第27話 勇者の仕事

 (なんて……、なんて、美しい表情なのかしら)



 頬を紅く染めて自分の手で覆い、恍惚の表情で亡霊を見る。今まで見てきた、少年が純真さを失って浮かべるどの絶望よりも、ミザリーには魅力的に見えた。魔女の常識が、覆った。男性器は破裂しそうな程に膨らみ、女性器は足元にまで伝う雫を垂らした。



 いても立ってもいられなくなったミザリーは、亡霊のいる部屋の扉を開けて明かりを灯す。



 火に照らされた亡霊の姿は、もうここに来た頃の面影など残っていない。どこかの死者の屍に、彼の記憶と意識だけを移植した傀儡。それが、今の彼だ。



 意識と記憶だけを肉体から肉体へ。彼は、本物の亡霊となり果ててしまっていたのだ。



 ……彼の目に、二人の姿はもうない。彼が持つものは仮初の体と、砕け散った心の破片だけ。



 「今、どんな気分かしら」



 生唾を呑み込み、彼に訊く。しかし、その感情は言葉にならない。言い表せないという事実が、ミザリーを更に掻き立てる。



 「もう二度と、こんな思いをしたくないわよね」



 虚ろな目は、灰のような色をしている。そこから涙が一筋だけ流れていた。髪は、何色にでも染まってしまいそうな白色で、肌は凍ったように冷たい。



 「私なら、あなたを強くしてあげられる。そうすれば、もう二度とそんな思いをしなくて済むわ」



 優しく耳元で囁くミザリーの表情は、目を見開き口を三日月の様に湾曲させ涎を垂らした、狂気に満ちた笑顔だった。



 魔女は、亡霊の絶望した表情に恋をしたのだ。故に、彼が再び何かを積み上げるのを待つ。そして、その時になればあの表情を見るために、再び彼を壊すのだ。絶頂を迎えてすぐに次を求める程、ミザリーは熱烈な恋心を抱いていた。



 「もう、こんな……」



 人は絶望の後に一筋の光明を見せられると、不思議なくらいにその光へと吸い寄せられてしまう。嘗て、亡霊が村人たちへやったように、彼もまた、魔女の優しい言葉へと付き従うが如く首を縦に振ってしまったのだ。



 「いいわ。私に全てを預けなさい。……その体に、さよならを言ってあげて」



 そう言うと、ミザリーは亡霊をの体を解き放って抱き締め、冷たい地面に押し倒したのだった。



 × × ×



 王都フラックメル。夕暮れの公園にて。



 「綺麗ですね。タクミ様」



 「そうだね」



 「この景色も、タクミ様が国を守ってくださっているからこそ見られるのです」



 地平線に沈む夕日を眺め、勇者タクミと半獣の少女アウラが肩を並べていた。その様子は、戦いを共にする仲間ではなく、互いを思い合う恋人のようだ。



 元々奴隷として扱われていたアウラを、タクミは奴隷商から買い取った過去がある。この世界に転生した頃から無敵の力を有していた彼にとって、戦力を補強する理由はない。彼が彼女を買ったのは、単にかわいそうだったから、と言うだけの事だ。



 ……無論、他に売られていた奴隷たちのその後が語られることはない。ただ、アウラはその中から選ばれたのだ。



 ロマンティックな雰囲気に充てられたのか、不意に静寂が訪れ、影が一つに重なった。彼らは愛を確かめ合うように口づけを交わすと。



 「愛しています。タクミ様」



 「ありがとう。嬉しいよ」



 街のどこかへと消えていった。



 ……。



 次の日、他のパーティメンバーと合流した二人は、ギルドホールへと向かう。魔王軍との戦争もひと段落した為、彼らは冒険者としての仕事を引き受けようと考えていた。



 「よく来てくださいました。こちらへどうぞ」



 特権階級を有するタクミは、ギルドではVIPとして扱われている。何せ、どれだけ難しい依頼であろうと一つの犠牲も出す事なく完璧にこなすのだ。こういっては何だが、他の有象無象とは格が違う。



 「依頼を受けに来た。今日はどんなのがあるかな」



 そう言って受付嬢から提示された仕事を確認する。パーティと何を受けるかを話しているその影で、プレートに傷をつけた冒険者がひそひそと話をしていた。



 「亡霊が死んだんだってよ」



 「冗談だろ?」



 「本当の話だ。ブレスレットの反応が完全に途絶えたんだと。裏の依頼、貴族の息子の奪還中に魔女にやられたんだってよ。……南のスラムに、ドクっているだろ?」



 「あぁ。闇医者のじいさんか」



 「昨日、ギルドの倉庫で管理していた亡霊の道具を引き取りに来たんだ。見かけた俺の仲間が運ぶの手伝おうか聞いたら、『息子の物だから』って、誰の手も借りなかったって」



 「……この話、やめよう。俺の覚悟が鈍る」



 「……そうだな。いや、忘れてくれ」



 そんな時、突然ホールの扉が勢いよく開かれて、一人の兵士が現れた。



 彼は走って依頼の発注カウンターへと向かうと、受付嬢に食い入る様に口を開く。



 「き……緊急の依頼です。ペイルドレーン・ワークスへ、妖精の子が迷い込みました。……あの子を、助けてあげてください」



 彼は、黒髪の魔女の一行を追ってペイルドレーン・ワークスへと向かった妖精の話を、経緯を追って話す。



 「わかりました。……しかし、あそこへ向かうとなればミスリルクラスの高難易度な仕事となります。報酬も多額なモノが必要となりますよ」



 「金なら、何とかします。だから……」



 彼は、悔いていた。あそこで手を差し伸べる事が出来なかった事を。しかし、自分がいても状況は何も変わらないことを。だから、せめて妖精を助けられる可能性を信じて、仕事を頼みにきたのだ。



 「そうは言っても、簡単に受注者が現れるかどうか」

 


 「俺たちが引き受けましょう」



 そう言って二人の間へ入ったのは、もちろん勇者だ。兵士の只ならぬ雰囲気を察して集まった野次馬の中で、彼もその話を聞いていたのだ。



 「確かに、勇者様でしたら受ける資格があります。しかし、いくら勇者様でも無傷で帰れる保証は……」



 「大丈夫だ。なあ、みんな?」



 それに呼応するように、彼女たちは威勢のいい返事を返す。根拠と言えば、勇者へと向ける厚い信頼に他ならない。皆、タクミが居ればどんな困難でも打ち破れると確信している。



 「そういう事だ。兵士さん、後は俺たちに任せてくれ」



 「……ありがとうございます」



 そう言って、兵士は勇者たちへ後を託したのだった。



 ……。



 「バカもん。死んでしまったら、もう治してやれんのじゃぞ」



 スラムの診療所で、一人酒を飲みながらナイフを眺める男が呟く。その哭き声を聞く者は、一人もいなかった。

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