***


 俺様の城の中でも、その部屋は初めて見るつくりをしていた。

 広さは無数にある客室と同じ程度だが中にあるものは全く違う。部屋の中央には作業台があり、かべぎわには見たことがない装置が並んでいる。トールはそれを見て「このお城のキッチン古いですねえ。私の実家にそっくりですよ」と笑った。つまりこの金属製の机のように見えるものは調理用の機械なのだろう。使い込まれた金属の輝きを帯びているその装置でいかに料理を行うのかは想像できない。それだけでなく壁にまでおうぎが複数重なっているものがついている。調理を行う家にはついているものなのだろうか。

 それにしても他の部屋とあまりにも違いすぎる。トールが言う通り室内は古いようで壁にひび割れも入っている。それに他の部屋にはしつこいほどある様々な装飾がはいせきされている。機能性のみを求められ作られているようだ。またトールに合わせているのか全てのものが小さく、俺様がさわるとこわしてしまいそうだ。

 ともかく手出しはしない方がいいだろう。作業台に腰をかけトールを見る。

 トールはたなから取り出したびんを両手で持ち、顔を真っ赤にしてうなっていた。

「……おい、よこせ」

「自分で開けられますっ」

「無理をするな」

 その手から瓶をうばい指先で開けてやるとトールは目になみだをためてふるえていた。

「……泣くようなことではない」

「こんなっ料理ひとつもまともにできないなんてっ」

「お前は自分に厳しいな」

 弱い割に、と続けそうになった言葉を飲み込む。言う必要がない言葉だ。

 トールは瓶を持つと「明日までには改善いたします」とぼうなことを言った。しかしその瞳はしんけんだったので「そうか」と返しておいた。

「……トマトがあるなあ、お肉はこれで……」

 トールはなにを聞いてもとつぴようもない答えを返してくる。けれど鑑定したら、そこにうそが全くないことは分かった。思いつくことをそのまま口から出しているだけだ。それほどまでに『幼い』のだ。見た目から察するに十さいにもなっていない。

 この魔王城にこのような幼い子どもがひとりで来れるはずもない。何者かの手引きがあったことは確実だ。しかしトールはそれを覚えていない。どうやってここに辿り着いたかをたずねたときにトールから読み取れた記憶は、くらやみから魔王城の前に急にわっていた。通常、目覚めたときの記憶を再生すればねむりにつく前のことも少しは思い出すはずだがそれが全くなかった。つまり何者かによってその何者かについての記憶をふうじられているのだろう。こんな子ども相手に異様な手の込みようだ。しかしそうまでして魔王城に子どもを送り込む意図が分からない。

 トールは『生命値9』だ。拾ったときなど毒にやられていて『2』まで落ち込んでいた。魔力値に至っては数値にするほどもないらしく『0』だ。石がぶつかっても死ぬ可能性があるほどに弱い。こんな子どもになにができるというのか。こんな子どもにどうこうされる魔王と思われたのだろうか。それともこのような子どもなら魔王をだませるとでもいうのだろうか。……だとしたらそいつはこの魔王をあまく見すぎだ。

