***


 ──この宇宙は五層によって構成されている。

 最上層には神が住み、第二層には天使が住むと伝えられている。その下の層、第三層が人間の住んでいる世界だ。その下には死者が住み、最下層には異形が住んでいる。世界の境は『絶対』で、だからこそ人間は第三層で安定した社会を形成できていた。

 それがこのラピスラズリ・ワールド。青の世界。

 しかしここ数カ月下層から死者や異形がし安定がくずれ始めている。その異変の始まりは、一年前に、西の離れ島にとつじよ出現した黒い城、伝承通りの姿をした魔王城。

 それが告げる意味は魔王の復活だ。死者と異形の王が復活したせいで、下層との境がらぎ始めているのだ。このままでは人間社会が、ラピスラズリ・ワールドがほうかいしてしまう。そこで各国の王は自国のつわものたちを勇者に任命し、魔王の下へ送り込んでいる。

 しかし、未だに魔王城に辿たどり着く者はいない──

 ラピワルのウェブ版プロローグ(商業版では省略)がのうを流れたが、そんなものが流れたところで、現状は全く理解できない。

「どういうこと?」

 目の前に、そびえたつ黒い城。

 一本の矢のように伸びた細長い城の先は暗い雲にかくれている。でんとうよりもはるかに高いそれは、来るものをこばむように、バチバチと、火花を散らしている。

「素晴らしい、原作ちゆうの私を納得させるだけの完全なる再現だ。賛辞をささげよう」

 はくしゆをしてから、はたと気が付く。そういうことじゃない。

「なんで魔王城があるの!? 意味が分からない、どこだよここ! 異世界転生ものか!? というかそんな展開なら、始まりは街中にしてくれないか!? ヒノキの棒すら装備してないのになんで魔王城からスタートするんだよ! ゲームだったら確定死亡イベントじゃねえか!? ごほっごほっ……」

 思いのままに叫んだらき込んだ。呼吸を整えようと深呼吸すると、らんしゆうのどおくを焼き、さらにむせた。自分の吐いた息が白い。歯が笑っている。スーツではひざが笑うほど寒い。気温は氷点下ぐらいだろうか。とことんじようきようが悪い。

 首回りが寒く髪の毛を巻きつけようとすると、こつ下まで伸びていたはずの髪がショートになっていた。どこで落としてきたんだとは思ったがないものは仕方がない。ジャケットのそでの中に両手を入れて寒さに千切れそうな耳を押さえる。

「落ち着け……落ち着け……落ち着け……」

 現状を整理しよう。

『屋上から落ちたら魔王城でした』

 整理した現状がパンチ効きすぎている。

「……それでも、落ち着かなくていい理由にはならない……」

 目を閉じて細く息を吸う。押さえた耳からドクドクドクと飛び出しそうなどうを感じる。息を細く吐きながら、そのどうが収まるのをじっと待つ。とく、とく、といつものリズムになってから、目を開く。

「……よし、落ち着いた」

 まずは現状あくのために周りをわたす。

 今立っている場所は魔王城に通じる階段の途中だ。城は見上げても見きれないほどに高く視界に入りきれないほどに横にも広い。しきの広さも高さも推測できない。だが階段にはヒビが入り、手すりにつけられた石像もしよくが進んでいる。管理はさんなようだ。

 城に背を向けると海まで望むことができた。どうやら魔王城は高台にあるらしい。しかしその景色は良いものではなかった。

 視界の全てが『ぬま』だ。階段の下を見るとそこからすでにどす黒い沼が始まっていた。それは海まで続き海さえもしんしよくしている。

『この毒のところって船も行けないんだろ? 泳いでっていいのか?』

『いいわけないでしょう! 溶けますよ!』

 主人公組の会話シーンが脳裏をよぎる。

 沼は温度が高いのか湯気が立っている。ゴポ、ゴポ、とまるで呼吸でもしているかのように気体が放出されている。

「……まさか、ね……?」

 階段に落ちていた石像の欠片かけらを拾って沼に投げ入れる。

 ぼとん、と沼にそれが落ちたしゆんかん、沼からゴポッとなにかの気体と真っ白な粉が飛び出してきた。急いで口と鼻を手で覆ったがつうれつげきしゆうは防ぎきれない。そして、じゅううと希望をつぶす音が聞こえた。

「まじで溶けやがった……ごほっ……」

 こうなるとふんしゆつされている気体にも毒性があることは確定的に明らかだ。先ほどの刺激臭が二酸化おうまんせい的にただようこれがりゆう水素なのだとしたら、硫酸の沼ということになる。このどす黒さを見ると他にもなにか混じっているのだろう。

