②
***
──この宇宙は五層によって構成されている。
最上層には神が住み、第二層には天使が住むと伝えられている。その下の層、第三層が人間の住んでいる世界だ。その下には死者が住み、最下層には異形が住んでいる。世界の境は『絶対』で、だからこそ人間は第三層で安定した社会を形成できていた。
それがこのラピスラズリ・ワールド。青の世界。
しかしここ数カ月下層から死者や異形が
それが告げる意味は魔王の復活だ。死者と異形の王が復活したせいで、下層との境が
しかし、未だに魔王城に
ラピワルのウェブ版プロローグ(商業版では省略)が
「どういうこと?」
目の前に、そびえたつ黒い城。
一本の矢のように伸びた細長い城の先は暗い雲に
「素晴らしい、原作
「なんで魔王城があるの!? 意味が分からない、どこだよここ! 異世界転生ものか!? というかそんな展開なら、始まりは街中にしてくれないか!? ヒノキの棒すら装備してないのになんで魔王城からスタートするんだよ! ゲームだったら確定死亡イベントじゃねえか!? ごほっごほっ……」
思いのままに叫んだら
首回りが寒く髪の毛を巻きつけようとすると、
「落ち着け……落ち着け……落ち着け……」
現状を整理しよう。
『屋上から落ちたら魔王城でした』
整理した現状がパンチ効きすぎている。
「……それでも、落ち着かなくていい理由にはならない……」
目を閉じて細く息を吸う。押さえた耳からドクドクドクと飛び出しそうな
「……よし、落ち着いた」
まずは現状
今立っている場所は魔王城に通じる階段の途中だ。城は見上げても見きれないほどに高く視界に入りきれないほどに横にも広い。
城に背を向けると海まで望むことができた。どうやら魔王城は高台にあるらしい。しかしその景色は良いものではなかった。
視界の全てが『
『この毒のところって船も行けないんだろ? 泳いでっていいのか?』
『いいわけないでしょう! 溶けますよ!』
主人公組の会話シーンが脳裏をよぎる。
沼は温度が高いのか湯気が立っている。ゴポ、ゴポ、とまるで呼吸でもしているかのように気体が放出されている。
「……まさか、ね……?」
階段に落ちていた石像の
ぼとん、と沼にそれが落ちた
「まじで溶けやがった……ごほっ……」
こうなると
頭がガンガンと痛み始め、目が
つまり現状を整理するなら、こうなる。
『すぐ
振り向き、闇の色をした城を見上げる。
「行こう」
退路はない。
「……気持ち……悪い……」
このままここで休みたい。ここで休んだら死んでしまう。でも、
──これ、どうせ『夢』でしょ?
そう思った瞬間に体から力が抜け、額が手すりに落ちた。ガン、と音が鳴った。
「いった! ……いったぁ……」
その痛みで完全に目が覚める。こんなに痛いなら『夢』じゃないということだろうか。痛みに
「わっ!?」
今度は靴の先が階段に引っかかり、思い切り転んだ。
「い……ったい……うぁあ……いたい、いたいよ……」
スーツのおかげで見えないが膝から血が出ている感覚がする。
「っああ! くそ!」
歩きにくいヒールを
これが『夢』でも『夢』でなくても、すべきことは変わらない。
「生きてなきゃ話にならない! 走れ! あああっ
叫びながら、気力だけで一気に
「……はあ、はあ……、……階段ダッシュなんて……ごほっ、エンジニアにさせるな……」
階段をのぼりきった先には城門があった。
城門だけで五階建てのビルぐらいの高さがある。門には人と獣が混ざり合った異形が無数に
が、今はお化けなどよりも毒の方が怖い。入口と思われる城門を押す。
「……あれ、開かないな?」
「……ごほっ……うえっ……んで……開かないんだよ……」
ひゅう、ひゅう、と喉から息が
両手で
「……よし!」
「……」
全身を門につけて全力で押す。冷えきった重い
「ぐぬううううううううう」
「……おい」
「あけえええええええええ」
「おい」
「んにゃ?」
ふ、と視界が暗くなった。
「お前、どこから来た」
見上げると『見知った』顔があった。
「ひょ?」
「は?」
『美』を
「……おい、聞いているか?」
その美しさを脳が
「おいっ!」
その、
***
ひやり、としたものが額に
その冷たさが気持ち良くてすり寄ると、それは離れていってしまった。
が、今度は、もふ、としたものが頰に触れる。
くすぐったくて、つい、笑ってしまう。
「起きたか?」
ふにふにと頰をつついてくる。
くすぐったくて、あたたかくて、気持ちがいい。
それに手を伸ばして
もふもふしていて、大きくて、あたたかい。
長い毛足の中に手が
頰ずりすると、ぷにぷにとしたものに触れる。
ふわふわで、ぷにぷにで、しあわせだなあ。
──なんだろう、これ。
ぼんやりと目を開ける。
私が抱きしめていたものは、黒い毛に覆われた大きな
肉球は毛の中に埋まっているようだが、
実に良いぷにぷにだ。押してみると、にょき、と
「……おい」
突然、真上から低い声が降ってきた。
「起きたな」
至近
「説明してもらうぞ」
左腕は異形のもの(公式設定)。
──たしかに私が抱きしめているものは『左腕』。異形だ。
右腕は死者のもの(公式設定)。
ジャケットと
──たしかに、自分の頭の横に置かれた『右手』には、その至高の品がはめられている。
「どうやってここまで辿り着いた」
──横になっている私に覆いかぶさっているその人は『
「おい、聞いているか?」
──低く落ち着いた、ちょっと
「体は治したはずだが……」
というか、この『顔』。
今
──そんなことありえないのに『それ』しかありえない。
「妙に顔が赤いな」
長い
……まばたき?