 記憶のかせなど力づくでも解ける。それによってこの子どもの精神は完全に壊れ、その肉体も壊れるかもしれないが、そんなのは俺様には関係ない。

 調理を始めているトールの頭に向かって、先ほども描きかけた『強制的に記憶を取り戻す』ための魔法陣を描いていく。城の魔力が俺様の指先に集まり、魔力の光が青く輝く。

「……きみ、は、だあれ、ぼくは、きみの、こっくさん」

 トールは急に楽しそうに歌いだした。

「まっかな、とまと、ぐつぐつ、ことこと、おなべで、ことこと、ぐつぐつ」

 とおる、と名乗った子どもはその名前に合う透き通った声をしている。だからその歌は聞いていて不愉快なところがなく、むしろ……もっと長く聞いていたいと思わせる声だ。

 魔法陣を描くのをやめ、集めた魔力を散らす。

「おにくは、ぐっさぐさ、さします、さします、ひにかけて、じゅうじゅ、じゅうじゅ。おまめは、ざらざらいれましょ、ざらざら……あっ!」

「どうした?」

 トールが急に歌うのをやめ、びた機械のように不自然な動きで振り返った。そうして俺様を見た後、ギギギと視線を装置に戻し、静かに調理を再開した。

「……なんだ?」

「……聞いてましたか?」

 質問の意味を考える。

「ふ、」

「あ! 笑いましたね!」

「笑ってない」

「違うんですよ! いつもはちゃんとしてるんです! 今は浮かれちゃっただけで……」

「分かった、……分かった」

 顔を赤くして「本当ですよ!」とトールが言う。鑑定を使うまでもなく、表情だけで何を考えているのかよく分かる。

『だから』だ。だから、トールと話しているとすぐにけいかいが薄れてしまう。結果的に、追い返すつもりが部下にしてしまっているし、こうやって魔法陣を描いては発動させる前に消してしまっている。

「いつもは調理ぐらいぱぱっとやっちゃっているんですよ! 鼻歌なんてもう十年ぐらいはしてないレベルでして、本当に想定外というかっ……」

 顔を赤くしながらあれやこれや言い訳をしているトールを見る。ただの子どもだ。こんな子ども相手に警戒もなにも必要ないだろう。

「お前の歌は聞いていてここいい。歌え」

「そんなこと言われても……いえ、なんでも歌います! 魔王さん賛歌でいいですか!?」

「なんだそれは」

「あっそれっ! うーちの魔王さーんはっ世界一ーぃ!」

「妙な歌はやめろ」

「……はい……すいませんでした……」

 落ち込んでいるその顔が妙におかしくてまた笑ってしまいそうになるのをこらえる。

「なにを作っているんだ?」

「え? あ、これはとりにくのトマトみを作っています」

 鉄製の機材の上で肉が熱せられている。へびの切り身のようだが、トールは鶏肉と信じている様子だ。なら言わずともいいだろう。

「すぐできるのか?」

「煮込みますのでここから二十分ぐらいですかね」

「そうか。ずいぶんかかるんだな」

「そうですね、待っている間に他のものを作りましょう。そうだ! パンケーキ作りますね!」

「ぱんけーき」

 トールはだなを開けてなにかの粉を持って来た。

「ふわふわとしっかりしているのと、どっちがいいですか?」

「ふわふわ、しっかり?」

あまいのがお好きですか? それともしょっぱいのがいいですか?」

「あまいの、しょっぱいの?」

 よく分からず言われたことをかえしていると、トールが急に俺様の目を覗き込んできた。さぐるような瞳だがそこに魔力はない。魔法を使っているならはじき飛ばせばいいが、ただ見られるのというのはどうしたらいいか分からず妙にごこが悪い。