 頭がガンガンと痛み始め、目がかゆみと痛みをうつたえ、喉の奥が焼けるように熱い。この沼がなんであれ毒性があることは間違いない。ここにいたら意識が遠のくのは時間の問題だ。それにこの寒さだ。時間がてば体が動かなくなるだろう。

 つまり現状を整理するなら、こうなる。

『すぐなんしなければ死ぬ』

 振り向き、闇の色をした城を見上げる。

「行こう」

 退路はない。

 かくを決めて階段をのぼり始める。しかし頭が痛い。喉が痛い。目が痛い。胸が痛い。一段をのぼる度に体が重くなっていく。心臓の音がうるさくなる。ドク。どく。毒。自分の手が勝手に階段の手すりに伸びる。石でできた手すりは痛いぐらいに冷たいのに、それを摑んで、足を止めてしまう。頭が痛い。喉が痛い。目が痛い。胸が痛い。全身が、痛い。

「……気持ち……悪い……」

 このままここで休みたい。ここで休んだら死んでしまう。でも、つかれた。

 ──これ、どうせ『夢』でしょ?

 そう思った瞬間に体から力が抜け、額が手すりに落ちた。ガン、と音が鳴った。

「いった! ……いったぁ……」

 その痛みで完全に目が覚める。こんなに痛いなら『夢』じゃないということだろうか。痛みにうめきながら手すりから手を離し、次の段に足を伸ばす。

「わっ!?」

 今度は靴の先が階段に引っかかり、思い切り転んだ。

「い……ったい……うぁあ……いたい、いたいよ……」

 スーツのおかげで見えないが膝から血が出ている感覚がする。

「っああ! くそ!」

 歩きにくいヒールをいで放り捨てる。パンツスーツのすそを折り、上げられるところまで上げてベルトをしぼる。ジャケットの袖をまくりあげる。ずりおちてきたひざ下のストッキングを引き抜くと思った通り血まみれだった。おくみしめて階段の先を睨む。

 これが『夢』でも『夢』でなくても、すべきことは変わらない。

「生きてなきゃ話にならない! 走れ! あああっ裸足はだしだと石冷たい! ミスった!」

 叫びながら、気力だけで一気にけ上がった。


「……はあ、はあ……、……階段ダッシュなんて……ごほっ、エンジニアにさせるな……」

 階段をのぼりきった先には城門があった。

 城門だけで五階建てのビルぐらいの高さがある。門には人と獣が混ざり合った異形が無数にり込まれている。そして門の上から異形の石像たちが私を見下ろしている。まさに『魔王城』というふうぼうだ。ここがお化けしきだと言われても疑いはしないだろう。

 が、今はお化けなどよりも毒の方が怖い。入口と思われる城門を押す。

「……あれ、開かないな?」

 かぎがかかっているのだとしても少しは動くはずと思うのだが全く動かない。重すぎて動かせないのだろう。門を叩いてみても、ぺちぺちとしか音が鳴らない。

「……ごほっ……うえっ……んで……開かないんだよ……」

 ひゅう、ひゅう、と喉から息がれる。駆け上ったせいで一気に毒が回ったのかもしれない。でも、あきらめていい理由にはならない。まだこの体が残っている。まだ、生きている。

