第23話 銀色の獣
(な、なんだこのサイズは……)
呆れる程に暴力的な顔、神々しく輝く銀色の毛、そして顔面からから腹を捻じり、背中へと走る雷の跡。爪は長く鋭利で、その一本一本がモモネミと同じ大きさをしている。そして、口元から血を垂らしながら魔物の死体を喰い漁るその姿は、まるで悪魔の様だった。そして、妖精の驚愕は更に加速する。
(食べられてるの、ミノタウロスじゃないか!ど、どうしてこんなところに)
ミノタウロス。それは巨大な戦斧を携えた牛頭人身の魔物である。魔物の中でもトップクラスの戦闘力とその獰猛な性格故、ミノタウロスは魔界にある迷宮に幽閉されていると言われている。そんな魔物が、一体どうして。
いや、そんなことはモモネミにとってどうだっていい事だ。問題は、その強力な魔物を喰い殺しているあのクマの方だ。
恐ろしい、逃げなくては。そう考えているはずなのに、モモネミの体は動かない。蛇に睨まれた蛙のように、圧倒的な力の差を見て絶望しているのか?……いや、違う。彼は、その禍々しさの中にある神秘の美しさに見惚れていたのだ。孤高で気高いその姿には、絵画の様な魅力があった。
『……何を見てる』
言われ、モモネミの心臓は激しく跳ねた。無理もない、突然クマに、それもミノタウロスを喰い殺しす程の戦闘力を持った化け物じみた生物に語りかけられたのだ。しかし、モモネミは背負っていたメスを手に持つと、真っ直ぐとクマの顔を見た。
『それで、我と戦うつもりか』
恐怖が訪れた。メスを持つ手は震え、今すぐにでも逃げ出したい気分だ。しかし、モモネミは逃げなかった。じくっくりとクマを観察し、なんとか突破口を探っていたのだ。
……そこで、モモネミは違和感に気が付く。確かに意志を受け取っているのに、クマの口が一切動いていないのだ。
(なんだ?このクマ、どうやって僕と話を)
『汝、妖精であろう?ならば我と意志の疎通が出来たとして、何が可笑しいのだ』
疑いようがなかった。クマとモモネミは、テレパシーを使って会話をしているのだ。その事実はモモネミを二つの意味で驚かせた。
そう、彼は先のウマとの感覚の共有によって、妖精の力の一つである動物とコミュニケーションを得る力を覚醒させていたのだ。初めて頼られて意識を改めた結果訪れた奇跡だった。
「僕を、殺すの?」
『弱き汝を殺して何になるというのだ』
どうやら、クマは無益な殺生はしないようだ。その余裕が、強者としての余裕を見せつける。
ならば、クマは力を貸してくれないだろうか。あのペイルドレーン・ワークスでも、何とかしてくれるかもしれない。そう思った時、ふとモモネミの頭にある考えがよぎった。
(僕を助けることが、このクマにとって何か得になるのかな)
それは、当然ことだ。あの兵士がモモネミに力を貸さなかったのは、彼に何のメリットもないからだ。もちろん、何も言わずにメスを貸してくれた医者だっていたが、あれは仮に返って来なくてもメスの一つ程度しか傷を負わないからである。要はリスクの問題なのだ。仮に、あの医者にモモネミがここへ来てくれと頼んでいたとしても、断られていただろう。
(だから、人間はお金を貰うんだ)
世の中の仕組みが、何となく解ってきた。モモネミは
(そうじゃない。力を貸してほしいのならば、僕が提示するのは、クマにとって
この時、モモネミは王への第一歩を踏み出したのであった。
「僕、モモネミって言うんだ。どうして君はこんなところにいるの?」
『
「……君、ひょっとしてここらの山の王様なの?」
『そうではない。今、玉座に座る者はいないのだ。我は、秩序を乱す者を排除しているまで』
「優しいんだね。凄いや」
この優しさにつけ込むべきだろうか。……いや、ダメだ。クマの優しさは山を守る為のものであって、その他の誰かに向けられるモノではないのだ。モモネミを守る事は、クマのメリットにはならない。
そんな時、モモネミの腹の虫が鳴いた。真剣に頭を働かせて、急速にエネルギーを消費してしまったようだ。
『食えるのか、肉が』
クマの中に少しだけ興味が沸いたのを感じて、モモネミは首を縦に振った。食事は、鉄板の交流方法だ。
誘われるままに肉に近づき、恐る恐る破片を掴む。それを見たクマはモモネミを観察していた。試されているのだ。
魔物の肉を食べる事が、モモネミは恐ろしかった。しかし、きっと亡霊も通った道なのだと信じると、大きく口を開けてそれにかぶりつく。
(……あれ、思ったより普通だ)
肉質は固いが、しかし悪い味ではない。新線な血と、それにコッテリとした脂が染み出してくる。
モモネミが知る由もないもないが、本来ウシは食肉用として育てられる家畜でもある。それに、魔物とは言え肉体は所詮タンパク質の塊なのだから、一度生肉を口にした者にとっては耐えられない事はない。……無論、何を食べているのか、を自覚しなければと言う前提なのだが。
『ふっ、汝は妖精なのか?妖精が肉を食べるなど、この三百年間一度も聞いたこともなかったぞ』
本来動物と共存する運命を持つ妖精にとって、それは禁忌にすら選ばれない常識だ。しかし、モモネミは己の往く道が生半可ではないことを覚悟している。囚われていては、辿り着けないと。
「……僕だって、死ぬくらいならなんだってやるさ」
『なんだって、か』
そう言うと、クマは黙ってモモネミを見据える。
「な、なんだよ」
口元の血を拭って訊く。
『なんだって、と言ったな。汝、我と立ち会う気概はあるか?』
落ち着いていた動悸が再び訪れた。訊いた声に、戯れの雰囲気は感じ取れない。だから。
「君と勝負したら、確実に死ぬだろうね」
分かりきっていた答え。見逃されようとしているのだとクマは確信する。「なんだって」、とはそんなに軽い言葉ではない。興醒めだ。
そう考えて、当然だ、と、そう口にしようとした瞬間。
「でも、黙って殺される訳にはいかない。僕にはやらなきゃいけない事があるんだ。だから、その時は死ぬ気で戦う」
モモネミは再びメスを構えて、地に足をつけた。その目には、強い光が宿っていた。
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