「……なんだ?」

「魔王さんは、だんなにをがっていらっしゃるんですか?」

「実か肉だな」

「どのように加工されるんですか?」

「そのまま食べている。……なんだ、その顔」

 トールは呆れたように俺様を見ていた。鑑定すると『だこの子、しあわせにしてあげないと』と意味不明のことを考えていた。

「お前なんなんだ」

「あなたの部下です」

 当たり前のようにそう返されると、それ以上聞きようがなかった。

 トールが戸棚から白い粉と黒い液体を持ってきた。小皿に少量ずつ出して、俺様に差し出してきた。

「ちょっとめてみてください」

「これをか?」

「はい」

 渡された粉と液体を言われた通りに舐める。

「それは砂糖なので、糖分による甘さの代表になります。……嫌な味ですか?」

「嫌、ではない。れた果実に近いな」

「なるほど、分かりました。では、こちらはどうでしょう」

「……なんだこれは……」

「それはしようを少し薄めたものですね。しょっぱいですか?」

「しょっぱいとはなんだ?」

「えっ……舌がびりっとなったりしますか? 食べられないと感じますか? きらいな味ですか?」

「……嫌いではないが、単体で舐めるものか?」

「なるほど、分かりました!」

「……なにが分かったんだ?」

 頭の中を覗くと『あとは苦味だなあ……魚焼くかなあ……』と考えていた。もしや、……俺様の味覚を試験したのだろうか。だとしたら何故そんなことをしたのか。……俺様の味覚に合うものを作ろうとでもいうのだろうか。……ありえない。毒を入れられる方が信ぴょう性が高い。どうせ毒など効きはしないのだから好きにすればいい、そんなことを考えながらその小さな背中をながめる。

 トールは「じゃあ作りますね」と卵や粉や液体をうつわに入れていく。

「魔王さんにしいって思ってもらえるものを作りますから! 楽しみにしていてくださいね!」

「……、……そうか」

 この魔王城には今までこんな部屋はなかった。この魔王には今まで部下などいなかった。だから正しいあつかい方が分からないし、どう考えればいいのかも分からない。今言えることはこれだけだ。

「お前は、……おもしろいな」

 こいつがいると城が変わる。こいつは俺様の思考を超える反応をする。それが面白い。トールは俺様の顔を見て、破顔した。

「魔王さんに面白がってもらえるのは嬉しいですね! 私も魔王さんが返事をしてくださるからお話しするの楽しいですよ。今までずっと無視されていたので!」

「……は?」

 トールの言葉は全く予想していないものだった。しかしトールの笑顔には少しもかげりはなく、どろじようになった粉をかき混ぜる動きも続いている。自分の発言を少しも変に思っていない様子だ。しかしたしかに今、トールは『無視されていた』と言った。罪もない小さな子どもが無視されているかんきようというのは、異常だ。

 トールの手から器を奪い取り、ようで混ぜる。

「えっいや、私がやるので……」

「無視されていたというのはどういうことだ?」

「へ?」

「どういうことだ」

 トールは元から丸い瞳をさらに丸くした。俺様が視線をらさずにいると「ええと」と困ったように小首をかしげた。

「大したことじゃないですよ。いつしよにいる仲間がいなかっただけです」

「何故? 人は群れるものだろう?」

「あっもうそのぐらい混ぜていただければじゆうぶんです」

 トールは俺様の手から器を取った。それから俺様に背を向けて装置を操作し、火をおこした。その火の上に鉄製の機材を置きそこに油を流し入れる。油が鉄の上を広がる。混ぜていた半固形の物質をその上に流し入れると、それも丸く広がり、熱により固まっていく。

「焼けたら出来上がりですからね」

「そうか……」

 その視線がこちらに戻らない。

「……トール」

 呼びかけるとやっとトールはこちらを向いた。

 まゆが下がり口角が下がっている。先ほどまでの楽しそうなものとは全く違う表情だ。

「話したくないのか? それほどれつあくな環境で暮らしていたのか?」

「そう、いうわけではないですが……私の話なんて楽しくないですよ?」

「楽しいかどうかを判断するのは俺様だ。それに、今まで話し相手などいなかったからかくもできない」

「あ。とも……」

「友達がいないとかそういうことではない、俺様は魔王だぞ」

「まだなにも言ってないじゃないですか!」

「うるさい」

「あはっふふっ……」

 トールが笑うと、そうやって楽しそうにしている方がずっといいと思う。けれど、ずっと笑われるのはか不愉快だった。

「なにがおかしい」

「いや、魔王さん天使だなって」

「魔王だ」

 その頭を軽くたたくようにでると「すいません」と言ってトールが笑った。

「……それで、トール、……無視されていたというのはどういうことだ」

「そうですね……どう言えばいいかな……」

 トールは首をかしげると鉄製の機材の上で焼かれているものを見た。しかしその視線はそれを見ているというよりは、もっと遠く、ここではないどこかを見ているようだった。しようてんの合わない瞳がゆらゆらと泳ぎ、その口が小さく開く。

