第三章 規則
①
「この城は
魔王さんはそう言って立ち上がった。
「ついてこい」
続いて
炎は先ほどよりも明るく、
「トール、影につかまるなよ」
「へ?」
「転ぶなということだ。足元に気をつけろ」
詩的な表現だが、そう言われて見れば足元にはわずかな光しか届いておらず、影が足首を
それにしても、静かだ。
「……魔王さんは、このお城にずっとひとりだったんですか?」
「そうだ」
「その、部下の方とか他にいないんですか。ほら、あの……魔王さんって死者と異形の王じゃなかったでしたっけ?」
ゆらゆらと影が揺れる。魔王さんがこちらに視線を投げて微笑む。
「異形には意思がない。名前もない。意思の
「ああ、だから死んで筋肉なくなっても歩けるんですね」
「そうだ。……他にも聞きたいことはあるか?」
魔王さんは
何故か子ども
「この城って
「城の位置は最果ての
「え、部屋の位置が変わるんですか?」
「ああ。最初は迷うかもしれないが、慣れれば城の
「城に機嫌があるんですか? 無機物ですよね?」
魔王さんは
「ならば法則と言ってもかまわない。例えば玉座の間では風の魔法を使うと重力が
「わたしはしぬ」
さらりと
「廊下も場所によっては魔法を使用すると
「わたしはしぬ」
魔王さんはつらつらと
「そもそもこの城は魔力の密度が高い。高密度の魔力はそれだけで
「えっ!! 危ないじゃないですか!
「何故、二度も言う……?」
「大事なことだからです!」
「……安心しろ。そうやすやすとは爆発しない。この魔王城の密度は
「魔力は
「ああ。もしくは別の魔力がぶつかると爆発する」
「別の魔力……って、城で魔法使って
「俺様の魔力は城の魔力だ。同一だから爆発は起きない。他の魔力であっても城より弱ければ城が飲み込むだろう。だから……ありえないことだが、もし他の人間がこの城と同等程度の魔力を放ったのであれば爆発する。平たく言うとお前は死ぬ」
「あ、私は死ぬんですね、やっぱり」
なにも安心できなかった。私を見て魔王さんは少し微笑む。
「だがきっかけは魔法だ。魔法を使わない限り……いや『あの部屋』は指を鳴らすと床から
蔦が出てきた部屋は食堂だ。たしかに魔王さんはあのとき指を鳴らしていた。
「あれがトリガーだったんですか!? あの部屋!?」
「そうだ。あの部屋だと、舌打ちする、物を床に落とす、
「食事する部屋なのに!? デススイッチ多すぎませんか!?」
「いや、むしろ食事をするからこそあの部屋は決まりが多いのだろう。……今まで使わなかったから気がつかなかった。これからは気をつけなくてはいけないな」
あの部屋使うのやめようとは言えなくなった。テーブルマナーを意識せずに使えるようになろうと決意したところで、ふと魔王さんが足を止めた。
「一度見てみれば理解できるだろう」
ひょいと魔王さんは私を
「ひょえっ!?」
そのまま
「……えっ……なんで、ここに?」
そこは玉座の間だった。
「いや、だって、玉座の間に向かって歩いてませんでしたよね!?」
そもそも扉の形だって
「このように部屋は位置を変えようと思えば変えられる」
「そうなんですか!? 便利ですね!? 足いらないじゃないですか!」
混乱して自分でも意味の分からない
「死にたくないなら載っていろ」
「へ?」
パチンと魔王さんが指を鳴らした。小さな
「さて、……今日はどちらに出るかな?」
「っうわあ!?」
「トール、
「天井……?」
暗がりを
「えっうわっ知りたくなかった事実!」
魔王さんの束ねられた髪が地ではなく天に向かっていく。
しかしその足は
冷たい指が私の
「トール、どんなときも目は開いておけ」
「っはいっ」
「いい子だ、あれを見ろ」
私が目を開けると魔王さんは
「お前の
「え? あっ本当ですねっ……!」
木の椅子は浮く様子なくしっかりと床についている。が、正直そんなことよりも
「この城はこの城『以外』のものに対して多くの規則を課している。それに反するとこういった
「なるほど!? めっちゃ厳しい先生ってことですね!?」
「……あの椅子もあの調理室も、お前を部下にしたことで現れた」
「へあっ!? そうなんですか!?」
「城はお前を
「していますか!? これ!? していますか!? うぎゃっ! 飛んじゃうっ」
すがりついた魔王さんの首からいい
「城は城独自の規則を持っている。それは自由意志と近い」
「ま、魔王さんっ! もう、う、腕が限界で!」
「同時に、この玉座は俺様の意識を反映する」
「これっいつまで引っ張られるんですかねっ!?」
「つまり……」
魔王さんが私から手を
「うそっうわっぎゃあああっ!!」
突然のことで一気に体が宙に投げ出された。
──落ちる!
