第37話 王と勇者

 剣で露を払うと、肩に妙な重さがある事に気が付いた。温かい香りがする。



 「勇者様らしくないね。失敗するなんて」



 「……いつからそこに?」



 「座ったのは今だよ。僕、空を飛んでたから勇者様の術、スキル?が効かなかったんだ」



 初歩的な事だった。ライゼ・モアは、設置型のスキルである。サークルに触れていないモモネミには効き目がなかったのだ。



 「勇者様でも、恐いって思う事があるんだね」



 全て聞かれていた事を知って、タクミは得も言われぬ恥ずかしさに包まれてしまう。



 「……みんなには言わないでくれるか?さっきの独り言」



 「言うもんか。それに、僕だって死ぬほど恐いんだ。勇者様が居なかったら、泣きながらレヴを追っていたと思う」



 そう言いながら、モモネミは小さな手でタクミの頭を撫でた。



 「……居場所がわかるのか?」



 「うん。微かにだけど、痕跡が残ってる。僕にはそれが視えるんだ」



 心から漏れ出した邪悪が、彼の軌跡となっている。無論、それが視えるのはモモネミが心から亡霊を救いたいと思っているからだ。



 モモネミはタクミの肩にしがみ付き、軌跡を伝える。……守る者ではない。この妖精に自分が助けられているのだと、感覚で理解した。だからだ。タクミが走り出すことが出来たのは。



 指示が遅れない程度の速度で駆けだすと、景色は次々に模様を変えていった。右往左往に散っているが、それは確かに街の最奥へと向かっている。



 「……レヴ。それがあの悪魔の名前なんだね」



 ふと、タクミが口を開いた。



 「うん。でも、そう呼んでいるのは僕だけだよ。冒険者ギルドでは、亡霊レヴナントって呼ばれてるみたい」



 「亡霊。……隻腕にして独眼の裏の冒険者か」



 マスターランク保持者の彼は、ギルドの運営に携わる権力を持っている。裏稼業の黙認の背景に、実は一人の冒険者の名前を推す多くの声が寄せられていたのを思い出した。フラッシュバックしたのは、酒場前での出来事だ。あの時は仲間に絡むチンピラ程度にしか捉えていなかったが、あの男が裏の冒険者だったのだとはっきり自覚した。



 「でもおかしい。彼は悪魔なんかじゃなかった」



 「そうだよ。レヴは普通の人間だったんだ。この街に来て、変わってしまったんだよ」



 「一体何があったんだ?」



 「……これは、僕の想像だけど」



 モモネミは野営地での戦いの事。今、亡霊を支配しているのは底の見えない復讐心である事。そして、フェデルに訊いた実験の話と今の彼の姿を照らし合わせた推論を語った。



 「……済まなかった」



 それ以外に、モモネミにかける言葉が見つからなかった。そして、タクミは無知である事がどれだけ罪であるのかを自覚した。無自覚に何かを成す事は善い行いではない。自分が何をしているのかを自覚して、行動に責任を持つことこそが大事なのだと、彼はこの時に気が付いた。



 「いいよ。勇者様には勇者様の大切なモノややり方があるんだから。それに、謝ってくれただけで、僕は嬉しい。……僕の事は、モモネミって呼んでよ」



 「俺は、有賀匠ありがたくみ。タクミでいい」



 「わかったよ。タクミ」



 気が付くと、二人は街を囲む壁の前に立っていた。結界の一部が引き裂かれたように破れていて、その向こうは草木一本ない荒れ地となっている。夜空の大きな月は、雲に隠れて輝きを失っている。



 「……この先だよ。準備はいいかい?」



 「あぁ。覚悟は出来てる」



 二人は前を向いたまま話を続ける。



 「モモネミは、亡霊をどうするつもりだ?」



 「……苦しみから救ってあげるんだ。例え、どんな結末になっても」



 モモネミの覚悟は、亡霊の生死を問うような生半可なモノではなかった。そして、自分の行く末さえも。



 「そうはならない。俺は、最強の勇者だ。……行くぞッ!」



 穴の隙間を通って街の外へ。丘を登ると地獄の穴ブロスアイマ付近にて、右手で首を絞め魔女を高く持ち上げる亡霊の姿が二人の目に映った。



 「レヴ!」



 声に反応したのか、亡霊は二人の方を向いた。瞬間、雲がはれて紅い月の光が彼らを染め上げた。



 「うっ……。おぇ」



 モモネミは、その凄惨極まりない魔女の姿を見て膝をついてしまった。タクミも同様、目を向けることが出来ないでいる。足元を見れば、左腕と右脚が転がっている。腹には大きくどす黒い穴が開いていて、そこからは腸がぶら下がっていた。石を何個も飲ませたようで、それが喉を突き破っている。しかし、ミザリーは未だ生きている。それが分かったのは、モモネミには魔女の魔力が視えているからだった。



 「……やめて……、お願、い。それ……だけは、や……めて」



 亡霊は二人を一瞥すると、地獄の穴の淵に立った。



 「あっあっ。あっ、うぅぅう……うああぁぁぁ……」



 穴から噴き出す瘴気に晒されて意識を壊していくミザリー。その目には、一体何が見えているのか。



 「落と……さないで。……それ、だけ、は……」



 体に石を詰められ、手足を無くし魔法の詠唱を出来なくする為に舌を引き抜かれている。ここに落とされれば、ミザリーは命が尽きるまでこの肉のスープの中で生きなければならない。それが、この世で最も苦しい事だとミザリーにはわかる。狂っては戻り、狂っては戻り。震える事すら出来ないミザリーの体は、作り物にも関わらず恐怖によって硬直しきっている。



 亡霊は何も言わない。笑いも怒りもない、無表情のままミザリーを見ている。



 ……そして、遂にその手を離した。

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