「私は、……ゆうしゆうなんですよ」

「どういう意味だ?」

「……ああ、……そうか、そこから疑問を持たれるのか……」

 トールは口元をゆがませた。それは笑顔に似ているが、笑顔ではなかった。

 口角が上がっているだけの、まるで仮面のように不自然な顔だ。

「魔王さんからすれば、私はなにもできないむすめにしか見えないでしょうね。それでも部下として受け入れてくださる魔王さんのかんだいさにはおそれすら感じますよ。……使えない人間など捨ててしまえばいいのに……」

「トール、皮肉で言ったつもりはない。なににおいて優秀かを聞いている」

「えっ……」

 トールがはたとなにかに気が付いた様子で顔を上げた。その顔には仮面の笑顔は消え去っていた。トールは心底慌てた様子で「ごめんなさい」と頭を下げた。

「謝るな。俺様の言い方が悪かったんだ。すまなかったな」

「いや、その、……皮肉ばっかり聞いてきたもので……ごめんなさい」

「かまわない。それもふくめてちゃんと説明をしろ」

 俺様の言葉にトールは深呼吸をしてから口を開いた。

「……私は今までそこになかったものを作り出すことが得意なんです。ひらめきや思いつきではなく考えついたことを『現実』に起こしていくこと、その点において私は優秀だと自負しています。でも、考えついたことを他人に理解してもらうには、思考に至った全ての前提を分かっていただかないといけません。それには恐ろしいほどに時間がかかります。時間をかけても理解してもらえないことの方が多いですしね」

 説明を続けていくトールの目がまたどこか遠くを見始める。その頭の中をのぞくと、多くの大人たちの顔が見えた。その大人たちの表情はどれも子どもに向けていいものではなく、まるで化け物を見るような視線だ。

『気味が悪い』と大人がトールを責める。『可愛かわいげがない』と大人たちがトールをわらう。

「結果が出ていても、過程が理解できないのって怖がられるんですよ。だからこそ大きなことであればあるほど理解は必要で、むしろ結果よりも重要だったんです。なのに私は他者の理解を得ようとしないまま、ひとりでやってしまった。その方が早くて楽だからという理由で。……そんなやつは可愛げがないでしょう? ちゃんと空気を読んで、きようして、少しずつ現状を変えていかないと駄目なんですよ。手間がかかろうが、そうしないと理解してもらえないから、しんらいしてもらえない。仲間なんてできっこないんです」

 その小さな頭の中には様々な数字が浮かんでは消えていく。それに対し周りの大人たちは『頭がおかしい』と笑う。トールの思考の重さと周りの大人たちの言葉の軽さはどこもみ合うことがなく、トールの思考ばかりが重さを増していく。まりにごよどうらみのように重くしずむ。なにかを作り続けるトールの手が黒ずみ、傷ついていく。

「それでも結果がしかったんです。どうしても、すぐに結果が欲しかった……」

「結果? なにをしたかったんだ?」

「今となってはただの過去の『夢』ですから話せることはありません」

 トールの思考は欲しかった『結果』まで進むことなく切り上げられた。しかし、そこには深い痛みがあった。あきらめてしまった『夢』に対する痛みだけがあった。思い出すことすらこばむだけの痛みがそこにあった。

 トールは俺様を見て、困ったように眉を下げて笑った。

「あー、ごめんなさい。やっぱり楽しい話にできませんでした。そんな顔しないでください。もう全部終わった話で、全部私が馬鹿だったって話ですよ。だから、笑ってください。あー、馬鹿なやつだなーって……」