死んだと思った私の右手を魔王さんの左手が摑んでくれていた。その大きな手で私の手を包むように優しく
「トール」
魔王さんが、
その灰色の
「怖いか?」
「っこわいというかっやっぱり人は地面に足をついていないとね! 駄目ですよ! 空なんか飛ばなくてもね! 歩きゃいいんですよ!! あああっ気圧がいたいいいいいっ」
「そういうことではなく、……俺様が怖くないのか?」
「はいぃい!? なんで!? 大好きですよ!」
左手を伸ばし魔王さんの手を摑む。が、もう全身が限界を
「ごめんなさいっ魔王さんっお役に、立つ前にっ死んじゃいそうですうぅういいっ」
「……
魔王さんが、神様みたいな
「ひゃあっ!?」
重力が元に
「このようにこの城には機嫌がある。分かったか?」
「……大変よく分かりました」
魔王さんは「いい子だな」と笑った。
***
落下
「……部屋の場所が変わるなら廊下を歩かなくてもいいんじゃないですか?」
「俺様は魔王だから玉座に座ることが仕事だ。俺様が望めば玉座の間にはいつでも戻れる。ただ他の部屋は違う。そこは歩いていくしかない」
「玉座の間だけ一方通行なんですね……」
「時は同じ方向にしか進まない。行きたい場所があるなら自分の足で歩くのが正道だ」
魔王さんは歌のようなことをさらりと言う。溶けた
魔王さんが足を止め、ひとつの扉を指さした。
「この部屋を使え。俺様の部屋も近いから……」
橙色の炎が魔王さんの
「
魔王さんがモフモフの手で私の頰を
「魔王さん、……今日、楽しかったですか? 私は本当に楽しかったですよ」
「ククッ……今日はいい部下ができた。だから、今日はいい日だった」
魔王さんが楽しそうに笑った。
きっと私はこの笑顔のためならなんでもできる。
この笑顔を見られたのなら、きっと、今日は死ぬのにちょうどいい日だった。
「魔王さん、毎日楽しいことしましょうね」
「楽しいこと?」
「しあわせは心が満ち足りていることをいうんですよ。だからたくさん楽しいことで心を
私が笑うと魔王さんは仕方なさそうに笑った。
「この城は暗いからな、怖くなったのか? 仕方ない。今日は
「はい?」
私がじっと見上げてもその真顔は変わらない。炎に照らされたその美しい顔は聖母像のように光に満ちた微笑みを
「心配するな。俺様が使っている
なにかとんでもない
「魔王さん、言っていなかったことがあります」
「二十四です」
「なにがだ?」
「私がです」
「……は?」
「私が二十四
魔王さんは目を見開いた。
その
「……」
魔王さんが真顔で私を見下ろしている。私は眉間を押さえた。
「そんなに
「……ありえない」
「ありえます!!」
「お前のような成人がいるか」
「いますよ!? 目を逸らさないでください! 私を見てください! っうわっ!?」
魔王さんは
「魔王さん、ちょっとこれ結構重要なことでっ」
「お前がひとりで寝られると言いたいことは分かった。まあ、怖い夢を見たら呼べ」
「呼びませんよ!?」
魔王さんは私の
「……はぁ……!?」
「え、いや……いや、ちょっと待って、どういうことだ……」
私の手の平が白かった頃など高校まで戻らなければならない。ひゅう、ひゅう、と喉が鳴っている。自分の頰に
部屋を
放り込まれたこの部屋は十五
ドレッサーの前に座り、
「……、少なくとも、私か……よかった、別人よりはましだ」
そこには
社会人特有の
「……なにか、が、違う……」
「……これは、……『
──……六では幼すぎるだろう……十二ぐらいならいいか。
急に頭に痛みが走る。ずく、ずく、と眼球の裏側を
《──こちらに落ちてこい》
誰かの声がする。
コツ、コツ、と音が聞こえる。自分の頭の中で音が鳴っている。
「あの笑顔が見られるなら、このぐらいの
私の姿かたちなどどうだっていい。私は私だ。二十四年間の記憶を持っている。それに今ここになによりも美しい魔王さんがいる。だったら、それ以上のものはない。
「感謝いたします。この、最高の夢に」
都合の悪いところには目を向けないでいればいい。だって魔王さんがいるならそれだけで最高だ。どうか眠ってもこの『夢』が続きますようにと
頭痛は続いている。スーツを
さすがに疲れていた。
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