 両手でほおを叩いて気合を入れ直す。

「……よし!」

「……」

 全身を門につけて全力で押す。冷えきった重いとびらが私を拒む。それでも両足で地面を蹴り全身でぶつかり続ける。

「ぐぬううううううううう」

「……おい」

「あけえええええええええ」

「おい」

「んにゃ?」

 ふ、と視界が暗くなった。

「お前、どこから来た」

 見上げると『見知った』顔があった。

「ひょ?」

「は?」

『美』をぎようしゆくした生き物が背後から私を壁ドンしていた。

「……おい、聞いているか?」

 その美しさを脳がきよしていく。息がうまく吸えない。頭が痛い。喉が痛い。毒だ。キャパオーバーだ。胸が痛い。視界が揺らぐ。指先から、足先から、力が抜けていく。

「おいっ!」

 その、あわてたような声は、瞼の裏側で聞こえた。


***


 ひやり、としたものが額にれる。

 その冷たさが気持ち良くてすり寄ると、それは離れていってしまった。

 が、今度は、もふ、としたものが頰に触れる。

 くすぐったくて、つい、笑ってしまう。

「起きたか?」

 ふにふにと頰をつついてくる。

 くすぐったくて、あたたかくて、気持ちがいい。

 それに手を伸ばしてきしめる。

 もふもふしていて、大きくて、あたたかい。

 長い毛足の中に手がまって、気持ちいい。

 頰ずりすると、ぷにぷにとしたものに触れる。

 ふわふわで、ぷにぷにで、しあわせだなあ。

 ──なんだろう、これ。

 ぼんやりと目を開ける。

 私が抱きしめていたものは、黒い毛に覆われた大きなねこの手だった。

 肉球は毛の中に埋まっているようだが、さわるとそのぷにぷにのかんしよくが伝わってくる。

 実に良いぷにぷにだ。押してみると、にょき、とつめが出てきた。にょき。引っ込める。にょき。引っ込める。にょきり。楽しい。引っ込める。にょきん。

「……おい」

 突然、真上から低い声が降ってきた。

「起きたな」

 至近きよに、くすんだしんじゆのような『灰色の瞳』があった。

「説明してもらうぞ」

 左腕は異形のもの(公式設定)。

 ──たしかに私が抱きしめているものは『左腕』。異形だ。

 右腕は死者のもの(公式設定)。

 ジャケットとかわぶくろによってはだの露出はない。カラー表紙でないと分からないのだが、革手袋は黒糸こくしはすの花をモチーフにしたせんさいな模様が入ったいつぴんだ(ヲタク調べ)。

 ──たしかに、自分の頭の横に置かれた『右手』には、その至高の品がはめられている。

「どうやってここまで辿り着いた」

 ──横になっている私に覆いかぶさっているその人は『いろの髪』をしている。長い長いその髪がてんによごろものようにかろやかにつやめき、ベッドの上にこぼれ広がっている。

「おい、聞いているか?」

 ──低く落ち着いた、ちょっとこしにくるぐらい、艶のある『声』。もしアニメ化したらこんな声だといいなあ、と想像していた声よりもずっといい。

「体は治したはずだが……」

 というか、この『顔』。

 今いたばかりの花のようにみずみずしい肌は生き生きと美しい。顔の中心にぐに通った鼻筋はギリシャちようこくを思わせ、引き締まった唇はその影さえも整い、輝くあごさきと相まって洗練されていて美しい。そして、青さを感じるほどとうめいな白目と、はっきりとした灰色の瞳はこうごうしいまでに美しい。いぶかしげにけんしわが寄ったところで、うるわしさがそこなわれることはない。なにをしても、どんな風にしても美しい、その『顔』。

 ──そんなことありえないのに『それ』しかありえない。

「妙に顔が赤いな」

 長いまつに覆われた宝石のような目がまばたいた。

 ……まばたき?

 動いている? あれ? アニメ化してないよ? そんな人気ないよ? どういうことか分からないけど課金させてください。今すぐふりこみ口座を教えてください、っていうか、あれ、ちょっと待て、近いな? あれ、近いな? 画面は? 画面はどこにいったの?

 どんどん近づいてきたその『額』が自分の額に合わさった。

「やはり熱が出ているか……」

 その言葉と共に息がぶつかる。

 ……息? 生きている? ご存命でいらっしゃる……?

 いや、というか待って。だとしたら今なにが起こっている。額が……額が……、……?

 その額が離れ、うるおいのある瞳が心配そうに私を見ている。

「毒は抜けている。すぐに熱は下がるとは思うが……」

「がはっ!?」

「は? なんだ?」

「がががっ……」

「言葉が分からないのか? ……もう一度聞くぞ。どうやってこの『魔王城』に来た?」

 ──今、『魔王城』と言った?

 その顔を見る。改めて、じっくりと、上から下まで見直す。

 ──『魔王さん』だ。やっぱり『魔王さん』がいる!

「夢ならば覚めないで!」

「いや、起きろ」

 抱きしめていた腕がぺいと引き抜かれた。

「さようなら、もふもふ」

「は? なにを言っているんだ……」

 魔王さんはあきれた様子で私を覗き込むのをやめて身を起こした。

 それを追いかけ、ゆっくりと上体を起こす。

「……」

 まぶしすぎて目が潰れそうなので目を逸らす。

 ど、ど、ど、と心臓がうるさく鳴きわめき、胸は痛む。

 けれど意識が落ちる前にあった気持ち悪さはどこにも残っていない。むしろここ数年で感じたことがないすがすがしさだ。手を開いたり閉じたりしてかくにんしても、けいれんもない。膝や額のも残っていない。それはありがたいのだけれど、……ちらりと見る。