 その頭の中にははや『魔王さんをしあわせにしたい』というおもいしか残っていない。何故そんな意味の分からない想いだけ残して、後のことはどうでもいいと思っているのか。

 子どもが自分のことを第一に考えられない不幸は世界に『ふたつ』もいらない。

「トール」

 右手で小さな頰にれると、トールは驚いたのか身を固くした。

「……えと……魔王さん?」

 どう言えばこの子どもの考えを変えてやれるだろうか。

 終わってしまった『夢』の痛みに寄りっても、きっとこの子どもは困ったように笑うだけだ。ならばどう言えば、そのくつ微笑ほほえみをぬぐい取ってやれるのだろう。

 少し考えてから口を開く。

「環境がお前に合っていなかっただけのことを、お前のせいにするな」

 トールは俺様の言いたいことが分からないのか、不思議そうに俺様を見上げる。

「お前は『夢』を追い求めればいい。そこに理解など求めなくていい。ただお前がひとりで煮詰まってしまったときは俺様がお前の話を最後まで聞こう。何度だって聞こう。楽しい話じゃなくていい。だから、……そんな風に自分をするな」

 トールは眉を下げて笑う。卑下ではなく自分が悪かったのだと言いたげに笑う。だからその口が余計なことを言いだす前に口を開く。

「ならいっそ馬鹿でいい」

「え?」

「俺様は魔王だ。そうだな?」

「……はい、魔王さんです」

「だから、群れなければいけない人間とは違う」

「……えと……そうなんですね?」

「お前は今ここに魔王の部下としているのだ。そうだろう?」

「そうです、私は魔王さんの部下です」

 何故それをそんなに嬉しそうに宣言するのかは分からないが、それがトールにとって嬉しいことなら──右手でその髪をく。

「俺様は部下に可愛げなど求めない。空気なども読まなくていい。たとえお前がなにもできなくても、役に立たなくてもいい。を張るな。噓をつくな。できることをやればいい。俺様が求めていることはそれだけだ。……お前はもうこの魔王のものなのだ。もう自分を低く見積もるな。この俺様の部下であることをほこれ。……分かったか?」

 トールの顔から表情が消えた。

「……」

 トールは無言でぱんけーきをひっくり返した。いいにおいがする。

 しかしトールの顔に表情は全くない。頭の中を覗いてみても完全な無である。

「……トール?」

 呼びかけてみるが反応が全くない。

「……おい、どうした……?」

 まるで死者のようだ。獣の方がまだ感情がある。

 つめを完全にしまい左手でその小さな頭をつついてみる。トールの髪は好き勝手はねていて、俺様のものよりもかたい。しかし獣たちとは比べ物にならないぐらい触り心地が良く甘い匂いがする。その髪をつぶすように頭をつついていると思考が戻ってきた。

『もふもふ!』

 ……こいつ、やはり馬鹿かもしれない。

「おい、こら、おい」

「ぷにぷに」

「トール!」

「ひゃい!」

 声を大きくするとようやくその瞳の焦点が合った。しかし何故かすぐにらされた。

「どうした?」

「え……と、あの、……そんな扱いというか……評価されたことなかったので、しようげき、というか……」

「は? 子どもはいつでも評価してもらえるものだろう?」

「子どもではないので!」

「子どもだろう……? なにを言っているんだ?」

「はい、パンケーキ焼けました!」

 鑑定のためにその顔を覗き込もうとしたら、何故か赤い顔でトールがぱんけーきのった皿を突き出してきた。右手でそれを受け取る。

「あっトマト煮もできましたよ! どこで食べますか?」

「ああ……、食事のための部屋があったはずだが……」

「じゃあそこで! はい!」

 トールがざらざらと煮込み料理を器に入れていく。

「なんだ、急に」

「なにがですか!」

「早口だ」

「そんなことっ、ない、です! あっちょっ今、鑑定するのはやめていただきたくっ」

『こんな理想の上司がいていいのかよっ神様っ天使かよっ最高すぎるんですけどっ意味分かんないっ最高っ魔王さん最高っ好き! めっちゃ好き! さっきまでも好きだったけどもう意味が分からないぐらいに好き! ときめくなってのが無理なんですけど! けつこんしてくれ! 結婚を前提に結婚してくれ! そして顔がいい! 顔が! いい!』

