいずり回っているかのようだ。脳みそがはじけようとしているさつかくを覚えるほどに痛い。どうに合わせて痛みが頭の中をはんきようぞうふくかいなノイズを立てている。ずき、ずき、と痛い。

《──こちらに落ちてこい》

 誰かの声がする。

 コツ、コツ、と音が聞こえる。自分の頭の中で音が鳴っている。

「あの笑顔が見られるなら、このぐらいのだいしよう、安い」

 私の姿かたちなどどうだっていい。私は私だ。二十四年間の記憶を持っている。それに今ここになによりも美しい魔王さんがいる。だったら、それ以上のものはない。

「感謝いたします。この、最高の夢に」

 都合の悪いところには目を向けないでいればいい。だって魔王さんがいるならそれだけで最高だ。どうか眠ってもこの『夢』が続きますようにといのる。

 頭痛は続いている。スーツをいでクローゼットにしまい、代わりに入っていたガーゼ素材のネグリジェにえる。部屋に備え付けられたおで足だけ洗い、よしとする。

 さすがに疲れていた。

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