『いる』

 目を閉じて開く。やっぱり『いる』。

 ベッドに腰かけている魔王さんが、ずっと私の方を『見ている』。

 こういうときはどうしたらよいのか。まともな人間関係の構築方法を知らないから正解が分からない。ネットけいばんに相談したい。Q:推しがこちらを見ています。どうしたらいいですか? A:課金です。と明快に答えてほしい。いくらでもはらうから金で解決したい。などと現実とうしている間もずっと『見ている』。

 震える唇をなんとかこじ開ける。

「なん、なに、な、……ど、うしましたか?」

 久しぶりに皮肉ではない敬語を引きずり出した。それからなんとか笑う。

 魔王さんは私から視線を動かさずに、そのかんぺきな唇を開いた。

「急に起き上がったりして大丈夫なのか? 気持ち悪くないか?」

「あっ気持ちいいです! 最高!! 本日はおがらもよく! お足元は沼です!」

「そうか。だまってこちらを見ろ」

 黙れと言われたので口を閉じて、魔王さんを見る。

 ……今、テンション上がりすぎたせいで変なことを口走ってしまったけれど、スルーしてもらえたのだろうか……。

 のたうちまわりたい気持ちになっていたら、魔王さんの灰色の目が光り始めた。

 暗がりで光る猫の目のようだ。猫の目にはもうまくの下にタペタムという反射板のような役割をする層がある。わずかな光量であっても目の中で反射させて網膜に戻すことで倍にできるために、夜目がきくのだ。ということは魔王さんの目は猫の目ということか。よく分かんないけど可愛かわいいな。

 その瞳の輝きは魔王さんのため息とともに消えた。

「何故、魔王の前で猫の目について考えている?」

「へ?」

「まあ、いい。……頭を打ったのかと思ったが、頭は怪我していないようだな……」

 どうやら『鑑定』をされていたらしい。そして『頭がおかしい』と思われていたらしい。Q:推しに頭おかしいと思われています。どうしたらいいですか? A:課金です。って誰か言ってくれないか。金で解決させてほしい。ヌォオオンと叫びたい。

「……力もなければ、りよくもない。何故ここまで来られたんだ……」

 魔王さんは疲れたように呟いた。

 どうやら魔王さんは、突然現れた人間のしんにゆう経路を知っておきたいらしい。それは当然のセキュリティ意識だ。しかし、私は目が覚めたらあの場所にいたから……。

《──こちらに、落ちてこい》

 ぞ、と全身に寒気が走る。

 違う。『目が覚めたら』ではない。私はここに『落ちて』きたのだ。

 気が付いたたん、今更死に対する身体反応が込み上げてきた。落とされたときに止まっていた時間が帰ってきたかのように、あせが流れ出す。ど、ど、ど、としんぱく数が上がっていく。呼吸が浅くなり、視野はせばまり、歯が笑い、吐き気が込み上げる。

「……どうした?」

 かけられていた毛布をにぎりしめて、意識して深く息を吐き出す。落ち着け、落ち着け。

 努めてにっこりと笑う。

「なにか思い出したような気がしたんですが、気のせいだったみたいで……ごめんなさい」

「……なにもかも覚えておくことなどできないだろう。そんなことであやまるな」

「優しい! 天使かな!」

「は?」

 魔王さんがきょとんとした顔で首をかしげた。え、なにその所作超可愛いな。

「……お前、何者だ?」

「何者、と聞かれましても……」

 めいがないと思った。思ってから、ぞっとした。

 たしかに『現実』なら名刺で済む。肩書ならいくらでも並べられるし、それだけのことをしてきた自信もある。けれど全て『現実』の話だ。『この世界』では意味がない。

 だとしたら、私はなんなんだ? 私は何者でもないんじゃないか?

 今、私が持っているものは『名前』しかない。

 そしてもしもこの世界が『ラピワル』であり、その設定の通りであれば『名前』を告げることは『現実』で名乗ることとは全く違う意味になる。

 たしか、商業版だと十五話だ。

 十五話の最後で従者(サブ主人公)が勇者(主人公)に覚悟をもって名前を告げるのだ。

 あれは感動的だった。回想回だから魔王さんが全然出てこないけれどやはり従者と勇者の関係が分かる重要な回であり、違う、それは今どうでもいい。

 重要なのは、この世界では名前を告げることは『服従』を意味するということだ。

しようがい、唯一、あなたのために生きる』という、従者側から決して解除できないちかい。

 だからそれを告げてしまえば『この世界』がラピワルなのかの確認にはなる。しかしそうだったときは一生服従することになる。それはとんでもないけではないだろうか……というか、ただの質問にこれだけ時間をかけてもいいのだろうか。