 ひとまずトールから目を逸らした。

「……、……食べる部屋を、探してくる」

「……はい、いってらっしゃいませ」


***


 魔王さんが見つけてくれた部屋はまさにばんさんかい用のホールだった。

 三十人は一度に座れそうな長いテーブルが中央に置かれ、その机には背の高い花器が置かれ色とりどりのけられている。天井には鳥をモチーフにした金の装飾が広がり、大きなシャンデリアが四つもり下がっている、足元を見ると薔薇をモチーフにした絨毯。しかしどういうわけか椅子はふたつしかなく、ひとつは誕生日席でもある最上座にあり、もうひとつはそのみぎどなりに置かれていた。すでにむらさきいろのテーブルクロスもセットされており、そこ以外に座ることは許されない状態になっていた。近すぎて恐れ多すぎるというのに、魔王さんは全く気にする様子はなく上座に腰をかけて「早くしろ」と私をうながす。仕方なくいそいそと料理を運び、こそこそと席に着いた。

 こんな格式高い夕食のつもりで料理は作っていないし、こんなとんでもないところで食事などしたことがない。フォークは外側に置かれたものから使うというが、どのタイミングで変えろというのか。パンケーキとトマト煮なんてほぼワンプレートだぞ。

 ちらり、と魔王さんを見ると、魔王さんはゆうにナイフを用いてパンケーキとトマト煮を切り、姿勢を乱すことなくぱくりと口に入れた。ナイフの音はいつさい鳴らず、しやくおんすらない。素材をそのまま食べるとか言っていた割に完璧なテーブルマナーである。きらりと光るものが見えたから左手は爪を使ってナイフを持っているのだろう。器用だ。

 こんなことなら先生が再三言っていたマナーのいろはをちゃんと聞いておけばよかった。『透は女の子なんだからいいレストランでご飯おごってもらう機会もたくさんあるはずだから! こういうのが後々大事になるんだよ! 机の上に足を乗せない!』などと言っていたのを全部無視していたツケがまさかこんなところで回ってくるとは思わなかった。震える手でナイフとフォークを持ち、南無三、女は度胸、などと考えながら鶏肉を切る。かちゃん、と鳴った。他に音がしないためにその音はとてもよくひびいた。

「……ごめんなさい」

「なにがだ?」

 魔王さんは全く気にした様子なく食事を続けている。何故これほど音が鳴らないのか。その手元を観察すると、私のように気合を入れて切ってはおらず、むしろゆったりとした動作だ。……たしかに勢いよく切ると皿とせつしよくする可能性は高いだろう。

 手先に神経を集中させ、鶏肉のせんに沿い、ゆっくりとナイフを引く。音は立たずに肉が切れた。つまりこれは『解体』と思えば大したことではない。脳内の先生が『そういうことじゃないよ、透』と言っている気がしたが無視して、食べる。音を鳴らさずに一口食べることができて、ほ、と息を吐く。

「……うまい」

 小さい声だった。けれど他に音がなかったから、たしかに魔王さんがそう言ってくれたのを聞くことができた。顔がにやけるのが分かる。

「よかったです」

 パンケーキはトマト煮に合わせて甘いものではなくカリっとして少し塩気のあるものに仕上げた。魔王さんは説明せずとも肉と合わせてパンケーキを一口に切って、一緒に食べている。それでうまいと感じるということは、やはり私の味覚と魔王さんの味覚はそれほどブレがないのだろう。そのことにも安心していると、ふと魔王さんがこちらを見た。

