第25話 実験

✕ ✕ ✕


同時刻、ペイルドレーン・ワークス某所。



 一滴の光もない深淵のような闇の中、一人の魔女が訪れた。蝋燭に明かりを灯すと、壁に体を固定された焦げた亡霊レヴナントの死体がある。魔女はその死体の顔のすすを手で払うと、魔法の詩を詠唱してから死体の胸に手をかざした。



 「……っ」



 そして、魔女は死体に文字通り命を吹き込んだ。彼は目を開けると、死んだ時の焼けただれた皮膚の痛みを思い出して、意識を覚醒させた。



 「お目覚めのようね。ようこそ、ミザリーの工房へ」



 「……それが、お前の名前か」



 「起きて最初の言葉がそれなんて、余程精神が強いのね」



 ミザリーは口に指をあて、上品に笑う。作り物の顔と身体は、計算しつくされた美貌の結晶だ。亡霊の記憶にある中でも最も美しい造形をしている。しかし、温かみのない表情の中に狂気が蔓延っている。魅力のない美しさは、得も言えぬ不気味さがあった。



 片腕だけの身体は頑丈に貼り付けられていて、動かすことが出来るのは眼球と指先だけである。無論、僅かな火が灯っているだけの命に、それを打開する力などない。



 「あなたは私を二度も殺したの。私って、結構執念深いのよ。だから、あなたも同じ様に殺してあげる。何度も、何度も。ふふふ」



 無機質な笑い声が、部屋の中に木霊する。



 「早速だけれど、実験をしましょう。あなたの精神力を視るの。一体どれだけ苦痛に耐えられるのか、興味があるわ」



 言うと、ミザリーは部屋の扉を閉めて魔法を唱える。



 「これで、この部屋の時間は現世と隔絶されたわ。好きなだけ試せるの。素敵だと思わない?」



 「人形遊びとは、趣味が悪い」



 吐き気のする様な邪悪に、亡霊は悪態をつく事しか出来ない。



 「研究者は、いつだって孤独なのよ。お人形の一つくらい、持っていてもいいじゃない」



 そう言うと、魔女は何処からともなく水に濡れたように冷たく輝くナイフを取り出して、亡霊の胸に深々と、そしてゆっくりと突き刺していく。



 「ぐっ……ごはっ」



 口から血を吐き出し、もがき苦しむ。そのうち刃は心臓へ到達し、ナイフを伝って血が地面に流れ落ちた。血潮が引いていくのを感じてから、亡霊は息を引き取った。



 魔女が再び命を吹き込むと、亡霊の心臓が動き出す。



 「……っ!……はぁ、はぁ」



 彼は自分の胸を見る。傷からは、血が止まらない。しかし、魔法によって吹き込まれた命は、本来あるべき生命の形とは関係なしに宿っているようだ。



 流れ続けてしばらく、体内の血液が出尽くしたにも関わらず、心臓は鼓動を続けている。痛みは、ない。



 「どうだったかしら?」



 まるで手作りの料理の味を訊くように、ミザリーは亡霊に訪ねた。



 「……気が遠くなりそうだ」



 彼は俯いたまま言う。一度死んでしまった彼にとって、生き延びる事とはなんなのだろうか。そんな事を考えていた。



 「そう言えるうちは大丈夫。今度は一度で死なないように、指先から落としていくわね」



 刃渡りの長い銀のハサミを取り出し、亡霊の首から右手にかけて長い線を引く。そして、チャキ、チャキ、という鋭い音を二回鳴らしてから、肉ごと爪を切り落とした。



 小さく声を漏らす亡霊。しかしそれでは満足しないようで、魔女はその切断面に向けて自分の長い爪を立て、肉を直接刺激した。



 想像を絶する痛みだ。しかし、亡霊は強く歯を食いしばると、叫びたくなる思いを必死で堪える。



 「それでは、どこまで行けるか試しましょう」



 音を鳴らし、肉を切る。音鳴らし、肉を切る。合図と痛みを交互に与えて、切るよりも先に体が恐怖するように仕向ける。そして、肘まで繰り返したところで魔女は困ったように動きを止めると。



 「このまま死ぬまで何も言わないのかしら。面白くもないわ」



 すると、彼は震えた口調で。



 「……サドが」



 その時に亡霊が霞む視界に捉えたのは、ようやく声を聞いて舌なめずりをする魔女の表情。結果を得て、満足しているのだろう。



 「次に取り掛かるわ」



 そう言って、ミザリーは亡霊の首を切り裂いて彼を殺した。



 ……叩き、削り、潰し、燃やし。永遠にも思える時間、魔女はあらゆる殺し方を試した。それでも、亡霊の精神は壊れない。



 次にミザリーは、毒の蟲を呼び、亡霊の体に放つ。蟲たちは彼の体を這い回り、刺して噛み付いた。しかし、魔女の予想通りこの程度では亡霊は怯える事はなかった。体の穴から体内に入り込んだ蟲が臓器を食い荒らしても、尚亡霊は小さく声を上げるだけである。



 「ここまでしても壊れてしまわない人間がいたなんて」



 研究者としての好奇心が、彼女を掻き立てる。亡霊の顎を持って顔を向けると、彼は確かに目を動かした。



 「……少し、記憶を覗いてもよろしいかしら?」



 しかし、返事はない。何度も死と復活を繰り返して、身体はとっくに限界を通り越していた。



 そう、亡霊の肉体は、彼の強い精神力についていけなかったのだ。例えどれだけの想いを持っていたとしても、所詮は人の肉体だ。殺される恐怖とそれに抗う精神の間で、亡霊の細胞が怯えきってしまっている。指を動かすことはおろか、口すらも動かせず、送る血液のない心臓と、痛みを命令する脳みそのみが活動している彼の姿は、最早生きているとは言い難い。



 萎縮しきってしまった体はしぼみ、あれだけ逞しかった胸板も、鉄のように固い腹筋も、棍棒のような太い脚も、今では細く痩せて、骨格に虚しく張り付いているだけである。



 しかし、絶望は終わらない。許可も得ぬまま、ミザリーは亡霊の頭をナイフで横に両断し、頭蓋骨を切り離すと大脳皮質と海馬を指でえぐりとった。そして痙攣する彼を半頭のまま置き去りにすると、部屋を移動してそれを養液を入れた試験管に移す。そして彼女特性の装置にセットしてから魔力を込めて、亡霊の戦いの記憶を読み取った。



 (戦いと血ばかりね。退屈な風景だわ)



 いくら読み取っても、見えるのは戦場ばかり。そんな歴史を辿っていくと、その地平線に立ったミザリーは呟く。



 「……驚いたわ」



 その理由は、彼が多くの戦いの記憶を持っていたからではない。十年より前の記憶の知識以外の一切がない。それも忘れているのではなく、だ。



 「何故なの?あなた、一体何者なの?」



 壁越しに、白目を向いて体を震わせる亡霊に問う。しかし、彼は口をパクパクと動かすと、またも命を失ってしまった。



 魔女はその答えを探すべく、彼の記憶を彷徨う。しかし、やはりその答えを得ることは出来ず、歯痒い思いを胸に抱えて、しかし未曾有の謎を手にした事で喜びに打ち震えるのであった。


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