 おそおそる魔王さんの顔をうかがうと、予想と違って怒っている様子は少しもなかった。これだけ長いこと待たされたのにかすことなく私の返答を待ってくれている。その灰色の瞳は私と目が合うと、どうしたと言いたげに見返してきた。

 むねおくが変にきしむ。もしや不整脈だろうか。心臓がさわぐ。でもいやな気はしない。

 なんでこんなに優しい目をしているのだろう。よく考えたら門を開けてくれたのも魔王さんだろう。そのうえ毒を抜いて怪我を治して起きるまで待っていてくれたのか。優しすぎないか? っていうか魔王さんのためならなんでもできるわ。

とおるです」

 魔王さんの目が、カっと見開いた。分かりやすいおどろきの表情だ。その顔ですら可愛い。私が笑うと魔王さんは目を細めて鼻に皺を寄せた。分かりやすいけんの表情。

「聞かなかったことにしてやる。……さっさと、お前のいるべき場所に帰れ」

 その優しさに笑ってしまった。

 ああ、この人は本当に魔王さんだ。優しい、優しい、私の推しだ。だったら『現実』でも『夢』でもすべきことは変わらない。

「なにがおかしい?」

かりとおると申します」

「お前っ! なにを考えているんだっ!?」

「あなたのことです。私はもうあなたのことしか考えないと決めたので」

「はあ……?」

 ベッドから下りて、魔王さんの足元にひざまずく。

 その黒いマントを摑み、口づけを落とせば、びくり、と黒い異形の足が震えた。

「本気か?」

「はい」

「俺様に仕えると、本気で言っているのか?」

「はい、ぜんしんぜんれいでお仕えいたします」

「……、……」

 ちんもくが長い。

 ちらり、と見上げると、魔王さんは私から目を逸らし、右手で口元を押さえていた。

「……俺様に部下はいない。……必要がない」

「……つまり、私、……いらないですか?」

 半分泣いている声が出た。魔王さんが慌てたように私を見て「違う」と言った。

「じゃあいるってことですね!?」

「そういうことではない! ……分かっていないのか? ここは魔王城で俺様は魔王だぞ」

「はい! 魔王さん!」

「まおうさん……いや、俺様は世界崩壊をもたらす者だ」

「はい、あなたのお望みならもたらして下さい!」

「俺様が望まずとも……いや、とにかく魔王は死者も異形も混ざり合うこんとんを生み出す者だぞ? 世界が混沌に陥れば人間はみな死ぬんだぞ? 分かっていないのか? 魔王はお前を殺すものだぞ?」

「分かりました!」

「……魔王の部下になれば、生き残れるとでも思っているのか?」

「どうでもいい、私の生存など。あなたに笑っていてほしいだけ」

 そして今度こそ全てをついやしてみつぎたいだけだ。

「あなたが崩壊を望むなら全力でお手伝いさせていただきます。あなたが望むことを必ず現実にします。あなたの役に立ちたい。あなたが、しあわせだなあ、と言って笑うところが見たい。私があなたを守ってみせる。だからあなたに、仕えたい、……です!」

 私の言葉に魔王さんはまばたきをして、それから嫌そうに眉間に皺を寄せた。

「……やっぱり、でしょうか?」

「……お前はもう俺様に名前を告げたな?」

「はい」

「ならば」

 ふう、とひとつ息を吐いて、魔王さんが口を開いた。

「トール」

 名前を呼ばれた瞬間に自分の中からなにかが抜けていくのを感じた。そうしてその代わりになにかが胸に流れ込んできた。それは『現実』で感じたことがない感覚で、だからこそそれこそが『けいやく』だと理解した。

 ──今、つながった。

「仕方ないから引き受けてやる」

「はい! 魔王さん!」

「……まあそうだな。俺様はかんだいだから、うん、その呼び方も許してやろう」

「やっぱり天使なのかな?」

「はあ?」

「魔王さん! 最高ですね!」

 魔王さんはひとつ息を吐いてから、もふと私の頭に手を置いた。

「……お前は俺様の部下」

「はい、そうですよ!」

「ククっ……」

「どうされました?」

「異形は話さないからな、……会話できるというのは面白い」

「あ、もしかして魔王さん、友達いないですか?」

「……まあ、……いいか」

 もふもふと私の頰をでて、魔王さんは微笑んだ。ほんの少し目を細めてほんの少し口角が上がっただけなのに、か、と自分の顔が赤くなるのが分かった。

はげめよ、トール」

「もちろん、絶対しあわせにします!」

「は? いや、俺様は」

「絶対に! 生かしてみせます!!」


 そうして、私の原作改悪は始まった。

 ──今際いまわきわのお話だ。

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