動いている? あれ? アニメ化してないよ? そんな人気ないよ? どういうことか分からないけど課金させてください。今すぐ
どんどん近づいてきたその『額』が自分の額に合わさった。
「やはり熱が出ているか……」
その言葉と共に息がぶつかる。
……息? 生きている? ご存命でいらっしゃる……?
いや、というか待って。だとしたら今なにが起こっている。額が……額が……、……?
その額が離れ、
「毒は抜けている。すぐに熱は下がるとは思うが……」
「がはっ!?」
「は? なんだ?」
「がががっ……」
「言葉が分からないのか? ……もう一度聞くぞ。どうやってこの『魔王城』に来た?」
──今、『魔王城』と言った?
その顔を見る。改めて、じっくりと、上から下まで見直す。
──『魔王さん』だ。やっぱり『魔王さん』がいる!
「夢ならば覚めないで!」
「いや、起きろ」
抱きしめていた腕がぺいと引き抜かれた。
「さようなら、もふもふ」
「は? なにを言っているんだ……」
魔王さんは
それを追いかけ、ゆっくりと上体を起こす。
「……」
ど、ど、ど、と心臓がうるさく鳴き
けれど意識が落ちる前にあった気持ち悪さはどこにも残っていない。むしろここ数年で感じたことがない
『いる』
目を閉じて開く。やっぱり『いる』。
ベッドに腰かけている魔王さんが、ずっと私の方を『見ている』。
こういうときはどうしたらよいのか。まともな人間関係の構築方法を知らないから正解が分からない。ネット
震える唇をなんとかこじ開ける。
「なん、なに、な、……ど、うしましたか?」
久しぶりに皮肉ではない敬語を引きずり出した。それからなんとか笑う。
魔王さんは私から視線を動かさずに、その
「急に起き上がったりして大丈夫なのか? 気持ち悪くないか?」
「あっ気持ちいいです! 最高!! 本日はお
「そうか。
黙れと言われたので口を閉じて、魔王さんを見る。
……今、テンション上がりすぎたせいで変なことを口走ってしまったけれど、スルーしてもらえたのだろうか……。
のたうちまわりたい気持ちになっていたら、魔王さんの灰色の目が光り始めた。
暗がりで光る猫の目のようだ。猫の目には
その瞳の輝きは魔王さんのため息とともに消えた。
「何故、魔王の前で猫の目について考えている?」
「へ?」
「まあ、いい。……頭を打ったのかと思ったが、頭は怪我していないようだな……」
どうやら『鑑定』をされていたらしい。そして『頭がおかしい』と思われていたらしい。Q:推しに頭おかしいと思われています。どうしたらいいですか? A:課金です。って誰か言ってくれないか。金で解決させてほしい。ヌォオオンと叫びたい。
「……力もなければ、
魔王さんは疲れたように呟いた。
どうやら魔王さんは、突然現れた人間の
《──こちらに、落ちてこい》
ぞ、と全身に寒気が走る。
違う。『目が覚めたら』ではない。私はここに『落ちて』きたのだ。
気が付いた
「……どうした?」
かけられていた毛布を
努めてにっこりと笑う。
「なにか思い出したような気がしたんですが、気のせいだったみたいで……ごめんなさい」
「……なにもかも覚えておくことなどできないだろう。そんなことで
「優しい! 天使かな!」
「は?」
魔王さんがきょとんとした顔で首をかしげた。え、なにその所作超可愛いな。
「……お前、何者だ?」
「何者、と聞かれましても……」
たしかに『現実』なら名刺で済む。肩書ならいくらでも並べられるし、それだけのことをしてきた自信もある。けれど全て『現実』の話だ。『この世界』では意味がない。
だとしたら、私はなんなんだ? 私は何者でもないんじゃないか?
