第36話 それぞれの心

 亡霊を見ていると、自分の心が何かに侵されていくのがわかった。シンバからも目を逸らさなかったモモネミが、目を合わせて少し心に触れてしまっただけで気が触れてしまいそうな感情に支配されてしまったからだ。



 一方、亡霊の標的は既にミザリーに戻っていた。彼は一つの道を選ぶと、魔女を追う為に一人進み続ける。すなわち、亡霊はモモネミから逃げようとしている。



 「待ってよ!君を助けに来たんだ!」



 声を上げるが、しかしフェデルから離れる事は出来ない。そんな歯がゆい気持ちを噛みしめていると、彼らの元へ勇者たちが合流した。パーティのメンバーはすっかり状態を回復している。タクミが救ったのだろう。



 アウラとミュウは、何も言わずにフェデルの傷を癒し始めた。フェデルへの恐怖は感じているが、それ以上に自分たちを救ってくれた事への感謝を示したかったのだ。



 「ありがとう!」



 礼を言うと、モモネミは急いで亡霊の元へと飛んでいく。しかし、それを阻んだのは勇者だ。彼にとって仕事の要人はモモネミであるし、何より狂暴な悪魔の元へ黙ってモモネミを送る訳にはいかなかったからだ。



 「待て!一体何を考えているんだ!」



 「……ごめん、勇者様。僕は行かないと」



 ここで事情を説明し合えれば、どれだけお互いの為になるだろうか。だが、そんな甘い妄想をこの状況が許さない。



 「俺たちは君を助けに来たんだ!それに、あの悪魔と何の関係がある!?」



 立ち止まり、影を切り伏せる。いつの間にか、聖剣は勇者の手に戻っていた。



 「僕たちだって、レヴを助けに来たんだ!解ってよ!」



 「ダメだ!あまりにも危険すぎる!あいつは敵だぞ!それに、今だって魔女を殺しに行ったんだ!魔女だからと言って、罪のない人間にそんな事をするのは許されない!」



 その時、モモネミは茫然としてタクミの顔を見た。それが決して悪意のある言葉でないと理解していても、目を向けずにはいられなかったのだ。



 「……それ、本気で言ってるの?」



 モモネミは、今でも亡霊の心を読むことが出来ない。しかし、黒くてドロドロとした、モモネミの心にまで浸食してくるような感情の正体が復讐心である事は想像に難くない。そんなモノで亡霊の心を満たした犯人等、一人しかいないというのに。



 「どういう……」



 言葉が最後まで出なかったのは、妖精の今にも泣きだしそうな顔を見てしまったからだ。その表情から、あの悪魔がモモネミにとって大切な誰かだった事は勇者にも容易く予想が付く。……気が付けば、影はその数を片手で数えられる程に減らし、ゴーレムも足を引きずる様に歩くのみ。望んだわけではないが、タクミと亡霊は共闘によってこの窮地を脱したのだ。



 広場が落ち着きを取り戻して、勇者の周りにパーティとフェデルもやってきた。ギルドからの依頼を達成するのであれば、この場で転移魔法を唱えて強制的にフラックメルへ帰還するだけで完了することが出来る。



 ……タクミは、そんな事を考えてしまう自分が不思議で仕方なかった。最強であるはずの自分が、ダメージに怯えあまつさえ悪魔を見逃して逃げ出そうだなんて。それは、タクミの考える勇者像とは最もかけ離れた行動だ。



 何に怯える事もなく無敵の力を振るい、目的を余裕でこなしてそれを褒めたたえる仲間と旅をする。それが異世界転生における勇者の定義だとタクミ自身も考えていた。だが、彼は亡霊との闘いの経験や、モモネミの勇気ある必死な姿を見てある一つの疑問を抱いた。



 (俺は、旅の中で勇気を出したことがあったのか?)



 勇者とは、その意味を極限まで還元していけば困難に立ち向かう者の事を指す。ならば、彼の疑問の答えはこうだ。



 タクミは、勇者だった事などない。



 理由は至ってシンプルで、つまりタクミにとって困難だった事など一度もなかったからだ。言うなれば、彼は勇者が英雄になる為の力を持っているだけの一般人なのだ。実力がいくらあっても、それを勇者と呼ぶわけにはいかない。



 ……彼は、その答えに自分で辿り着いたのだ。



 「……スキル、『ライゼ・モア』」



 彼がそう口にすると、全員の足元にサークルが現れた。しかし、キャメル戦線の離脱やペイルドレーン・ワークスに現れた時とは模様が違う。その理由は、当然これが魔法ではなくスキルによるものだからだ。ライゼ・モアは、サークルを設置してこれを踏んだ相手を任意の場所へと転移させることが出来る罠の様な万能スキルだ。



 「タクミ様?」



 アウラは気づく。タクミだけが、魔法陣の外にいる事を。



 「……フラックメルの南門。いつもの場所に転移するようになっている。クマの魔獣は、すぐに病院に連れて行ってあげてくれ。俺の命の恩人だと言えば、魔獣でも患者として受け入れてくれるだろう」



 「……どういう、意味ですか?」



 アウラだけでなく、皆が心配そうな顔をしてタクミを見ている。彼の表情に、いつもの様な余裕の笑みは無い。サークルが激しく光り出して、彼女たちを送る準備が整った事を伝えた。



 「今は、まだ言えない」



 その瞬間、サークルは皆を光の粒子とさせて、タクミの思い描く目的地へと転移させたのだった。



 「……怖い」



 誰もいなくなった場所で、ぼそりと呟く。



 「恐い。……怖い、恐い強い悑い!!」



 次第に声は大きくなり、誰も聞いていないという事実が彼の自制心を崩壊させると、赴くままに弱音を吐き散らした。



 「コワイんだ!!俺の攻撃が通用しない!!あんな奴見た事ないんだ!!恐いんだよッ!!スキルを扱いきれない!!力で押していも裏をかかれて!!本当に殺されるんじゃないかって!!聞いてない……。聞いてない聴いてない訊いてない!!そんな事キイてないんだよ!!」



 壁に反響した声が自分を責める。頭を掻きむしり、激しく脈打つ心臓のある胸を鷲掴みにすると、瞳孔を広げて絶え絶えに呼吸を繰り返した。



 「……でも」



 聖剣を地面に突き刺しながら、一歩ずつ進んでいく。小さく遅く、だが確実に一歩ずつ。



 (ここで退いたら、俺はこの先一生あの悪魔レヴナントに怯えて生きていく事になる)



 足が震えている。先ほど受けた攻撃の痛みを思い出したから。



 (……それじゃダメなんだ。前の世界で虐められてた頃と何も変わらない。ヤンキー共に怯える生活が嫌で最強の力を貰ったのに、また同じ想いを抱いて生きていくなんて絶対に耐えられないッ!!)



 眼光に覇道が見える。初めて自分の為に戦う事を決めたから。



 (これは、誰に頼まれた訳でもない。それに、この戦いを人に褒められたくなんてない。……俺のエゴイズムだ。俺が俺を褒める事以外に、このコンプレックスを解消する事なんて出来ないッ!!)



 そして、タクミは初めて立ち向かう勇気を手に入れたのだ。



 ……ペイルドレーン・ワークスの戦いは、遂に最終局面を迎える。

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