「甘いものも食べてみたい」

「かしこまりました! おやつのときにしましょう!」

「おやつ?」

「午後三時に食べるものですね」

「……? 日に何度も食べるのか?」

「もしかしてあまり食事をしない……ですか?」

 私の質問に魔王さんは少し考えるように目を伏せた。

 長い睫毛の影が頰に落ちる。その影ひとつとっても完成されている。しんそうじんを覗き見ているようなほのぐらよろこびを覚える。ふ、とその薄く色のついたくちびるが開く。

「月に一度は獣を食べる」

「ん? 蛇かな?」

「魔王だが?」

「ちなみに獣というのは」

まるみできる程度のものだな」

「やっぱり蛇かな?」

「魔王だが?」

「ちなみに獣はどう食べるんです?」

「しめて、飲む」

「蛇だな?」

「魔王だが?」

 そう言いながら魔王さんは大きめに切られた肉をひょいと一口でほおった。どこに収納されているのか分からないが、頰をふくらますこともなくすずしい顔で食べ続けている。

「こういった食事は自分で作るとうまくいかなくてな、……うまいな……」

「あっ! しあわせにしますね!」

「なんなんだ、それは……」

「アップルパイ焼きますね!」

「あっぷる? ……好きにしたらいい」

 そうだった、料理しようとしたら毛が入っちゃうんだよね! 分かります分かります、ねこちゃんのお手てなんだもんねっ! でも、料理自体は気になってたんだよね! だからテーブルマナー完璧なのか! もうこれは確定的にしあわせにしてあげるしかない。

「……」

 綺麗に全て食べきった魔王さんはナプキンで口をいてからこちらを見た。その視線の意味は分からなかったので、とりあえず首をかしげる。

「……、そういえば」

 ぱちん、と魔王さんは右手で指を鳴らす。たん、足元から『なにか』出てきた。

「ぎゃあっ!? なんですかっこれ!?」

「これは最下層のしよくじんつただな」

「しょくじん!?」

 ホールの床から突然生えた草は机や椅子ごと私たちを押し上げていく。

 それどころか、私の足から腰のあたりまで締め上げてきている。あれ、これ死んじゃうぞ!? しかもこの草、何故か魔王さんには蔦をばさず、その椅子をただ持ち上げているだけである。おかしい。完全なる不平等!

「なんで私ばかり!?」

「お前が人で、俺様が魔王だからだ」

「っぐえっ」

「この城には必要なときに必要なものが現れる。食材についても、この城の中にあるものを好きに使ってくれてかまわない。俺様もそれが食べてみたい」

「えっ!? ちょっうわっ!! 私も食材のひとつってことですかっ!?」

「ああ、……人は食べたことがなかったが、そういうことかもしれん」

「うえっ!?」

 腕まで蔦におおわれたところで蔦を踏みつけて魔王さんが右手を私に伸ばした。

「え」

 助けてくれるのかと思ったら、魔王さんはひょいと私の皿からパンケーキをった。

「うまい」

「ちょっ」

 魔王さんはぱくぱくと私の皿に残っていた料理を食べていく。意味が分からずその顔を見上げると、にんまりと──初めて見る──実に悪役らしい微笑みが浮かんだ。

「弱肉強食だ」

「言ってくださればおかわり作りますからね!?」

「それじゃつまらないだろう」

「つまるつまらないじゃなくて、うえっ、もう完全に絞められてるこれっおえっ」

「大丈夫だ、まだ生命値5もある」

「なんですかっそれ! 生命値!?」

「0になったら死ぬ」

「じゃあ5ってひんってことじゃないですか!」

「うまいな、これ」

「うぐっありがとうございますっ」

 結局下ろされたのは魔王さんがきっちり私の分まで食べきった後だった。

 正直食欲はなかったのでちょうどよかったのだが、目の前で「うまい」「うまい」と盗られるのはストレスだったので、次からは魔王さんの量は五人前にしようと決めた。

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