今、私が持っているものは『名前』しかない。
そしてもしもこの世界が『ラピワル』であり、その設定の通りであれば『名前』を告げることは『現実』で名乗ることとは全く違う意味になる。
たしか、商業版だと十五話だ。
十五話の最後で従者(サブ主人公)が勇者(主人公)に覚悟をもって名前を告げるのだ。
あれは感動的だった。回想回だから魔王さんが全然出てこないけれどやはり従者と勇者の関係が分かる重要な回であり、違う、それは今どうでもいい。
重要なのは、この世界では名前を告げることは『服従』を意味するということだ。
『
だからそれを告げてしまえば『この世界』がラピワルなのかの確認にはなる。しかしそうだったときは一生服従することになる。それはとんでもない
なんでこんなに優しい目をしているのだろう。よく考えたら門を開けてくれたのも魔王さんだろう。そのうえ毒を抜いて怪我を治して起きるまで待っていてくれたのか。優しすぎないか? っていうか魔王さんのためならなんでもできるわ。
「
魔王さんの目が、カっと見開いた。分かりやすい
「聞かなかったことにしてやる。……さっさと、お前のいるべき場所に帰れ」
その優しさに笑ってしまった。
ああ、この人は本当に魔王さんだ。優しい、優しい、私の推しだ。だったら『現実』でも『夢』でもすべきことは変わらない。
「なにがおかしい?」
「
「お前っ! なにを考えているんだっ!?」
「あなたのことです。私はもうあなたのことしか考えないと決めたので」
「はあ……?」
ベッドから下りて、魔王さんの足元に
その黒いマントを摑み、口づけを落とせば、びくり、と黒い異形の足が震えた。
「本気か?」
「はい」
「俺様に仕えると、本気で言っているのか?」
「はい、
「……、……」
ちらり、と見上げると、魔王さんは私から目を逸らし、右手で口元を押さえていた。
「……俺様に部下はいない。……必要がない」
「……つまり、私、……いらないですか?」
半分泣いている声が出た。魔王さんが慌てたように私を見て「違う」と言った。
「じゃあいるってことですね!?」
「そういうことではない! ……分かっていないのか? ここは魔王城で俺様は魔王だぞ」
「はい! 魔王さん!」
「まおうさん……いや、俺様は世界崩壊をもたらす者だ」
「はい、あなたのお望みならもたらして下さい!」
「俺様が望まずとも……いや、とにかく魔王は死者も異形も混ざり合う
「分かりました!」
「……魔王の部下になれば、生き残れるとでも思っているのか?」
「どうでもいい、私の生存など。あなたに笑っていてほしいだけ」
そして今度こそ全てを
「あなたが崩壊を望むなら全力でお手伝いさせていただきます。あなたが望むことを必ず現実にします。あなたの役に立ちたい。あなたが、しあわせだなあ、と言って笑うところが見たい。私があなたを守ってみせる。だからあなたに、仕えたい、……です!」
私の言葉に魔王さんはまばたきをして、それから嫌そうに眉間に皺を寄せた。
「……やっぱり
「……お前はもう俺様に名前を告げたな?」
「はい」
「ならば」
ふう、とひとつ息を吐いて、魔王さんが口を開いた。
「トール」
名前を呼ばれた瞬間に自分の中からなにかが抜けていくのを感じた。そうしてその代わりになにかが胸に流れ込んできた。それは『現実』で感じたことがない感覚で、だからこそそれこそが『
──今、つながった。
「仕方ないから引き受けてやる」
「はい! 魔王さん!」
「……まあそうだな。俺様は
「やっぱり天使なのかな?」
「はあ?」
「魔王さん! 最高ですね!」
魔王さんはひとつ息を吐いてから、もふと私の頭に手を置いた。
「……お前は俺様の部下」
「はい、そうですよ!」
「ククっ……」
「どうされました?」
「異形は話さないからな、……会話できるというのは面白い」
「あ、もしかして魔王さん、友達いないですか?」
「……まあ、……いいか」
もふもふと私の頰を
「
「もちろん、絶対しあわせにします!」
「は? いや、俺様は」
「絶対に! 生かしてみせます!!」
そうして、私の原作改悪は始まった。
──
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